第14話

 本田航一は眠る少女を見つめ、小さな欠伸を噛み殺した。眠たいが、眠りたい気分ではない。

 無精髭を撫でつけ、どかりと簡易チェアに腰掛ける。少女の胸が上下するのを眺め、大粒の涙を流した。

 彼は二十数年前まで、望月航一と名乗っていた男だった。

 彼は望月の家に馴染めなかった。揃いのあの家で、ただ一人の凡人だったからだ。

 あの山を流れる独特の空気感も苦手としていた。口にしなくとも、望月の者ならば通じる何かがあった。そんなもの、航一は一度だって分からなかった。思春期の頃は不出来な自分が嫌で、尖っていた時期もあった。弱さ故の、所謂いわゆる黒歴史である。

 それでも一族は出来た人達だった。一度だって「凡人」や「出来損ない」なんて言われたことはなかったし、捻くれてからも厄介者扱いなどされなかった。

 幼かった航一にとってはそこも、腹立たしい所ではあったのだが。要は勝手に拗ねて、勝手に捻くれただけの話である。

 両親もある一点を除けば普通の人達だった。優しくて仲の良い、善なる人々。悪いことをすれば怒り、悲しみは共に分かち合ってくれた。

 だが、結婚となるとそうもいかなかった。

 二十歳の時である。小中高一緒の幼馴染とは高校の時から付き合っていた。なんとなくだが、絶対にこの人と結婚するという意識は互いにあった。二十歳を迎え成人になったのを機に、親に紹介したいと思うようになるのは自然の流れだった。

 世間では望月の者は望月の者としか結ばれない、なんて言われている。そんなものは嘘っぱちだと思っていた。許嫁なんて今まで誰一人として決めていなかったから。でも所詮、その必要がないだけの話だったのだ。

 望月の者は年頃になると必ず同族の者と恋に落ちていた。その末に夫婦になるのである。御山以外の場所で恋に落ちる者などいなかった。

 航一はその事実を突きつけられた。余所者は山に入れないと言われた。


「結婚してはいけないのか!?」


 叫ぶと親は悲しそうに首を振った。


「したいならするがいい」


 だが望月の姓は捨ててもらう。

 それが一族の答えだった。

 短気だった航一はすぐに大学を辞め、家を出た。友人のつてで職を得、彼女が卒業するのを待って結婚した。

 彼女の両親には何度頭を下げたか分からない。それでも、望月の者が家を出てまで娘を愛するための環境を整えてくれたことに感動していたらしい。最終的には納得し、婿養子にしてくれた。

 親の力は借りず自分達の資金で挙式した。小さなチャペルだった。式に一族は来なかったが、山の下で得た沢山の仲間が駆けつけてくれた。航一は御山の人々に対する優越感に浸っていた。だが、心の何処かで寂しかった。山が、月が恋しかった。

 両親からは細々と手紙が来ていた。昔は返事を出すまでもなく、読もうともしなかったが、子どもが生まれたここ数年は頻繁にやり取りを行なっていた。

 長年の不妊治療の末に産まれた愛娘を見て欲しくない訳がなく、和解の方法を探っていた。

 その矢先の出来事だった。

 老いた両親。先は長くないと思っていた。思ってはいたが、これほど早いとは───。

 航一は顔を覆う。涙が掌から零れ落ちる。


『普通の死に方ならまだいいさ』


 はらわたが煮えくりかえるようだった。あんな死に方で、こんな善良な人達が死んで良いはずがない。

 航一は苦しげに眠る少女を睨みつけるように見つめている。歳は十八らしいが、随分と幼く感じた。

 当初は容疑者だった航一だが、アリバイの立証と両親とのやり取りの発見によって警察が耳打ちしてくれた事実がある。

 鍵を握るのは三人の生き残り。全員の歳が十八だった。だが、姿を現しているのは寝たきりの、この痩せっぽちの少女だけ。

 頭が痛くなってきた。

 航一はこめかみを強く押さえ、瞼を閉じた。




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