第10話 それはおまじないのようなもの
ほとんど押し付けられる形ではあったが、ひと通りの話を終えると、マイエンはようやく自警団の詰所を出ることが出来た。
外の空気に触れたとたん、どっと疲れが押し寄せてくる。
マイエンは「はあ」と大きくため息を吐くと、
「疲れた……」
と呟く。こんなに疲れたのはいつ振りだったろうかと、マイエンは心底思った。
体力面というよりも、精神面の疲れが大きい。
それは表情にも現れて、げっそりとした顔をしていると、そんなマイエンにルーナが尋ねた。
「ねぇねぇ、マイエンさん。これからどうするの?」
「家に帰る。そして寝る」
マイエンは即答した。
寝た時間は遅かったし、寝起きもあまり良くはなかったし、とにもかくにも疲れたので、マイエンは家に帰って寝直したかった。
起きていれば、それなりに何かをやって、夜になってまた寝るのだろうが、その時間まで体力が持つ自信がなかった。
ゆえに、帰る。帰って寝直す。
そう決意してオクトーバーフェストの大通りを歩いていると、しばらくして、何やらチラチラと視線が向けられている事にマイエンは気付いた。
「あん?」
訝しんだ目でマイエンが視線を辿れば、町の住人達の姿があった。彼らは興味津々という目でマイエンを見ている。
一体何だ、と思ったところで、直ぐに理由が分かった。先ほどの騒ぎのせいだ。だが意外と、悪意や嫌悪感のそれではない。
それは恐らく、マイエンの隣を歩くカッツェルの存在が大きいのだろう。
だが、まぁ、
どんな視線であれ、数多くのそれを受けるのは何とも居心地が悪い。マイエンはどうにも落ち着かない様子で、丸眼鏡を押し上げた。
それを見て、その隣を歩くカッツェルがくすりと笑う。
「いやあ、有名人ですねぇ、マイエンさんって」
「引っ越して直ぐにこんな騒ぎは、心ッッッ底、勘弁して欲しかったですよ」
心底、の部分に力を込めてマイエンはそう言うと、目の前を歩くルーナとツヅリオオカミに目を向けた。
詰所で仲良くなったのか、ルーナとツヅリオオカミはきゃいきゃい言いながらじゃれ合っている。
何だかんだで、その様子は微笑ましくて、マイエンは少し表情を緩めた。
「ツヅリオオカミの子供は、僕も実際に初めて見ました。とても可愛いですね」
「ええ。確かに可愛いですが、家の中で暴れ回ってくれたので、そこかしこ足跡だらけですよ。掃除を考えると頭が痛いです」
「ふふ。……あ、普通の口調で話して下さって構いませんよ」
「普通?」
「ルーナ達と話しているのが聞こえてまして。あ、僕のはこれが普通ですので」
にこりと笑うカッツェルに目を丸くすると、マイエンは「うっ」と眉間に皺を寄せた後、一度目を閉じてから頷いた。
どうやら取り繕う必要はすでにないらしい。
若干、やらかしてしまったような気持ちになりながら、マイエンは『普通』に話し始めた。
「それで、カッツェルさん。密猟者ってのは、ヴァイツェンには頻繁に来ているのかい?」
「んー、頻繁というほどでないですね。何と言っても、ヴァイツェンは辺境の星ですから。ツヅリオオカミが取引されていたとしても、どこに生息しているかは限られた筋でしか流れていないようです」
「なるほど。いわゆる――――独占ルート的な?」
「的な。まぁ、運ぶには宇宙船しかないですから、注意はしやすいんですけどね。生き物ですし。僕らも宇宙船を利用する時は気を付けていますし、自警団も目を光らせているのですが……自警団は自警団であって、警察ではないのが、痛い所です」
そう言ってカッツェルは目を伏せた。
確かに、それはそうだろう。自警団はあくまで自警団だ。警察のような一種の『権力』のようなものは持ってはいない。
法を守る事が出来ても、法を武器に取り締まる力はないのだ。
いくら役所から許可が出て行たとしても、自警団だけでは限界がある。
「……中央は、辺境の事を何も考えない」
カッツェルがぽつりと呟いた言葉に、マイエンは何も言えず、空を見上げた。
そこには、昼間にも関わらず、等間隔に白い光の線が並んでいる。
テトラの星だ。
恒星の爆発から、星を守るために作られた発明である。
マイエンはそれを見て目を細めた。
「……空を見上げれば、いつでもそこにはテトラの星がある」
自然と口をついて出た言葉は、テトラの星が完成した当初に、テレビやラジオのコマーシャルで流れたキャッチフレーズである。
それは一種のおまじないのようなものだった。
これがあれば大丈夫。だから安心して暮らしていける。
テトラの星を見上げる度に、人は心の中でそう口ずさんだ。
そして人は、そのおまじないが成就した時に気づくのだ。
それがもたらしたものは、決して良い物ばかりではなかった事も。
「……そう言えば、カッツェルさん。私に何か用があると言っていなかったか?」
「ああ、そうでした!」
ぱちん、と手を合わせてカッツェルは頷く。
そして、少しだけ目を細めて、マイエンを見た。
「あなたに、ご協力をお願いしたい事があるのです。――――テトラの星の製作者、マイエン・サジェ博士」
カッツェルの言葉にマイエンは立ち止まって目を見張った。
マイエンの視線に、カッツェルはにこりと微笑みを返す。
その切れ長の青い目に宿った光は、鋭利な刃物のような色を宿していた。
「…………」
テトラの星の製作者。
今ここで、その名前を聞きたくなかったと、マイエンは思った。
心の奥底から、湧き上がってくる苦い気持ちにフタをして、マイエンはカッツェルの目を真っ直ぐ見る。
「……悪いが、その
そして、首を横に振って、その申し出を断った。
マイエンの返答を聞いて、カッツェルは首を傾げる。
「ああ! お仕事がお忙しいという事ですね。では、それが終わった後でも構いませんので……」
「そうではないよ、カッツェルさん。私は、受けないと言ったんだ」
「…………」
はっきりとした拒絶の言葉に、カッツェルが不可解そうに目を細める。
「……理由をお伺いしても?」
「今も言ったが、すでに役所から依頼を受けている。しばらくはそれに掛かり切りになるから、他の依頼は受けられない。……それと、何よりも私は『テトラの星』の事を出す相手の依頼は受けないと決めている」
マイエンの声は、僅かに硬質なものを含む。
カッツェルは何かを考えるように「ふむ」と腕を組んだ。
しばらくそうしたあとで、先ほどまで目に浮かべていた剣呑な光を消して、真剣な顔になった
「なるほど、それならば仕方がありません」
「分かって頂けたようで有難い」
「ですが、僕は諦めが悪いので、すみません」
「……商人の粘り強さは良く知っているよ」
諦めないというカッツェルの言葉に、マイエンはこめかみに手をあてて軽く息を吐いた。
そしてしばしの間、睨み合うようにお互いを見ていたあとで、ほぼ同時に表情を緩めて、少し笑った。
そうしていると、先に歩いていたルーナが、足を止めていたマイエン達に気が付いて手を振って呼びかける。
「おーい! カッツェルさーん! マイエンさーん! 置いてっちゃいますよー!」
「ああ、今行く!」
それに応えるように軽く手を上げると、マイエンとカッツェルは歩き出した。
「そう言えば、あのツヅリオオカミの子供、名前はつけるんですか?」
「名前をつけると愛着が湧いてしまうんだが」
「でも、ツヅリオオカミって呼ぶの長いでしょう? あと、犬、はちょっと……」
「うーん……なら、クロ」
「全体的に灰色灰色してますよ?」
「尻尾の一部が黒いし、私の部屋を真っ黒にしてくれたので」
マイエンがそう言うとカッツェルは「なるほど」と楽しそうにツヅリオオカミの子、もとい、クロを見た。
先程の不穏な雰囲気を思い出し、カッツェルの横顔をちらっと見た後、マイエンは前を向いた。
ルーナとクロが楽しげにマイエンとカッツェルを待っている。
その姿を見てほっとするように、マイエンは口元を上げた。
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