第10話 混沌
「あれっきり学校にも来ないし、うちにも来ないし、凛の部屋にも入れてくれないし、この間心配になって凛のアパートまで様子を見に行ったんだけど、玄関に出て来てはくれたんだけど、私が何を言っても、全部うわの空でさ。ちょっと部屋を覗くと、いつもは何もかもが1mmもずれてなくて塵一つ落ちてなかった、あの凛の部屋がよ!ぐちゃぐちゃでゴミだらけなのよ。あ~、心配だわ~。。。」
「それは、ショックなのでしょ~。手土産でも持ってお見舞いに行ってあげましょ~、不肖丸尾、尽力いたしますよ~。」
「そ、そうね、たまには良いこと言うじゃない、部長。電車の運行表みたいに超絶マイペースな部長が顔を出せば、ひょっとしたら平常心を取り戻すかもしれないわね。今日これから時間ある?」
オカ研の一室で杏と丸尾が、落ち込む凛をなんとか元気づける相談をしている。視察会という名目で3人で遊びに行ったUSJから、急用との事で急遽一人で帰ってしまった凛は、その後、兄が亡くなった事だけはかろうじて杏に伝えたものの、それっきり、毎日のように互いの部屋を行ったり来たりしていた彼女にすら会おうとはせず、一度も大学にも来ず、当然サークルにも顔を出していないのであった。近親者の死など経験した事もないし、ましてや自殺など言うまでもない杏と丸尾はどうしたらよいか分からず右往左往するのみであったが、それでも凛の事を思う心だけは双対の塔のように等しく確かに持っていた。
――――――――――――――
「凛~!!」
杏は彼女の性格そのままに、何度も激しく呼び鈴をガンガン鳴らすと同時に、アフリカにまで響き渡る大声で凛を呼び出す。
「凛さ~ん、お見舞いに来ましたよ~!」
普通の人なら、近所迷惑になるからとその大声を諌めるはずだが、丸尾も丸尾だ、そもそも人の事はまったくと言っていいほど気にしないし、なおのこと心配が先に立っている。
杏と丸尾の二人は、揃いも揃って果断実行派である。オカ研の狭苦しい一室から、すぐに凛のアパートまで自転車に乗ってやってきたのだった。凛のアパートは築10年の3F建て、交通安全のポスターのようにどこからどうみてもありきたりなもので、部屋の並びも呼び鈴もガス給湯も、何から何まで平々凡々、ゲームか何かの背景にある建物のようである。
しばらくすると、すっ、とドアが開き、凛が顔を出す。
「凛、しんぱ、、、」
いしたじゃないの、という言葉を杏は飲み込んでしまう。いつもの地味ではあるがバイタリティーに満ち満ちた凛は、杏の目の前にはどこにも居ないのであった。まるで古ぼけた曰くありげな呪いの像でも見ているかのようである。そして、彼女は墓石でも見るかのように淀んだ眼をして、杏をチラリと見た。
「、、、杏、、、部長も、、、ありがとう、、、、心配かけたわね。」
ほとんど開いていない口からgoogle翻訳のような口調で自動的に音が漏れる。心配でお見舞いに来た杏と部長に対しての感謝もしなければ、何の感情も示さない。破れかけの箒のように玄関に寄りかかって、杏と丸尾など全く視界に入っていないかのようだ。そして、触れてはならない深刻な物語が刻み込まれた古本の事でも考えるような感じで、意味ありげに真っ赤に充血した眼をきょときょと動かしている。
「ちょ、ちょっと、入るわよ!」
大学に入ってから数か月、幼馴染と言うわけではないが親友だと確信している杏は、凛の落ち込みに一瞬躊躇したものの、意を決して丸尾を連れてずかずかと凛の部屋に入り込んでいく。
「げげっ!?」
杏が丸尾に比喩したとおり、以前はさながら集積回路のように整然としていた1DKの凛のアパートは、先回杏が来た時よりもさらにその混迷の度を深め、まるでゴミ屋敷だった。そこらじゅうに散乱する食べかけの腐った弁当、転がった飲みかけのペットボトル、脱ぎ捨てたままの下着類、カビの生えた布団、すえた臭いと体臭、煤煙とPM2.5に汚染された冬の中国東北部のようなよどんだ大気、、、、
「こ、これはカオスでしょ~!」
以前の凛同様にきれい好きで、格好はダサく身なりもボロボロだが、清流を好むドジョウのような習性の丸尾も混乱して思わず声を上げる。
しかし、不思議と赤い小さなノートPCの周りだけはゴミが除けてあり電源が入っている。そして、どこをどう調べたのか液晶画面には株式会社リットウ工業の組織情報(凛の兄が勤めていた会社だ)が写っている。
杏が少しばかり芝居がかって、腕まくりをしてこう言った。
「凛!お掃除セット持ってきたから!今日でリセットするのよ!」
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