06 しあわせな世界(1)

 米美と繁雄はいったん家の中に戻る。繁雄の話によると、美緒を寝かしつけた後、米美は片付けをしながら応接間でひと眠りしていたらしい。招霊の木の植え替え作業の立ち合いをしていた繁雄は、作業が終わったため米美を呼びに来ると、突然さっきのような状態になっていたから驚いたという。

 米美は繁雄の話を聞いている最中も、繋いだ手を離すことはなかった。1人で生活していた長い間、繋ぎたくても繋げなかった繁雄の大きな手。米美はそれを堪能するかのように、しっかりと握りしめていた。

 美緒を寝かしつけた寝室へ向かう。そこにはすやすやと眠る天使のような自分たちの娘、美緒がいた。


「美緒……」


 米美は美緒の寝ている姿を見て立ち止まった。たしかに目の前にいる子は、自分が腹を痛めて産んだ愛娘美緒。なんと小さな体であり、小さな手だろうか、と米美は思った。そんな美緒の頬に思わず米美は手を添える。


「そっか……人って本当に、強く大きく成長するっちゃね」

「米ちゃん?」


 米美の知っている最近の美緒は、延岡市で保育園の副園長をしており、そして母親となった。最初はこんなに小さかった美緒が、いろんな知識や経験を経て、あれほど成長するのかと思うと感動した。

 そして、まだ生まれたばかりの美緒は、父親繁雄の顔を知らずに生きてきた。あと7日後に、繁雄が事故で亡くなるためである。今後の成長過程において、本当は父親から学ぶべきことはたくさんあっただろうに、それらを知らずに大人になった美緒のことを思うと、米美はとても悲しくなり、そして責任を感じた。


「ごめんね、美緒……」

「米ちゃん、なんで謝ると?」


 ぽろっと出た米美の詫びの言葉に、繁雄は反応する。


「美緒……、あたし、この子には申し訳ないこと、ばっかり……」


 米美は思い返す。なかなか実家に帰省してこない美緒のことを。

 それらは全部自分が悪いからだと思い続けている、78歳の米美の気持ちを。

 米美は美緒を撫でながら、涙を流した。美緒の大事な一度きりの人生を、父親のいない寂しい人生にしてしまったのは自分のせいだということを思い返し、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「米ちゃん。泣いたらいかんよ」

「シゲ、さん……」


 どんどん負の方向へ陥る米美に差し込む光。それは暖かな繁雄の言葉であった。


「俺と米ちゃんの子やん。幸せじゃないわけないやろ? 大丈夫よ、美緒は米ちゃんのこと、なぁんも悪いと思っとらん。米ちゃんが泣いてたら、美緒も悲しくなるよ? ほら、早く俺の大好きな元気な米ちゃんに戻って?」


 なぜか繁雄に、心を見透かされているようだった。ずっと自分を責め続けてきた米美が、繁雄の言葉で少し解放された気持ちになった。米美は、こんなに良い人を、あの時自分は感情的に怒鳴ってしまったのかと心が裂けるような思いがした。ここで更に泣いてしまったら、繁雄にまた心配をかけてしまうと、ぐっと堪えた。


「シゲさん、ありがとぉね」


 もう一度眠っている美緒を見下ろす米美。米美の知っている美緒は、もっと大人になって、お母さんになっている。あっちの美緒は、本当の美緒、こっちの美緒も、恐らく本当の美緒。自分が過去に戻ってきているという、証拠もあまり揃っていない出来事が、ほとんど確信に近付いたような気がしていた。

 こんなことが現実としてあり得るんだ、と米美は思った。過去に戻るだなんて、そんな映画のようなおとぎ話、存在しないものだと思っていたからだ。

 もちろん何度も夢に描いていた。過去に戻れたら、繁雄に逢えたらどれだけ嬉しいかと、ずっと願っていた。それが今現実、米美自身32歳まで時が戻っている。しかも繁雄が事故で死んでしまう、米美の誕生日の7日前。こんな奇跡が起こるだなんて、と米美は少し冷静になってきた頭で考えた。

 もしこれで繁雄の事故を防ぐことができたら、残りの人生を繁雄と一緒に過ごすことができるかもしれない、美緒にお父さんのいる幸せな人生を歩ませてあげられるかもしれない、そう思うとそわそわした。繁雄が死んでしまうまで、あと7日しかないからだ。自分が、どうにかしなければと、そう思った。


「シゲさんて、今仕事忙しい?」

「ん~そんなに忙しくないと思うけんね。今んとこ、残業なしで帰ってこれるし」


 繁雄の仕事は高千穂町役場。今年から町おこしの課に配属され、毎日楽しそうに仕事に行っていたのを米美はよく知っている。

 そんな2人が出会ったのは5年前。役場の窓口に現れた米美を対応したのが繁雄だった。繁雄のひとめぼれだったらしく、積極的にアプローチをかけ、最終的に『しょうがない人やね』と米美が繁雄の告白をオッケーしたことが始まりだった。本当に仲の良い2人だったようで、周りからよく羨ましがられた。

 繁雄は何より米美のことを大切に思い、愛を伝え、3年前に結婚。当時飲食店でアルバイトをしていた米美だったが、繁雄の気遣いで専業主婦となった。そして美緒を妊娠したことをきっかけに高千穂町のこの家を購入し、最近引っ越し作業を終えたばかりである。


「仕事、変えれんとよね?」

「またそん話? どうしたとね? なんか嫌な話聞いたと?」


 繁雄に、自分が過去に戻っているという話をして、聞いてくれるだろうか、信じてくれるだろうか、と米美は悩んだ。


「せめて、異動できるか聞くとか」

「いやぁ、町おこし課に異動になったばっかりやし難しいやろ。なんで?」

「んん〜……笑わん?」

「笑わんよ」

「笑わん? 本当? 絶対笑わん?」

「大丈夫よ、笑わんて」


 しっかり繁雄の意思を確認する。米美は今から、現実では通常ありえない話を繁雄にしようと心に決めたからだ。


「あんね、あたし、40年の時をこえて、過去に戻ってきたんよ」

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