第32話 反乱
ベルトワール家からの帰り道、俺は吐き気をこらえながら馬車に揺られていた。
考えれば考えるほど、ヘンリエッタの戯言になんか耳を貸すべきじゃなかったという気になって来て、自棄になったようにワインを煽ってしまったのだ。
もはや、この訳のわからない暗殺計画から降りることは出来ないだろう。
すまし顔で俺の隣に座っているヘンリエッタに文句の一つも言いたくなる。
話を聞いた時点で、俺には断るような余地が残されてなかった。
だいたい暗殺で世の中がよくなったという話を寡聞にして知らないのだが、本当に意味のあることなのだろうか。
「どうしてお前らは家があるのに、わざわざ俺の家に泊まるんだ」
「ハルトに仕えると誓ったのだから、身の回りを警護をするのは当たり前ではないか」
俺にヘンリエッタ程度の警護が必要とは思えない。
ローリエたちにも一旦寝ると起きないから危険ですとは言われるが、さすがに攻撃されれば起きるし、攻撃を受けても困らない。
「ボクはご飯が美味しいからかな。あんなに美味しいお肉は食べたことがないよ」
味噌で作ったタレに肉を漬け込んでから焼いているから、そのことを言っているのだろう。
エリーが色々改良してくれたから、ちゃんとしたものになっている。この世界にもハムやドライソーセージのような発酵食品はあるが、どちらも硬くて食べにくい。
「無理やりついてきたくせに、ナタリヤは食べ物に夢中になっていただけだったな」
「話がどんどん進んでいくから、ついていけなかったんだよ。だけど言いたいことはいっぱいあるよ。ハルトも少し火遊びが過ぎるんじゃないかな。エルマンなんかに乗せられて、あんな無謀な作戦を使命だなんて思う必要はないんだよ。死んだらそれまでなのに、利用されているだけだよ。いくらハルトだって、魔族相手に勝てる保証なんてないんだ。それに、ヘンリエッタ程度の腕で作戦に参加するのも反対だね。ボクならまだしも、ヘンリエッタが役に立つとも思えない」
俺から見ればヘンリエッタもナタリヤも、果てはエルマンでさえも似たようなものだ。
魔族と戦うための戦力に数えられない時点で半人前となる。もし戦えるようにしようとするなら、かなり大きな投資が必要になるだろう。
「ナタリヤ、そのことについてはもう話が済んだだろう。私の意思は変わらない」
「わからず屋だね」
「確かに、今のままじゃ役に立たないな。だけど役に立ちたいなら鍛えればいいじゃないか。せめてエルマンくらい戦えるようになってくれたら少しは助かるぞ」
ヘンリエッタとナタリヤが、どうやってという顔をこっちに向ける。
そこで俺の方が逆に返答に困った。レベルという概念で説明しても伝わらないだろう。
「エルマンくらいとは軽く言ってくれるな。そんなことが可能だとは思えない」
「とりあえず、強い妖魔を育てることだな。ナタリヤにも騎乗できる妖魔の一つくらいは欲しい。槍は足に使う妖魔の力も攻撃に乗せられるだろ」
「そんな高価なものを買っても、使えるかどうかもわからないじゃないか。ボクの種族は魔法が苦手なんだ。それに、そんな貴重なもの、売ってるのを見たこともないよ」
状態で表示を見る限り、レベルが異様に高いナタリヤは妖魔の一つくらい余裕で呼び出せるだけの魔力がある。先頭の最初に一度だけ騎乗妖魔を呼び出すには十分だ。
攻撃用の妖魔がLv3になれば、戦闘力にして400近くにはなるだろう。だからローレルたちも含めて、そこを達成するのが底上げにつながる。
そこまで行けばローレルたちだって、そこら辺の騎士くらいにはなるのだ。
「そのあたりのことは俺に任せてくれ。ナタリヤも使えるはずだ。その前に良いのを手に入れなきゃならないけどな。この街になければ、どこかに買いに行けばいいだろ」
「中枢の金を使うのか。しかし、どんなに高級なものを買っても伝聞の情報しかないんだ。妖魔なんて育ててみなければわからないぞ」
そんなことを話していたら、御者台からエリオットが話に割り込んできた。
「テーベに行けたら何でもそろうんでしょうけどね。風が吹いた後の砂漠を歩けば、浮き上がってきた石を見つけることができるそうですよ。このあたりで売られているものも、ほとんど砂漠の方で見つかったものでしょう」
それはいい情報を得た。
しかし、魔素の濃い迷宮の方がいいものを見つけられそうな気もする。
とりあえず、ベルナークの迷宮で探せるだけ妖魔を探して、その後は他の都市にも行ってみようか。ローズマリーに連れて行ってもらえば、どこにだって一晩でいけるのだ。
商館の例からして、エリオットに協力してもらえば、普段は表に出さない在庫も見せてもらえるだろう。
エリオットなら盗みに入ったことを知っているので、雷鳴鳥を見せても平気である。
その辺りのこともマリーに相談したいなと思って、エリオットに馬車を止めてもらった。
残りのみんなを家まで送ってくれるように頼み、俺はひとりでマリーの店に向かう。
寝ていたマリーを叩き起こして、勝手に相談を始める。それで分かったことは妖魔は魔素の濃さよりもダンジョンに出る魔物の方に左右されるという事だった。
それでもベルナークにある迷宮の深層を回るのは面白そうだと言ってくれた。
そもそも妖魔は使い道が見つかっているものの方が少なく、伝聞の残ってない物の中にも有用なものが眠っている可能性がある。
それは育ててみるまでわからないこともあり、用途がはっきりしている物より未知の可能性を持つものものほうがはるかに多く存在しているとのことだった。
マリーがゴミと評する妖魔が、その使い道の定まってないものに分類される。
それらは一般人や駆け出しの冒険者が博打で購入したりして、もしかしたらすごい力を発揮したりするかもしれないというようなものだ。
育てれば、その情報を売って元を取るくらいのこともできる。
そういった情報を旧大陸や魔大陸で仕入れれば、新しく使えるものが出てくるかもしれないという事だった。
妖魔の中でも実態を持っていて、それ自体に力が宿るようなものは召魔と呼ばれている。往々にして大きなものが多く、希少性は高い。
召魔の方が戦いには強い傾向があるが、より見つかりにくい。
奈落や雷鳴鳥などは世界に一つと言われている最高位の希少性である。そのくらいでなければ上位の魔族に対抗するには心もとないそうだ。
「君主と交渉できるなら、そういったものも手に入れることもできようぞ。もしどうしても希少なものが欲しければ、魔大陸や旧大陸に行くのも選択肢になるよな。魔族も妖魔を従えるゆえに、向こうにもいいものがあるやもしれん。しかし、そんなものを持っとるようなのがワシらと取引するとは思えんがの」
石ころ一個手に入れるだけでえらい苦労を強いられるものだ。
しかしエリオットがいれば何とかなりそうな気がする。アイツはベルトワール家の学士なのだから、他の君主であっても対等な取引の場に立てるだろう。
エリオットの話をしたら、マリーが見たこともないほど邪悪な笑みを見せた。
「もし交渉の場に立てるのなら、ワシがなんとでもたぶらかせてみせようぞ」
「頼もしい限りだな。だけどエルマンの顔に泥を塗られると、あとで俺が怒られるんだぜ」
「ワシにそんな心配は無用じゃ」
そんな話を夜遅くまで詰めて、色々と今後の予定を立てる。
そして疲れきった体を引きずるようにして帰路についた。酔った体で歩くのは苦行以外の何物でもない。
家に帰って一晩明けると、なぜかエリーの寝顔が目の前にあった。透き通るように白い肌が朝日の中に輝いている。酔いに任せてエリーにまで手を出してしまったかと焦っていたら、ナタリヤに毛布を剥ぎ取られた。
「やっと起きたんだね。いくら何でも無防備すぎるよ」
話を聞いてみると、どうやら夜の間に戦闘奴隷の反乱があったようだった。少しうるさいと思ったが、あまりに疲れていた俺は起きることができなかった。
よく見ればエリーとナタリヤの他に、ローレルやアリシアまで俺のベッドで寝ている。
近所で叫び声のようなものが聞こえていた気がするし、ナタリヤの話では俺の家も襲われる可能性があったらしい。
朝霧の中、ちょっと外を歩くと街中に反乱を起こした戦闘奴隷たちの死体が吊るされていた。
道には布をかけられた死体が所々に寝かされていて、その周りで嗚咽を漏らしている者たちがいる。おそらく死んだ者の家族だろう。
血にまみれた、その光景を見ていると、まるで地獄にでも落とされたような感じだ。
当然、市民の中でも闘奴を戦わせていた商人は恨みを買っているので、かなりの数が死傷されたようだった。
もともと敵国の兵士なのだから、扱いが酷ければこうなることは避けられない。
今回の反乱は闘技場で戦わされていた傭兵奴隷によるものだったので、戦闘力の高い奴が多かったということもあり被害が大きそうだ。
ベルトワール家は、なぜ闘技場などを作ったのだろうか。
そんなところで戦わされていればいつか死ぬのだから、そりゃ奴隷だって死に物狂いで反乱を起こすに決まっている。
古代ローマでは権力者が市民の支持を得るために開いていたそうだが、絶対権力を持ったベルトワール家に必要であるとは思えない。
「そりゃ戦争捕虜を減らすための口実だよ。ベルトワールとしては憎い敵だったわけだし、そこら辺の商人がダンジョンを探索するのに買い取れば、逃げ出してまた敵になるかもしれないじゃないか。だから捕虜奴隷は闘技場でのみ戦わせることが許されているんだ」
「だけど奴隷契約は魔法のようなものを使っていただろ。絶対に逆らえないんじゃないのか」
「魔法はそんなに万能なものじゃないよ。どんな魔法にだって、それを打ち消すアイテムがあるのさ。知識のあるやつなら、それを手に入れるのも難しくはないよ」
「そんなものがあるなら、どうして気をつけておかないんだ」
「奴隷商はそんな話を絶対に口にしないからね。昔からそうさ。だからたまにこういうことが起こるんだよ」
なるほど。それなら傭兵奴隷を減らしておきたいという理由もよくわかる。ようするに、これは処刑なのだ。見世物にするのは数を減らすついでに過ぎない。
しかし見世物にすると、別の問題が出てくるように思える。
「闘奴だって強ければ観客から支持されるようになるだろ。市民から英雄のように称えられる奴が出てきたらどうなるんだ」
「自由市民の権利を与えられて、普通に暮らせるようになるんじゃないのかな。どんなに強くても一人くらいならそれほど脅威じゃないからね。それに、そのくらいの餌がないと誰も命懸けで戦ったりしないじゃないか」
「あまりいい趣味じゃないな」
「同感だね。悪趣味の極みだよ。だけど殺し合いは催し物の中でも人気があるんだ。冒険者の中でも賞金目当てに参加する奴は多いよ」
この世界における命の安さには閉口するしかない。
金を得るために命を張らなければならない境遇もさぞ多いことだろう。
「それでヘンリエッタは、徹夜でまた血の雨を降らせているのか」
「だろうね。塀を越えたのがいるから、しばらくは忙しくなるってさ」
ヘンリエッタだって好き好んでやっているわけではないだろうが、なんとも嫌な気分になる。
この世界ではそれが当たり前で、そういう奴らを放っておけば関係のない者の血が流れる。それはわかってはいるが、どうにも気持ちが馴染めない。
捕虜奴隷が生まれるのは物資を求めて戦争を起こすからだ。北にある都市が蛮族と争っているのも、王家による浪費が遠因になっているのだろう。
だからヘンリエッタは根本から変えたいと願っているのだ。
そう、ヘンリエッタはこんなことをしたくないから戦おうとしているのだ。
俺のもう少し積極的になるべきだろうか。エルマンの作戦が上手く行けば、とりあえず今より悪くなることはない。ヘンリエッタが言うように、俺にはそれを変えるだけの力を与えられたのだ。
できれば、こんな景色は二度と見たくない。
「まるで戦争だな」
「そう、これが戦争だよ」
ついて来ていたナタリヤになんとなく呟いたら、そんな返事が返ってきた。
実際に自分の目で見ないと、その惨状はわからないものだ。
その時、どこかにはあるだろうと思っていたものを見つけてしまった。
闘技場でエルマンに殺せと言われたが、俺が命を助けたあの捕虜奴隷の死体だ。傷だらけの体だから、きっと奴隷たちの先頭に立って戦ったのだろう。
「俺がもうちょっといい世界に変えてみせるよ」
そう言ったら、ナタリヤはヘンリエッタの病気が移ったねと言って寂しそうに笑った。
以前、ナタリヤはそれを命を奪う病気だと言っていた。
「この大陸が統一されて以来、この国は光の王が統治することになっているんだ。カルステンを殺しても、統治するのは次の王になる誰かさ。きっと何も変えられやしないよ。それともハルトが兵を率いて王家を倒し、光の王になるのかい」
それは聞いたことがある。
光の王というのは精霊たちに祝福された正当な統治者であるという意味だ。
俺はそんなおためごかしに興味はない。
「いや、俺がなるのは闇の王だな。王なんて操り人形にしちまえばいいんだよ」
「ヘンリエッタよりも重症だね。だけど血を流したがるヘンリエッタの案よりも、ハルトの考え方のほうがボクは好きだよ」
ナタリヤが、今度はちゃんとした笑顔を見せた。
俺はとりあえずその笑顔に満足する。
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