第11話 空描きロボット
その晩、マイエンは夢を見た。
今から、何年前の事だろうか。ちょうど月が丸い夜だった。
都会の真ん中に、周囲を木々に囲まれた小さな公園がある。
並んだ二つの影が公園のブランコに座り、星空を見上げていた。
一人はマイエンだ。インクや油の跡がついた白衣に、目の下にはクマと、疲れてげっそりした表情をしている。
その隣に座っているのは、マイエンと同年代くらいの短い黒髪の男だ。
よれよれの白衣を着て、目の下にクマを浮かべ、うっすらした無精髭まで生やしている。そして、こちらもげっそりと疲れた顔をしていた。
男の名前はソースケ・リストと言い、マイエンと同じく発明家であった。
「納期早めてくれってさぁ、無茶振りすんなよ、物作るって大変なんだよ……」
「断れなかったんだろう?」
「どうしてもって言われちゃうとなぁ……おかげで一昨日からアリーの製作、貫徹だよ……」
「自分だけの研究なら、貫徹しようが気にならんのだがなぁ。というか、また名前つけたのか? 確か、プラネタリウム内臓の愛玩ロボットだったよな」
「そうそう。ま、発明は俺の家族だし、名前をつけるのは当然だろ? んで、作業がちょっとしんどかったのでちょっと息抜き」
ソースケは「ふー」と息を吐いて、空を見上げた。
僅かな揺れに、ブランコはキィ、と高い音を鳴らす。
「そう言えばマイエン、例のアレの調子はどうよ? ほら、恒星の爆発のアレ」
「超新星衝撃緩和装置か?」
「そうソレ。っていうか、もうちょっと可愛い名前つけないの?」
「名前をつけると感情移入し過ぎるだろう。……もう少し。あと一歩なんだ。あと一歩で手が届く。その一歩が……なかなかなぁ」
そう言うと、マイエンは大きくため息を吐いた。
疲れた時、行き詰った時、マイエンとソースケはこの場から良く星空を見上げていた。
二人の時もあるし、一人の時もある。特に示し合わせたわけでもないのだが、今日は二人揃っていた。
「マイエンの親父さんとお袋さん、今は別の星に出張中だっけ?」
「ああ、辺境の方へね。あちらの方は、配備されている空気清浄装置や浄水装置が旧式だから、部品がある内に整備しておきたいんだって」
「そっか。つーか、親父さん達の技術、すげぇ美技じゃん? もーさー、見ていて惚れ惚れするわ」
ソースケが両親の事を褒めると、マイエンは嬉しそうに笑った。
「まぁ、うちの両親の技術は確かに美技だが。美技と言えば、ソースケの発明品もだろう? トトだったか? ほら、鍵盤の上を跳ねるように踊る白ウサギのロボット。可愛いし、奏でる音楽も美しかった」
「ははは。そうだろうそうだろう。俺の家族だからな!」
発明品を褒められて、ソースケもまた嬉しそうに笑った。
マイエンとソースケは時折、こうして空を見上げていた。
一人の時は静かに、揃ったら雑談を交えて。二人は星空というものが大好きだった。
空は人の夢だ。
空の向こうを夢見た発明家や科学者達が、諦めずひたすらに望み続けたからこそ、人は宇宙への切符を手に入れた。
マイエンとソースケにとって、星空は『不屈』の証明なのだ。
星空はいつでもそこにあり、疲れた時やくじけそうになった時、見上げれば「負けるな」と「立ち上がれ」と、そう背中を押してくれるのだ。
「…………やるか」
しばし星空を見上げたマイエンは、太ももの上で手を弾ませた。
自分でやると決めたのだ、やらなければ始まらない。
マイエンが気合を入れるとソースケも頷いた。
「そうだな。……あ、そういやさ、マイエン。完成したら超新星なんちゃらの名前を教えてよ」
「名前? 名前なら――――」
「ほい、落としもん」
そう言って、ソースケはマイエンに向けて、ぴらっとメモ用紙を手渡した。
そこにはマイエンの筆跡で、色々な名前が書き綴られている。
マイエンはそれを見て、珍しく、顔が一気にカーッと赤くなった。
「――――!」
「名前つけると、感情移入し過ぎるんじゃなかった?」
「べ、別に! ただの気まぐれさ、気まぐれ!」
「はははは」
それから、マイエンが超新星衝撃緩和装置を完成させたのは、一か月後の事だった。
人の住む全ての星に向けて、超新星衝撃緩和装置改め『テトラの星』の完成発表会が行われた。
マイエンはやりきった笑顔で質問に答えていた。
ソースケもその様子を誇らしげな顔で見守っていた。
その、瞬間だ。
――――中央から遠くにある恒星が一つ、その寿命を終え、爆発した。
テレビの明かりだけがチカチカと光る薄暗い部屋で、マイエンは一通の手紙を読んでいた。
ただただ無言で、微動だにせずに。
両親からの手紙だ。手紙が出されたのは、つい数時間前に消滅した、とある辺境の星だ。
テレビでは、恒星の爆発と、その辺境の星についてのニュースが流れている。
その爆発について専門家は、テトラの星の完成で、今後救われる命があると話していた。
「……私は」
何のために。
掠れる声でマイエンは呟く。
その時、ふと、テーブルの上に置いた携帯電話が光り始める。
表示されたのは『ソースケ・リスト』という名前だった。
けれどマイエンは動かない。動けない。
手紙を見つめたまま、微動だにせず立ち尽くしていた。
テトラの星が完成発表から二週週間が経った。
テレビではすでに、恒星の爆発についてのニュース何て、すっかり流れなくなっていた。
そんな日の、朝。
チチチと小鳥の囀る声が響く晴れた日の事だ。
マイエンはパソコンの前に座り、発明に関するレポートや諸々を打ち込んでいた。
そんな彼女の耳に、明るく賑やかな男性の声が飛び込んできた。
「おーい! おーい、マイエン! いるだろ、いるよな、おーい!」
聞き覚えのあるその声に、マイエンはふっと顔を上げる。
リズミカルにドアをノックする音を聞きながら、マイエンはだるそうな足取りでゆっくりと玄関へと向かう。
そしてガチャリとドアノブを回し、開けた。
するとそこには声の主であるソースケが、黒色のシートをかぶせた何かを両手で抱えて立っていた。
「お、いたな! おっはよう!」
「おはよう。というか、朝っぱらから近所迷惑だぞ。どうぞ」
「いや、ノックだけだと気づかれない可能性がだね。お邪魔します」
「意図的にスルーしなければ気づくよ」
「前者が酷ぇ」
「冗談だ」
小さく笑うと、マイエンはソースケを部屋に迎え入れた。
ソースケは荷物が壁にぶつからないように、慎重な足取りで中へと入って来る。
一体何事だと言うのか。
マイエンは首を傾げて、ソースケに尋ねる。
「それで、何の用だ? 朝飯を期待しているのなら、
「非常食は非常時に食べるものであって、朝飯じゃないだろ。大体それマッズイじゃんよ」
「確かにマズイが、栄養はあるぞ」
「そういう問題ではなくてですね。まぁ、それは今度でいいや」
そう言うとソースケは、持っていた荷物を床に置く。
何やら重さもあるようで、置いた時はゴトリ、と音がした。
マイエンが「何なのだろうか」と荷物を眺めていると、ソースケはマイエンを見上げてニヤリと笑う。
「聞いて驚け、見て驚け! "空描きロボット"のメリー・メリーだ!」
ソースケは「じゃーん!」と言葉で言いながら、勢いよくシートを外した。
バサリと剥ぎ取られたシートの下から出て来たのは、大きな黒猫のロボットだだ。
人間の子供くらいはあるだろうか。形こそ大きい物の、ふわふわとした毛並みまで忠実に再現された可愛らしいロボットだった。
「空描きロボット?」
マイエンが顎に手を当てて見ている中、ソースケはロボットを包んでたシートを裏返して床に敷いた。
シートの裏側は、まるでキャンバスのように真っ白だ。
「おう、空描きロボットだ。俺の大発明!」
ソースケは得意にそう言うと、パンッと両手を打ち鳴らす。
そして、
「それではメリー・メリー。よろしく!」
と、高らかに言った。
するとメリー・メリーと呼ばれたそのロボットが「にゃあん」とひと鳴きして動き出した。
マイエンは「おっ」と目を瞬いた。
彼女の視線の先で、メリー・メリーは真っ直ぐに白いシートへと向かって行った。そして、その上に一歩足を乗せた時。
綺麗な青色の足形が、シートの上にぺたりとついた。
メリー・メリーが歩く速度に合わせてシートにインクの青色が広がって行く。
「肉球からインクが出るようにしてあるのか」
「そーそー。インクを出す量の調節が、ちょいと大変だったわ」
「見た目と鳴き声は?」
「趣味」
マイエンは「ソースケらしい」と思って小さく笑った。
そんな事を話している内に、真っ白だったシートが、青色に染まった。
だが、まだメリー・メリーは止まらない。
今度はメリー・メリーが歩いた後が白色に染まる。
一面を塗り尽くすような先ほどとは違い今度はふわり、ふわりと、柔らかだ。
そうして描かれたそれは、雲のようだった。
シートの青色と、雲のような白は、まるで青空だ。
「…………よし! そろそろだな、見てろよ、マイエン!」
「そろそろ?」
これで完成だろうと、感心しながら見ていたマイエンに、ソースケはまだまだと言わんばかりに笑って見せた。
ソースケの言葉に合わせるように、メリー・メリーがぴょんとバク転してシートから離れる。そしてしたり、と着地をすると、息を吸うように後ろに体を引いて、その口から風を噴き出した。
否、風だけではない。その風に乗って、細やかな光の粒が、まるで霧吹きのように噴出され、シート全体に散布されている。
これが一体何なのだろうとソースケを見ると、ソースケはばちんとウィンクをして、マイエンの部屋のカーテンをザッと閉めた。
朝の日差しが遮られ、部屋が薄暗くなる。
その時、メリー・メリーが染めた布が、淡く光り出した。
「…………これは」
マイエンは目を見張った。
それは夜空だった。
青空はビロードのような黒に。
キラキラと淡く、細かく輝く光は琥珀糖のような星に。
雲は、その周りに連なる光の輝きで、天の川のようにも見えた。
「どうだい、綺麗だろう!」
胸を張ってソースケは笑う。
ソースケは、マイエンを元気づけてくれようとしたのだ。仕事で忙しい中、マイエンのためにこれを作ってくれたのだ。
ソースケの笑顔が晴れやかで、眩しくて、マイエンは泣きそうになった。
だが、泣くまい。ライバルで、友の前だ。マイエンは丸眼鏡を取ると白衣の胸ポケットに掛け、服の袖でぐいと目元をぬぐって、笑った。
「そうだな」
声は、少し掠れたかもしれない。
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