応援コメント

§3-1-5・地獄の財産税法〜預金封鎖と預金税【後編】」への応援コメント


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    そーですね、死人の首を絞めなおす、ぐらいの勢いだったんですね。

    やっあぱりあれですか、GHQという組織が日本政府の上にあったから、日本政府としては日本人の命より、債務返済に全てを注いだんでしょうね。

    しかーし、このころの大蔵省官僚は、自分が神にでもなった気分だったんじゃないですかね。
    なんせ、戦時中の国家予算の数倍の予算を手に入れたわけですものね。

    その金を使って、ひたすら債務を減らしていく作業に埋没できたわけで。(まあ、その陰で、何十万人の日本人が餓死したのかは、知らないですけど……)

    作者からの返信

    ぬまちゃん様、いつもありがとうございます…m(_ _)m

    日銀の資料などを見てみると、終戦直前の頃に既にこのやり方で債務返済をするつもりだったようです。そのため戦後の激しいインフレと貧困を招き、むしろ見かねた米国からドッジ・ラインとシャウプ勧告をうけるほどだったようです。復興インフレ抑圧のために超緊縮財政を取らざるを得なかったためにいきなり財政は黒字になっています。国民は死にかけていたのに、です。そう考えると朝鮮戦争の特需があったというのは幻想で、超緊縮策を緩めた事や1ドル=360円という通貨レートの設定などで国際的な円の価値が安定したことが50年年代後半の好景気を生み出したと考えるほうがより適切でしょう。

    ワイ、実は最近思うのですが、この大日本帝国のやり方の他に何か別の債務抹消方法はないものか?…と見た時に、トルコと中華人民共和国の二国が大変興味深い動きを見せている事に気づきました。トルコはエルドゥアン大統領(事実上の独裁者)が「トルコリラが暴落し続けているのに金利を出来るだけ下げる」=高インフレの時にさらにインフレを加速する…というやり方に固執しています。
    このやり方はリラ暴落を呼んでいて、FX組は焼け死んだと思われるのですが、一つだけ「自国通貨下げによるインフレ成長が期待できる」のです。事実、トルコはこの10年で海外に製品輸出する大国に化けました。トルコ製品はその戦略として極力「トルコ」というブランドを隠しているのでわかりにくいのですが、欧州などではそれなりにブランド化するほどの地位を確立しているのです。軽工業品だけでなく重工業なども立ち上げていて、国防などでも自国化が進んでいますし、ハイテク分野への進出も始まっているようです。これは輸出中心主義のようなものですが、インフレが経済成長を呼んだ…という意味で、戦前の日本の財政ファイナンスと同じ効果が出ています。

    ということは日本は米国と戦争してなかったら、現在のトルコのように「生き残っていた」と考えるべきなのではないかということなのです(仰天
    おそらくそうでしょう。国民にインフレ地獄を甘受させられれば、国家の工業化の一つの方法論なのかもしれません。その意味でトルコは大変興味深い国です。産業力があるので準デフォルトなのに破綻せずに生きていけるという仰天の国家です。

    ということはもし日本のように多額の債務を背負った国があった場合、どうしたらいいのか?…という疑問にぶち当たります。中国のことです。中国は既に3京円(30,000-兆円)もの債務を抱えていると推定されていて、破綻は免れません。しかしハイパーインフレ+増税を行えば「財政はすぐに黒字化できる」事を日本の例が示しています。これは戦争によって産業力が潰滅していた「弱小国」であっても…です。

    ならば、産業力が十分のこっている国で債務破綻をした時、債務のツケを国民に付け回すことができれば「速やかな復興が可能」という事を暗示しています。日本が苦しかったのは戦争で国力の原泉である産業力を失っていたからで、回復できたのは単に増税で債務整理をしたという「金融的対処だけ」で復活できたと考えることができるのです。産業力のない国でさえ数年立たずに財政を黒字化させ、後の復興需要から産業力を急激に回復させられたというのならば、戦争してないで元々強い産業力のある国が破綻しても「高インフレと大増税」ができれば…もしくは民間債務をそのまま返済しないで民間人に損失の全部をかぶせることができる強い政府であるのなら、おそらく簡単に復活するでしょう。

    習近平はそれを判ってやっているのではないか?…とさえ思えてきたのです

    中国は日本を徹底的に研究しています。その痕跡は随所にあります。だとしたらこの戦後直後の事は徹底的に研究しているはずであり、大日本帝国は破滅的な戦争をしていなければ21世紀でも帝国のままだった…という結論に至ったのかもしれません。また財政ファイナンスによる産業力の強化は現在のトルコのようなやり方であり、この強さは1944年4月〜12月という日本の敗戦濃厚の時でさえ帝国陸軍が実施した大陸打通作戦のような驚異的な長駆侵攻作戦をやり遂げるだけの国力を生み出していたことを、中国の知的エリートたちは身を持って知っていたでしょう。

    これがこの話数の「未来」です。債務返済には「終末的な戦争さえしなければ、国民の犠牲で国は回復する」という事を暗示しています。このワイの推論が正しいかどうかは、意外と近い将来、ハッキリするかもしれません。我々日本人が世界最大の債務から抜け出した経験を、自らの知恵とする国が出てくるのかもしれませんね。大変興味深いことです…m(_ _)m

  • 確かに連合国は当初は日独を農業国とし、国際社会の中の四等国として悲惨な地位に置くつもりだったらしいです。
    ただ、後に日独の工業の復活が世界の復興に重要であると認識を改めたみたいです。

    作者からの返信

    淺川俊彦様…m(_ _)m

    始めまして(^^)/
    僕もこの話、聞いたことがあります。とはいえユーラシア大陸のほぼ全てが赤色化したために米国主導で産業力を戻すという政策転換があり、その方が日米双方にとっても正しいでしょうし、逆にいえば他国に日本の未来を決定する資格などないので(それは事実上の植民地化で、連合軍は植民地主義には反対していたはず)産業化への道は既定路線だったのかもしれません。
    非常に興味深かったのは米国の朝鮮戦争参戦の主な理由が「日本の共産主義化を阻止する」だったことで、これはニクソンの手記などで語られ、韓国では非常によく知られた事実です。要するに朝鮮は捨て駒で、逆に言えば自主独立型産業国家はアジアでは日本しかなかったという事から、これも真実味は高いでしょう。

    ドイツ降伏直後、米英は対ソ連戦をシミュレートしていて「Operation Unthinkable」と呼ばれる想定プランを策定していました。ここではソ連と大日本帝国が結託し、ユーラシア大陸全域が事実上共産主義化するという想定のようで、この結果は西側の敗北の可能性アリ…という厳しい内容だったようです。その後、中共成立により現実味が帯びてきたので日本を西側に組み込んで、自由主義陣営のカナトコとするという発想は当然出てきたことでしょう。

    日独がなぜ戦後超大国に復活できたのか? そしてなぜ米国と戦った国で復活した国が日本しかなかったのか?…はよく言われることですが、戦争前に独立国家として産業育成と富国強兵、国民教育など全般的な西欧化を図った国が日本しかなかったから…というのは一つの回答かもしれません。もともと日本は強い帝国主義的産業国家だったから、ということです。しかも民族意識や国民国家としての教育が基盤として存在してたのならば、何があってもジリジリと復活させることは出来た訳で、祖国復興は国民知性の高さが決定要因だったのかもしれません。

    とはいえ、何処の国でもそうですが、たとえ負けるにしても最期まで徹底的に戦いまくって恐怖を与えるような強国(相手)しか敬意は払わないものなので、日独の激しい戦闘意欲は何某かの脅威と「利用価値」に繋がったのかも知れません。もっともカルタゴやユダヤ(=マサダの塞)のようになりかねなかったことを考えると、安易にそういうべきではないのかもしれませんけど…(。ŏ﹏ŏ)?

  • 生き残るほうが、いつでも悲惨。

    作者からの返信

    本当にそう思いますね。。。(T_T)
    生者が死者を羨む状況が続いたようです。立て直るのは昭和27年頃です。ということは朝鮮戦争の特需というものは無かったということです。この頃になって落ち着いた理由は不明ですが、石炭という自前のエネルギー資源があり、産業復興のための金融整理に一段落ついたことが大きいと思われます。焼け野原だったので需要は存在していたのですから、あとは自律的に再生出来たようです。とはいえ、殆どの国や民族はこれほど叩かれたら立ち直れません。日本だけがかなり特殊だったというしかないでしょう。実際、アメリカに負けて復活した国は日本くらいしかないとはよく言われていることで、カネだけではない民族的意思やある種の愛国心のような心理的な側面があったことはマネタリストでも否定は出来ません。カネは必須ですが、それだけではなお足りないのが国家運営なのかもしれませんね