第8話 裏稼業




 まっすぐこちらに歩いてきたメイドは、俺のいる暖炉の前で立ち止まった。

 心臓がうるさくて息が止まりそうなほどビビる俺の前で、メイドは床に落ちた水滴をかがみこんで拭き取った。

 それきり何の未練もないような態度で自分の部屋に戻り、その扉を閉めた。

 光沢のある床の汚れは、廊下の端からでも目立ったのだろう。


 俺はあせって魔力を使いすぎてしまっていたことに気付く。こんなに流体化させていたら、逃げるための魔力が無くなってしまう。

 二階にいた護衛が動き始め、いつ玄関の汚れに気が付くかわからない。

 雨が降っているのだから濡れていても気が付かないかもしれないし、気が付くかもしれない。

 そんな恐怖に駆り立てられるようにして、俺はブノワの部屋の前に戻ってくる。


 そして振動波感知を使い、ブノワの部屋の中の様子を探った。

 俺が借りている宿の一室よりも大きな天蓋付きのベッドが一つ。

 そして小部屋に通じるドアが一つ。

 後は衣装ダンスと、二対のソファー、それとテーブルにカップボードがあるだけだ。


 隣の小部屋に続く扉はやけにぶ厚い。そして隙間もほとんどないほど精巧に作られている。

 この扉が怪しいだろう。大事なものを仕舞っておくなら絶対に身近な場所を選ぶはずだ。

 幸いなことにベッドの天蓋からカーテンが降りているから、暗いところを這って進めば気付かれない。

 小部屋に通じる精巧な扉も隙間がまったくないって程じゃない。


 俺はドアの下の隙間から部屋の中の様子をうかがった。

 残念なことにベッドを覆う天蓋のカーテンはスケスケだ。おかげでブノワが幾人もの女と絡み合っているのがよく見えた。

 女たちは非常に積極的で、ブノワは自分から動こうともせずに、女たちを楽しませる気もないようだった。


 ずいぶんと職務に積極的な奴隷だと感心しかけたが、その表情を見ると必死さが伝わって来て、そんな簡単な話でないのがわかる。

 ブノワを早く果てさせようと必死なのだ。

 稀代のサディストと言われているくらいだから、情事が長引くと命の危険があるのだろう。女たちもそれをわかっているから、ここまで必死になるのだ。


 あれなら女たちが俺の動きに気が付くこともないだろう。その女たちに囲まれているブノワならなおさら気が付くまい。

 俺は体をドアの隙間に流れ込ませる。

 音もなく静かに、床に広がるように移動して、小部屋へと続くドアの隙間を目指す。

 直線距離にして5メートルもないのに、移動は一生続くかと思われるほど長く感じられた。


 体の一部がドアまでたどり着いて、その隙間の小ささに舌打ちしたくなる。

 ここから体を流し込むのは時間がかかりそうだ。

 俺はゆっくりと操作して、小さな隙間に体を押し込んだ。

 残っている魔力は100を切った。その焦りから、強引なほどのスピードで残りの体をひねり込む。


 中に入ってすぐ、俺はカーテンを外してドアの隙間を塞ぐように置いた。

 そしてカンテラを見つけて、そこに魔力を注ぎ込む。

 ダンジョンで周りが使うのを見て覚えた方法だが、正しく火がついてくれた。

 カンテラに灯った光が映し出したのは宝の山だった。


 俺はすぐに大ヒキ蛙の妖魔を呼び出して、強引にその口を開いた。小さいとは言っても、個人が集めたお宝くらいなら入るだろうとマリーが言っていた。

 まずは金貨の詰まった木箱が五箱ほどあったので、それを大ヒキ蛙の口にねじ込んだ。

 焦っていたから力が入ってしまい、ヒキ蛙が死にはしないかと気が気じゃなかった。


 そして座布団のようなものの上に鎮座する妖魔のタネを光に透かして確かめる。虎の足が生えた鷹のようなものが中で眠っていた。これが雷鳴鳥で間違いないだろう。

 それを手近にあった布でくるんでヒキ蛙の口の中に放り込む。

 すぐ金にするのは危ないが、もう少しもらって行こうかと欲が出て、中身も確かめずに宝石箱のようなものを手に取って、大ヒキ蛙の口に入れた。


 その次はポーション類が置かれていたので、価値あるものがあるかもしれないと、一つずつ丁寧にヒキ蛙の中に移していく。

 後は本棚に本が並んでいるが、本などいらないなと考えて次のお宝を物色する。

 しかし剣やナイフなどしか見つからない。マリーからヒキ蛙の中に尖ったものは絶対に入れるなと念押しされているので諦めるしかない。


 もう詰め込めそうなものはないかとあたりを見回して、本棚の本は魔法書ではないかということに気が付いた。

 しかし、それと同時に賊の侵入を知らせるであろう笛が鳴り響き、ブノワの怒鳴り声がぶ厚い扉を通して聞こえてきた。

 外で騒ぐような声が聞こえていたので、この部屋から漏れる光を外のやつに見られてしまったらしい。何故かそのことには全く頭が回らなかった。


 俺が魔法書を目にもとまらぬ速さで大ヒキ蛙の中に押し込んでいると、ガチャガチャと鍵穴にカギの差し込まれる音がした。

 俺は大ヒキ蛙を消すと、服を脱いで顔の周りにぐるぐる巻きにする。そして目だけを出して逃走の準備をした。

 チンコは丸出しだが、顔を見られるよりはいい。そして部屋に入ってきたもの凄い形相のブノワをカンテラで殴りつける。

 ふらふらしているブノワを力の限り押し飛ばした。


 殺到してくる護衛の足音に体がすくむ。

 大丈夫だ。まだ想定の範囲内の出来事である。

 ベッドの上の女どもを押しのけながら、枕元にあった窓に取り付く。

 いくら引っ張っても開かなくて、焦って周りを見渡すが、窓を破れそうなものはない。

 ドアの外には今にも扉を開けそうなほどの距離に足音が聞こえる。


 ブノワは床に倒れていて動かない。

 その時、ベッドの上で息がかかるほどの距離にいた女たちと目が合った。

 すると一人の女が何かを持ち上げるような仕草をしたような気がした。

 押すでも、横に引くでもなく、窓は上に引き上げる方式なのだ。それに気が付いた俺は素早く窓を引き上げて、その窓枠に足をかけた。


 それと同時に部屋の中に護衛たちがなだれ込んでくる音がした。俺はためらわずに三階建ての高さの窓から身を躍らせた。

 そして体を流体化させ、空気を取り込んで大きなしゃぼん玉のように膨れ上がる。

 瞬間的に強風を体全体に感じ、俺は空高くへと舞い上がった。


 帰るまでが遠足であるように、無事にアジトに逃げ込むまでが泥棒だ。

 後ろで俺を見失った護衛たちが上を見上げませんようにと祈った。この風の強さだから、万が一見つかっても追いかけられるとは思わない。

 それでもここで撒いてしまえるなら、それに勝る僥倖はない。


 そして俺は、気付かれることなく闇夜へと舞い上がることに成功した。

 しかし魔力のことに気が付いた俺は、ステータスを確認して驚いた。もう数秒しか流体化させられる時間は残っていない。

 魔力が切れた状態で地面にたたきつけられては終わりである。

 すぐに空気を抜いて地上を目指した。


 そして俺はどこだかもわからない街の片隅に着地した。すべてが完璧に上手く行ったことに気持ちがふわふわして、もう少しで痴漢に間違われるところだった。

 店に着くとマリーは外で俺の帰りを待っていた。

 俺が笑顔で親指を立てると、マリーも邪悪な笑みを俺に返してきた。

 すぐさま店の中へ入れられ、体の炭を洗い流される。そして預けていた装備品を返してもらった。

 俺が妖魔を取り出そうとするとマリーが見たこともないような真剣な表情をして言った。


「待ちな。妖魔はまだ出さなくていい。大ヒキ蛙もしばらくは出すんじゃないよ。それとしばらくはこの店の周りでも気を付けな。きっと妖魔を売っているこの店にも捜索はやってくる。泥棒が大ヒキ蛙か大蝦蟇を使ったのは明らかだからね。ほとぼりが冷めるまでは、これまでと同じ生活を繰り返すんだ。いいね」

「わかった。そっちもうまく誤魔化せよな」

「そんなこと、ワシには朝飯前さね。それにしてもよくやった。もうお行き」


 俺は追われるようにして宿に帰った。そして遅めの晩飯を食べて、井戸で体と服を丁寧に洗った。その後で、いつも通り弁当を二つ頼んでから眠りについた。

 盗ってきたものを確認したくてしょうがなかったが、外がにわかに騒がしくなってきて怖くなり何もせずに眠りについた。

 次の日はレベル上げだけに専念しようと、サソリとムカデを斬って過ごすことにした。


 衛兵が夜遅くまで嗅ぎまわったらしく、どこに行っても大きな盗みがあったという話題で持ちきりだった。

 話を聞いてみたが、誰も詳しいことは知らない様子である。

 俺は何気ない風を装って、いつも通り一人でムカデとサソリに剣を振り下ろしていた。

 サーベルを買ってから攻撃力も上がっているので、このくらいなら一発で斬り殺せる。扱いにも慣れてきて、肩に担ぎ上げたまま相手の隙を窺うような動きも覚えた。


 それにしても大ヒキ蛙の中身を確認したくてしょうがない。

 尖ったものは入れていないが、木箱の破片でも刺さってヒキ蛙が死んでやしないか心配である。

 手応えのない相手だから、戦いの最中にも雑念が湧いてきてしょうがない。

 それにクリントのところへ行くのはいつがいいのだろうか。ブノワには金が無くなったろうからローレルのことも諦めていそうなものである。


 マリーはしばらくと言ったが、具体的な日取りは決めていなかった。

 それとブノワに俺の目と股間を見られたことはどのくらい響いてくるだろうか。黒い瞳というのも少ない気がするし、影になっていて俺の目など見えなかったような気もする。

 その日はそのままおとなしく過ごして、一日を終えた。


 そして見つけた妖魔を換金するためにマリーの店に行く。

 このところ毎日通っていたのだから、今日になって急に行かないというのも不自然だ。

 マリーはいつもと変わらず、小さな体を丸めるようにして椅子に座っていた。


「鑑定を頼む」

「うむ、ゴミじゃろう。今日は三人も蛙に心当たりはないかと訪ねて来おった。明日まで待つがよろしい。今日はまだその辺で嗅ぎまわっておらぬとも限らぬ。しかし奴ら、全く手掛かりを掴めておらぬようだぞ。それも、今までおぬしが能力を隠してきたおかげぞな。ヒヒヒッ」


 よくそんな邪悪な笑い方ができるなと感心しながら、俺は小さく頷いて銀貨と銅貨を受け取った。そして何食わぬ顔で店を出る。

 店の周りに気配は感じられなかった。

 次の日もいつもと同じように過ごすが、泥棒の話は聞かなくなっていた。みんな次の話題である今年の羽麦の収穫高について話していた。

 羽麦というのは羽のように軽いパンが焼きあがるという麦の事である。


 もちろん軽い分柔らかく高級品だ。それが収穫の時期だけは安く出回るから、みんな取れ高を気にしているのである。

 俺はダンジョンに行って昨日と同じようにムカデとサソリを倒していた。

 気もそぞろという具合で狩りをしていたら、藻草のレベルが上がった。

 1上がっただけかと軽く考えていたら、いつもより明らかに魔力の回復具合が違う。


 それに戦闘力の数値が1639なんて数字になって、前よりも500くらい上がっている。

 たぶん魔力の回復が増えたことで、血界魔法の評価値が上がったのだろう。ずいぶん細かいところまで計算して出されている数値のようだ。

 たしかにこれだけ回復するならば、今までよりも幅広い使い方ができる。新しい使い道についても考えておいた方がいいだろう。


 回復を見るために氷の槍で敵を倒すが、一回の戦闘で一回使うぐらいなら魔力が減らないというぐらい回復していく。

 それにしても氷の槍も質量が足りないのか、硬い奴を相手にするには力不足を感じる。最初は凄い威力だと感じたが、あの時の俺はレベル1だったのだ。

 武器も手に入ったことだし、そろそろ新しい能力が欲しい。

 ローレルが手に入ったら、新しいダンジョンを開拓してみるのもいいだろう。


 それには転移門の魔法も欲しいし、パーティーもあと一人くらいはいた方が心強い。

 ローレルが手に入ったら……。そんなことを考えただけで下半身に血が集まるのを感じる。

 そうだ。俺は何も親切のためだけに彼女を助けるわけではない。もちろん手に入れたら、そういうこともしたいと思っている。

 それがもうすぐだと思うだけでいてもたってもいられなくなってきそうだ。


 そんなことを考えて悶々としながら一日を過ごした。

 そしてマリーのところに行こうとして、妖魔が出ていなかったことを思い出した。今日はとことんうわの空だったので、魔力感知を使った記憶すらない。

 そんなことでは駄目だと思いながら、我慢できずに奴隷商館へと行ってみることにした。


 クリントならこの間の騒ぎについて何か情報を得ているかもしれない。

 昼間に訪れる奴隷商館は、ほとんど客がいなかった。それもそうだ。そう簡単に売り買いするようなものでもない。

 応接室に入るとクリントが飛び切りの笑顔で出迎えてくれた。


「なにか良いことでもあったのか」


 と冷静を装って聞いた。内心では心臓が張り裂けそうだ。


「例のクズが転落の渦中なのよ。大事なお宝を盗まれちゃって、てんてこ舞いよ。それでお金が無くなって、今日はほとんどの奴隷を売り払いに来たの。思い切り買い叩いてあげちゃったわ」


 なかなか大したタマの男である。転落したとみるや強気に出るなんて、並のゲスでは出来ない事だ。


「それで盗んだ奴は見つかりそうなのか」

「まったく手掛かりがないそうね。影も形もなく窓から消えてしまったんですって。いい気味ねえ。人間、悪いことは出来ないものよ」


 完璧である。もはやこれで奴隷商館の中でブノワとすれ違うようなへまでもやらかさない限り、見つかる可能性はない。黒い髪に黒い瞳なんてここじゃ珍しいからやばいかもなんて思ったが、何も見ていなかったらしい。

 たとえ見られていたとしても、証拠は出ないし、逃げ切る自信もある。


「それでローレルのことはどうするのよ。どこかの国に裕福な親でもいるんでしょ。泣きついたらいいじゃない。お金は出来たのかしら」


 どうやらクリントは、俺をどっかの貴族のお坊ちゃんだと思っていたようである。


「言っておくけど、アタシは血も涙もない商人なのよ。約束の期日を過ぎたら安くする話は無いわ。あと二週間は待ってもいいけど、先にお客が現れたらそっちに売るわよ」


 血も涙もない商人が聞いて呆れることを言う。

 どうやらローレルの身に心配がなくなったことも喜んでいるようである。


「金ならあるよ。これから用意してくる。いつなら都合がいいんだ」

「あら、やっぱりあの子が気に入ってたのね。そうじゃないかと思ったわ。貴方に頼んで正解だったわね。それなら何も、あいつだってあそこまで転落することもなかったのにねえ」


 もう人の不幸が楽しくて仕方ないクリントはそっちの話に夢中である。

 準備しておくから、夜になったらいつでも来いとクリントは言った。


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