第31話 カルステン




 ベルトワール家の屋敷は、街の小高くなった最奥部にある城のような建物だ。

 門番が城門を開けて、いつも見上げていた屋敷が目の前に来ると不思議な感慨があった。

 そして結界が張られて偵察もできなかった場所を、馬車は何事もなく通る。

 屋敷の前でメイドと執事に出迎えられ、俺は外套と太刀をそこで預けた。


 エルマンの館はぶ厚い壁で出来ていて、中は思ったよりも広くなかった。

 絨毯が敷かれ、そこらじゅうの燭台に火がともっていて昼間のように明るい室内は、それだけで贅沢だなという気持ちになる。

 長いテーブル席に案内されて、エルマンの隣に座らされた。隣と言っても、テーブルが長すぎて2メートルくらい離れている。


 どんな話が飛び出してくるのだろうと身構えていたが、たまにエリオットが冗談を言うような和やかな空気で食事が進んでいくだけだった。

 飲み物がワインしかないので、俺もいささか酔いが回ってきた。この世界に来てから生水を飲んだ覚えがないので、相当なぜいたく品であろうと思われる。


 かなり深い井戸か、町の北側にある井戸以外は飲用できないとエリーが言っていたのを思い出す。たとえ深い井戸でも、こんな街中でくみ上げられた水は嫌である。

 ワインしかないと今みたいに喉が渇いているときに辛い。

 もう飲むのはやめようという頃になって、やっとエルマンが話し始めた。


「この国は腐っている」

「ええ、腐っています」


 エルマンの言葉にエリオットの合いの手が入った。

 ふむと思っていたら、エルマンはいきなり言い放つ。


「特に大王は狂人だ。あれは殺さなければならん」


 その言葉に周りがしんと静まり返った。


「大王ってのは?」

「王都ハルアデスを治める、カーリア家の現当主、カルステン・カーリアのことですよ」

「奴のせいで、王都は人口が半分になりそうだ」


 俺がどういう意味だという視線を送ると、エリオットが説明してくれる。


「半分というのは大げさですが、人を殺すのが趣味なのかと思うほど処刑しています。月に数百人程度ですね。王都の人間に限らず、訪れた君主や騎士などであっても、目をつけられれば殺されます」

「じゃあ、みんな困っているんだろ。君主同士で手を組んで倒したらいいじゃないか」

「それが出来ないように、毎年かなりの貢物を要求され、税の上前もはねられています。そもそも北は、メイクーンもベルナークも蛮族への備えが必要で、特にメイクーンは蛮族との争いが激しすぎて戦争に戦力は避けません。ここより少し南下した場所にあるブロムは王家とのつながりが強すぎるので、こちらに味方するとも限りません。そして、王都より南の三国のうちオールムとテーベは食料が足らなくて餓死者が出るほど貧しい国です。かろうじて兵を出せそうなのはオスマンの一国のみですが、王都に戦を仕掛けるほどの戦力はないでしょう。南に食料が足りないのも、王家が集めた物資を輸出して旧大陸から贅沢品を輸入しているからです」


「ワシも戦を考えたが、ブロムを通らずに王都へ進軍することは出来ない。たとえブロムを抜けられたとしても、王都は難攻不落の城壁がある」

「王都を落とすことは不可能なのか」

「歴史上、まだ落ちたことはありません。まず不可能でしょう」

「それに大王は魔族とも手を組んでいるという噂がある」

「カルステンの連れている付き人の中に、全身を鎧で覆った奴がいます。誰のその肌を見た者はいません。その付き人が魔族であると噂されています」

「この国の中で、まともに王家と事を構えられるのはベルトワール家だけだろう。だからワシには、その期待に応える義務がある。それが出来ねば家の信用は失墜するのだ」

「だけど、どうやるんだ。城壁の外にでもおびき出すのか」

「あの大王が城壁の守備兵を動かすことは絶対にないだろう。だが戦争以外でも大王を殺す手段はある」

「暗殺か」


 エルマンがにやりと笑って頷いた。


「それしかないのだ」

「だけど、それは失敗すると確実に戦争になるし、ベルナークは攻め落とされるぜ。謀反を起こせるのがベルナークとオスマンしかないなら、向こうはその二つを潰しておきたいはずだ。攻めてくる口実を与えることになる」


 食事の席には、エルマンの妻と娘もいる。あとはエルマンの父と思われる戦闘力の高い爺さんだ。戦争になれば、この4人とて、ただでは済まないだろう。

 謀反を起こそうとしているエルマンの判断はかなり重いものだ。誰だって家族は失いたくない。しかし4人にはエルマンの判断に対して不満の素振りはない。


「理解が早くて助かる。しかし、なにもしなくとも、そのうち王家は兵を起こして攻めてくるだろう。現に、その兆候も表れ始めている。だからそうなる前に大王を暗殺しておきたいのだ。待っていれば、必ずやベルナークは王家に攻め落とされる。手伝ってはもらえないか。お主のようなものがいれば成功の目が見える」

「魔族がついてるんじゃ、暗殺だって難しいだろ。もっと足のつかない暗殺者はいないのか」

「そんな有象無象の暗殺者では無理だ。今まで何人が暗殺を企てて捕まったと思っている。一人や二人ではないのだ。その度に適当な君主が呼び出されて、関係もないのに家族を殺されておる。幸い、ベルトワールには力があるから、まだワシのところは殺されてないがな」


 聞くんじゃなかったなあという気持ちになる。

 さすがに放っておくには寝ざめの悪すぎる話である。

 しかし、その魔族の邪魔さえなければ、俺の能力は暗殺にうってつけだ。話の通りの奴なら、殺すのにためらうよう理由もない。


 そこまで考えて、結界や罠があるだろうし、そんな所に行って殺すのは俺でも不可能かと思い直す。

 強い妖魔を複数持っただけのエルマンでさえ、これほどまで強くなるのだ。どんな奴がカルステンの下についていても不思議はない。


 それに魔族は強靭な肉体を持ち、数百年も生きる種族だ。俺のようにオリジナルの魔法も持っているだろうし、それがどんな能力なのかわからないのだ。忍び込んだところで倒せる保証はない。

 確かに俺の能力は、強靭な肉体を持ち数百年も生きた魔族に匹敵するだろう。


 しかし問題なのは俺が命懸けで戦えばというところだ。しかも想像の範囲内では、戦えるかもしれないというレベルの話に、自分の命を懸けなければならなくなる。


「そいつを殺したとして、次に当主になる奴がまた狂ってたらどうなるんだ」

「王都ではカルステンじゃなければ犬でもいいと誰もが言います。次に誰が当主の座に就くとしても、それはためらう理由になりません。元々この話はお流れになっていたんです。どうしても暗殺できるような見込みがありませんでしたからね。暗殺者を送るにしても、失敗してベルトワール家の家名が出れば終わりです。我々は確実性のあるやり方以外とれないのです」

「ワシとお主がいれば可能性の目が見える。もし、お主が魔族を相手してくれると言うのならば、ワシが力ずくでも大王を殺してみせる」

「俺が魔族を相手したって、他にもアンタくらいのがいくらもいるんじゃないのか」

「わっはっはっ。お主がいれば本当にできそうな気がしてくる。なあに、ワシなら騎士くらい何人来ても振り切れる。それに、忠誠を誓い貢物を持っていけば、いくら狂っていたって礼ぐらい言って来ようとするだろう。近くまで行けたら、そこを狙えばいい。その後は火でも放って逃げればいいのだ」


 エルマンは確かに豪胆を絵にかいたような図太い神経をしている。

 そのずさん過ぎる作戦には賛成できないが、このくらいの大胆さとツラの皮がなかったら、こんな大それたことは成功しないだろう。

 ヘンリエッタがエルマンに賭けてみようと思った理由もわかる。俺やヘンリエッタ一人では、ここまで大胆なことは思いついたとしてもやりきれない。

 やるぞやるぞと話しを進めてくれるリーダーは滅多なことで得られるものではないのだ。


「その魔族の能力について情報はないのか。魔族は固有の魔法を使うんだろ」

「まったく尻尾が掴めんのだ。なあ、エリオット」

「はい。一度だけ決闘の代理で戦ったことがあるそうですが、相手の頭を殴り潰したそうですよ。たぶん魔法は使っていないでしょう。力と素早さが高いという事しかわかっていません」


 ふざけている。

 いくら何でも、それしかわからない相手と戦って勝つ算段をつけるのは不可能だ。


「決行日はいつにする予定なんだ」

「春に国中の君主が集められることになっている。その時が最初で最後の機会だろう」

「思慮深いことだな。それまでに一体何人殺されるんだ」

「呼ばれてもいないのにワシが王都に行くことは出来ん。それにワシはベルトワール家のために戦うのだ。奴隷や王都の民が何人殺されようとかまわん。なんのために集められるのか知らんが、春の集会こそ我がベルトワール家にとって最大の試練になる。それを乗り越えるための暗殺だ」


 エルマンは周りの期待だなんだと言っているが、結局はベルトワール家のために動くのだ。確かに家族の命を懸けて行う作戦なのだから、それ以外の目的はないだろう。


「気休めになるかわかりませんが、今までの統計では冬の間だけはカルステン王も趣味の殺人が減ります。酷い喘息持ちだそうですから、冬に興奮すると命に関わるようです。完全にゼロというわけではありませんが、冬眠しているようなものですよ」


 春まで時間があるというのなら、認知加速のような能力を探してみようか。

 その魔族の動きが速いとして、それに対応する能力が必要になる可能性がある。

 どっちにしろ俺は力を持て余しているのだ。それを生かすためにも、そういった能力が欲しいところだ。


「よく俺がそんな話に乗ると思ったな」

「思いあがるんじゃないぞ。お主は確かに強いが、コネも権力もなくて安泰と言えるような世の中ではない。ベルトワールに恩を売っておいて損なことなどあるか」

「俺に喧嘩を売って、自慢の家を失いかけたばかりだってのに、ずいぶんと上からだな。あんたの作戦は損得勘定だけで参加できるようなもんじゃないだろ」

「ヘンリエッタが期待できる奴だと言ったからな。めったに言わないが、前に言ったときはエリオットを連れてきた。どちらにしろ、今のままではベルトワール家は遠からず滅ぶ。だからワシも自棄になっているのだろう」

「正直言って、そんな簡単に吹聴するような作戦には乗りたくないね」


 なにせ今日会ったばかりの俺に、作戦内容を詳しく話しているのだ。

 いくら何でも不用心すぎる。


「話を聞いた以上、今更抜けることは認められんぞ」

「天下の往来で話したとしても作戦の成否など変わらないでしょう。誰が密告しても家族ごと殺されるだけで、褒美などを貰えた話は聞いたことがありませんからね。なにせ邪悪なものを崇拝している狂人だという話です」

「王様が春に君主を集めるそうだけどさ。それは、いったい何のために集められるんだ」

「わかりません。各地をカルステンが直接統治するとのお触れを出すためかもしれませんし、集まったすべての君主を殺すつもりかもしれません。合理的な思考が期待できないため、何をするかわからないという見方しかできませんね」


「国が滅べば蛮族や魔族が押し寄せてくる。どちらにしろ、これは誰にとっても他人事ではない。速やかな排除が必要なのだ」

「そうなります。利害関係の一致という奴です」

「もちろん、成功の暁には礼をするぞ。東の方をくれてやってもいい。そこで君主を名乗れ」

「東の方は支配しきれてないって話だろ」

「そうだ。しかしエルフなんぞを好き好んで連れ歩いてるお主なら、案外あの偏屈どもをまとめられるかもしれん」

「大森林は豊かな土地ですから、まとめ上げればそれなりに税収も見込めます。それなりに豊かに暮らせるでしょう。エルフは戦いを好みませんから、対話の余地もあります。それにエルフ以外の獣人には戦えるほどの武装もありません。反乱も起こりにくく、悪くない話ですよ」


 大森林は中部の王都反対側まで伸びている、かなり広い土地だ。

 それにしてもエリオットはエルマンの言葉の足りないところを補うのがうまい。ほとんどコイツ一人に説得させられているようなものだ。


「俺が参加するには条件がある。まず、近くまで行けたら一斉に襲い掛かるなんて杜撰な作戦じゃなく、エリオットの考えた作戦を厳格に遂行すること。次に、これ以上作戦参加者を増やさないこと。最後に、無関係な人間を巻き込むような作戦じゃないことだ」

「ほう、エリオットと面識があったのか。まあ、よかろう。お主の意見を飲むぞ。エリオット、ワシの死に場所にふさわしい作戦を考えろ。作戦に参加する者の命はどう使ってもいい」

「なにも領主みずから死ぬことはないのはありませんか」


 それまで黙って話を聞いていたヘンリエッタが初めて口を開いた。


「馬鹿を言うな。ワシがベルトワール家のために死ねるとしたら、これが最後のチャンスになる。ぜひとも華々しく死んで名を残したいものだ。領地の一部をやるとは言ったが、ワシが死んでもベルトワールに槍を向けることは許さんぞ」

「こんな麦畑しかないような場所、別に欲しくもないよ」

「国土の中では最も豊かな土地のはずですけどね……」


 こんな家のために死ねたら本望だと思っているような奴と同じ作戦に参加するなんて、何ともおかしな話になってしまったものだ。

 しかし、作戦が失敗すれば家族も領民も失うのだろうから、そのくらいの覚悟がなかったら最初からやるべきではないのかもしれない。





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