第7話

「本家の絃です!!開けてください!助けてください!!」


 一人歩いて山を降り、最後の家のインターホンを押して叫んだ。全ての家に出向いたが、応答は無かった。


「いないんですか!?開けてください!」


 どんどんと扉を叩く。雨は止む気配を見せない。疲れてもいい頃合いだったが、疲弊は全く感じられない。変な汗が止まらなかった。

 この家は望月の最下位の分家だ。老夫婦がひっそりと暮らしている。ひとり息子がいたが山を降りて帰ってこないらしい。彼が望月で唯一御山に住んでいない人間だった。

 裏手に回り庭に入り込んで中を覗き込む。カーテンの隙間から見る感じ、誰もいないようである。


「本家の絃です!助けて!」


 窓ガラスを叩く行為が無意味なのは明白だった。私はがっくりとうなだれた。

 そのとき、がるると唸り声を上げられた。振り向くと犬小屋に柴犬が繋がれている。屋根の部分に大きく『マル』と書かれていた。

 目が合った瞬間、今にも飛びかからんといった具合に吠えられてしまった。私は昔から動物にも好かれないのだ。

 少し後ずさってマルを見る。マルはびしょびしょに濡れていた。ご飯も貰っていないらしい。


「やっぱりいないんだ……」


 風で、銀色の皿が塀の向こうに追いやられていた。私は皿を拾い軽く水を切って、縁側下にあるドッグフードを入れてやる。

 気が立っているのだろう。狂ったように吠え掛かり、その度にチェーンがギリギリと音を立てた。

 近寄れないので地面に銀皿を置き、足で強く蹴ってマルにやった。マルは少しビックリした後、すんすんと臭いを嗅ぎ、濡れながら食事を始めた。

 振り出しに戻ってしまった。

 警察を呼ぶべきなのだろうか。御山には誰も入れないのが基本だけれど、たまに庭師や大工はやって来る。具合の悪いとき、医師が駆けつけてくれるときだってある。

 こういうとき、頼れる大人が全く思いつかない。望月がどれだけ狭いコミュニティで暮らしているのか、まざまざと見せつけられるかのようだった。いや、望月ではなく、なのだろう。

 ふと、顔を上げた。何か臭った気がしたのだ。

 老夫婦の敷地を出て、私道の真ん中に立った。少し風の勢いが弱まったように感じられる。雨風が先ほどよりも鼻を刺激することが減って、空気を肺いっぱいに吸い込んだ。


「気のせい、かな?」


 サアアと吹き付ける雨と霧に運ばれて、異臭がするような、しないような。

 胸騒ぎがした。私はその元を辿るため、全速力で走った。

 私道の先には小さく門が見える。望月の敷地の終わり。山の終わり。山と町の境目。大きな石造りで古く見えるが、センサーが車のナンバープレートや顔を認識し、通して良いのか自動的に判断する仕組みになっている。私が産まれたときには既に使われていたセキュリティだった。

 若干門に近づくと、曖昧だった疑惑は確信に変わった。確かにする。鉄のような、錆びた臭いが。

 道や家がある以外は全て森が鬱蒼と生い茂っている。私は枝を切り分け、暗い森に足を踏み入れた。

 チチチと雀が数匹飛び立った。ぬかるみに足を取られそうになりながらも、とにかく歩みを進める。

 少し開けた所にでた。そこだけ木々がない。本当に狭いが、辛うじて道だとわかった。コンクリートで固められはしてないものの、通りやすいように、誰かが定期的に整備したものだ。

 振り返ると道の始まりは大きな岩になっていた。急ぎ駆け寄って、岩に手を当てる。少し力を込めるとぐっと動いた。ここが入り口のようだ。その先には私道があって、遠くに門も見える。


「こんなところに……」


 私が森に侵入した所からそう離れていない。まるで岩を隠すかのように、広葉樹の枝を縛りつけた人工物がいくつも置かれていた。


「気づかれたくなかった、のかな?」


 水溜りがいくつも出来ていて、誰か通った跡は目視できない。私は奥へ駆け抜けた。


「琴ー!いるのー!?」


 大声で叫ぶ。膝だけでなくあちこちが痛むが、そんなことはどうでもよかった。

 異臭が鼻を刺激する。何かせり上がりそうになったが、朝食を食べなかったので耐えれた。


「うそ、なに……これ」


 見たこともない建物が、そこにはあった。割と高さがある。木造で、地面から床は離れている。神秘的な、神聖なものを感じさせる。教科書で見た正倉院の高床式倉庫のようだなと、なんとなく思った。

 だがこの紋様はなんだろう。深い碧が波のようにうねっている。水晶がリズムを刻むように埋め込まれ、碧い紋様と規則的に並べられていた。

 和のようだが、そうではない違和感がある、不可思議な建造物だった。

 正面を回る。木でできた高い階段が中央にそびえている。雨がポタポタと、一段一段落ちていっていた。


「変な臭い、ここからだ……っ!」


 駆け上って、気がついた。階段をポタポタと落ちる雫の中に何か、濁ったものがある。目を見開いた。

 ずるりと滑り落ちそうになる。心臓の音が和太鼓のように胸を打ち付けていた。

 血だ。

 これは、血だ。

 駆け上る。はあはあと息が苦しい。

 口の中が鉄臭い。もう自分の血の匂いか、この建物から流れ出る血の匂いか、判別できない。

 雨が血を運び、下段に落としていく。


「こと、こと、こと……ッ」


 頭に浮かぶのはただ一人の笑顔だけ。朦朧とする頭で、ただただ、懸命に登り続けた。



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