闇の王
塔ノ沢 渓一
第1話 洞窟
意識が戻ったとき、最初に頭に浮かんできたのは"状態"という言葉だった。その言葉を意識すると、ゲームで見るようなステータス表示が頭の中にイメージとして現れた。
しかし、そんなイメージよりも自分の置かれている状況の方が気になった。
さっきから変なところに寝かされているせいで体中が痛い。
俺は体を起こして、ぼんやりした夢を見ているような感覚から意識を引き戻そうとした。
目の前で燃えているのは松明だろうか。いびつに曲がった棒切れの先に、布が巻き付けられていて、そこに青い火が燃えている。
俺の記憶では松明以外に言いようがない代物だが、炎が青いのでプロパンガスが燃えているようにも見える。しかしプロパンガスだとしても、これほど均一な温度で燃える炎など今まで見たことがない。
いやな予感を抱えつつ、寝かされていた窪みから顔を出すと、洞窟のようなほら穴が左右にどこまでも続いていた。
曲がりくねっているので先は見えない。
ただ松明が燃える、ジジジという音だけが耳に入ってくる。
まるでゲームの中の世界みたいだなと考えながら、俺はどこか他人事みたいな感覚で、次の松明を目印に洞窟の中を歩き始めた。
この穴がどこに通じているのか知らないが、こんなところで目を覚ましたら明かりがある方に向かって歩いてみるより他にないだろう。
しばらく歩くと子供が騒いでいるような甲高い声が聞こえてきた。
声のする方に歩いている途中、なんとなく手持ち無沙汰で壁に掛かっていた野球のバットに似た棒切れを拾って手に持った。
声のする方に歩いていくと、緑の小さな妖怪じみた生き物が三匹ほど奇声を上げている。交わされている言葉はあきらかに日本語でもないし、体系的な言語とも思えない。
それなのに、なぜかわめき声の意味を理解できてしまうことに驚いた。
「アヤシイ ニオイ!」
「ソウダ! アヤシイ ニオイ!」
「テキダ! テキガイル!」
どう見ても人間には見えないそれらは、ゴブリンとしか形容のしようがないものだった。とがった耳に異様なまでに大きい頭、そして真っ赤な目をしている。
頭がおかしくなりそうだ。
洞窟でゴブリンに出会うというのは、一体どういう状況なのだ。俺はノイローゼにでもなったのか、それともゲームの世界にでも紛れ込んでしまったのか。
とにかく出口を探さなければならない。
「オレ ミチニ マヨッタ。デグチ オシエテクレ」
となれば、せっかく言葉が通じるのだから、目の前のゴブリンたちに道を聞いてみようと考えた俺は、少し広くなった空間に飛び出して、そう言った。
この行動が間違いだったという事は、一瞬にして理解させられることになる。
なぜなら目の前の三匹は、手に持っていた武器を振り上げ、問答無用に襲い掛かってきたからだ。
俺の制止の声になど聞く耳も持たずに、俺に向かって棍棒が振り下ろされた。
ゴキンという音がして、あごの砕けたような衝撃が襲ってきた。身長差のおかげで頭に振り下ろされなかったのは幸いであった。
しかし、その次に襲ってきたのは、大ぶりのナイフを手に持ったゴブリンである。
それを俺に突き立てようとしている。
テレビゲームの経験がなくたって、この状況を見れば”たたかう”か”にげる”しか選択肢がないことは明らかだ。
さすがにナイフを突き立てられては死ぬ。それだけは困る。俺は持っていた木の棒を、ナイフを持っているゴブリンの頭めがけて振り下ろした。
ゴブリンの頭蓋骨がつぶれる感触に忌避感を覚えるが、それと同時に蛮勇という言葉が頭の中に浮かんできて、それまで感じていた恐怖が頭から消えてなくなった。
頭の中がクリアになって、目の前の生物を殺してしまったのではないかという後悔が襲ってくる。
しかし明らかに自分の命がかかっているのだ。甘いことは言ってられない。
こうなったら毒を食らわば皿までの精神でやり切るしかない。
俺は反射的に、殴り倒したゴブリンが取り落としたナイフに飛びついて地面の上を転がった。
残された二匹は、倒された仲間に目もくれず、それぞれ尖った木の槍と棍棒を手に、俺に向かって襲い掛かってきた。
その棍棒をナイフで受けるのは得策ではないと判断した俺は、最初の一匹の攻撃を体をひねってかわした。そして背後に回り込み、バランスを崩してむき出しになったゴブリンの首に向かってナイフを振り下ろす。
切れ味が悪いのか、それとも質量が足りないのか、青黒い血が少し飛び散ったのみで、ゴブリンはそれまでと変わらない動きでこちらを振り返る。
俺は同じ間違いをしないように、突っ込んできたもう一匹は、槍の先だけに気を付けながら躱しつつ、相手の勢いを利用して首にナイフを突き入れた。
それと同時に、仲間を二匹失っても怯みもせずに襲い掛かってくるゴブリンに突き倒され、もつれ合いながら地面の上を転がる。
ゴブリンは棍棒を捨てて、そこら辺に転がっていた石を掴むと、それでもって俺の頭を殴りつけてきた。俺は無我夢中にナイフの切っ先をゴブリンの腹に押し込んだ。
二度三度と刺しても暴れまわっていたゴブリンも、しだいに力が抜けて、最後は動かなくなる。
そして腕の中にあったゴブリンの感触は消えた。
確認すれば、最初の一匹も含めて、ゴブリンは全て灰に変わっていた。
石で殴られた頭がひどく痛んで、手で触るとぬるりとした感触と共に血がべっとりと指に付いた。こんな戦いをもう二度三度と繰り返せば命を落とすことになる。
それにしても、どうして俺はこんなゲームみたいな世界にいるのだろうか。
顎はどうなったかと手をやってみると、あまりの痛さに飛び上がりそうになった。これでは触って状態を確かめることもできない。
状態というワードを考えた時に、さっきとは違ったイメージが頭の中に現れた。さっきは"Lv"の欄に1と表示されていたはずなのに、今では3という数字に置き換わっている。そして体力や魔力と表示された場所にも変化が見られた。表示の一番下にある能力の欄には"状態"の他に"蛮勇"が追加されていた。
体力が43/52、魔力が52/52、戦闘力が23と表示されていることから、ゲーム的に言えばゴブリンとの戦闘によって2レベル上がり、体力などの項目が伸びたというところだろう。
そして新しく蛮勇の能力を得たというところだろうか。
たしかに最初のゴブリンを倒した後は恐怖心が消えて、怖いくらい冷静になった気がする。
現に今も、この理不尽極まりない状況に対して恐怖心は感じていない。
さっきも恐怖は感じていなかったが、それは夢うつつの中にいるような気分でいたからだ。今は痛みと血の匂いで意識がはっきりしている。
とにかく、この洞窟には、俺に敵対する存在がいることだけは確かなようである。そして、さっきのような戦い方をしていては、いつか死という状況が訪れるという事も間違いない。
俺はゴブリンの灰の中から布切れを引っ張り出して左手に巻き付けた。
そして、さっきよりも慎重な歩みで洞窟の中を進み始める。なるべく影になっている窪みの中に入りながら、先を確認しつつ慎重に進む。
しばらく進んでいると、さっきと同じようなゴブリンの気配がしたので岩陰に潜んで息を殺した。
そして慌ただしくやってきたゴブリンが目の前を通り過ぎようとしたところで、ゴブリンの口元に布切れを巻いた左手を当てて抑えつけながら、影の中に引っ張り込んでナイフを突き立てた。
ろくに研いでもいないナイフでも切っ先だけは鋭利なので、さほどの抵抗もなくゴブリンの肉をえぐることができる。嫌な感触がするが、こうするより他にない。
その一匹を始末すると、またレベルが上がった。戦闘力などの数字は上がったが、特に能力のようなものは増えていなかった。
俺はさっきよりも1だけ上がった戦闘力の数字を眺めながら、「ふざけやがって」と小さくつぶやいてみたが、その声は洞窟内の空気に溶けて消えた。
どうやら俺はゲームの世界にでも紛れ込んでしまったらしい。
今の俺に与えられた武器は、このレベルだけだ。右手にあるナイフなど、いざとなれば何の役にも立たない鉄片でしかない。
もしこれがゲームだというなら、レベルさえ上げればどんな強敵が現れてもなんとかなるはずである。
いきなり強敵が現れないとも限らない。だからレベルを上げておかねば、いきなり死んで終わりという事も考えられた。
俺は死にたくない一心でゴブリンを暗がりに引き込んでは、一方的にナイフを突き立てて灰にするという作業を続けながら洞窟内を進んだ。
最初よりもゴブリンの体が軽く感じられるので、それほど大変なことではない。
しばらく進むと松明すらもなくなって、たまに光る石が天井にはめ込まれているだけになった。その石だって、たいして光っているわけでもないので視界が悪く、飛び出した岩の角などに体をぶつけないようにするだけでも一苦労だ。
分かれ道でも、上に光る石のある道を選択する。
しばらくレベル上げにいそしんでいると、ゴブリンと全く出くわさなくなった。レベルは8まで上がって、体力や戦闘力も少しずつだが上がっている。
レベル表記にともなって体の動きも軽くなっているから、どうやら頭の中に浮かんでくるステータス表示は現実を反映しているようで、ノイローゼのたぐいじゃないらしい。
手に入れた大ぶりなナイフは、まだ切っ先が鈍っておらず、しっかりとゴブリンの心臓をえぐるのに役立っている。
しばらく歩いているといきなり地面と壁がレンガ造りになった。
なにが起こったのかと周りを観察すると、どうやらレンガ造りの建造物に空いた穴が、さっきまでの洞窟に繋がっているようだった。
人工的な建造物に安心感のようなものを覚える。
少なくとも、この世界には文明が存在するらしい。あんな訳のわからないモンスターしかいない世界なら自殺も視野に入ってくるところだ。
さっきからむき出しの敵意を向けられ続けているせいか、いささか精神的にもこたえている。
レンガ造りの建造物を手探りで探索していると、縦に細長い大きな石造りの箱を見つけた。しかし暗くて、どうやって開けたらいいのかわからない。
こんなことなら松明の一本でも拝借してくればよかった。
もしかしたら役に立つようなものが入っているかもしれないので、開けてみないという選択肢はない。床には埃が積もっているので持ち主がいる可能性もない。
とにかく包帯になるきれいな布でもいいから欲しいのだ。
しかたなく、立てかけるように置かれていた石箱を地面に倒して中のものを取り出すことにした。
薄造りなのか意外にも軽くて、あまり中身には期待できないなと考える俺の前で、石箱は轟音とともに砕け散った。
砕ける時に人のうめき声のようなものが聞こえた気がした。
すさまじい量の埃が舞って息もできなくなる。目だって開けていられたもんじゃないが、聞こえてきたうめき声の正体を確認しようとしてなんとか目だけは開けておく。
それで埃の中から現れたのは、人間のミイラであるようだった。
まさかこれが声の正体かと、俺は恐る恐るつま先で蹴ってみる。
そしたら急に眼が見開かれて、白と赤の眼球が暗闇の中に浮かび上がった。ぎょっとする俺の前で、二つの目は力なく閉じて二度と開かれることはなかった。
頭の中に血界魔法というワードが浮かび上がった。確認するとレベルも上がっていた。
俺は意味も分からずにその場を逃げ出した。
しばらく進むと両開きの扉を備えた部屋があったので、その中に入って扉を閉めた。
部屋の中は、大きくて明るい光る石によって照らし出されていた。誰かの書斎のようにも見える。
扉にはカンヌキがかけられるようになっていたので、そこに燭台の足をはめ込んで武器になりそうなものを探した。
しかし武器は見つからないし、いつまでたっても扉の向こうに気配は現れない。
やはり、あのミイラはあれで死んだのだろう。俺はこの部屋で少し休んでいくことにして、そこでなんとなく手に取った本を読み始める。
なぜか見たこともない文字が、使い慣れた言葉のように読める。だから何とはなしにそれを読んでいた。
読んでいて分かったことだが、どうやらこの本は日記であるようだった。この屋敷に住んでいた病に侵された人の日記である。
どうやら洞窟内に光る石や松明を設置したのはこの人であるらしい。
そのほかにも、血液が暴走する病を患っていたことが読み取れる。
読み進めていくと、さっきのミイラがこの日記を書いた人で間違いないようであった。
この病気は簡単には死ぬこともできなくなるようで、最後の方は日付も書かれておらず、二百年ぶりに日記を書いてみるとか日付の飛び方も尋常ではない。
最後の方は正気を失っていたのか、意味の分からない文章が並んでいる。長い眠りにつくという文章で日記は締めくくられていた。
まるで吸血鬼の物語である。
日記には、俺がさっき得た血界魔法についても書かれていた。
血の暴走により無限に湧き出す血液を、魔道媒体にして発動する魔法を完成させたとあるので、他に使い手のいないオリジナルの魔法なのだろう。
骨や内臓を血液に溶かし体を流体化させるたり、体の欠損を埋めて傷を治すこともできる。
また攻撃魔法にすることも可能で、相手の体に潜り込ませた血液で心臓を握り潰すことすらできるようだ。
つまり血液を媒体化し、操作したり、それに触れるものに魔法的な作用を及ぼしたりする広範囲の魔法群が血界魔法ということになる。
魔力の数値が142/174と、わずかに減っただけで、砕けていた顎の怪我も勝手にもと通りになっていた。
これは血界魔法が自動的に発動して傷を治したのだ。
思いがけず便利な魔法を手に入れてしまった。
これまでの事から、どうやら俺は殺した対象の能力を得ることができるらしいと推察することができる。
もしそうだとするならば、俺はさっき不可抗力とは言え正気を失って眠りについていた吸血鬼を一人殺してしまった事になる。
日光を浴びることすら出来なくなって、他人の血を必要とすることから人の世を追われ、こんなところに百年単位で閉じこもっていたのだ。
どうせ死にかけていたのだから、俺が何もしなくてもそのうち死んだに違いない。悪いことをしたかなとも思うが、不思議と罪悪感はわいてこなかった。
日記には正気を失うまでの過程がありありと書かれているので、最後は死ぬことが出来て物語のハッピーエンドを見た様な気さえする。
そんな感慨しか湧いてこなくて、我ながら図太い神経をしているなと感心してしまった。
日記には病気ではなく魔族による呪いとあったが、人間とモンスター以外にもそんな種族がいるということだ。少しだけ、ここから抜け出して外の世界を見るのが楽しみになってきた。
これだけの建造物だから、外とつながっていることは間違いない。
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