第3話

「当主、そろそろ」

「ああ、すまないね」


 寒々しい夜に、辛気臭い大人の顔がこうも勢揃いすると本当に萎える。玄関で一族の上位五名以上が揃い、頂点に君臨する老爺を出迎えていた。その背後には彼等の妻子達もいる。全員がまるで葬式の様な黒い衣装で固めていた。興味津々といった具合に中を覗き込んでいる。

 家主の老爺の腰は折れ、身体中皺だらけである。この人の覆っている皺を剥げば、その中から真新しい誰かが産まれるのではないかなんて、子どもの頃はよく考えた。

 聞けばこのじじい、私達姉妹の生まれる遥か前からじじいをしているらしい。つまり、誰も歳を把握していない。

 この人は祖父なのか曽祖父なのか、はたまた更に遡るのか。分からないことは多いが、確かなこともまたある。

 それは私達姉妹がこの人の直系の子孫であるということ。この屋敷に住めることが何よりの証だった。

 父も母も居ない私達姉妹の親代わりが、この仙人の様な老爺である。私達が普通に、「お爺さん」と呼ぶことを何よりも喜んだ。


「絃、掴まらせてくれ」

「うん」


 私がお爺さんの身体を支えようとしたとき、玄関に群がる人々を掻き分けて大男が入りこんできた。


「じいちゃ、おれ、に、つかま、る!」

「悟!こん馬鹿、すっこんでろ」


 上位三位、望月京紫郎もちづききょうしろうの次男、悟である。生まれつき不自由なことが多かったこの男は、一族から大層可愛がられていた。少々長男が可哀想に思われる程度に。

 この男は当主のことを敬愛してやまないらしい。

 悟はえらく強い力で私を引っぺがした。尻餅をついた瞬間、視線がかち合う。そこに分かりやすいほど嫉妬や侮蔑の情が感じられた。私は昔からこの男と仲が悪い。


「ばっ、悟……!おまえ……」


 悟は物覚えが悪い。何度これを繰り返せば気がすむのだろう。

 お爺さんはすっくと背筋を伸ばし、杖で地面すれすれを払った。びりびりと痺れる感覚が背筋を這う。

 この一瞬の動作で、悟は玄関先から跳ね飛ばされた。

 当主の身内以外が敷居を跨ぐことは許されない。

 だがもうこれも、一種のパフォーマンスの様なものだった。毎度の如く、宴の前のいつもの前座。当主の強い力を前にした群衆は頬を紅潮させている。

 後ろの方にいる子供達に至っては肩車なんかして、口々にすげーすげーと語彙力のカケラもない賛辞を述べていた。

 あちゃーといった顔で京紫郎が項垂れた。妻の雪子が延々と謝罪を述べている。兄のかけるの姿は無かった。

 毎度のこととはいえ、いつも乱暴な目にあうこっちの身にもなって欲しい。悟の怪力は年々酷くなっている。三つ歳下なのに発育が良すぎる。私達と同じ歳の兄も、背が高いが細身だし、あれほどじゃない。


「大丈夫かい?」


 お爺さんはまた腰を三十度程折り曲げ、私の顔を心配そうに覗きこんだ。私はぶうたれてコクリと頷き、立ち上がった。京紫郎と雪子の謝罪攻撃は止みそうにない。

 お爺さんの小さな身体を支え、下駄を履いてもらう。ポンポンと暖かい皺だらけの手が私の手を握った。


「絃、そろそろ琴を呼んできてくれるかな」

「いいよ、ちょっと待ってて」

「じいちゃ、おれ、が、こと、よぶ!こと、すき!いと、きらい!」


 懲りない悟を両親が羽交い締めにしている。


「悟ー!お前もう黙れー!」


 わあわあと騒ぐ人々をお爺さんはにこにこと見つめている。私は暴れる悟にあかんべえをして、冷えた渡り廊下を歩いた。

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