第1話 辺境の星ヴァイツェン


 灰色の薄い霧が掛かった青空の下。草木がぽつり、ぽつりと生えただだっ広い荒野に錆びれた建物が建っている。

 周囲をフェンスで囲まれたその建物には『オクトーバーフェスト空気清浄施設』と書かれた看板が掛かっていた。

 マイエンは、その建物の中で、頭を抱えていた。


「いやいやいや、これはない。ありえない、というか、あった事がありえない」


 ぶつぶつと呟きながらマイエンは、錆びた大型の乾燥機、のような機械に頭を突っ込んでいた。

 この機械は、建物の名前にもなっている『空気清浄器』と言うものだ。これがどんなものであるのかと言うと、それこそ名前の通り、空気を清浄化するための装置である。毒素やら何やらを含んだ空気を、この装置を通して浄化し、人にとって綺麗な空気にするのが、主な役割だ。

 さてこの装置、見た目は前述のように錆びた大型の乾燥機である。最新型ならばもっとスリムかつ格好良い見た目をしているものの、残念なことにこれは旧型。空気清浄機が販売され始めた最初期に作られたモデルであった。


「いや、これはないぞ……本当にない。どれだけ放置されているんだ、っていうか、いつから整備されていないんだ、これ」


 マイエンは、そんな旧型の空気清浄器の中に頭を突っ込んで、装置内部の様子を調べていた。

 だが、彼女の言葉から分かる通り、それは想像以上に酷いものであった。

 こういった装置は、ピアノの調律のように、定期的に整備をしなければ正常に稼働しなくなる。特にこの装置は、空気清浄器という、ライフラインの一つだ。これが正常に稼働をしなければ、空気は清浄化されず、毒素をそのまま垂れ流し、やがて人々は死に絶える。そう言う代物である。

 なのにこの施設の装置は、マイエンがざっと見積もっても数年単位で整備が行われていない。今、何とか動いているのが奇跡である、というレベルなのだ。


「よくここまで放置できたもんだ……管理者は阿呆なの……」


 体を戻したマイエンは、丸眼鏡を押し上げてため息を吐く。レンズ越しの橙色の目には呆れたような色が浮かんでいた。

 そう言いたくなる気持ちも分からないではない。

 何故なら、この空気清浄施設に配備されている20機ほどの空気清浄機のうち、7機がまともに動いていないのだ。もうちょっとで半数に辿り着くという、洒落にならない状況なのである。

 マイエン自身も、この星の住人となったため、目眩がするほどの大問題である。

 

「この町だけでこれ、、なら、他はどんな事になっているか、考えるだけでも恐ろしいわ」


 こめかみを抑えそう言うと、マイエンはいったん、空気清浄施設の外へと向かった。




 さて、改めて。

 彼女はマイエン・サジェという名前の、そこそこ有名な発明家だ。

 歳は二十代半ば、長い赤毛を首の後ろで一本に束ねた、橙色の気難しそうな目をした女性である。

 体つきは痩せ形ではあるものの、女性らしい凹凸はあり、その身体には白衣に似たデザインのシンプルなコートとズボンを着ている。機能美と言えば聞こえは良いが、はっきりと言ってしまえば、女性らしさなど水平線の彼方へと放り投げてしまったかのような、装いだ。

 事実、性格含めてマイエンには、あまり女性らしさというものはない。

 発明や仕事以外では怠惰でズボラな部分が目立つ上に、気難しい性格も相まって、ある意味では駄目な大人の典型である。

 だが、しかし。それでも発明や仕事だけは有能であるし、きちんとしているし、他人に迷惑を掛けるかと言うとそうでもないので、本人も周りも、さほど困ってはいなかった。


「しかし、空気清浄器の二十機のうち七機がまともに動いていないって、相当だぞ。大丈夫なのか、この星」


 そんなマイエンは、ぶつぶつと呟きながら、外へ出た。

 施設へやって来た時には青色だった空も、すっかり橙色に染まってしまっている。あっという間の時間であった。

 マイエンはそんな空を見上げて、


「夕飯、何食べるかな……」


 と、ぼんやりと呟く。腹は減ったが、これから料理をするのも面倒だな。そんな事をマイエンが考えていると、ふと、その空にある物を見つけた。

 線のように連なった無数の光だ。

 遥か宇宙にあるそれは、小さいながらもしっかりと、白い光を放っていた。


「……テトラの星」


 無意識に名前が口をついて出て、マイエンは小さく息を吐いた。

 あの光の線は『テトラの星』というものだ。

 テトラの星とは、星の爆発から周囲の星を守る役割を持った人口衛星の事である。

 

 星というものには寿命がある。

 中でも、太陽などの恒星は、その寿命を終える際に大規模な爆発を起こすのだ。

 その威力は凄まじく、周囲にある星をも巻き込んでしまうほどだ。星レベルである、その爆発に巻き込まれれば、まず助からないと考えて良いだろう。


 もちろん、星が爆発するかどうかは、大体は事前に分かる。ゆえに、そんな危険があるのならば移住すれば良いし、そもそもその星の周囲に住まなければ良い。

――――なんて、言葉にすれば簡単だ。 

 けれど、移住をするにはお金がいる。そして、人が住むための星にもまた、太陽のような熱を持った恒星が必要なのだ。 


 だからこそ、人々は宇宙で太陽のような恒星を探した。そして見つけたら、その周囲の星を調査し、多少の手を加えて移住するに至った。

 だが星には寿命がある。

 その寿命が事前には分かるが、その中には、まだ何億年も先だと予想されていたにもかかわらず、何らかの理由で爆発して消えて行った星もそこそこあった。

 それに対する手段として発明されたのがテトラの星だ。

 テトラの星は星の周囲に衛星のように浮かび、周りながら、爆発が起きた際に防波堤になる事で、星の爆発からその星を守っている。


 だが。

 だが星が守られて、それで全部が丸く収まるわけではない。

 爆発をしたらしたで、太陽によってもたらされていた熱や光などの恩恵は失われる。

 それらを、自分達で何とかしなくてはならなくなるのだ。そこにも莫大な費用が掛かった。

 だからこそ、爆発から生き残っても、その星が捨てられる事は少なくはなかった。


 その星でそのまま生きて行くにも、星を捨てて出て行くにも、如何せん準備の時間も金も掛かる。

 爆発に巻き込まれたという事で、星単位で政府から補償金も出るが、その財源は無限ではない。

 ならば増税すれば良いのではとも思うだろうが、そうした所で文句は出る。理由は有れど、自分達の生活が脅かされれば、何かしら憤りを持つ。それが人間と言うものだ。

 かといって、何もしなければ、逆の方面から文句が出る。


 ならば、どうするか。

 苦肉の策で政府が出した答えは、文句が出ても比較的影響の少ない場所から削って行こう、と言うのものだった。

 爆発に巻き込まれず、かつ人口が少なく、政治の中心である中央の星から遠い場所。そういった場所への資金援助を減らす、という事だ。

 つまりは辺境の星がその対象となったわけである。

 

 辺境への援助を少しだけ、、、、減らし、爆発から守られた星へ補填をする。

 そんな政策が、オブラートに包まれて世の中に発表されてから数年が経った。

 当然ながら辺境からは不満が出た。だが、何度も何度も抗議をしても、黙殺されているのが現状だ。

 そして、中央の星から移動短縮ワープを使っても丸々一週間以上かかるこのヴァイツェンも、そういった対象の星の一つだったのだ。


 大を取るか、小を取るか。これはそういう問題だ。そして政府は前者を取った。

 ただ、それだけの事なのだ。

 こういった問題は、当事者にならなければ、それがどういう事なのか真には分からない。

 マイエンはそれを今、現在進行形で理解していた。


「…………さて」


 マイエンはそんなテトラの星を見た後で、それ、、から目を逸らすように、施設を振り返った。

 頭の中に浮かぶのは、空気清浄機達の悲惨な現状である。整備する人間がいないとか、部品がないとか、理由は色々ある。だが結局の所、中央が行った政策のツケは、こういった形でも辺境の星々に回って来ているのだ。

 だが、まぁ、そんな事を考えても仕方がない。とにもかくにも、最優先でこれを何とかしなければ。

 マイエンは顎に手を当てて、必要な物を頭の中にメモしていく。


「しかし修理しようにも清浄機自体が旧式だから、部品が残っているかどうか……ジャンクショップ辺りに問い合わせてみるか」


 そう、問題はそこにもあった。いくら修理をしたいと思っても、部品の合う、合わないがあるのだ。

 機械に合わせて一から作って貰う事は出来なくはない。発明家であるマイエンにも、そういう方面の知り合いはいる。

 だが如何せん、時間も金も掛かるのだ。マイエンは修理を依頼されてここへ来たが、それに対して与えられた予算にも限度がある。

 既存の部品があるならば、それを使った方が安価で済むし、輸送費分の費用だって抑えられる。

 何て考えているマイエンは、まさか最初の仕事でここまで頭を抱えるとは、本当に思っていなかった。


「頭が痛い……」


 死んだ目でマイエンは呟く。そうして修理についてマイエンが考えていると、


「ああ、お疲れ様ですー」


 と、施設を囲っているフェンスの向こうから、明るい声が聞こえてきた。

 顔を上げれば、この空気清浄施設を担当している警備員の青年が、軽く帽子を取っているのが見えた。

 マイエンは警備員に向かって「ああ」と軽く頭を下げる。そのままフェンスの外へ出ると、施設の鍵を彼に返した。


「中、どうでした?」

「20機の内、7機に故障が見られますね。まぁ、半分までは行っていなかったので、まだ、、良かった方だと」


 まだ、というのはあくまで社交辞令だ。正直、今の状況は『まだ』どころの話ではない。

 けれど「ちゃんと整備しろよコノヤロウって伝えて下さい」なんて本音は、さすがのマイエンも言えなかった。

 なので、マイルドに。

 やわらかーくオブラートに包んで言ってみたが、警備員にも本音部分は何となく伝わったようで、苦く笑った。


「あー、結構故障していますね……。直せます?」

「部品が取り寄せられるかによりますが。本当の所は、全部、買い替えをオススメしたいところです」

「ですよねぇ……」


 警備員の声には「無理だろうなぁ」という気持ちが込められていた。

 マイエンは何でもかんでも直ぐに新しいものを買い替える、という考え自体は嫌いだ。だが、空気清浄機などのライフラインはその限りではない。

 特にオクトーバーフェストの空気清浄機は、修理して繋ぐよりは、出来れば数機でも良いので新しいものへ買い替えた方が、安全なのだ。

 だが、空気清浄機は、かなり値段が張る。

 ゆえに、その辺りの購入費用や、維持費の補助は政府が行っているのだが、辺境の星という事もあって削られているのだ。

 マイエンもそれが分かっているので、それ以上は言わなかった。


「ひとまず応急処置はしておきましたので、役所へ報告に戻ります。本格的な修理は部品が揃ってからになりますね」

「ありがとうございます。……良かったぁ」


 警備員はしみじみと息を吐いた。ここの警備をしている以上、中の機械がどうなっているかは、それとなく分かっていたのだろう。

 気が気じゃなかっただろうな、なんて思いながら、マイエンは「ところで」と警備員に尋ねる。


「オクトーバーフェストにジャンクショップはありますか?」

「ああ、ありますあります。大通りの外れの路地を少し入った所に、オルヴァルのジャンクショップって名前の店があるんですが、そこがそうです」

「なるほど、ありがとうございます」


 あるのか、良かった。マイエンはほっとしながら警備員に礼を言う。

 そしてさっと挨拶をしてから、オクトーバーフェストの町に向かって歩き出す。

 荒野をさく、さく、と土を踏みしめて歩きながら、マイエンは空を見上げて、呟く。


「……越してきたは良いものの、思った以上に」


 えらい所に来てしまった。

 最後の言葉の代わりに口から出たのは大きなため息だった。

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