第5話 非常食という名前の日常食


 マイエン・サジェの朝は遅い。

 基本的に、夜遅くまで作業をしている事の多いマイエンは、寝る時間が遅い。ゆえに、目覚める時間もそれに比例して遅くなっている。

 本人も睡眠不足云々で一度痛い目は見ているのだが、それでも作業をしているとキリが良い所までやりたい、という気持ちもあって、結局日付が変わる辺りまで起きている事が多かった。

 さて、そんなマイエンは例によって例のごとく、今朝も遅くまで眠っていた――――のだが。

 いつもの自然な目覚めと違って、今日は賑やかな声で叩き起こされたのだった。

 

「マイエンさーん! マイエンさーん!」

「おはよー! おはよーマイエンさーん!」


 午前十時過ぎ頃。

 マイエンの家の外からリズミカルなドアのノック音と同時に、大変元気な朝の挨拶が響いた。

 朝の気配が薄れつつある時間帯ではあるものの、まだまだ爽やかさが漂う中で聞こえてきたその声に、マイエンは『けたたましい』以外の感想は抱けなかった。

 何せ気持ち良く寝ていた所を叩き起こされたのだ。

 マイエンは不機嫌極まりない顔で目を覚ますと、ゆらり、と効果音が聞こえて来るかのように身体を起こす。


「朝っぱらから何だ……」


 苛立ちを隠そうともしない据わった目に、マイエンは愛用の眼鏡を掛ける。そして白衣のようなコートを引っ掴み袖を通すと玄関へと向かう。

 それでも多少は身だしなみを気にしてか、歩いている間に寝癖のついた赤毛を手で乱暴に梳かすと、ドアを開けた。

 するとそこには、昨日知り合ったばかりのイギーとルーナが立っていた。


「今何時だと思ってる」


 低く、唸るような声が出た。

 マイエンは挨拶をすっ飛ばし、不機嫌さを隠そうともせずに言う。

 髪型も合わさってまるでメデューサのような怖さがあるが、イギーとルーナは物ともしない。

 二人は十代特有のペカーっと輝く笑顔を浮かべ、声を揃えて元気に、


「十時半!」


 と、現在時刻を教えてくれた。

 確かにマイエンの問い掛けの答えとしては正しい。だが、正しいが、そういう事ではない。

 マイエンは『コノヤロウ』と思いながら、しばらく二人を睨んでいたが、やがて面倒くさそうに息を吐た。

 それからガシガシと頭をかいて、


「……で?」


 と、短く、二人に訪問目的を尋ねた。根負けである。

 マイエンの言葉に、ルーナはにこにこ笑って、


「昨日、町を案内するって約束したでしょう?」


 と言った。

 そう言えば、オルヴァルのジャンクショップの帰り道で、そんな話をしたなとマイエンは思い出す。

 マイエンもオクトーバーフェストに来たばかりなので、二人の申し出は有難かった。

 だが。

 だがそれは別に『今日』という話でもなかったはずだ。日時の約束はせずに別れた覚えがマイエンにはあった。


「別に今日とは言っていなかっただろう」

「今日以外とも言ってなかっただろ?」


 マイエンの言葉にイギーはそう返した。揚げ足取り、とも言う。

 もちろん、イギーとルーナに悪意はない。百パーセントの善意でそう言ってくれているのだ、というのはマイエンにも伝わって来た。


(――――良い子達、なんだろうがな)


 そう、良い子達なのだ。

 イギーとルーナは、知り合って間もないマイエンに、こうして善意と厚意を惜しみなく向けてくれる。

 それは本当に有難い事だ。

 しかしやはり、朝っぱら(と言うには少々遅すぎるが)から叩き起こされると、捻くれているマイエンにしてみれば、どうにも素直に感謝する事が出来なかった。

 そんなマイエンに、イギーとルーナはお構いなし話を続ける。


「ほら、食料とかないと生活できないんじゃないかって思って」

「いいや、あいにくと、非常食はそれなりに持って来た」

「非常食って日常的に食べるものじゃないよ!?」

「我々発明家は常識という概念に囚われてはならないものだ。ほれ、食べてみると良い」


 マイエンは上着のポケットから、銀色の紙の包みをスッと二つ取り出した。これがマイエンの言うところの『非常食』というやつである。

 包みはそのままで、マイエンはイギーとルーナに向かって、それ、、をひょいっと軽く投げた。二人はそれをパシッと両手でキャッチする。


「いいの?」

「いいぞ」


 先ほどまでの不機嫌な様子はどこへやら、マイエンは穏やかに頷いた。

 イギーとルーナはワクワクとした眼差しで、包みを開ける。すると中から、長方形をしたクッキー、のようなものが出てきた。

 途端、二人の顔が輝く。


「わあ! クッキー!」

「うわーい! ありがとうマイエンさん! いっただっきまーす!」


 イギーとルーナは揃って、嬉しそうにそのクッキーにかぶりついた。

 ――――直後、その笑顔は凍りつく。


「…………って、マッズッ!? マッズ何これ!? 何の味もしねぇ!」

「っていうか見た目クッキーなのに何でガムっぽい食感!? ぼそぼそしているのに噛む時だけガム!? 粘土食べてるみたい!?」

「はっはっは! びっくりする程マズイだろう?」

「分かっててやりやがりましたね! キーッ!」

「ハッハァ! 知らんな! これが私の日常食だ!」

「水! めっちゃ喉乾く! プリーズ! ウォータープリーズ!」


 寝ている所を起こされた仕返しだと言わんばかりの大人気の無い笑顔で、マイエンの高笑いが辺りにこだまする。

 昨日の今日で、すでにマイエンは性格口調諸々を取り繕う気は微塵もなかった。

 二人を見ながらひとしきり笑うと、満足したのか、マイエンは家の中へ戻って、コップに水を汲んで戻って来た。それからそのコップを涙目の二人に差し出す。

 二人は勢いよく飛びつくと、ごくごく飲み干した。

 そして、ふう、と一息つくと、恨みがましい目でマイエンを見上げた。


「あれ、食べ物じゃないよ!」

「食べ物だよ。まぁ、栄養は良いんだよ、栄養は。マズイがな。おかげで私はこれこの通り健康だ」


 マイエンは軽く胸を叩いてそう言った。

 本人の言う通り、実際にマイエンはそのマズイ非常食を日常的に食べている。

 料理が苦手とかそういうのではなく、単純に料理のために割く時間がもったいないからである。

 マイエンは発明家という職業上、作業に没頭しすぎて、食事を蔑ろしがちになる事が多い。事実、空腹や栄養不足で目を回した事も一度や二度ではなかった。

 それに対する自衛手段として、服のポケットなどに非常食を携帯しているのだ。

 味はともかく栄養は摂れるし、何より手軽なので、マイエンはすっかり、それに頼り切りの生活になってしまっていた。


「それ、健康って言わない……。あれだよ、歳とってから、絶対来るよ色々」

「さてな。だが、まぁ賞味期限もあるし、食べないともったいないだろう?」


 肩をすくめて見せるマイエンに、イギーとルーナはちらり、と視線を合わせた。そうして小さく頷き合う。

 マイエンが「ん?」と思った直後に、二人はマイエンに飛び掛かった。


「うお!?」

「マイエンさん、今日の朝ご飯まだでしょ! まだだよね! ちょっと! 美味しいもの! 食べに行こう!」

「あたし達、良いお店知っているの! すっごく美味しいのよ!」

「いらん! 私には非常食という名の日常食がある! ええい、放せ! 放せと言うに! 私は惰眠を! 貪る!」


 左腕に腕にはイギーが、右腕にはルーナが。

 それぞれ引っ付きギャーギャーと騒ぎながら、二人はマイエンを引っ張って、どこかへ連れて行こうとする。

 マイエンはそれを力づくで引きはがそうとするのだが、如何せん彼女は発明家である。腕力は並み以下だ。

 二人を引き離そうとマイエンは躍起になるが、ただただ疲れるだけでどうにもならない。


 反対にイギーとルーナはだんだんマイエンの動きに慣れてきたようで、上手く避けては引っ張り、引っ張っては避けるを繰り返している。

 だんだん遊んでいるような気分にもなってきたらしく、楽しそうだ。

 やがて、マイエンの息が上がってきたあたりで、ふと突然、イギー達の動きが止まった。

 何が起きたのか分からないが、助かったとマイエンは息を吐く。


「あの、これは一体……何の騒ぎですか?」


 すると、そんな声が聞こえてきた。

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