第8話

「琴、いるの!?こと!!」


 扉の前に立つ。ヒューヒューと喉が鳴る。

 血は、扉の下から漏れ出ていた。頑丈そうな二枚扉の閉じた隙間からも、大量の血痕が確認できる。扉を彩る複雑な彫刻は何か動物が彫られているようだったが、赤黒くべっとりと汚れていて分からなかった。


「うっ」


 酷い異臭に涙が大量に溢れてでてくる。雨、それに涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔を両手でぐいと拭った。

「はっはっ」と、浅く呼吸をする。

 恐る恐る、扉を手前に開いた。


 どさり。


 大きくて黒い塊が、私の目の前に倒れた。


「あ、ああ、あ、あ」


 声にならない。倒れた箇所からじわりと赤く染まる。人だと、分かった。


「さ、さと、さと……る……?」


 がっちりとした体格。黒い短髪に彫りの深い横顔。黒いスーツを着た広い背中はばっくりと割れていた。


「悟!?悟!!しっかりしなさい!悟!」


 殆ど残っていない体力を振り絞り、重たい体を抱きかかえて仰向けにした。顔を膝の上に乗せた。


「悟!?聞こえてる!?さとる!」


 ペシペシと強く頬を叩く。無言である。瞼は閉じていない。瞳孔は完全に開いていた。


「死んでる……」


 私は悟の瞼を閉じてやった。久しく見てなかった、あどけない顔を覗かせた。


「一体、なにが……!?琴、琴!!」


 立ち上がり、扉を全開にした。むわと、淀んだ空気が濡れた顔を直撃した。


「ひ、」


 後ずさる。

 吐いた。胃酸が喉を熱く焼く。


「えっ、がはっ、えっ、えっ」


 涙が止まらない。

 大量の肉塊が、そこに転がっていた。


「ご、ごど!ガッ、ハッ、ご、こと……ッ」


 無我夢中で琴を探す。子どもを抱える母親たちの姿が、部屋の隅で確認できた。沙耶華らしき人影もある。

 神殿らしき中は壁、床、一面が血で赤く染められていた。中央の祭壇によじ登る。


「髪飾り、こ、琴の……」


 恐らく琴はここで舞を披露していたのだ。花を模した鈴の付いた、純白の髪飾り。そこには若干の血痕が見受けられた。

 壇上から周囲を見渡す。

 腕、指、足。そして、首。

 鼻から血を流し倒れているのは京紫郎、うつ伏せで隣にいるのは雪子か。

 琴の姿を必死に探すも、見つけられない。


「なんで……こんな……ことに……?」


 供物だろうか。燭台と空の陶器。側で梨と餅が散乱していた。


「お爺さん!!」


 壇上に繋がる階段に、老爺は倒れていた。

 老人は少し口を開け、眠るように死んでいる。抱き起こしたが冷たく、硬かった。


「ああ……お爺さん、お爺さん、お爺さん!」


 喉をすっぱりと裂かれていた。


「ことお……?こと、ことお……どこにいるの……ことお!!」


 血みどろになりながら、一人一人の顔を確認していく。


 違う、ちがう、これも、ちがう!


「…………いない……」


 朦朧とする頭で室内を出た。


「ふ、ぅっ。う……っ!」


 酸素が急激に脳内を廻る。

 早く、早く警察を呼ばなければ。警察、警察、警察、琴は、きっと、生きてる!

 目に力を込める。

 前髪が額に張り付いていた。全てが邪魔だ。この肉体すら、邪魔だと感じた。

 階段を駆け下りる。滑り落ちそうになったが根性でこらえた。


「今っ!助けに、行くから……っ!」


 瞬間、強風が叩きつけるように吹き荒んだ。

 足元に力を込める。ぐきりと、足首が内側に捻れた。悲鳴をくぐもらせる。

 右肩から階段を転げ落ち、最後、ガツンと頭を強くぶつけた。容赦なく、私の意識は途絶えた。

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