第9話

 酷い暴風雨だった。ただ、前日のうちからSNSで休校への祈りが捧げられていたので、なんとなくこうなるのではないかと予想はしていた。

 ギリギリまで準備を渋っていた甲斐があった。隣のクラスの奴が秒単位で学校のホームページをチェックしているらしく、逐一呟いてくれている。


「お、やっぱ休校かー」


 一応母親に報告しておくと、


「うん、だろうと思ってお弁当用意してなかったわ!ははは!自分で用意なさーい」


「社畜は出社よー本っ当、信じらんない」とブツクサ言って勢いよく扉を閉めた。母親の趣味のアンティーク調のカーテンを、シャラと手で払い玄関先を覗いた。


「雑だなー……」


 バンと、急に扉が開く。


「うお!な、なに!?」

「ちょ、ヤバイって雨。アンタ今日外出なさんなね!」

「わかったわかった。いってらっしゃい」

「夕飯出前でさ、寿司取っといてよ。あ、竹までね!松はだめよぉ。じゃ、戸締まりよろしくぅ〜!」


 ウインクをバチリ、そしてバーン!と扉を閉じ、無駄に高いヒールをカツカツ鳴らして出社して行った。

 母は嵐のような人だ。生きることに常に全力。怒るときも悲しむときも、喜ぶときも常に全力全身、一生懸命な人。鬱陶しいことも多いが、俺は母のことがとても好きなのだと思う。マザコンって言われるから言わないけれど。


「いや、配達の人絶対可哀想じゃん……」


 腹と頭を掻いてキッチンに向かう。残り最後の食パンを袋から取り出し、トースターで焼いた。ゴミ箱に袋を入れ、冷蔵庫から麦茶を取り出す。


「あ、これ作ったばっかか」


 まだ色づいていない透明な液体を戻し、オレンジジュースを取り出して飲んだ。

 食パンにジャムを塗って、ジュースと共に食べる。昨日録画しておいた深夜ドラマを見ていた。

 電話が鳴る。口一杯に頬張っていたが構わず出た。


「あ、もしもし久我くがさんのお宅ですか?私、那岐なぎ高の木下ですぅー」

「ふぁーい、ひゅうほうへほー」

「…………いやわかんねーし」

「ほっほふぁっへー」

「10秒!できなかったら数学の宿題見せーな!」

「へっ、ほっ!?」

「じゅーう、きゅーう、はーち」

「んー!んー!」

「なーな、ろーく、ごー!」


 高速で噛み、飲み込むも、ぜん動運動が追いついていない。息苦しくてジュースで流しこむ。


「よんさんにーいちゼロ!はい私の勝ちー。次の人に電話しといてな。てことでー、じゃーねー」


 ガチャッと切られた。


「ハッ!?いや今のずりーだろ!てか受験生だろ!?勉強しろってー……!」

「木下さん私文だからなー。数学要らねえんだよな」


 心臓が止まるかと思った。首が変な音を立てるぐらい勢いよく振り返る。

 同じクラスの三又みまた鉄朗が我が家の様に寛いでパンを平らげていた。


「なんでいんの……!?」

「開いてたし」

「いや開いてたしじゃねーし」


「ラインしたのにぃ」と、体をクネクネさせて言う。オレンジジュースも一気に飲んで、


「あーこれ100パーのやつかー。俺果汁3パーとかの方が好きなんだよなあ」

「それ殆ど砂糖水。あと飲んでから言うなよな!てかそれ最後の食パン!我が家の様にくつろぐな!」

「母さん、お茶ちょーだい」

「お前みたいな夫ぜってえやだ。しかもお茶できてないし」

「トグっちゃん、律儀にぜーんぶ突っ込んでくれるとこ好きよー」


 三又はカラカラと笑った。


「なにしに来たんだよ、お前は」


 二つのコップに水道水を入れて、一つをどんと出してやった。「さんきゅー」と全部飲み干す。


「雨風強くて音怖いからさ、トグサんとこ行こうと思って」

「雷怖い系女子か。うちゲームとか桃鉄ぐらいしかねーけど」

「いーじゃん桃鉄ー。超好きだよ、俺の名前も鉄朗だし」

「関係ないな」

「漫画もお菓子もいっぱい持ってきたー」


 同じクラスの鉄朗は同じマンションに住んでいる。家に帰ると先にこいつがいて母親と飯を食ってることもしょっちゅうだ。

 俺も三又家にはかなりお世話になっている。俺たちは二年前の春、母子二人でここに越して来た。母はわからないこと全て、鉄の母ちゃんから教えて貰ったらしい。

 三又父は釣りが上手く、海にも連れて行ってくれる。正月に姉ちゃんが帰ってきたときは、初対面の弟の友達である俺にお年玉をくれた。父親の居ない俺を憐れむとか、そんな感情は一切感じられない。居心地よく側にいれるのは、良い意味で、彼等が軽薄だからなんだろうと思う。

 割と気にしていることをずけずけと言われて撃沈することもあるが。「モテないでしょー」とか。いや、その通りなんだけど。


「トグサ、電話した方がいいんじゃね?次、誰よ」

「あー近藤だわ。あいつ遅刻魔だし絶対寝てると思うんだけど、先に佐藤さんとこ回した方がいいかな」

「隼人ん家婆ちゃんいるだろ、だいじょぶだいじょぶー」


 鉄朗はポテチを頬張りながら、桃鉄のディスクを開く。『油が……』と思いながら、玄関の鍵を締め、携帯で近藤の家に電話を掛けた。

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