第6話
昨日は早寝をしたのでいつもより早くに目が覚めた。ベッド脇の目覚まし時計をオフにする。
今日は終日雨模様のようだ。空気の入れ替えのために窓を開けようとしたが、かなり強い雨が降っていてやめた。少しげんなりして、私はベッドから出た。
「あれ、お爺さんまだ起きてないんだ」
いつもならどんなに遅くまで起きていても、お爺さんは必ず決まった時間に起きる。居間に行くと大抵いい匂いをさせて私たちの朝食とお弁当作ってくれているのだが。
少し薄暗い台所に雨音が響いている。この場にそぐわない外行きのお香が漂っていた。
「疲れてるだろうし、今日ぐらいは私が作るか」
普段の平日は朝食と昼食をお爺さんが用意してくれる。夕食は私と琴が交代で作っていた。高一の夏から今年の夏まで、琴が生徒会で忙しくしていた二年間はほぼ私が夕食作りの担当だった。いつも琴は私の作ったご飯をかき込むように食べながら
「おいしい……ほんとうごめんね、今日も作れなくて。でも……美味しい〜〜!」
と謝っていたものだ。最近はその穴を埋めるように毎日琴が作ってくれている。美味しいが、大味なのでご飯がすすんでしまう。少し太ったと思う。
私は同年代の女子に比べるとかなり痩せている。琴はモデル体型でスラリとしているが、私の場合は痩せすぎだ。周囲からはよく心配される。生活に支障はないし気にしたこともないが。
冷蔵庫から牛乳を取り出してちびちびと飲み、湯を沸かす。シュンシュンと音を立てるやかんを横目に、野菜を切り始めた。
7時を過ぎる頃、雨脚は更に強くなっていった。味噌汁の味を整えた後、着替えを済ませた。身支度を整えながらテレビを点ける。東日本全域で雨模様らしく、傘マークがずらりと並んでいた。
二人はまだ起きてこない。昨晩は相当遅かったのだろうか。お爺さんはともかく、琴はそろそろ起きなければ遅刻してしまう。私は自室の隣、琴の部屋に向かった。
「琴ー?そろそろ起きた方がいいんじゃない?」
返事はなかった。
どんどんと適当に襖を叩く。
「琴さーん。遅刻しますよー」
瞬間、琴の部屋のアラームが一斉に鳴った。彼女は朝が苦手で、寝坊しないようにいくつも目覚まし時計を買い込んでいた。不協和音のように反響していく不快な爆音。私はびくりと肩を怯ませた。
「こと……?」
室内で動く気配はない。アラームは鳴り響き続ける。
「ちょっとどうしたの?起きなよ」
私は言いながら襖をガラリと開けた。
室内は明るかった。カーテンを閉めていなかったから。布団の形はひとが起きたらしい跡を残している。
室内に琴はいなかった。
「あれ、起きてたのかな」
私はひとつひとつ、アラームを消していった。目覚まし時計はベッド下にも設置してある。私は床を這い手を伸ばして、最後のアラームを消した。
「ことー!?目覚まし消しといたよー!」
冷えた廊下で、私は大声を出し琴に呼びかけた。聞こえてくるのはさめざめとした雨音だけである。
「ご飯できてるよーー!」
宴が翌日に持ち込まれることはない。一晩のうちに終わらせるのもまた、数ある掟の一つだから。
居間に戻り茶碗を二つ用意して、米を盛る。ピンクが琴で、ブルーが私。二つのお椀に味噌汁も注いだ。食卓におかずも並べ、私は琴を待った。
テレビでは今話題の東京のスイーツを、可愛らしい女性がリポートしている。お爺さんはこういう騒々しいのが苦手だ。普段は点けないチャンネルだった。偶に彼が家を空けるとき、私と琴はこういうのを見ながら朝ご飯を食べる。
いつもならそうは思わないはずなのに、今日はやけに騒々しく感じる。煩わしくて、テレビを消した。
豪雨は止まない。風も出てきたようだ。コチコチと時計の音がする。
屋敷から人の気配がしないと、ようやく勘付いた。
私は急いで再び双子の姉の部屋に向かった。開け放たれたカーテンと抜け出た跡のあるベッド。恐らく昨日のままの状態なのだろう。彼女の制服は綺麗に掛けてある。
「ことー!!いないのー!?」
次いでトイレを探した。奥にある二つ目のトイレにも向かった。人の姿はない。
「お爺さん!?いる!?」
どんどんとお爺さんの部屋を叩く。応答はない。躊躇なく襖を開けた。
畳の香りとお爺さんの少し独特な匂いに包まれた。ガラス戸に雨が直撃している。障子は放たれ、庭が目に飛び込んできた。敷き布団は綺麗に整えられている。布団に手を入れて温度を確かめた。冷たい。
廊下を駆け抜けて玄関へ向かった。靴下が滑り、フローリングに膝を擦ってしまう。火傷のようなビリビリした痛みに目もくれず、私は靴箱から靴を全てひっくり返した。
「ない……」
お爺さんの下駄も、琴の巫女衣装に合わせた靴も無かった。つまり、帰ってきていない。
「どういうこと……?」
何の連絡も無しに二人がそんなことをするだろうか。いや、しない。何よりお爺さんは法そのもののような人だ。臨機応変に対応できるし柔軟な発想もできる人だが、望月の掟を破ることだけは許さない。
私は居間に走った。壁に貼ってある電話番号を見て固定電話をかける。上位二位以下、
耳に強く受話器を当ててコールを待つ。膝が痛い。すぐに電話を切って、三位の家にかけた。
「信じられない……」
結果、全ての家と繋がらなかった。
とてもじゃないが信じられなくて、私は同じ作業を繰り返す。三周目、もう一度二位の分家から掛け直した。やはり出ない。本家からの電話はツーコール以上待たずに取るのが通常だと聞いた。やはり異常事態なのだ。
「どうしよう……」
その時、ルルルルと電話が鳴った。私は勢いよく受話器を取る。
「もしもし!?」
「うお、ビックリした〜!電話取るの早すぎでしょ、いっちーてば。休校期待しすぎじゃん?学校のホームページ見れば一発でわかるよ。知ってた?」
「
「はいそーです。あなたの三又でっす」
「別に、私のものじゃないと思うんだけど」
「あーあー。固いなあ、もお。ほら、連絡網だって」
「ああ……」
「いっちーの期待通り、大雨警報と暴風警報豪華二本立てで発令中。つまり、お休み。万歳やったったってね。一日中桃鉄コースだなあこりゃ」
「…………」
「あり?勉強しろとか言わねーの?まあいいや、てことで、次の奴に回しといて。じゃ〜ね〜」
「うん……ありがとう……」
「どしたー?いつも辛気臭いけど、今日は更に辛気臭いね。だいじょぶー?具合でも悪いんか?」
「……そんなんじゃない」
フックを指で押して無理くり通話を終了した。
三又くんは軽薄で物言いがストレートな人だ。だけど結構気遣いのできる人で、私のことも気にかけてくれる。いい人だと、思う。
助けられている部分も多いけれど、今は会話する気になれなかった。
「あ、もしもし、香澄ちゃん?うん、そう。休校なったから、次の人に回してね。うん、うん、ありがと。うん、またお茶しよ。うん。じゃ、また……」
膝が痛む。私はへたりこんだ。握りしめている受話器のコードが伸びて、電話が斜めにずれた。
「琴……」
唇を噛む。私は立ち上がった。玄関に向かう。
戸棚からレインコートを取り出した。長年使っていないお爺さんのレインコートだ。色に同化して分からなかったが、かなり埃が溜まっている。咳き込みながらはたき、急いで着込んで長靴を履いた。
傘も持って出たが、やはり玄関に置いて鍵を閉めた。嵐である。ビョウビョウとおかしな音を立てて風が木々を揺らしていた。
「こと……っ」
どこに行けばよいのだろう。探すといえど見当がつかない。彼等はいつも、私を一人にするから。私だけが何も知らないのだ。
「琴ーー!?どこなのー!?琴ーーーーッ!!」
私は叫ぶ。目や口に針のような雨が突き刺さる。姉を探すのを妨害するかの如く風が全ての音を上塗りしていた。
「ことーーーーッ!!」
自分は泣いているのだろうか。それすらもわからないまま、私は消えた一族を探し始めた。
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