第25話 見上げれば、いつもそこには


 カッツェルが手を下ろすと、彼の表情から影が消えた。

 探るようなマイエンの視線にカッツェルは諦めとも、後悔とも呼べるような顔で微笑む。

 それを見てマイエンも表情を緩めると、長く息を吐いてソファーにどっと座り込んだ。


「何年分かの寿命が縮んだ。……こういうのは柄ではないから、今後は勘弁して貰いたい」

「意外と様になっていたようにも思えますが。テトラの星が完成した時のスピーチは、とても素晴らしかったですよ」

「台本を書いてくれた奴がいるからな。奴の才能だ、私ではないさ」


 先ほどとは打って変わって和やかに会話をする二人に、交渉の結果を理解したミストは信じられないという表情でカッツェルを見た。

 その目には戸惑いと怒りが滲んでいる。


「カッツェルさん、あなた……」

「すみません、ミスト。僕は――――商人でした」


 カッツェルの言葉に、ミストはギリ、と音がするくらいに強く歯を噛みしめた。

 そして腰から銃を抜くと銃口をカッツェルの頭につきつける。


「今さら……今さら何を言い出すんです! どれほどの時間を掛けて、どれほどの金をかけて、どれほどの人間に協力を呼びかけたと思っているんですか!」


 血を吐くような声だった。

 マイエンはミストがどんな思いでこの計画に参加していたのかは分からない。

 それこそ、カッツェルや、自警団員や、旅芸人の一座や、ヴァイツェンの人々の事を深くは知らない。

 だがミストの表情を見れば生半可な覚悟ではなかった事は察する事が出来た。


「こんな、こんな……辺境の事を知りもしない奴の言葉を真に受けて止めるだなんて……そんな事は認めない!」

「そうですね、今さらだ。……けれどまだ、踏みとどまることは、出来る」

「あなたは!!」


 ミストの顔が歪む。

 言葉に込められた激情が痛いほどに伝わってくる。

 マイエンが人生をかけてテトラの星を作り上げたのと同じくらい、彼も人生をかけていたのだろう。

 それでもマイエンはそれ、、を認めるわけにはいかなかった。

 マイエンは自分の眼鏡のフレームに手を触れる。

 触れると分かる程度の僅かにギザギザとした突起があり、マイエンはそれをカチカチと小さな音を立てて回す。


「動くな! 大体、あなたがもっと早く承諾していれば良かったんだ!!」

「承諾はしなかった。先にも後にも同じだよ」

「黙れ!」


 逆光と怒りでミストの顔はどす黒く見える。

 その背後の窓の向こうには、夕焼けの空と、白いテトラの星の線が見えた。

 眩しさに細めたマイエンの目が、不意に、その空に何かを見つけ、信じられないものを見たように目を見開いた。

 そして口元を上げ、笑う。


「“空を見上げれば、いつでもそこにはテトラの星がある”」

「何?」

「おまじないとは、存外、馬鹿には出来ないな」


 笑ったマイエンに、ミストは怪訝そうな顔になる。

 その、直後だ。

 マイエン達の上に、長い、長い影が覆い被さった。


「!?」


 ミストがハッとして振り返ると、そこには、


『いっけえええええええい!!』


 体にロープを巻きつけたイギーとルーナが、振り子のように大きく空を飛び、勢いよくガラスを割って飛び込んできた!

 耳をふさぎたくなる程にけたたましくガラスが割れる音が響く。

 飛び散るガラスから身を守ろうと、とっさにマイエンは服の袖で顔を隠し、少し遅れて気が付いたカッツェルは顔を逸らした。


「な……!?」

「マイエンさんから離れろ!」


 イギーとルーナはその勢いのままミストを蹴り飛ばす。

 そしてスタッとテーブルの上に着地した。


『着地成功!』


 イギーとルーナはお互いに手を叩く。

 そしてマイエンに向かってぐっと親指を立てて笑った。

 マイエンも二人に返すように親指を立てて笑う。

 カッツェルは倒れているミストに近寄ると、その手から銃を取り上げた。

 ミストはどうやら今の衝撃で気絶しているようで、ピクリとも動かなかった。


「マイエンさん無事? 無事?」

「ああ、無事だ。だが、驚いたぞ。下には見張りがいただろう?」

「いたけど、オルヴァルさんとか、役所の人とか、あとピエロさんが手伝ってくれたのよ?」

「ピエロ……。よく役所が動いたな?」

「防犯訓練ですってゴリ推しした!」

「ははは」


 イギーとルーナは胸を張って言う。

 マイエンは二人の様子に、ようやく肩の力が抜けたようで、ほっとしたような顔になった。

 ふっとカッツェルを見ると、彼はマイエン達に向かって深く頭を下げた。

 マイエンも同じように頭を下げる。つられて、イギーとルーナも頭を下げた。

 

――――不意に、ぐう、と誰かの腹の虫が鳴いた。


「イギー?」

「ち、違うって!」


 ルーナが顔を上げてイギーを見ると、イギーはぶんぶんと首を横に振る。

 流れでカッツェルを見れば、こちらも「違いますよ」と手を横に振っていた。

 残るは1人だ。

 3人の視線がマイエンに集まる。

 マイエンは片手で顔を隠しながら『自分だ』と言わんばかりに、もう片方の手を挙げた。

 耳まで真っ赤になっている。


「…………そう言えば、ほぼ丸一日何も食べてなかったよ」


 気まずそうに言うマイエンに、イギーとルーナ、カッツェルは思わず噴き出す。

 そのまま腹を抱えてお笑いするものだから、マイエンは口をへの字にして怒った。

 だが、直ぐに同じように笑い出す。

 4人の笑い声はしばらく続き、ベリー商会の外から見上げていた人々は、一体何事かと首をかしげていたのだった。

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