第30話 エルマン




 砂埃が収まらないうちに目の前で何かが爆発するような気配があった。

 俺が距離を取ると、砂埃の中から長い昆虫の足のようなものが現れる。

 騎士たちは範囲攻撃に特化しているから、エルマンの近くに居れば魔法は来ないと踏んでいるが、距離を取り過ぎればいつ魔法が飛んできてもおかしくない。


 それでも距離を取ってしまうほどの威圧感を感じたのだ。

 砂埃が晴れると、巨大な蜘蛛に乗ったエルマンの姿が現れる。

 これだけの金と権力を持った奴なら、虎かドラゴンでも出てくるかと思ったが、大きなサイズになったら昆虫こそ最強の類ということなのだろうか。


 そしてエルマンの背中にも、昆虫を思わせるかぎ爪の付いた長いカブトムシの足のようなものがいくつも生えている。どちらも奈落と同じくらい希少な妖魔だろうと思われる。


「木登りに便利そうな妖魔だな」


 俺は軽口を叩いてみたが、エルマンは怒りの形相でそれに取り合うつもりが無いようだった。

 どでかい蜘蛛は、その巨体から想像も出来ないほど静かに俺の横を通り過ぎた。馬と違って移動の時に揺れないから、蜘蛛の上から放たれたかぎ爪は正確に俺の首筋を狙ってきた。

 かぎ爪の内側には刃が付いているらしく、俺のマントの端っこを切り裂いていった。


 マントの方は後で血界魔法を使って直そうと思いながら、俺は鞘から太刀を引き抜いた。

 エルマンの背中から生えているかぎ爪の付いた、手だか足だかわからないものは、節がいくつもあって鞭のように動くから軌道が読みづらい。

 次にエルマンは、蜘蛛ごと俺に向かって突進してきた。


 太刀を下に構えて蜘蛛を斬りあげる。

 でかい割りに軽いので、エルマンを乗せた蜘蛛は宙を舞った。

 実体を表す妖魔は切りつけたところで死んだりはしない。それでも実態を維持できなくなれば消えてなくなるので、これだけの妖魔をもう一度召喚することは不可能だろうと思われる。


 俺は宙に舞い上がったでかい蜘蛛を奈落を使って叩き落とした。そのまま落ちたところに奈落を鞭のように使い何度も叩き付ける。

 地面に生えた太い触手がべしべし叩く姿はどこか滑稽で、あまり見た目はよろしくない。

 エルマンは背中から生えた妖魔でそれを防いでいるが、ダメージはあまりなさそうだ。

 まあレベル1の奈落ではそんなものだろう。


 まったく育てていないから、今の攻撃には最初からそれほど期待していない。

 あまり長引くとエルマンの手下が入ってきそうなので、今度は俺から仕掛けるために動いた。

 俺は全力で、蜘蛛の足の下を駆け抜ける。

 エルマンを乗せた蜘蛛はとてつもないスピードで対応しようと動いたが、それでも後ろに回り込まれては対応しきれていない。


 俺の太刀が数本の足を斬り離しながら蜘蛛の胴体に潜り込んだ。

 太刀を引き抜くと同時に蜘蛛の足で蹴られるが、なんとか腕で受けて衝撃を殺しながら俺は宙を舞う。

 距離を取った形になったが、騎士共は動いていない。

 生命力が強いのか、まだ動きの鈍っていない蜘蛛がこちらに突っ込んでくる。


 蜘蛛に低い体勢を取らせ、蜘蛛の足とエルマンの背中に生えた妖魔による同時攻撃を狙っているようだった。

 しかし多動機会のある俺にそんな数の攻撃は通用しない。

 蜘蛛の足は胴体から斬り離し、その動きに割り込ませてかぎ爪の方は太刀の側面で受ける。そして、つばめ返しの能力も発動させた。

 蜘蛛が低い体勢を取っていたから、今度はしっかりと動体を狙って両断した。


 そこで蜘蛛とかぎ爪の方に気を取られていた俺は、エルマン自身に後ろから抱きつかれた。


「ジャクソン!! ワシごとやれぇえ!!」


 騎士の一人が、ひと抱えもあるような矢の束を宙に放ったのが見えた。

 レベルが高いだけあってエルマンの腕力は大したものだが、振り払えない程じゃない。しかし、振り払ったところで、この空に広がった矢の雨は避けられそうにない。

 奈落なら防御が間に合うかもしれないが、威厳を保つために戦っている以上、マキグソになるのは避けたい。


 矢が降り注ぐと、幸運なことに砂埃が巻き上がった。

 その砂埃の中ではかぎ爪に対処できないので、エルマンを背負い投げで遠くに放り投げる。

 二本ほど矢が体に刺さったが、素早く引き抜いて傷を治した。

 エルマンの部下が動いたのを感知したので、砂埃の中で魔眼を発動出せると、俺は氷精使役により氷の槍を作り出して撃ち出した。


 氷の槍は見事にすべて命中し、動いた騎士たちを氷の槍に繋げた地蜘蛛の糸を引っ張って観客席から下に引っ張り落とす。

 致命傷だけは外しているが、氷の槍に刺さって3メートルは落としたから治療しなければ命は保証できない。

 氷の槍を食らいながらも、兵士たちは俺に向かって魔法を放っていた。しかし氷と炎の魔法は俺に届く前に打ち消される。


 氷精と火精を使役する力は、他人の魔法についても作用する。ただ魔法による攻撃を撃ち出すだけの単純な能力ではない。

 砂埃が晴れると、俺は倒れているエルマンに歩み寄った。

 力を見せるだけのつもりが、このままいけば殺しかねないところまで来ている。これでエルマンが闘志を失わなければ、その時はやるしかないなと考え、肩に担いだ太刀のつかを握る手に力が入った。


 腹が決まらずに、おいおい本当にやるのかよと思いながらエルマンを見下ろすと、彼は疲労の見える顔で笑っていた。


「まいった。ワシの負けである!」


 何が面白いのか、いくつも矢が刺さったエルマンは地面に倒れながら笑い続けている。アダマンタイト製の鎧のおかげで、致命傷になりそうなところは矢が刺さっていない。


「ベルトワール家が明日も存続するのは、俺の慈悲のおかげだな」


 俺は心の中で胸をなでおろしながら、そんなことを言ってみた。

 こんな広いところで、この数の騎士を相手にするのは正直に言ってキツイ。いや、キツイなんてレベルではない。

 それでもアドレナリンが出ているのか、やる気ならやってやるぞという気持ちになっている。


 しかし、俺に向かってくる兵士などいなかった。

 ヘンリエッタとエリオットが氷の槍の刺さった兵士たちを治療し始めたので、ローレルたちにもそれを手伝わせた。

 エルマンも治療を受け始めて、人手が足りていないように思える。


 こんな魔素が薄いところでも藻草は魔力を集めてくれているので、既に余裕があるくらいには回復しているのだが、いざというときのために魔力を残しておきたいから、俺が治療を手伝うわけにはいかない。

 他の兵士たちは俺のことを見ようともしなかった。彼らの表情から読み取れるのは俺に対する恐怖だけである。


 俺よりも、このエルマンの方がよほど質の悪い人間であるというのに失礼な話だ。

 それで日陰を探して休んでいたら、治療に魔力を使い果たしたヘンリエッタがやってきて言った。


「さすがに無傷でエルマンを倒してしまうとは思わなかった。力試しだから崩壊の魔法は使わなかったようだが、あれを使われていたらハルトの能力がバレていたぞ。心配させないでくれ。こんなことをするつもりだったなら、前もって私に一言くらい言ってくれなくては困る。もう少し私を信頼して欲しい」

「威厳を見せろと言ったのはお前だぞ。俺はお前の言葉に従っただけだよ」


 へんな注文を付けて俺を追い込んだのはヘンリエッタである。

 詳しく話を聞くと、エルマンはイビルアイと同じような魔法が使えるとのことだった。

 目潰し程度のものらしいが、それを使われていたら俺の能力がバレてしまっていただろう。

 それに無傷でとヘンリエッタは言ったが、傷を治しただけで矢を二本も受けている。これも治りやすい傷で助かった。


「終わったのかい」


 のん気な声でそう言ったのは、今更になってやってきたナタリヤである。

 ナタリヤは周りを見渡して満足げに頷くと、俺を見て言った。


「さぞかし酷い恐怖を植え付けてやったみたいだね。そうすると思っていたよ。あいつらは思いあがっていたんだ。いい気味だよ」

「俺はお前が思ってるより善良な人間だ」

「もちろんわかってるさ。でも思いあがってる奴には、ハルトみたいな存在が一番の薬になるんだよ」


 それは実体験から来る教訓なのだろうか。

 そんなことを考えていたらエリオットも俺のところにやってきた。


「僕は今日までエルマンが人類最強なんだと思っていましたよ。いったい貴方は何者なんですか」

「寝言は寝てから言いな。ハルトは力を半分も出してないよ」


 俺よりもナタリヤの方がよっぽど自分を大きく見せるのがうまい。さっきまで寝ていたのがまるわかりの寝ぐせを風になびかせながら、戦いを見てもいないのに、よくそんなそれらしい言葉をペラペラと吐けるものだ。

 俺が疲れたなと思いながら闘技場の壁に寄りかかっていると、俺の周りから人が離れた。

 顔を上げると、エルマンが笑顔で俺の前に立っている。


「ワシは初めて全力で戦うことができたような気がする。感謝するぞ」

「俺は退屈であくびが出そうだったよ」

「信じられんな。世界はワシが思ってたより広いようだ。中枢の金は今持ってこさせる。もしよければ、今夜にも館に来てもらいたい。そしたら対等な客としてもてなそうではないか。話したことが山ほどある」

「どうかな。気が向いたら行くよ」


 威厳を保ったまま話をするというのは思った以上に難しい。安っぽいチンピラみたいな言葉しか出てこない。

 こいつの話を聞くのが最初からの目的だったので、会いに行くに決まっている。まるでツンデレになったような気分である。

 まだ傷が治りきっていないのか、エルマンはふらふらとして頼りない足取りで、誰にも肩を借りず自分の力だけで闘技場を立ち去った。


 強がっているところで悪いが、闘技場の外で膝をついたのが俺にはわかった。

 あいつも色々と大変そうである。

 俺が受け取った金貨の箱を大ヒキ蛙のなかに仕舞う頃になって、やっと周りから騎士たちがいなくなった。

 それで俺もやっと肩の力を抜いて大きなため息をついた。


「さあ、俺たちも帰ろうぜ」


 その言葉に四人が頷いた。

 ヘンリエッタは騎士たちと行かなくていいのだろうか。もうすっかり俺の家来のようになって、ついて周ってくるが、まだエルマンのところの筆頭騎士の肩書は生きているはずである。

 確かに家来にすると言ったような気がするが、まだ騎士でいてもらった方が都合が良い。

 俺はあまり考えずに四人を連れて家に帰って風呂に入り、昼間からだらだらと過ごした。


 日が沈むころになって、エリオットが俺の家までやってきた。


「エルマンの命によりお迎えに上がりました」


 恭しく礼をするエリオットを見て、俺は気分が悪くなってくる。


「どうしたのだ。なぜ嫌そうな顔をする」

「いや、罠が仕掛けられていたり、エルマンのところにいる騎士が全員で待ち伏せでもしてたらどうしようかと思ってさ」

「それはあり得ませんよ。何よりも僕がそんな話を聞いていません。それに、彼が僕を寄こしたのが何よりの証拠ですよ。僕なら相手の心証を悪くしませんからね。彼が僕に出迎えを命じるのは最上級の客人を迎える時だけです」

「こいつが嘘を言ってる可能性は?」


 こいつと言われてエリオットが顔をしかめた。僕があなたに嘘をつくわけないでしょうという抗議の顔だ。


「ないだろうな。もし罠だったら全員血祭りにあげればいいだけだろう」

「全員を血祭りにするのが難しそうだから悩んでいるんだよ」

「ボクもついていくから心配いらないよ」


 ナタリヤが付いてくると聞いて、俺は余計な心配事がまた一つ増えたような、なんとも釈然としない気持ちになった。

 だいたい昼間の演技だってかなり疲れたというのに、またあれをやるというのが嫌だ。そんな年中イキって生きていられるような性分ではない。

 さすがに奴隷を連れて行くのは、とヘンリエッタが言うので、二人には留守番をしてもらうことになった。


 エリオットが裏組織がどうとか言っていたので、使い魔を残しておくことは忘れずに家を出る。

 俺は家の前に停められたやたら豪勢な馬車に乗った。

 どうやら御者はエリオットがやるらしい。多才な奴である。

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