第2話 嵐のように輝いて

「さっき道端で冒険者らしきひとがいたからどうしたんですか? って声をかけたんだけど」

「挨拶もなしにそれかよ」

「え?」

 ジョーイ=マドワーズは、こちらの言葉にきょとんとする少女にため息の一つでもついてやろうかとさえ思ったが、それはやめることにした。きっと無駄になる。

 長い前髪で右目を隠した赤毛の少女は、《雷の星》亭の常連客のひとりともいえなくもないのだが、実のところ客でもなんでもなかった。たまにしか注文しないのだからそう断言しても構わないだろう。《雷の星》亭の向いにある花屋ラヴソングの一人娘で、名をキルシュ=ワーカードといった。

 彼女は、当然のようにいってくる。

「ジョーイに挨拶したってなんの得にもならないでしょ」

「損得の問題か? 少なくとも、店長への印象は変わるぞ」

 唾棄するように告げる。彼女にはこれくらいの態度で望むのが相応しい。温和で愛想の良い店員を演じる相手は、お客様だけで良いのだ。が、必殺の威力を発揮するかと思われた決め台詞も、キルシュにはまったく効果が無かったらしい。カウンターテーブルに肘を付きながら、唇を尖らせてくる。

「レインさんいないじゃん。でね」

「おい」

「気さくでお節介なラブリーエンジェルキルシュちゃんが冒険者さんに声をかけた話の続きだけど、そのひとはやっぱり冒険者宿を探していたみたいなのよ。大通り沿いにいくらでもあるのに、なんでこの近所で探していたのかは知らないけど」

「それってもしかして……」

「それで、仕方ないから大通りの冒険者宿まで案内してあげてきたのよ~。謝礼なんて貰わなかったわよ。さっすが私よね。まさに天使?」

「おいおい、その冒険者が探してたのは、ここじゃないのか?」

 突っ込みどころはいくつもあったが、ジョーイが特に気になったのはそこだった。ルーン・ルーンを訪れた冒険者である以上、大通りに軒を連ねる冒険者宿は嫌でも目につくはずだ。それらをわざわざ避けてまで探し回っていたのだ。《雷の星》亭であっても、なんら不思議ではないのだが。

「まっさかー! そんな馬鹿げた話、あるわけないでしょ」

 こちらの考えを一蹴した上鼻で笑うキルシュだったが、別段、不快な気分にはならない。彼女の言葉は極めて軽く、本心ではないのが見て取れるからだ。とはいえ、それでも暴言であることには違いない。うめく。

「なんか酷くないか、それ」

「ヘラさんもそう思いません?」

「え……?」

 突然話を振られたのは、常連客のひとりだ。

 彼女は、少し戸惑ったようだった。まさか会話に入れられるとは思っても見なかったのだろう。ヘラ=キャトレットは、曖昧に笑って言葉を濁した。

「そうねえ……」

「ふふん、勝った」

「なにに勝ったんだ、なにに」

「まあ冗談はともかくとして、悔しいじゃない」

 どこからどこまでが冗談なのか問いただしたいところではあったが、そうしたところで無駄足に終わるのは目に見えていた。迂闊な突っ込みが藪蛇になることもままある。ここは適当に返す程度に押しとどめておくに限るだろう。

「なにが?」

「ここが繁盛するの」

「え」

「ここが繁盛して、レインさんに惚れる女が続出したらと思うと夜も眠れないもの。いや、眠れるけどね。ぐっすり。でもやっぱり我慢ならないじゃない。冒険者に男が多いからって、美女がいないとは限らないし、その美女冒険者がレインさんに色目を使ったなんて考えるだけでもう、わたしっ……!」

 キルシュが早口でまくし立ててきた内容は、彼女のレインへのぞっこんぶりがこれでもかと発揮されていた。ジョーイはその言葉を仏頂面で聞きながら、彼女は店主のどこに惚れ、どうしてそこまで思うことができるのか不思議でならなかった。

 不意に、キルシュの左目がまるで獲物を狙う野生の獣のように輝いた。

「で、店長どこよ? レインさんは? わたしの旦那は!?」

「いつからおまえの旦那になったんだよ」

「どこー!?」

「……厨房だよ」

 嘆息とともに教える。キルシュの騒々しさに根を上げたのではない。これ以上騒がれる可能性を考慮してのことだ。彼女がその気になればパール=ジラフィン並みの災害をもたらす危険性があった。

「シャロンさんが新作できたから味見して欲しいってさ」

「厨房で二人きり……だと」

 まるで世界の終りに直面したかのような表情をしたかと思うと、彼女は、鋭い眼光を放った。細い手がカウンターテーブルを叩く。その反動を利用したわけもないのだろうが、彼女の体が高く浮いた。

「ちょっくら行ってくる!」

「お、おい待て……!」

 静止するも時すでに遅し、である。

 キルシュは、軽業師のような身軽さでバーカウンターを飛び越えると、二つに結んだ髪を揺らしながら、奥の厨房へと飛び込んでいった。

「行っちゃったよ」

 ジョーイは、浮かしかけた腰を椅子に戻した。徒労感を覚えずにはいられない。キルシュの相手をするといつもこうだ。あの小柄な身体と可憐な容姿からは考えられないほどパワフルで、そして傍若無人だった。

「キルシュちゃんって、嵐みたいね」

 ヘラが笑った。彼女はバーカウンターの角にいつも通り腰掛け、ミルクがなみなみと注がれたグラスを掌で遊ばせている。まるで上等な果実酒でも嗜んでいるかのような雰囲気を漂わせているのだが、ミルクである。彼女の頬はほんのりと色づき、瞳もとろんとしてはいるが、ミルクである。

 ミルクで酔えるというのは、彼女の体質が特異だからなのかもしれない。が、いずれにせよ、そんなことは問題ではなかった。

「巻き込まれる側からすれば厄介なことこの上ないですよ」

「でも、可愛いじゃない」

「そうですか?」

 キルシュの消えた厨房へと注がれるヘラのまなざしは、いつになく優しい。ジョーイは釈然としない面持ちでメモ帳にペンを走らせた。キルシュをとっ捕まえようにも、もはや遅いのだ。それならば厨房にいる店主の対応に任せる方が理に適っている。

 レインが相手ならば、キルシュという暴風もそよ風に変わるのだ。

「レインさーん! 愛しのー! わたしに隠れて浮気ってどういうことー! そんなことより結婚しよー! って、わーお」

 厨房から聞こえてきた怪鳥の鳴き声のようなけたたましい声に耳を塞ぎたくなるも、キルシュの反応とその後に訪れた沈黙は、ジョーイの好奇心を駆り立てた。キルシュへの毒を書きなぐっていた手を止め、メモ帳をエプロンのポケットに仕舞う。

 なにがあったのだろう。

 まさかレインとシャロンが?

 立ち上がりながら、首を横に振る。そんなことはありえない。レインがシャロンを見る目は娘を見る父親のそれだ。そのうえ、厨房を任されているシャロンは、店主たるレインを敬愛こそしてはいるようだったが、眼中にもないだろう。

 彼女は、特殊だ。

(あのひともまた、というべきかな)

 ここで働いていると、普通の女性なんて幻の生物なのではないかと錯覚する。それはあながち間違いではないのかもしれないし、そうでもないのかもしれない。寂れた冒険者宿だ。奇人変人が集うのも無理はないのだろう。

(俺は違うがな!)

 心の中で叫ぶと、ジョーイは、静かに厨房の中を覗き込んだ。そして、なんとも形容しがたい声を上げて呻いた。

「……おおう」

 寂れた宿屋にしては十分な設備の整った厨房。その調理台の上に、なにかが君臨していた。君臨としかいいようのない神々しさ――あるいは禍々しさ――を放つそれがシャロンの新作なのだとしたら、彼女は神の如き手腕を持っていると言わざるを得ない。

 大皿の上に乗せられたそれは、隆々たる筋肉を誇示するかのようにポーズを取る大男の彫像のような物体だった。無論、全身ではない。上半身の一部だけではあるのだが、それにしたってとても料理には見えないし、何をどのように調理すればそんな物体が出来上がるのかジョーイには想像もつかなかった。

 その大皿には、色とりどりの野菜や果物が盛り付けられているのだが、筋肉の塊のようなメインディッシュがすべてを台無しにしていた。いくら料理に疎いジョーイにもそれはわかった。褐色に焼けた肌を表しているかのようなそれらが、大皿の上に展開される世界観と見事なまでにぶち壊している。

「うわあ……」

 キルシュでさえそんな声を漏らしていた。彼女にも受け入れがたいものはあるのだろう。いや、こんなものを受け入れられても困るのだが。

 店主のレイン=サンライズはというと、それを見つめたまま微動だにしていなかった。気でも失っているのではないかというほどだ。

 その隣で、料理人らしさを追求したような真っ白な服装の女が、満足げな表情を浮かべている。《雷の星》亭の厨房を取り仕切るシャロン=パーディアそのひとだ。

 彼女は、固まったままのレインを一瞥すると、断言してみせた。

「時代は筋肉ですよ、隊長殿」

 もっとも、シャロンの新作・《筋肉祭り・春の陣》がお披露目されることはなかった。

 永久に。

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