第22話 小島にて

「うっ……」

 オリエスは目覚めた。

 木造小屋の天井、近くで聞こえる波の音、どこからか吹いてくる心地よい風……

 オリエスはベッドを出て家の中を歩いた。

 家の中は質素で置いてある家具は少なかった。

 それよりもオリエスは今まで経験した事のない湿気や風の流れに不安を感じた。

 波のする方へ歩いて扉を開けた。

「こ、ここは……」

 彼方まで広がる青い空と空を流れる白い雲、白い砂浜に波が打ち寄せていた。

 振り返ると木造小屋の屋根と数本の木が伸びて小屋の後ろには森が広がっていた。

「地上? 地上なのか!」

 オリエスは目の前の景色に驚いた。

「ここが地上なのか。初めて来た……」

 人々は海底に住むようになってから地上を訪れる事は殆どなかった。

 オリエスは体を吹きつける風が心地よく感じた。

「海の底とはやっぱり違うな」

「そうだろ」

 突然背後から男の声がしてオリエスは驚いて振り向いた。

 若い男が薄い布の服を着て立っていた。

「あの……助けてくれたんですか」

 オリエスは言葉に詰まりながら訊くと、

「ああ流れ着いたんだ。随分目が覚めなくて心配したが気がついて良かったよ」

 男は微笑んで答えた。

「ありがとうございます。えっと……」

「私はリオーザ。ここで一人で住んでいるんだ」

「そうですか。ありがとうございます。リオーザさん」

「いえ、こちらこそ。オリエス」

「どうして、俺の名前を……」

「君と同じ木の民だからかな」

「木の民……」

 リオーザの言葉でオリエスはバルザゲアの戦いを思い出してハッとした。

「そうだ。俺はあの時逃げて仲間とはぐれたんだ。みんなは無事なんだろうか」

 オリエスはガクガクと震えながら呟いた。

「安心したまえ。無事のようだよ」

「どうして、わかるんですか」

「木の声が教えてくれるからね。そうか、君は聞こえないのか」

「少しだけ聞いた事はありますがあんまり……」

 オリエスは白銀の鎧の声を思い出しながら答えた。

「同じ木の民でも声が聞こえるかは人によるからな。まあ気にしないでくれ」

「はあ……」

 オリエスはリオーザから不思議な雰囲気を感じた。

(何なんだ、この人は……。若そうだけど変に落ち着いている)

「ハハハ、まるで私を化け物か変な人みたいに思っているようだね」

 リオーザは笑った。

「えっ……いや。地上に来たのが初めてだったもので……混乱しています」

「そうなのか。まあ確かに海に町が出来てから地上に来る人間は殆どいないな」

「海に町が出来てから……あなたはどの位、生きているのですか?」

「数えるのも忘れる位かな。遙か大昔だよ」

 リオーザの淡々とした口ぶりにオリエスは何の疑問も持たなかった。

「あなたは木の民の中でも特別な人なんですか?」

「特別か……」

 リオーザは浜辺を見て呟いた。

「気に障ったらすみません」

「いや別に構わないよ。実際何万年も生きている訳だし」

「何万年ですか!」

 オリエスは想像していた時間より長生きしているリオーザに驚いた。

「そうだよ。やっと驚いてくれたね」

 リオーザは笑った。

「いえ、千年位かなと……」

「ほお、君はなかなか変わっているね」

 リオーザは微笑んでオリエスを見た。

「いえ、何だろう……短い間に色々ありすぎて何でも普通に見られなくなっているのかも知れません」

「そうなのか。君も大変な思いをしたんだな。木の声で君の事を聞いたよ。ここに流れ着いたのも聖樹達の願いだったのかも知れないな」

「聖樹達の願い……また驚くような事を知りそうな気がします」

 オリエスは目を閉じて静かに呟いた。

 リオーザはオリエスのまぶたをゆっくり開いた。

「君は今、辛い経験をして不安になっているんだな。もう少し休むといいよ。今夜ゆっくり話をしよう」

 リオーザはそう言って森へ歩いて行った。

「不安か……」

 オリエスは砂浜に座って目の前に広がる海をぼんやりと眺めた。

「眩しい……これがコロナボスの光なんだ」

 空から照りつけるコロナボスの日差しにオリエスは目を閉じた。

(こんなに熱のある風の中で昔の人は生きていたのか)

 海から吹く熱い風にオリエスは髪を押さえた。

 オリエスは晩まで砂浜に座って景色を眺めた。


 その晩、オリエスとリオーザは小屋で食事をしながら話をした。

「どうだね。簡単な食事だが」

「とてもおいしいです」

 オリエスはスープを飲みながら答えた。

「それは良かった。食欲があるのは生きている証拠だからな。生きている実感があるのはいい事だよ」

「あまり生きた気分はしていませんけど、そう感じるのはいいのでしょうね」

「君は不思議だな。いや私が言うのもおかしいが」

「そうですか。俺が……木の民の中で特別なんですか」

「どうだろうね。でもロコトロアの始祖の聖樹が成長したのは紛れもなく君の力だからね」

「ロコトロア……」

 オリエスの表情が曇った。

「君はそこで何かを見たんだね」

「始祖の聖樹と契約した時に見えたんだ。それは俺の心の中だとヘミンス様が言っていた。そしてそれは俺の願いだと木の民の女の人に言われた。それが叶ったらどうなるか今よりもっと世界が悪くなるかも知れない。不安なんです」

「なるほど。君の心に映った物は至って普通だよ。子供として当たり前の欲望や希望を抱いている。だからそれが恥ずかしいと思う事はない。その奥にある純粋な気持ちが聖樹を成長させたのだからね」

 リオーザは静かに話した。

「純粋な気持ちですか……」

「それは君にもわかっていない筈だ。だがそれが聖樹を養う力の源なんだよ」

「あの……まるで聖樹の事を全て知っているみたいですが聖樹とは何なのですか。俺には人間を海に暮らせる木という位しかわかりません」

 オリエスが訊くとリオーザはうつむいて、

「君は知りたいのかね。その事を」

 重たい口調で話した。

「知ってはいけない事なんですか?」

 オリエスはリオーザの雰囲気を感じて戸惑った。

「いや、そういう訳ではないがその事を知ったら君はどう思うかと心配したんだ」

 リオーザの口調がまた穏やかになった。

「俺が? 構いません。教えて下さい」

 オリエスは固い表情で答えた。

「そうか、それならいいだろう」

 リオーザは腕を組んで話し始めた。

「聖樹というのは大昔の木の民なのさ」

「えっ?」

「驚いただろ。昔この星にはいくつかの大陸があった。しかし数万年前の地殻変動で海に沈んだ。この位は知っているだろう」

「はい。学校で習いました」

「あの頃の人間は地上で畑を耕したり狩りをして暮らしていた。あの地殻変動で海に沈んで沢山死んだ。だが木の民は特殊な種族でね。水の中でも過ごせたんだよ」

「なぜですか?」

「木の民が住んでいた村には特別な木があったんだ。その木と心を通わせる事で他の人間とは違う能力を持つ事ができた。それが始祖の聖樹と呼ばれているあの木なんだよ」

 オリエスは固い表情のまま話を聞いた。

「木の民の中で未来が見える者がこの村もいずれ海に沈む事を予知してどうしたらいいか考えた結果、海の底に住む事にした」

「それがロコトロアですか?」

「そうだ。彼らは海の底に潜って住める場所を探して辿り着いたのが海溝の横穴だった。そこに始祖の聖樹の苗を植えて暮らし始めた。そして多くの木の民が人間が海底に住めるように自らの力を全て解放して各地で聖樹となった」

「木の民が聖樹に……そんな事ができるのですか」

「ああ、人を救いたいと強く願った者なら不思議となれたのさ。大人も子供も……みんな他人が生き残る事を願って自ら犠牲になったんだ」

「誰かの犠牲になるなんて……」

 オリエスは戸惑った。

「それほどあの頃は辛い時代だった。木の民の力を持たない友人や恋人はみんな死んでいった。他の人が生きられる為に聖樹になった者もいれば、全てを失って孤独と悲しみに苦しんだまま聖樹になる道を選んだ者もいた。聖樹とはそういう木の民の死骸なんだよ」

「そんな……俺はそんな人達の力で生きているのか」

 オリエスの手が震えた。

 リオーザはオリエスを見つめた。

「そうだ。記録に残っていないのでその事を知る人間は殆どいない。ロコトロアの木の民の間では物語として語り継がれているようだがな」

「それじゃ……あなたは? あなたはどうして生きているのですか」

「私みたいに違う形になった者も僅かながらいたんだよ。君も知っているだろう? 魔物が着ていた金と白銀の鎧。あれも木の民の姿なのさ」

「あれも……そうか。だから声が聞こえたのか」

「そして人の姿になった私とロコトロアのヘミンス。それからもう一人は君といずれ会うだろう。楽しみにしていたまえ」

 リオーザは微笑んで話した。

「多くの木の民は心を解放して自らを聖石に変えた。聖樹の真ん中にある聖石は木の民の心の形という訳だ。私の話はここまでだ。驚いたかね」

 リオーザの問いかけにオリエスはしばらく黙った。

 外から波の音が聞こえた。

「俺の今の願いは父さんや母さんが眠り病から目覚める事。バルザゲアと戦った仲間達が無事でいてくれる事。そしてバルザゲアを倒す事。俺が強く願えば叶う事が出来るのですか?」

「君がそう願っているのはわかっているよ。だがそれを叶えるか決めるのは君の心の強さなんだ。木の民の力はその心を後押しするだけだからな」

「どうすればいいんですか。今の俺にはあいつを倒せない」

「そうだな。バルザゲアは地面を隆起させて黒い聖樹の島を作った。とんでもない力だ」

「島を……そんな事が」

「そうだ。これからも聖石を奪って体に取り込んで更に強くなるだろう。何とかしないといけないな」

「あいつは聖石を取り込んで強くなって他の星に攻めると言っていました」

「そうか……この星を乗っ取るより壮大な企てだな。だがこの星の聖石を全部奪えばそれも可能かも知れない」

 リオーザは目を伏せながら呟いた。

「あなたの力では何とかならないのですか」

「私か? 私はただ長生きしているだけにすぎない。君みたいに魔物と戦える力なんかないよ」

「じゃあ、どうすれば……」

 オリエスは焦った。

「君が戦う事を望むならロコトロアへ行って始祖の聖樹と更に強力な力を手に入れる契約をするといい。しかし代償もつくだろうが」

 リオーザは目を伏せた。

「代償ですか?」

「それはヘミンスに訊くといい」

「でも船もないのにどうやって海底へ……」

「君なら海の中でずっと潜っても大丈夫だろう。明日練習すればいい」

「出来るのですか?」

「君の木の民の血の力ならな。始祖の聖樹を成長させたのだから」

「わかりました。やってみます」

 二人は食事を済ませて休んだ。


 翌朝、オリエスはリオーザに教えてもらいながら素潜りの練習をした。

「まずは魔法を出す時と同じように集中する」

「はい」

 オリエスは海に半分浸かった状態で目を閉じて掌に意識を集中した。

「次に体の血の流れを感じる」

(体に回っている血……)

 オリエスは自分の体の中に意識を集中した。

「血が熱くなってきた気分だ」

「それで呼吸を整えて潜ってみたまえ」

「はい」

 オリエスは全身を前に伸ばして泳いで海に潜った。

(体が熱いけど苦しい……)

 オリエスはすぐに海面に出た。

「息が苦しいです」

「まだ水に体が慣れていないからか。溺れない深さで何度か練習するといい。私は食事の準備をするから」

「はい」

 リオーザは小屋に引き返してオリエスはそのまま素潜りの練習をした。

 昼過ぎにはオリエスは水中で長く潜れるようになった。

「ああ、何となく感覚は掴めたな。海の水のしょっぱさには慣れないけど」

 オリエスは砂浜に上がって仰向けになった。

「コロナボスが眩しい……空が青い……ずっと揺れながら光っていた町の空と違って綺麗だな」

 オリエスは疲れてまどろんだ。

(空か、綺麗な青い空……あの時見た空。あの時っていつだったかな。いつ?)

 オリエスの心が深い意識の海の底に潜っていった。

「深く青い海の底のように……」

 オリエスはヘミンスの心の声を思い出した。

(ああ、あの時……そうだな。あの時に見たんだ。青い空の中で高い場所から海を見下ろすのを)

 オリエスは空から見下ろす海の彼方に小さな島々を見た。

 ふっと目を覚ますとリオーザが微笑んで立っていた。

「疲れたのか」

「いえ……何かが見えた気がして」

「そうか。食事の準備が出来た。少し休もう」

「はい」

 静かに波が打ち寄せる砂浜を後にして二人は小屋で食事した。

「潜れるようになったとして本当にロコトロアへ行けるのですか?」

「君の力なら問題ないだろう」

「でもあの深さだと水圧に潰されそうで怖いな」

「君は色々勉強しているね。木の民が変わり果てた聖樹も水の中で息をしているだろう。大丈夫だ」

 リオーザは微笑んだ。

「聖樹が息を……ああ、だから他の人が生きていられるんだ」

「そう。だから信じればいい。自分の心も体も全てをね」

「わかりました」

 オリエスは食事を済ませて砂浜へ走った。

(俺は自分を信じる……心も体も)

 意識を集中してオリエスは海に入って潜った。

(体が熱い……でも息が楽になってきた)

 オリエスは目を開けた。

 地上からの光で揺れて彩られた浅瀬が目の前に広がった。

(もう少し先に行ってみよう)

 オリエスは意識を集中すると体が薄い緑色の光に包まれた。

 体が加速を始めた。

(こういう事か。もう少し先に……)

 オリエスが更に意識を体に集中した。

 速度がさらに上がった。

(これならいけそうだ)

 オリエスを速度で上げて自由に泳いだ。

 魚達が素早くよける合間を泳ぎながら意識を掌に集中した。

(魔法も使えそうだな)

 オリエスは岩に風の弾丸を連射した。

 岩肌が次々と崩れた。

(よし、いける!)

 オリエスは海中で魔法を使う練習を繰り返した。

 その晩。

「明日、ロコトロアへ行きます」

 オリエスはスープを飲みながら言った。

「そうか。迷わないように気をつけてな」

 リオーザもスープを飲みながら静かに答えた。

「はい。あの……」

「何だね」

「俺の心を見たのなら俺の願いも知っているのですよね。教えてくれませんか」

「確かに見たがそれは君だけの物だ。私は口に出さないよ」

「そうですか」

 オリエスは果物を口にした。

「もしバルザゲアを倒したら父さんも母さんも目が覚めるのでしょうか?」

 オリエスは呟いた。

「それはわからない。私も知らない生物だからね。でも君は決めたんだろ? 自分を信じればいい」

 リオーザは優しく答えた。

「はい。それじゃ寝ます」

 オリエスは席を立って少し離れた床で横になった。


 翌朝、オリエスはリオーザと砂浜に立った。

「お世話になりました」

「ああ、ヘミンスによろしく言っておいてくれ」

「はい。ありがとうございました」

 オリエスはリオーザに礼を言って海へ入った。

(ロコトロアへ……)

 オリエスは意識を集中して深い海の底へ潜って行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る