第16話

「……絃さんはその建物を知らなかった、ということでしょうか?」

「はい。さっきも言いましたが私は宴に出るのを禁止されていたので。なにをしていたのかも、さっぱり」


 太陽がやっと顔を出したという頃、二人の男女がやってきた。

 女性を志築しずき、男性をあずまと名乗り、彼らは挨拶もそこそこに事情聴取を始めた。

 女子高生である絃が話しやすいよう女性刑事が質疑応答を行なっている。無造作に束ねられた黒髪と化粧っ気のない顔から、連日連夜、行方不明の高校生たちを探しているのだろうと伺えた。くまは濃いが疲れた表情は見せない。むしろアドレナリンが止まらないのだろうか、目がギラついていた。

 女性の背後には上司か、もしくは同僚か。糸目の男性、東がメモを取っている。中肉中背、気持ち背は低めだがどこにでもいそうな男である。志築ほどキリリとした空気は感じられない。そういう世界に足をつっこんでいる者にしては、纏う空気が緩やかに感じられる。だが、ペンを走らせる手は止まらない。一瞬の綻びも逃さないと言ったように、絃が一話すと凄まじい速さで十は書き込んでいる。


「なぜ、貴女だけが」


 志築が尋ねた。声に圧を感じる。抑えようとも抑えきれない興奮が見え隠れしていた。


「わかりません。おきて……決まりだったんです」

「掟」


 敢えて避けた物言いを採用されてしまう。はいと、絃は白い顔で頷いた。


「なるほど。随分と独特の風習があったようですね。そちらは誰が決めるので?」

「当主……だと思います。長い時間の中で決められたこともあるようなので、一概には言えませんが」


 不安そうに航一に顔を向けた。志築と東も振り返る。航一は絃に少し微笑み、頷いた。


「御当主。つまり絃さんのひいお祖父様、望月徳次もちづきとくじ氏が定めた掟の一つが、貴女に宴の参加を禁じるということでしょうか」

「そう……なります」

「なぜでしょう。双子の琴さんは舞姫、つまり宴の主役のようなものですよね?どうして姉妹で、こうまで待遇に差があるのですか」

「……わか、り、ません」


 絃はシーツを握りしめ、俯いた。

 志築は少し身じろぎ「すみません」と呟いた。意に反して声色は淡白で、悪びれる様子はない。

 東が志築に耳打ちをした。


「話が逸れてしまいましたね。そちらの方はまたおいおい聞かせて頂くとして、遺体を発見したときの状況をお聞かせ願いますか」

「とっても辛いと思います」


 東が割って入った。志築がほんの微かに、イラッとしたように振り返る。

 糸目を更に細くして、嫌というほど感情を込めて続ける。


「でも、絃さんからお話を聞くことが琴さんや翔くんを、犯人を見つける大事な大事な手掛かりになるかもしれないんです。ゆっくりでいいです。思い違いかなって思うことでも。なんでもいいので、気になったこと全部、お話してくれますか」


 そう終えた後、


「このお姉さんに」


 と付け加えた。

 志築は絃に視線を合わせた。少し眼力を緩め


「お願いします」


 努めて、柔らかく告げた。


「……変な匂いは、その建物を見たときから強烈にし始めました」

「血……ですか」


 少女は遠くを見つめ、語り始めた。志築は相槌を打ち、続きを促す。


「私は、とにかく中を確認したくてたまりませんでした。中で何があったのか、怖い気持ちも、あったけれど……」

「どうして怖い気持ちより中を見たい気持ちが勝ったんでしょうか」

「とにかく、琴が無事だといいと無我夢中でした。……あとお爺さんも」

「扉には血痕が大量に付着してました。それは入り口からも確認できます。絃さんも見たと思います」


 女刑事は掌を組んで少女に問いかける。少女は「はい」と答えた。


「それでも扉を開けました。琴の無事を確かめたかった」

「なぜ悟さんだけ外に出ていたんでしょう。貴女が出してあげたんですか?」

「違います。こう、開けたときに外に向かって扉に寄り掛かってたんだと思います。私が開けると一気に倒れこみました」


 絃は身振り手振りで答える。

 東の走らせるペンの音が加速していく。


「悟さんの遺体に何か特徴はありましたか」

「あ、り、ました」


 鮮明に思い出したのだろう。志築は、口に手を当てる絃の背中をさする。


「ゆっくりでいいですよ」

「……大丈夫。ありました。うつ伏せに倒れたんですけど、横顔からすぐに悟だと気付きました。……せなかが……背中がばっくり、大きく斜めに割れてました。まるで……」

「まるで?」

「なにか大きな……日本刀で斬りつけられたみたいな……」

「絃さん。警察もその見解です。犯人は日本刀で悟さんを斬りつけたと見てます」

「………」


 褒めるように言った。

 背後で航一が腕組みをして唸っている。怒っているらしかった。


「つい昨晩、悟とは話したばかりだったから……ほんとうに信じられませんでした。身体を仰向けにして、頭を膝に乗せて顔を叩いたけど……目を見開いたまま冷たくなっててました」

「亡くなっていると分かりましたか」

「はい」

「……その後は」

「中に飛び込みました。正直言って、記憶はおぼろげですが」

「大丈夫ですよ。覚えている範囲で構いません。……凄惨な光景だったと思いますから、取り乱すのは当然です」

「……ごめんなさい。ほんとうに大して覚えてないんです。お爺さん、を、見たような。あとはあの場に琴が居なかったことまでしか……」


 志築は目をまん丸にして絃を見つめている。東も驚いた様子でメモ帳から顔を上げた。


「……ひとりひとりの顔を確認したんですね」

「たぶ、ん」

「驚いた」


 二人の刑事は顔を見合わせた。

 志築は唇の薄皮を軽くめくる。逡巡した後尋ねた。


「その、酷く損傷していたものもあった筈です。私も、あのレベルの凄惨な現場は初めてで、かなり狼狽えました。警官の中には捜査不可能なほど取り乱した者もいます。それでも、ひとりひとりの顔を見て、確認したんですね」

「琴が……姉があの中に居るかもしれないと思うと、気が気でなかった……」


 窓の外、遠くを見つめている。

 病院下に張っているマスコミを気にしているのだろうか、志築は思った。いや違うだろうと思い直す。

 少女の虚弱な、うろのような身体。

 嵐の夜は過ぎて、暖かい朝日が差し込む病室。

 その光を浴びて、少女は目を瞑る。


『植物のようだ』


 志築は思った。


「あなたは……」

「え?」

「いえ、なんでも。琴さんがいないことを確かめた後の行動を覚えていますか」

「とにかく、生きていると思いました」

「お姉さんが……?」

「はい」


 小さな口を一生懸命に動かして、絃は語っている。志築は絃の見ている方へ、視線を動かした。窓の外を白い鳥が羽ばたいていった。


「助けを……けいさつをよばなきゃと、思ったんです。そうしたら足を滑らせて、気がついたら、ここに」


 志築は包帯で頭をぐるぐる巻いた少女を見た。右の肩口からは赤く滲む痣が覗いている。左足首も骨折しているらしく、天井から垂らされた糸と繋がっていた。

 痛々しいと、素直に思った。


「ありがとうこざいます。もう少し遅かったら命も危ないところだったんですよ……本当に、助かってよかった」

「……」


 長い睫毛を伏せている。

 琴に比べると随分と華やかさに欠けるが、己と比べれば充分すぎるほど整った顔立ちをしている。志築にはそう感じられる。


「私がを見つけて、どれくらいで捜査は始まったんですか……そんなに、時間は経ってないんですよね?」


 氷のような肌。冷えた表情。誤解を受けやすい種の人間。同類を見つけたときの苦い同情が、女刑事の胸を広がった。


『でも……』


 焦っている。

 このにとって、姉は生きる理由なのだ。転がった手足や指、首や目玉が些末事になるほど、望月琴という人間は、この少女にとって大切な存在なのだ。


「午後3時を丁度回った頃、雁山に捜査が入りました。望月の方々全員と連絡が取れないことを、不審に思った人が通報したんです。ただ、門のセキュリティがかなり厳重でして……正規のルート外からの侵入は相当困難でした」


 半端な嘘はいけない。

 絃の澄み渡った瞳が志築の瞳と交差する。

 精一杯の誠意で応えたかった。応えることができる人間ひとだと、賭けに出た。


「住宅はもぬけの殻、山は広く、発見は大変遅れています。一時間程経って、正門側近くに、隠し通路のようなものが見つかりました。隠し岩がずれていたから見つけられたんです。我々より早く、絃さんが動かしてくれたお陰ですよ」

「どうでもいい」


 三人の視線が少女に集まった。左手で顔を覆っている。華奢な肩が小刻みに震えていた。


「どうでもいいんだ……そんなことは」

「絃、大丈夫か」


 航一が駆け寄った。咄嗟の呼び捨てだったが気にする者は誰もいない。

 触れる前にわかった。身体が高温を発している。驚き、声を荒げた。


「おい、すごい熱だぞ」

「琴の、ゆ、行方は……連れ去った、奴は、誰……」


 大人たちはぞっとして声を掛ける。

 志築が絃の肩に触れようとしたとき、ぱちんと、手を払いのけられた。


「部外者……それとも、翔……?」


 不意に無垢な声を上げる。

 少女は立ち上がった。押しとどめようとする航一はまるで力無い子どものようだ。絃の怪力は異常だった。航一は狼狽し、慌ててナースコールを押して病室を出た。医者の名前を呼んでいる。


「だって、ただ誘拐するなら子どもたちを狙えばいいじゃない……大人の体格の男女を攫うなんて、変。なんで、こんなことに気がつかなかったんだろう……」


 がくがくと震えは大きくなる。にも関わらず、声色は穏やかだ。それが一層志築の不安を掻き立てた。


『 何か言わなければ』


 そう思うのに、妥当な言葉が思いつかない。

 指先が痛む。その痛みだけがやけにリアルで、夢の中にいるような、地に足のつかない心地だった。


『……火傷?』


 右手中指と薬指の指紋が、少しだけ黒く浮かび上がっているような気がした。

 彼女は顔を覆う左手をどけようとしない。指先には更に力がこもっているようである。ぶつぶつと何事かを呟いている。


「……かける……あいつが……そと……ことを……こと……どうし……」


 会話という手段を失った人間は、これほどまでに無力なのか。声をかけるも、その全てが弾かれてしまう。

 そのときだった。


「望月琴が自分の意思で出て行ったって線もありますよ」


 震えが止まった。

 指の隙間から星の瞬くような瞳が覗いている。

 東は続ける。


「まるで望月翔が犯人みたいな言い草だ。このヤマ、なにもかもわからないことだらけでね。勝手に決めつけられたら困りますねえ。それとも何か、あんたは知ってるっていうのかい?だったら、ご教授願いたいもんだ」


 細い目を更に細めて、薄く微笑んでいるようにも見える。


「ひとりの人間がね、殺せる数じゃないんですよ。あのセキュリティだ。正門側は大通りに面しているし、大っぴらに侵入できる訳がない。他も塀が高すぎてよじ登ろうにも目立ちすぎる。なによりたった一人で登るのは無理のある造りだ。複数人でも道具が無けりゃ、絶対に不可能ですね」


「だけど」と東は言葉を紡ぐ。

 す、は、と誰かの呼吸が聞こえた。志築はそれが己のものであることに気がついた。

 絃は強い光をたたえて、静かに男を見据えている。


「警察が使用したもの以外、そんな痕跡は見当たらなかった。全てをくまなく探したが、全くだめ。真っさら。意味するところ、わかります?お嬢さん」

「……出入りは、正門」


 頷いた。

 志築はここでやっと正気を取り戻す。


「東さん。あんた何言って」

「中途半端に教えるぐらいなら初めから全部知った方がいい。その方が腹も決まると、僕は思います」

「でも……!」


 時が止まったかのような静寂。それを破って、医師が東に割り込んできた。

 これ以上は刺激するな。

 強い口調で二人をたしなめるものの、男と少女の瞳に宿る静かで強い光がその語尾を弱まらせていく。


「いいのかい」


 問いかけたのは誰だったのだろうか。

 医師か、東か、はたまた航一か。

 陽は今日も昇る。

 志築は思った。全ての人に、平等に与えられるはずの陽光が、萎れた枝木のような少女に注がれている。

 奇妙な存在感を放ち、少女は頷いた。

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ノスタルジア 星燕 @HOSHI-TSUBAME

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