§3-1-6・戦時補償特別措置法について

 これまでの話は、国民の莫大な犠牲を原資に日本国という新しい国づくりを始めたということだった。祖国再生と独立、そして再び世界の檜舞台に戻ることを内々に心に秘め、捲土重来けんどちょうらいを期して『財産税法』という法律の下、国民の莫大な犠牲で国家の基盤の整備を続けた。


 しかしもう一つ、厄介な事態に陥った。1946年の10月に発布された「戦時補償特別措置法」という立法にまつわる事態だった。簡単にいうと『国が企業に対しておこなった借金、返せなくなった!&踏み倒させて』という仰天の内容だった。実に厄介なことに、時の外国征服軍であるGHQが、こんなこと言い出したのだ。当然、これには日本政府は反対したが、結局、GHQに押し切られてしまう。


 というのも、日本政府としては「戦時の補償はする。増税してもする。日本人相手に、新生日本政府が裏切るわけにはいかない」と考えていたからだ。何ゆえGHQが企業補償反対にこだわったのかは判らない。

 理屈から言えば『その分、カネを市場に回すことに成るので悪性インフレが増進するリスクがある』からだが、インフレは同時に債務の圧縮をもたらす。しかも放置すれば、戦後の混乱しているさなかに企業倒産激増になってしまう。本当に日本が終わってしまう・・・。アカン(;_;)

 なのでこれはGHQによる、戦争遂行協力者に対する不当な圧力であったと考えるべきだ。


 概要はこうだ。日本国政府は民間人などに対する国家債務の返済はするつもりだった。しかし、まだ返さねばならない債務が別途で存在していた。

 徴用された民間船舶海運企業への賃金・消失船舶分の補償とか、軍需生産品の売掛金支払い、疎開移転費用等の補償だ。旧植民地に対する投資案件への補償なども含まれる。戦争協力金のようなものだ。帝国政府の命令だったので、しぶしぶだったが民間企業は莫大な資本投下を余儀なくされた。帝国は消え、企業は残った。つまり債務は残ったのだ。企業としては国に払ってもらわねば困るカネだ。


 これを突然『払わない』といい出した。正確には「言わされた」。企業は困った・・・。

 また日本政府の信頼に関わる問題だった。払わなければ、今後、企業が国を信用しなくなる。しかしGHQからの命令なら、仕方がなかった。

 なので『戦時補償特別措置法』というのは『戦時補償の債務に関しては全額支払うけど、別途新税を設けて支払額全額を回収する』・・・の形になった。支払ったことにして『補償した』とし、実際には、金銭面に関して全く同額の特別税を設定して『税金として回収した』という形式にすることで『払わない』ことにした。つまり戦時補償特別措置法とは、こういう詐欺だった。当然、異常な悪法だった。

 この法律によって『戦時補償特別税』が設けられ、実質、債務は無効とされた。当時の金額で900-1,000億円に相当した。つまり、昭和21年度の国家歳入と同じ金額で、帝国の戦争債務のおよそ半分を占めていた。

 民間企業にとっては地獄だった。国が責任を持つ・・・と言って出させた債務を踏み倒されたのであるから。


 戦時補償特別措置法によって、企業の債務は踏み倒されてしまった。国内債務の不履行ということだった。総額は負債の半分ほどにも及んだ。債務を抱えていた企業は困った。法人・個人総数はおよそ300件もあった。数が多い。金額は(当時の資料を見ると)1,200億円にもなった。企業分が1,000-億円相当もあった。規模がデカい。

 しかしGHQの命令であれば、コレを覆すことも出来なかった。当然、多くの銀行や企業の資金繰が困難となった。そのため、時の吉田内閣は、企業に対する補償をアノ手、この手で取り始めた。まずは苦境に立たされた企業や金融機関を救済することだった。これに対して更に『会社経理応急措置法』・『金融機関経理応急措置法』などの救済策が講じられた。

 これは特に融資のために資本を供給した金融機関の救済に力点が置かれた。金融機関から債務を切り離すと同時に、原資を充当することで金融機関の支援を行った。このための原資が必要となり、それを第二次『預金封鎖』で対処することにした。乾いた雑巾を絞ってようやく取り出した、死にかけている国民の血税を充てることにしたのだ。


 実は筆者は、この『企業救済策』〜とくに負債を抱え込んでしまった『金融の健全化』こそが、戦後日本の長い繁栄を約束する切り札だったと考えている。


 現代的なやり方であれば、まずは特殊法人を設立し、ここに債務を集約する。債務整理管理機構に相当する。弱った銀行の方は、より強力な金融機関との合併を進めると同時に、見込のない金融機関は破綻させる。取り立ては特殊法人が行う。つまり『嫌われ役』をやることになる。勿論、責め立てられて自殺する債務者や、融資額の減額・放棄を迫られて絶望的になる債権者が続出するのは当然だ。それでも足りない分の資金や、救済のために必要なカネが出てきた場合、公的資金を注入する。税金を金融機関に突っ込むのだ。


 このやり方は1990年代のバブル期に、このまんま行われた。その時に参考にされたのは、同じように破綻した米国の貯蓄貸付組合(S&L)と、この救済のために作られた整理信託公社(RTC)のモデルだったが、これはバブル期の日本と同じ『不動産の焦げつき』だったためにサンプルとされたものだった。

 しかし金融機関の救済のやり方の雛形は、戦後のこの時に出来上がったと言っていい。


 要はも金融機関が苦境に陥った場合の対処方法の基本のようなものだ。

→『債務を整理』→『銀行から債務抜き取る』

→『資本力強化のために銀行統廃合or合併or直接救済』

→『負債で足りないカネは税金投入』→『金融業立て直る』

→『民間・市場、立て直る』だ。


 この流れが基本となるべきだ。

 無論、国民からすれば、自分たちから吸い上げた税金を銀行に勝手に突っ込むということは納得できないだろう。当然だ。実際、バブル期には数次に渡ってトータル22兆円の直接救済投入もしくは不良資産の買い取りを行っている。その際に、メディアを中心に騒ぎ立てたこともあり、国内で激しい反発が起こった(ただし、最初の一度目の時だけで、二度目以降の時にはスッカリ忘れていたようだ)。


 確かに、自分たちの税金を一私企業に過ぎない銀行救済に突っ込む事に反対するのが人情だ。特にバブル期などでは『銀行は自分たちがやったのに!!』とよく言われた。銀行自身が解決すべき問題だった。確かにそうだ。自浄作用がなく、自己解決が出来なかったので国が助けてやった・・・では、盗人に追い銭。まさにそんな感じだった。


 別例で比較してみる。日本を代表する日産は自らを『技術の日産』と豪語し、天皇陛下ご愛用のプリンスや『ゴジラ』の愛称で知られるハコスカを製造・販売していた企業だった。しかしここが2兆円の有利子負債を抱えて倒産寸前になった時には、日本政府は公的資金を投入していない。

 同じ一私企業なのに銀行は救済し、日産は見捨てた。銀行はバブルの元凶たる伏魔殿ふくまでんのはずだった。助けてやる義理などない。他方、日産は犯罪集団ではなかった。売れなかっただけだ。合併を繰り返した所為なのか? 内輪もめを繰り返し、挙げ句、不人気車を乱造しては西部警察でセドリックやグロリアが火だるまになっていただけだった。


 悪の巣窟そうくつの銀行は救済した。国民の税金で。他方、火だるまになっていた日産はフランスに売られた。フランスの国内法の縛りから合併形式は対等であっても議決権を失った。ルノーの傘下に落ちてしまった。

 カネを持ってるからと言うだけで悪党を檻の中から出し、カワイクないから・売れないからと娘を異人さんに売り飛ばしたようなブザマさだった。フランス人形のように綺麗にカワイク生まれ変わってくれと期待したのは株主だけだったろう。


 これに納得するのは難しいかもしれない。しかし事実は逆なのだ。

 銀行の救済は『絶対に必要』なことなのだ。

 たとえ自律的に復興できないのなら、みんなの税金を突っ込んでも救済すべきなのだ。銀行だけは別格だ。過去もそうだし、未来もそうだ。『銀行は特別で国家のもとい。なので税金で救済する価値がある』は真理だった。銀行は特別だからだ。

 この時もそうだ。戦後復興期、もっとも重要なことは『金融機関を救済する』だったのだ。

 

  ※     ※     ※


 ここで、我々は『普通とは違う』結論に至った。

 戦後日本が復活できた理由は、金融関係を中心とした『債務の整理』つまり『負債を銀行から抜いた』というだけのこと・・・という結論だった。


 勿論、「カネだけあればいいのか?」という疑問に対しては「違う」と言える。

 カネを活かすための技術・国家運営能力・民間人一人ひとりの資質・・・といった『国の知性』が必要だ。ただし、これは大日本帝国の頃に既にあった。欧米ほどではないが、他のアジアを圧倒するほどの経済力・科学技術力が日本にはあった。帝国の頃からの産業育成策のためかもしれないし、欧米に習うという文明開化の情熱のためかもしれない。先進地域の知性を学びたいという純粋な欲求だったのかもしれないし、江戸時代から続く寺子屋のような『庶民でも学問に力を注ぐ』という民族的・文化的バックボーンのためかもしれない。なににしても帝国の頃に、既に『器』はあった。知性の蓄積があれば、あとはカネがあればよいというだけの状況だった。つまり我々は成熟していたのだ。あとは車に燃料を入れるだけだった。それも『不純物がない』燃料を、だ。

 その作業をしただけに過ぎなかったというのが、筆者の結論だ。


 いまでも日本の戦後復興が奇跡であるとはよく言われる。その割には『なぜ?』に対する的確な答えは無かったように思う。無論、筆者はマネタリストなので、確かに『カネ』の側面を強調しすぎるきらいがある。だから、極論と言われるかもしれない。

 しかし、力のある国家においては真実だ。力のある国家に健全な資金投入が出来る環境を整える。そのためには国家が税金を使っても債務整理せねばならないときもある・・・この冷徹な国家の論理が必要なときもある、ということだ。


 とはいえ、本当だろうか?

 そこで、次回から『国家の危機にあっては金融救済が大事』という話しを、実例をあげつつ五回に渡って続けようと思う。。。m(_ _)m

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