第2話

 ぽっかりと巨大な月が深い闇の中に浮かんでいる。その月光の恩恵を全て受けるかのような山があった。

 名は雁山かんざん。標高はそれ程高くない。国内で有数の山地を抱えるその地方の、南東に位置する小さな町。そこに腰を下ろす小さな山。その背後には県境となる巨大な山脈が背骨の如く隆起していた。

 義務教育で学習することが義務づけられている巨大山脈に隠れた、この小さな山を周知している人間は少ない。

 だが、地元の人間にとってはそうではなかった。意識せざるを得ない、特殊な意味を孕んで語られることが多いのがこの雁山かんざんであった。

 雁山は支配者の住む山である。豪族、守護代、戦国の武者共。ここらで力を持った者は例外なく山の頂上に屋敷を構えた。盛者必衰、世の流れは残酷で容赦がないのが常である。御山の主は何度も変わった。下剋上の時代に臣下だった男が主君を討ち倒し、頂上に住んだこともある。

 鎖国が解かれ武士の時代が終わり、文明開化の足音はこの山にもやって来た。

 そんな折である。その一族はどこからともなくやってきた。隠れる様に固まり、交流しようとしなかった。「若い娘を攫って食らう」「鬼の末裔じゃ」気味の悪い噂も流れた。当然、爪弾き者にされた。

 ある日、一族の中の若い男が紡績を始めた。当たった。この地方の美しい雪解け水を生かした工場はみるみるうちに従業員を増やし、工場の数を増やしていった。経営幹部は一族で固めたが、特別障害は無かった。むしろ彼等は優秀で、資産はどんどん増えていった。

 この状況を面白く思わない者は多かった。嫌がらせもあった。だが世は金の時代である。その資産の多さで、如実に、力関係の変化を起こしていた。

 発起人の男は地元の名家の娘と婚姻した。彼女の実家は御山の主だった。これを足掛かりに、彼等は政界にも進出した。

 時は流れた。世代を経る毎に様々な産業に手を出した。その全てに成功したが、彼等は頑なに地元を離れようとしなかった。

 今や御山はの一族の物だった。山を呑み込むように、分家も全て御山に居を構えた。まるで月を独り占めにするかのような不思議な一族。彼等には”望月もちづき”の姓が与えられた。

 更に時は流れた。二度の世界大戦、高度経済成長を経て、外から街へやって来る人も増えた。御山への特殊な意味を読み取れない世代もいる。

 それでもこの町に根を下ろした者なら必ず理解することがある。それは御山が望月のものであること。望月の者は特別であること。

 月光で冴えた影の様な美。彼等自体が月を際立たせる為に存在しているようである。不思議な月の力は長い年月をかけて、血管を通る血のように、この町に染み込んでいた。

 現在、最も月に近い人間は三人である。

 うら若き乙女が二人と老爺が一人。人数が多くとも資産を持っていようと、ある条件を満たして本家にならなければ、頂上に住むことは許されない。

 望月の外の交流は表面的であった。誰もが薄々気がつくことだった。固く門を閉ざした山。その中。一族だけの交流が本当の交わりだった。

 今宵、宴が開かれる。高らかに鳴り響く、目の醒める様な笛の。空には全てを見透かす巨大な月。

 これから起きることは、御山の中だけの秘密である。これまでもそうであったように。これからも、そうであるために。

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