第29話 奈落
人魚の血を水龍の鱗に擦り込み続けること三時間余りで、やっと瓶に入っていた人魚の血が無くなった。
人魚の血は最も強力な魔道媒体である。そして、商人の言葉を信じるなら水龍の鱗は液体ならなんで吸い込み、その性質を変える材質である。
二つを合わせれば血界魔法で作用する鎧が出来上がるはずだ。
青色がさらに濃くなって、群青色に黒いもやがかかったような色になった。
魔力を流すと確かに血界魔法に反応して変形できる。ただし完全な流体にできるわけではなく、変形させるくらいがやっとだった。
そこからさらに俺の血液を染み込ませると、表面がささくれ立ってきて失敗かと思ったらなんとか安定する。やっと流体になる鎧が完成した。
ささくれだったゾウの皮膚のような表面に、所々赤い筋が走って光っている。マジかっこいいなという出来である。
表面のささくれだったところが脆そうで不安になるが、表面のゴツゴツした溶岩のような部分だけは変形させても残ってしまう。
多孔質なので衝撃の吸収率は良さそうだ。
俺は胴体だけを後ろまで覆えるプロテクターのような形に変形させた。流体化させるにはそれなりの魔力を要するが、形は好きなようにできるのでとりあえずのところはこれでいい。
足も太ももの太い血管だけは守れる程度に腰だれもつける。必要ならば戦うときに変形させて腕や足にも装甲を追加すればいい。
でき上りに満足して、俺は充実した一日を振り返った。
その後はローレルと一緒に風呂に入る。
風呂に入っているとヘンリエッタが入って来てお湯を浴び始めた。一体どんな神経をしていたらそんなことができるのだろうと感心していたら、城の方での仕掛けは上出来だと笑った。
敬語はやめてくれと言ってあるので、ヘンリエッタの話し方は前のように戻っている。
「ハルトはいい女を見つけたな」
「まあな。お前もいい体してるじゃないか」
「変なこと言わないでくれ。私はアリシアを一晩貸して欲しいくらいだよ」
「銀貨一枚でいいぜ」
「本当か!?」
「そんニャことしたら、アイツもの凄く怒ると思いますよ」
「いや、冗談だよ」
「なんだ、ぬか喜びさせないでくれ……」
「考えればわかるだろ。金で貸したら売春と変わらないぜ」
「確かにな」
こいつも根っからだから、俺のことなど異性でも何でもないのだろう。
行水程度に体を流すと、あの新しい鎧は魔族を思わせるからあまり良くないと評して風呂場から出て行った。
ナタリヤもヘンリエッタも、俺の神経が細すぎるのかと不安になってくるほど太い神経をしている。
エリオットに会ったことを言い忘れたなと思いながらローレルの体を手を這わせる。
そういえばあいつらはこの家に住む気なのだろうか。ヘンリエッタは自分の家を持っているはずであるのに、何故か今日も泊っていくようだ。
宗主を倒してから三日ほどが過ぎた。
俺は準備に忙しいので、放っておいてもろくなことがないナタリヤにローレルたちのレベル上げを頼んでダンジョンに行かせている。
明日にはエルマンに会うことになっているので、今日は朝からマリーの店に向かう。
マリーの店に行くと、ローズマリーが店番をしていた。
そのローズマリーにマリーを起こしてもらう。
「いい妖魔は見つかったか」
「うむ、飛び切りのがあったわ。奈落という妖魔ぞ」
俺はとりあえずその奈落という奴と契約させてもらった。さっそく呼び出してみようと、まだ外に人通りがないのを確認して試したら、どでかいミミズの頭みたいなのが出てきた。
なんとなくこれで終わりではないだろうと、もう少し出そうとしたらそびえたつ様な太い触手が目の前に伸び上がる。
優に30Mくらいはありそうな紫色をした触手である。実態ではないようで少しぼんやりしているが触ってみると確かにそこにあるような感触がする。
魔力が200も減っているので、ただ事ではない消費量である。
「これはなんだよ」
「奈落ぞな。こやつは持ち主と意識でつながっとるから、思うように動かすことが出来るぞえ。凄い力で、こやつに絡め取られると、まるで地獄の底で釜にでも茹でられてるように見えるゆえに、その名前が付いたという。初めて見るが大したものよな」
「これで相手を捕まえるのか。魔力を使いすぎて気軽には呼び出せないぞ」
「そこいらの魔物なら握り潰せるだろうのう。攻撃にも守りにも使える最終兵器ぞ」
俺はその様を想像してみる。
「こんなもので身を守ったら、マキグソ太郎と呼ばれることになるな……」
これが勝手に動き出したら邪魔でしかないが、意識が繋がっていて好きに動かせるというなら凄い妖魔だろう。
確かに動きを思い浮かべるっだけで、その通りに動いてくれる。
あんまり練習していて、人に見られても厄介だったので消した。
それにしても触手である。もう少し細ければ違った使い方が瞬時に浮かぶが、直径一メートルはあるようなどでかい触手である。多少は細くもなるが、それでも半分くらいが限度だ。
「ここまで大きいものは召魔とも呼ぶが、妖魔の一種ぞ。どうだえ、気に入ったか」
「そうだな。まあ、いいんじゃないか」
「感動のない小僧よ。まあ、お主の力は完成しておるからの。不死の体に、奪う力ときておる。そうなると役に立ちそうなものと言われても、こんなものしかおらんじゃろ」
「魔力を使いすぎると、その力が無くなるって話なんだけどな」
「贅沢を言うでない。このクラスの妖魔は選べるものでもないし、契約できただけでも幸運と言ってよいものじゃ」
「それで代金はどうする」
「お主が探してきた妖魔だけで賄えるじゃろ」
「そりゃよかった」
「あの数を売るのは難儀したぞい。それにしても王都はよいな。なんといってもきらびやかよ」
この街だってかなり大きいというのに、それ以上となると想像もつかない。
この街は北の鉱山で取れる鉱石が豊富で、武器の一大産地である。
この大陸は北と南を蛮族に支配されていて、北は鉱石をめぐっての争いが絶えない。鉱石が取れる山岳地帯は天然の要塞となっていて、踏み込めば死ぬと言われている危険地帯である。
どんなに攻めても攻略できない土地だそうだ。
歩けるような場所は谷になっていて、そこを歩けば待ち伏せをされて、投石と弓矢と投げ斧で壊滅させられるとヘンリエッタが言っていた。こちらからの攻撃は妖魔どころか弓矢すら届かず、一方的に攻撃を受ける。
馬車を通せるような所もなく、荷物を運ぶだけでもすごい数の馬やロバが必要になるそうだ。
蛮族側が有利な土地を支配しているだけあって、向こうから攻めてくることは滅多にない。
逆に南は土地が広すぎて、支配を広げるには労力に見合わないとして捨てられているようなものだそうである。
南は砂漠が広がっているから水も食料も少なすぎて、大部隊を長期間連れての行軍はできないという理由もある。
つまり東は大森林、北は山岳部族、南は遊牧民によって囲まれているのだ。
東の大森林だけはかろうじて交流があるが、エルフ族の機嫌次第である。
俺はマリーに別れを告げて、服屋に向かった。
店主が出してきた服は軽くフィッティングしただけで、ぴったりと体に合う出来のいいものだった。今度のは着心地も悪くない。
黒装束風のものと厚手のローブ風のものの二つを受け取った。
同時に靴も受け取る。底には何重にも重ねた革の縫い付けられたものである。
余った布でマントとベルトも作ってくれていたのでそれも受け取った。ベルトには小さな鞄もついている。
特注だったので、金貨42の値段だった。
これでヘンリエッタに頼まれていたものは揃った。
雑魚を倒すのにしか使っていない太刀が、俺の持っている装備の中で一番高額というのが悲しいところだ。
エルマンに呼び出されたのは、街の外れにある闘技場だった。
中枢も買い取るから持ってこいと言われて、俺はそれを布でくるんで肩に担いでいる。
「なるべく大物に見せて欲しい。相手に飲まれず、実力を示してほしいのだ。会ってみて欲しいと言ってあるが、あの人は何もせずに相手の力を認めるような人じゃないから、何かしら仕掛けてくるのは間違いない」
「大物に見せろってのは難しい注文だな。ふんぞり返りながら会えばいいのか」
「そうではなく、相手の要求に飲まれないで欲しいのだ」
闘技場に着くと、既に騎士たちが15人ばかり集まっている。
戦闘力はどいつも400前後といったところで、若干高めだから護衛のための精鋭なのだろう。騎士に混じって使用人たちが主催者席の周りで準備に忙しく歩き回っている。
なにをやらせるつもりなのか知らないが、それを上から眺めるつもりでいるようだ。
闘技場に入ったところでエリオットが声をかけてきた。
「どうも」
「よう、弟の具合は良くなったのか」
「ええ、とても。ですがその話はここではやめておいた方がいいでしょう」
「そうだな」
こそこそ話していたらヘンリエッタが怒ったような声を発する。
「知り合いだったのか」
「いやあ、ちょっと前に偶然街で会ったんですよ」
「なんで怒っているんだ」
「調査対象に接触するのはご法度のはずだぞ」
確かにそれはそうだ。
騎士たちの前であるし、ここはエリオットを庇っておいた方がいいだろう。
「いや、俺をつけてたから捕まえて話を聞いただけだよ」
「そうか。ならいいんだがな。エリオットの尾行に気付くとはさすがだな」
「あ、ああ」
「今日の面会は十分に気をつけてくださいね。気持ちで負けないことが重要ですよ」
エリオットから訳のわからないアドバイスを受けつつ、俺は騎士の一人に担いできた中枢を渡した。
代金は帰る時に渡しますと言われ、そのまま持っていかれてしまった。
その様子を見ていたヘンリエッタとエリオットが不審がるような顔をしたのだが、俺はおかしいなとも思わなかった。
しばらくして面会が始まった。
闘技場の観客席に作られた天蓋付きの特別席にエルマンが座り、俺は下から見上げるような形になっている。
エルマンは白髪を風になびかせた威圧感を感じるほどの大男だった。厚そうな鎧で身を固め、手には戦斧を持ち、戦闘力は1320と驚くほど高い。
そこに汚い装備を身につけた一人の兵士が連れてこられた。見た目からして、この闘技場で戦わされている奴隷のように見える。
なにが始まるのかわからず、不安が募ってしょうがない。
エリオットは気持ちで負けるなと言っていたし、ヘンリエッタは大物であることをアピールしろと言っていたから、不安を顔に出すこともできない。
まだかなと思っていたら、やっとエルマンが口を開いた。
「お前がハルトか。今日はワシに力を見せてもらおう」
「俺はあんたの家来に志願したわけじゃないぜ」
「力も示さずにワシと口を聞こうなどとは思わぬことだ。貴様はヘンリエッタと組んで宗主を倒したそうだな。お前に力があれば宗主討伐を助けたことに礼を出そう。しかし、もし力を示せなければ、ワシの私兵を勝手に使った不届き者だという事になる。もしそうならば、それ相応の対価を払ってもらうことになる。お前の命でな」
「つまり、そこにいる奴に勝てなきゃ中枢の代金も払わないし、死んでもらうってことか」
「なかなか頭の回る奴だ。そういうことになる」
そういや、この世界には統一された法律もないんだっけかと考える。昔のカーリヤ家が発令したお触れ程度のものはあるが、王都ハルアデス以外では形骸化していると聞いている。
そういう世界で権力を持った奴ほど質の悪いものはない。ブノワもそうだったが、やりたい放題だ。
連れてこられた奴隷は、戦闘力300強。普通ならかなり強い相手という事になるだろう。
騎士になって10年は迷宮に入らなければ得られないほどの力だ。
「礼儀を知らない爺さんだ」
「馬鹿めが。ワシにそんな口を聞いたらただでは帰さんぞ。中枢の代金をいらんというなら帰してやるつもりだったが、そんな気も失せた」
「まあいい。力を見せてやればいいんだろ。見せてやるさ」
「そうだ。まずはそこにいる奴隷を殺してみせろ」
やはりそう来たか。面倒なことを言いだすものだ。
もと傭兵で敵側についた奴だろうからエルマンは恨みを持っているだろうが、その恨みは俺と関係ない。殺すのは可能だが、心理的には全くやる気にならない。
嫌だと言えば俺の言葉に取り合いもしなくなるだろう。だからと言って、気の毒な奴隷を殺すのは嫌だ。
真の大物ならどういう行動をするだろうかと考えて、俺のやるべきことは決まった。
「恨みもない奴を殺すような趣味はない」
そう言って、俺は奈落を呼び出すと、ふんぞり返っているエルマンを掴ませ、俺の前の地面に叩きつけた。
砂ぼこりが舞って、地響きのような音がする。
たぶん間違ったことをやっているし、失敗の可能性も高いが、威厳を失わずにこの場を乗り切るにはこれしかないと考えた。
「俺の力が見たいんだろ。だったら、もっと近くで見せてやるよ」
まだ生きているかもわからないエルマンに向かって俺はそう宣言した。
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