第2話 日の光
たしかに血界魔法は使えるようになっていた。
使おうと思うだけで、どのように使えばいいのかまでわかる。しかし血液が暴走する病までは持たない俺にとって、この魔法を使うことは命を削るようなものだった。
自分の体を流体化させたり傷を治したりすることは魔力を使うだけでもできるが、血液を飛ばすと、失った分の血液を結界魔法によって補うために大量の魔力が必要になる。
操作した血液の力こそ強いものの、血液を補うために魔力が20も減っていた。
魔力は怪我を治すために必要なものだから、おいそれと使うわけにもいかない。これでは血液を操作して戦うなど、命を危険にさらすだけだ。
体を液化させることで暗がりでは姿を隠すこともできるだろう。だが、それだって今のところは数十秒が限界である。
傷を治す魔法は勝手に発動するらしく、傷口も砕けた骨も失った血液も元通りになっていた。
吸血鬼といえばコウモリへの変身だろうと思って、流体化した体でコウモリを作ろうとしてみたが、魔法をイメージしただけで膨大な魔力を消費することがわかり無理だった。
同じく体を霧状にすることも、多すぎる魔力消費が必要なことから不可能である。
もしかしたらレベルが上がれば可能かもしれないが、数秒程度それが出来たところで無意味であることには変わりない。
ひとかたまりの血液に、単純な命令を一回だけ与えるくらいが限度のようである。
戦闘力の数値は血界魔法を得ただけで300以上も上がっている。
一通りの魔法を確認した俺は、さっきのミイラがいた部屋に戻って使えそうなものが残ってないか確認することにした。
日記を読んだことで、さっきのミイラに対する警戒心はすでにない。
がれきの中を確認するとミイラが身に着けていた特殊な繊維でできた服やマントと、そばにあった武器防具一式を見つけることができた。
暗くてよくはわからないが、どれもまだかろうじて使うことができるようだ。
がれきの中から服を引っ張り出すと、灰になったミイラが服の隙間から流れ落ちた。灰になるところはモンスターと変わらない。
これは呪いのせいなのか経年のせいなのか。
武具は革で出来た鎧とグローブ、ブーツ、それに一本の長剣である。
剣はかなり錆びついているが、まだしばらくは使えるだろう。細身でかなり使いやすそうだ。
服の方はたいそう高価なもので、着ていた本人が日記の中で何度も自慢するほどのものだった。しかし、鎧の方は革のジャケットに毛が生えた程度でしかない薄っぺらな革鎧である。腐ったりしていないのは、この部屋が奇跡的なほど保存に適した環境だったおかげだろう。
剣に鎧まで手に入れたことで、もうゴブリン程度なら恐れるような相手でもない気がした。
この服は魔法に強く、さらには血界魔法で自分の体のように液化させることができる。なにかの血液から作られた特殊な繊維が使われているそうだ。日記の中ではバトルローブと書かれていた、裂けたりしても血界魔法によって修復する事が可能であるらしい。
もとから着ていた服はここに置いていったほうがいいだろうか。
鎧程度なら流体化する邪魔にはならないが、布は流体化した体が染み込んで移動を阻害されてしまう。
新しい魔法を活用するなら、もとの服は手元にないほうがいい。
下着がないので少しスース―するし、惜しい気持ちもあるが、いざというときに流体になって逃げたり隠れたりできないと、この魔法を使える意味がない。
ローブの下に下着もつけられないのは心もとないが、慣れてしまえば気にならなくなるだろう。
剣はレイピアのような直刀で、重量があるわけでもなく、曲刀のような切れ味も期待できない。それでもナイフよりは安全に攻撃ができるだけマシと考えよう。
他にはめぼしいものもないので、書斎にあった革の肩掛け鞄だけ持っていくことにする。持ち上げると鞄の中に入っていたものは砂になって流れ出した。
上等な服、革の鎧、革のグローブ、革のブーツ、革の鞄、鉄製のナイフ、錆びた鉄製の剣、これが今の全財産となる。どれもボロボロで服とナイフ以外は長く使えそうにない。
剣は修理したくらいではどうにもならないだろう。打ち直さなければ折れてしまいそうなほど錆びが深くまで入っている。
レンガ造りの建物を調べると、厳重に板の打ち付けられた扉を発見する。たぶんこれが外へと続く扉に違いない。
蹴とばしてみると、スポンジ状に劣化した板が砕けて落ちてきた。
建物の劣化が進みすぎて、あまり強く揺らせば天井が崩れてくるかもしれない。
そのまま崩壊しそうな扉を慎重に押し開けると、日の光が目に入ってきた。
垂れ下がっている蔦を押し分けて外に出ると、ほんの数十メートル先に、犬をでかくしたようなモンスターが、振り返るように首を回して俺の事を睨んでいた。
その犬がクワッとこちらに口を開くと、槍状に尖った氷の塊がもの凄いスピードで飛んできて、俺の右腕を斬り飛ばしていった。
氷は後ろで建物の壁に当たり砕け散る。
特に魔法を使おうとは考えなかったが、40ほどの魔力と引き換えに俺の右腕はもとに戻っていた。服すらも自動で元通りになっていた。
魔力はレベルアップで最大値こそ増えているが、まだほとんど回復していない。もう一度同じ攻撃を食らえば傷を治すこともできなくなる。
いきなりボスでも現れたかと心の中で呪いの言葉を吐きながら、俺は腰に吊るっていた鞘から細身の頼りない剣を引き抜いた。
次の魔法攻撃が来たら避けようと身構えていると、犬はものすごいスピードでこちらに詰めてくる。
俺の放った突きが、飛び上がった敵の胸のあたりに突き刺さった。
犬の体重がかかり剣が折れそうになってしまったので反射的に手放すと、代わりに腰からナイフを引き抜いて身構えた。
魔法を使ってこないなら脅威となるのは牙だけである。なんとか首にでも取りつけば安全にナイフを刺せるかもしれない。
反転してこちらを向いた犬に、俺はさっき腕を切り飛ばされたときに流れ出た血をツララのようにして飛ばす。
魔法が刺さるとギャンッと鳴いて犬は横に転がった。その隙を逃さず、俺は首筋に飛びついてがむしゃらにナイフを突き立てまくった。
犬が灰になると俺は"氷精使役"の能力を得ていた。
灰の中に光る水晶のようなものを見つけたので、俺はそれを鞄の中に仕舞った。
さっきまではゴブリンしかいなかったのに、いきなり魔法を使ってくるモンスターが現れやがった。俺の方も魔法は覚えたが、魔力はもう空っぽだ。
ゲームのように倒せる範囲で敵が強くなるわけはないらしい。
準備を怠れば、それが死につながる。
見れば、足元にはゴブリンのものらしい足跡が無数にあった。
ゴブリンどもは、相手の力量を図ったり、有利不利を勘案したりする知能は持たない。
ただ理由もなく募らせた破壊衝動を、手に持ったおんぼろ武器に託して俺めがけ振り下ろしてくるのみだ。防御という頭もないからフェイントも効かないし、損得勘定もないから刺し違えるような勢いでくる。
だから見つけられしだい、一方的に殺し合いを押し付けられる以外のことは起こらない。早急に息の根を止めなければ、甚大な被害をこうむることになる。
そもそも殺し合いと言ったって、実質的に生きていると言えるのは俺の方だけである。相手は生物かどうかもわからない。不毛かつ理不尽極まりない状況である。
さてどうしたものかと途方に暮れてみるが、正解などわかるわけもなかった。
とりあえず、にここから離れるように歩いて、人がいそうなところを目指す。つまり道路のようなものに行き当ったら、それ伝いに街を目指すというのが、俺が考えた限りにおいて最良の策である。
そのための道すがら敵と遭遇するのは避けようがない。
鉄の匂いがするなと考えて、いくらか血を失っていたことを思い出した。
ここにいるモンスター共は血を流さない。だから、この臭いは俺から流れ出た血の匂いだ。地面にしみこんで不純物が混じってしまうと血界魔法は作用しないようだった。
脳内の表示には、体力84/84、魔力6/91、戦闘力329とある。レベルは8だ。
魔法はもう使えない。怪我を負っても回復すらしないだろう。
森の中では洞窟と違って身を隠しておいて襲い掛かるという方法も使えない。正確には、なけなしの魔力を使って、あと二秒ほど体を流体化し、影の中に潜むという事もできなくはないが、一回限りで使ってしまえばそれきりだ。
そんなことを考えていたら、さっそく二匹のゴブリンが連れだって襲いかかってきた。
俺は理不尽さに怒りを感じながらも、冷静にゴブリンの棍棒をナイフの方で受ける。剣で受ければ簡単にへし折られるだろう。
剣を突き刺すと同時に、横合いから来た二匹目の攻撃を肩に受ける。レベルが上がったせいか、最初ほどの衝撃はなかった。
引き抜いた剣をおもむろに回して二匹目も心臓を貫いた。最初のゴブリンが灰になると、また結晶のようなものが灰の中に残った。
ドロップアイテムであるらしいそれを鞄の中に入れて、俺はまたひたすら森の中を歩いた。
ゴブリンを20体も倒したころに剣が折れてしまった。折れた剣は腰の鞘に入れた。
ゴブリンを40体は倒したかというところで夜になった。
幾千という数のホタルが周りを飛びかいはじめた。ホタルの光のおかげで、かろうじて障害物を避けることができている。
幻想的な光景に、こんな世界も悪くないかもしれないとも思えたが、同時に無間地獄にでも落とされたのだろうかとも思えてくる。
すでにゴブリンたちは活動をやめて襲い掛かってくることもなくなった。
数歩あるくたびにねん挫しそうなくらい足元が悪い。
ぬかるんだ地面もブーツのおかげでなんとか転ばずに歩けている。しかし隙間が空いてるのか、当たり前みたいに水がしみ込んでくるので、靴の中はどろどろだ。
喉が渇いてヒリヒリするし、腹も減って力が出ない。
森の中に柔らかそうな地面を探して体を横たえてみたが、眠るには体が疲れすぎていた。
すでに体力は一桁だ。眠れないまでも体を休めようと目を瞑った。
それから何時間かは、のたうち回るように寝返りをうっていたのを覚えている。
いつの間にか眠ってしまったらしく、次に意識が戻ったのは空が白み始める頃だった。
体力と魔力の値は半分しか戻っていない。レベルは13まで上がっていた。
今日もまた、なにも考えられなくなるほど森の中を歩かされるのだろうか。
腹が減っているが、食べ物はどこにもない。
そんなことを考えていたら、昨日と同じ、犬だか狼だかわからないモンスターが目の前に現れた。倒しても灰になってしまって肉は得られないんだよな、なんてことが頭をよぎった。
もちろん肉が残ったところで食べる気にはなれない。火も入れずに食べたらウイルスやら寄生虫やら酷いことになるのは目に見えている。
現れた犬型の魔物は、昨日よりも簡単に倒すことができた。
最初の魔法攻撃はわかっていたので、避けられないことはなかった。その後で突っ込んでくる動きは遅く見えて、カウンター気味に突き出したナイフが見事に頭の真ん中をとらえて深々と突き刺さった。
犬が灰になったのを確認すると、もうちょっと切れ味が欲しいと思い、地面に落ちていた平べったい石ころで研げはしないかと試みながら歩いた。
日が高くなるころになって森の切れ目が見えてきた。襲ってきたゴブリンを突き殺して、灰の中をまさぐるのも適当に切りあげながら走り出す。
そこには明らかな車輪の跡とわかる轍が雑草の間に見えた。
ここがファンタジー世界で、この道を使うのが馬車であるなら轍は二本のはずなのに、何故か真ん中には両脇よりも太い地面の見える部分が伸びている。
これは何が通った後なのだろうかと考えて、そうか馬車を引いてる馬の歩くところかと思い至ったところで、ガラガラと車輪の転がる音が聞こえた。
疲れた体でとぼとぼと歩いていたから、背後から来た馬車は間もなく俺に追いついた。
「どこまでお行きですか」
声をかけてきたのは御者台に座る初老の男だった。声を掛けられたことに安堵する。男は荒い編みの生地で出来た服を着ていた。
あきらかに日本語ではないのに、なぜだか意味だけははっきりと分かる。なんと答えたものかと思案していると男が続けた。
「乗っていきませんか。お代のかわりに護衛をしてくれれば助かります」
俺の格好を見て戦えると判断したのだろうか。腰に吊るっている剣は刃が半分無くなっているし、魔力と体力は半部も残っていない。
まあ、いざとなれば氷の槍くらいは飛ばせるから護衛くらいできるだろう。
俺がいいですよと言うと、御者の男はふりかえって馬車の荷台に座れる場所が残っているか確認した。
俺は言葉が通じたことに安堵しながら、馬車の荷台に乗り込んだ。
同じ馬車に乗り合わせていたのは5人の男女だった。ああ、ここは地球ではないな、と確信したのはこの瞬間だったように思う。
髪の毛の色が、青、紫、ピンクと地球にはない色をしていたからだ。染めているのとは違って、突飛な色をしているわりに自然な感じに見える。
「よろしくお願いするわ。さっきからゴブリンが多くて、アタシの連れてきた護衛の魔力が尽きかけてたのよ。まったく使えない子なんだから」
そう言ったのは、青い髪をした筋骨隆々の大男だ。
この世界における男らしい話し方がこういうものなのではなく、妙にシナを作った話し方をしているからオカマなのだと思う。
その男が連れている色白の女の子は、紫色した髪の毛の間に猫耳のようなものが覗いていた。
その隣にはキツネみたいなとがった耳の生えた金髪の子が座っている。身だしなみに気を使う年頃だろうに、どちらも質素な服を着ていた。
オカマは私の護衛と言ったが、馬車の上に剣を持った人間は一人もいない。誰かが魔法でも使うのだろうか。
「こんなところで、何をしておいでだったの」
オカマの大男が俺に話しかけてきた。まさかナンパされているわけではないよな、と変な心配をしながら俺は答えた。
「ちょっと道に迷ってね」
「こんな場所で道に迷った」
大男は周りを見回して不思議そうな顔で言った。
「ええ、まあ……」
ここがどんな場所だというのかわからない。
なんと返せばいいのかわからずに口ごもると、不思議な人ねえとオカマは勝手に一人で納得したようだった。
とりあえず、これで街には行けそうな感じだ。ゲームのようなファンタジー世界なら、街に冒険者ギルドの一つもあるだろう。ならばそこで仕事を探せばいい。
まずは食い物を得る手段を探すのが、最初の課題となりそうだ。
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