第10話 アリシア




 本日はローレルの慣らしとレベル上げを目的に、初心者向けダンジョンに来ている。

 だからモンスターは全てローレルに倒させることにした。

 いくら妖魔と言えど、藻草のレベルが1ではそれほど回数は使えないだろう。だから魔力が終わったら切りあげればいい。


「魔法ってのは本があれば覚えられるもんなのかな」

「はい、簡単に覚えられます。魔力を通せば本に刻まれた魔法の回路が体の中に取り込まれるそうです。そうすれば、その回路に魔力を通すだけで使えるようにニャると聞きました。この妖魔、とても強いですニャ」


 そうだろう。マリーが選んだものには間違いがないはずだ。

 弦角は弓というよりも鉄砲に近いものだった。弦のない紫の光で出来た半球が手の甲に現れ光の刃を飛ばす。

 弦を引くこともなく、多少のチャージタイムはあるが光の刃の速度は速い。


「サラシは必要ニャかったですね」

「そうだな」


 スライムも蜘蛛も一撃のもとに倒している。

 岩の亀だけは俺が倒した。

 やはり俺の魔法の使い方は特殊らしく、いきなり魔法が飛び出すことに驚いていた。


「ご主人様って見かけによらずお強いのですね」

「見かけ通りだろ。それで、まだ魔力は残っているのか」

「まだ半分以上はあります」


 さすがにレベルだけは俺と変わらないから使える回数も多い。弓は使えるのに狩りはしたことがないというから、どこで上がったのかわからないが、ローレルはレベル18である。

 状態で確認してみると魔力は127/261と表示された。俺よりも多い。

 しばらくしたら行き止まりに当たったので朝食にすることにした。

 そこで俺に起きたあらましを適当に説明する。もちろん誰にも話さないように釘をさしておくことも忘れない。


「つまり、ここではニャい世界で死んだら、この世界の洞窟にいたという事ですか。それは、きっと魂が若かったからニャんですよ。そういう言い伝えを聞いたことがあります」

「それで魔法の使い方が特殊になるから、奴隷を買うことにしたんだ」

「そうニャんですか。奴隷はご主人様と一蓮托生ですから秘密はばらしませんもんね」


 ローレルはばらす気なんかなくても誘導尋問に掛けられただけでペラペラ喋りそうだが、話しておかなければ面倒が増える。

 それでも頭に浮かんだことをそのまま話し始める癖だけはやめさせたいところだ。


「ニャんでご主人様は私のことを好きにニャってくれないんですかねえ」


 はっきり言って、めっちゃくちゃの美少女である。そりゃもう、ぐらぐらと来ているが、ローレルに流されて生きるのはまずい気がするのだ。

 そんな少女がパンを食べながらこんなことを呟いている。


「私だけ好きニャんて不公平じゃニャいかなあ……」


 もう押し倒してしまいたいが、歯をくいしばって耐えた。

 午前中で魔力が尽きたそうなので、そこで切りあげることにした。

 俺はすでに、ギルドにあるような転移門では敵のレベルに満足できなくなっている。高レベル用の階層にも頼めば繋いでくれるが高すぎるので、そんなものを頼むより転移門の魔法を覚えてしまおうと思っている。


 しかし俺はレベルに関係なく強い敵も倒せるが、ローレルはそういうわけにいかない。

 いくら強い妖魔があっても、レベルにそぐわないものではガス欠になるのも早い。

 それに敵の動きについていくのも、攻撃を受けた時の安全を考えても、レベルによる依存度は大きいのだ。


 俺たちは魔法書を売っている本屋で、灯火の魔法書三冊と、妖魔や魔法について書かれた本を買って帰った。

 今日の魔結晶は風呂を沸かすためと、家にあるランタンを灯すために使う予定なのでギルドには売らずにおいてある。

 そしてローレルが料理をしてくれるというので食料の買い出しに向かった。


 俺もそろそろ地球での知識を生かしたいと考えていたので、茹でても甘くならないという豆と羽麦と塩を買ってみた。これで味噌のようなものを作る予定である。

 地球でもハムやベーコンとチーズくらいしかなかった地域は多かった。それが今では世界中の食卓に醤油が置かれているのだ。

 そして中華料理だってどこでも人気だ。絶対に需要はある。


 大豆を発酵させて醤油を作るのは複雑すぎて俺には無理だろう。けれど牡蠣を発酵させればオイスターソースになるし、魚を発酵させれば魚醤になる。

 要はたんぱく質を酵母によって分解すればうまみ成分になるわけだ。

 それが出来れば、この世界の人も美味しいものが食べられるようになるはずである。

 だから最初は無難な豆から味噌を作るのを試そうと思った。


「お豆が好きニャんですか」

「いや、嫌いだよ」


 ローレルははてなという顔をしている。

 それにしても酵母なんてどうやって作ればいいのだろうか。糖分を発酵させればいいわけだから羽麦を放っておくだけでもいいはずだ。

 小さい壺もいくつか買った。

 家には、家具と一緒に新品の調理器具もついているそうだから、それらを買う必要はない。


 さて、次はいったい何を目標にすべきだろうか。ダンジョンを探索するなら奴隷の数が足りていない。せめて後二人くらいは必要である。クリントにでも相談してみよう。


「なんで泣いてるんだ」

「あう、だ、だって嫌いだなんて言うから……」

「豆が嫌いなんだよ」

「はい、それはわかってます……」


 俺は不動産屋に行って、昨日目をつけた家を借りると申し出た。

 鍵を貰って契約は終了である。

 そしてクリントのところに行くと、すっかり商売人らしくなって、おすすめの奴隷を目の前に並べられた。


「力を重視するなら鬼人族、魔力を重視するなら森の民がおすすめよ。賢さなら人間族にかなうものはないけど、妊娠してしまうからおすすめはできないわね」

「森の民から、クリントのおすすめを見せてくれないか」

「私も森の民ですニャ。ご主人様」

「お金を掛けられるなら、剣で戦う者は必要ないでしょうね。森の民を選ぶのは、その点では間違っていないと思うわよ。だけど魔法ばかりでは持続力が問題よ」

「それも大丈夫だ」

「なるほど、考えているのね。聡明ですこと。それならばアタシのアドバイスは必要ないわね」


 クリントはお喋りがしたくてしょうがないような感じである。

 しかし、俺の要望通り森の民だけを残して、あとの奴隷は下がらせてくれた。

 魔力に関しては藻草を育てればいいだけだけだから気にする必要はない。


「魔力の素質が一番高いのは、エルフね。値段も金貨200枚」


 エルフというだけあって、見た目はまるで妖精のようだ。どちらも美人だが、ちゃんと見分けがつくくらいには特徴がある。

 その中でも天使に近い雰囲気の子の前で目が止まった。


「気に入った子がいたかしら。エルフはとても貴重なのよ。彼女なら、あの子が手放そうとしない剣も一緒につけるわ。値段も180にまけましょう」


 見た目が好み過ぎて、その子しか目に入らない。


「その子で頼む」

「あらま、高い買い物なのに本当にいいの? 決断力があるのね。それでは支度をしてくるわ」


 クリントが奴隷を連れていなくなるとローレルが口を開いた。


「魔法なら私が得意ですよ」

「お前も森に住んでいたんだろ。エルフについて知ってることはないか」

「はい、とても魔法の力に長けた種族です。でも、それは何百年も生きたエルフがそうであって、あんニャ生まれたてのひよっこは、森だと非力なだけの羽虫と呼ばれていました。そもそも立派なエルフは奴隷に落ちたりしません」


 それは嬉しくない情報である。

 軽々しく決めすぎてしまったかだろうか。

 しかし、レベルを上げさせて魔法を覚えさせてやれば同じことだろう。

 素質が高いことに間違いはないはずだ。


「準備が出来たわ」


 クリントがやって来て、俺はあらかじめ鞄に入れておいた金貨の袋から20枚抜いて渡した。


「さあ、アリシア、ご挨拶を」

「よろしくお願いします、ご主人様」

「ああ、よろしく」


 俺はその見た目に少し気圧されながら言った。

 本当に妖精みたいでローレルとは違った輝きがある。




「ご主人様はちょっと女好きすぎる気がしますニャ」

「英雄は色を好むと言いますから、ご主人様にふさわしい生き方ですわ」

「ニャんで、そんなにご主人様にくっついているのかニャ」

「それはもちろんご主人様を愛していますから」


 そう言ったアリシアの顔には人間を下に見ているような、長寿であるエルフ独特の傲慢さが隠れているような気がしてならない。

 愛していると軽々しく口にしているが、そんな気は微塵もないだろう。

 俺に気に入られようとしているのが、ありありとわかる。


「そうニャの」

「いま、私の胸を見て安心したような顔をしたわね」

「してニャい、してニャい! してニャいです! 言いがかりはやめてください」

「さて、家に着いたぞ」

「素敵なお屋敷です、ご主人様」


 たしかに素晴らしい豪邸だった。図面だけではわからなかったが、7部屋というのがこれほどのものだとは思わなかった。

 井戸もついているし、大きな庭もある。

 そして家を取り囲むような塀もめぐらされていた。


 まるで小さな城のようである。

 ローレルなどは、あまりの立派さに声もない様子だった。


「家具も内装もまるで新品のように手入れが行き届いていますね」


 手入れが行き届いてるわけじゃなく、本当に新品なのだ。


「そんなものを褒めても、俺の心証は良くならないぞ。とりあえず部屋割りを決めようか」

「二階に住んでみたいですニャ!」

「あなた、ご主人様に向かって自分の要望を口にするなんてもってのほかよ」

「いや、いいよ。アリシアも希望があったら言ってくれ」

「そ、そうなのですか」


 アリシアの表情が輝いた。それは好きな部屋に住めるからではないだろう。


「今、くみしやすいご主人様だとあニャどりました」

「ああ、たしかにそんな顔をしていたな」

「そ、そんなことありませんわ!」


 まあいいかと部屋を物色して、二階の一番大きな部屋を俺の部屋にすることにした。

 大きなベッドが置かれ、クローゼットが一つあるきりの殺風景な部屋だった。

 ローレルは俺の向かいの部屋で、アリシアは一階のダイニング前にある部屋を選んだようだった。

 そして、俺は概要の書かれた羊皮紙を見ながら、所定の場所に魔結晶を放り込んだ。


 これで屋敷内の灯火の類には全て魔力が供給されたことになるらしい。

 二人が台所でわいわいやり始めたので、俺は屋敷内をすべて見て回った。7部屋と書かれていたが、玄関ホールが大きく、それが屋敷の大きさの原因だった。調理場、ダイニング、風呂なども一部屋に含んでいるから使える部屋数は多くない。


 まともに使える部屋は、一階に二部屋、二階に三部屋である。あとは使用人の部屋だか物置だかわからないような小部屋と、階段の上にある談話スペースくらいだ。

 暖炉は一階に大きなのがある以外は、俺の部屋に小さなものが一つあるだけだった。

 そんなことを確認しているうちに晩御飯が出来たというのでダイニングに向かった。


 出てきたのはパンとスープと鶏肉を焼いたものだ。

 しかし鶏肉を焼いたものは中央に一つしかない。


「丸焼きは豪勢でいいけど一つしかないじゃないか。三人分作るように言った気がするけど」

「ほ、本当にご主人様と同じものを食べさせていただけるのでしょうか」

「もちろんだ。だけど肉が一人分しかないぞ」

「私の村では一つの鶏肉を家族みんニャで食べていました」

「なるほどね」


 こんな時代ならそれもそうかと考えて、別に俺は未来から来たわけではないなと思い直した。

 俺が席に着くと、アリシアが俺の分の鶏肉を取り分けてくれた。

 やはり塩味しかついていない。

 それでも鶏肉は他の肉より臭みがなくて美味しい。


 晩御飯が終わると、アリシアとローレルはどこかに行ってしまったので、俺は酵母作りに取り掛かった。

 ゆでた小麦をいくつかに分けておいておけば、一つくらいは成功するはずだと踏んでいる。

 まずは瓶を沸騰したお湯で消毒し、そこに茹でた羽麦を入れる。

 そしたらアリシアが顔を出して言った。


「なにをなさっているのでしょう」

「発行した食品を作りたいんだ。酒とかを造る菌に心当たりはないか」

「それならば正観樹の葉を入れて作ります」

「それは、すぐに見つけられるものなのか」

「このあたりの森にはありません。あっ、これがそうです」


 アリシアは髪飾りにしていた木の小枝を俺に差し出した。


「これは大切なものだったりするのかな」

「いいえ、ただの小枝です。まだ奴隷になる前に、エルフの森で採ったものです」

「貰っていいか」

「ええ、どうぞ」


 見たところ干からびてはいないし、菌が生きているかもしれない。

 俺は軽く水で洗ってから、瓶の一つに入れた。それらを封はせずに棚の中に入れておく。

 それですることが無くなった俺は、魔法書をいじったりして過ごした。

 神代級の回復魔法と転移門の他に、透過付与、斬魔刀、死霊創造、結界の魔法書がある。


 結界は扉のようなものを開かないようにするだけのものである。

 結界や死霊創造などは使い道があると思えない。

 過去にはそれほどの値段んでもなく売られていたこともあったそうだが、現在ではどれも作れる人が存在していないため、国宝級の魔法書だそうだ。


 他国にでも行って、そこで売ることも考えられるが、自分で使いたいとも思える。しかし自分で覚える場合にはレベルが低いことで使えるようになるまで時間がかかる可能性や、使えたとしても複数回使えるような魔法ではないことが問題だ。

 しかも使っているところを見られるわけにもいかない。


 しばらくしたら風呂が沸いたと言われて風呂場に向かった。俺なんて風呂のことなどすっかり忘れていたのに大したものだ。

 湯船につかっていると手で体を隠しただけのアリシアが風呂場に入ってくる。


「おっ、お背中をお流ししましょうか」

「い、いや、いいって、ゆっくり浸かるからいいよ」


 恥ずかしさからそういうと、同じように恥ずかしそうにしていたアリシアは飛び出すようにして出ていった。

 それで風呂から上がると、脱衣所で待っていたアリシアがタオルをかけてくれる。

 どうやって温めていたのか知らないが、タオルはほんのりと温かかった。

 点数稼ぎに余念がないアリシアを見ていると、そこはかとない不安が押し寄せてくるのはなんでだろうか。


 クリントの言う教育というのは、本当にろくでもないものなんだなと確信を強めた。


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