第14話 隠れ里(2)

 翌朝、三人はロコトロアへ出発した。

 ロコトロアはフラスコンテから遙か南の海溝の洞窟にある隠れ里で光が届かない為、住民は火をともして暮らしていた。

「凄いな。こんな所に人が住めるのか」

「海溝の横穴の洞窟に住むなんて最初に住んだ人はよほど物好きだったのね」

 潜水艇を降りたオリエス達は辺りを見回しながら歩いた。

 湿気のある岩から海水が時々オリエス達の頭や肩にしたたり落ちた。

「もう、買ったばかりの服が台無しだわ。海水に濡れるとべたついて洗うのが手間なのよね」

「そうね。ここの人達って洗濯どうしているのかしら」

「長く住んでいるからいい洗い方を知っているかな。ベタベタして早く着替えたいわ」

「そんなヒラヒラした服着てくるからよ。空でも飛ぶつもりなの?」

(おばさんが二人いるみたいだ……)

 場違いなシュミルとパンジィの会話にオリエスはがっかりした。

 洞窟を歩いた先にある固い木製の扉を開くと中には大きな広場があり壁に横穴の洞窟がいくつかあった。

「これが隠れ里……」

 オリエスは今まで見た事のない風景に驚いた。

「この中に人が住んでいるのかしら」

 パンジィも呆然とした。

「あっそうだ。すみませ~ん! フラスコンテから来た者ですがヘミンス様はいらっしゃいますか!」

 シュミルは大声で叫んだ。

 洞窟のまばらな人影はゆっくり動いていた。

「私達が怖いのかしらね」

「レイシェル様が外界と交流を拒んでいるって言っていたからな。もしかしたら危ない連中かもしれない」

 オリエスは剣を抜いて構えた。

「待て! そこの者達。我々は戦うつもりはない」

 どこからか低い男の声がした。

 横穴の一つから薄い布の服を着た端正な顔立ちの男が歩いてきた。

 オリエスは剣を鞘に収めた。

「私がヘミンスだ」

「ヘミンス様、初めまして。フラスコンテから来たシュミルです。こちらはオリエスとパンジィ。これはレイシェル様からの書状です」

 シュミルは書状をヘミンスに手渡した。

「ほう、レイシェルか。久しぶりに聞く名前だ」

 ヘミンスは書状に目を通した。

「ふ~ん……お前がオリエスか。私と手を合わせてくれないか」

「えっ、はい」

 オリエスは戸惑いながらヘミンスと掌を合わせた。

 二人の掌が緑色に輝いた。

 遠くで見ていた住民達がざわざわと何か小声で話し始めた。

 光が消えた。

「なるほどな。木の民の血を受け継ぐ者よ、ようこそロコトロアへ」

ヘミンスが大声で言うと住民達が両手を広げてひざまずき不思議な手の動きを繰り返して合掌した。

「私達、歓迎されているのかしら」

「そうね。少なくとも石を投げてきそうな感じじゃないわね」

 シュミルとパンジィは異様な光景に声をひそめて話した。

 オリエスも沈黙が広がる洞窟でひざまずく人々の姿に絶句した。

「状況はわかった。オリエス、あの聖石に手を当てるのだ」

 ヘミンスは広場の先にある木に絡まった聖石に触れるように言った。

「あれも聖樹なんですか」

「ああ。そうだよ」

 ヘミンスが穏やかに答えた。

「あんな小さな聖樹、初めて見たわ」

「私もよ。こんな木もあるのね」

「これは始祖の聖樹。この星で初めて生まれた聖樹だ」

「どのくらい前からあるんだ……」

 オリエスは驚きながら自分の背丈ほどの細い聖樹の前に立った。

 聖樹の中には小さな聖石がほのかに輝いていた。

「さあ、聖石に手を当てなさい」

 オリエスは言われる通り聖石に手を当てた。


 オリエスの目の前が暗くなり頭の中に沢山の叫び声が聞こえてきた。

 それは呪文のような言葉の羅列と話し声や叫び声が脈絡なく絡まった耳障りな《音》だった。

 その音に合わせて体から魂だけ抜け出てそれが沢山の木のつるに絡まり羞恥心や屈辱や自分の心の殻が誰かに剥がされて醜い中身を晒され沢山の人の目に触れてあざ笑われている感覚になった。

 裸になった心を陵辱されて暗闇の海に沈んだ魂の先に深く青い空が広がった。

 魂が泣いて流れ出た涙は雨となって暗闇の海に降り黒い大地が浮上した。

 大地に生まれた黒い動物は異形の姿で地面を這い回った。

 涙が涸れ果てた魂から流れ出た赤い血の雨が黒い大地に降った。

 異形の動物達は赤い雨を浴びて幾つもの人間の手に変わった。

 大地から伸びた沢山の黒い手は空に伸びて浮かぶ魂を取り合った。

 黒い手に捕まれた魂は引きちぎられて小さな粒がポトンと地面に落ちた。

 そこから無数の根が地面を勢いよく這って伸びた手にあっという間に絡まった。

 手に絡まった根は強く締め付けて養分を吸った。

 悶え苦しむ手は痩せ細って肉を失い骨だけとなった。

 それに呼応するように大きな幹が空に伸びて太い枝を四方に伸ばし小さな掌の形の赤黒い葉が茂みだした。

 木に芽生えた魂は人の心を取り戻していった。

 それはまた羞恥と屈辱の繰り返しを続け枝に実った無数の真っ赤な魂の実は誰にも 見られたくない心の種が含まれていた。

 黒い大地に血の川が流れて暗い海に続いた。

 深く青い空に伸びた木はやがて実を落とした。

 無数の実から芽生えたのは黒い人の形をした生き物だった。

 男か女かわからないその黒い生き物は成長すると四つん這いになって翼が生えた。

 生き物達が一斉に空に羽ばたいた。

 黒い翼で覆われた空で生き物は融合して大きな黒い雲の河を作った。

 黒い雲の河から無数の稲妻が木に落ちた。

 太い木は大きな炎を挙げて燃えた。

 木は黒く醜い幹だけになった。

 強い風と雨が木を吹き付けて焦げた樹皮が剥がれていった。

 焦げた樹皮が剥がれて木が真っ白になった。

 白い木の根元から白い根に生え変わって黒い大地に白い網の目の根が広がった。

 木がまた成長を始めた。

 白い幹を空高く伸ばし白い枝を四方八方に伸ばし枝の先に無数の緑の葉を生やして大地を全て覆うほどに巨大でどこまでも高く伸びた。

 黒い雲の河に伸びた枝は雲を吸い取った。

 雲が千切れて消えて白く大きな木が大地を覆うと無数の緑の実を落とした。

 緑の実は次々と成長して黒い大地に沢山の木を生やした。

 大地は緑に覆われた。

 川は血の色が薄れて澄んだ水になって海へ流れた。

 木を中心に大地が隆起した。

 木の周りに新しい森が生まれて地面は様々な色の緑に覆われた。


「はっ!」

 オリエスは我に返って手を離した。

「あらっそれだけ?」

「何も起きなかったわね。凄い事が起きると期待していたのに損したわ」

 後ろからシュミルとパンジィの声が聞こえた。

 オリエスはいきなり吐き気がしてうずくまった。

「オリエス、しっかりして!」

 シュミルが背中をさすった。

 オリエスはゲホゲホと咳き込んで嘔吐した。

「大丈夫だ。始祖の聖石に触れた者は皆こうなるのだ」

 オリエスは涙を出しながら吐き続けた。

「さっ、これをお飲み」

 中年の女が差し出した陶器に入った水をオリエスは一気に飲んだ。

 まだ咳き込んでいた。

「どの位、触れていたんだ」

 オリエスは涙目をこすりながら訊いた。

「あっという間よ」

 パンジィは水を飲みながら答えた。

「オリエス、もう一度私と手を合わせるのだ」

「えっ……」

 オリエスは戸惑った。

「恥ずかしがる事ではない。ここに住む者達は皆同じ経験をしてきたのだ。お前の心はお前だけの物だ。私を信用するのだ。さあ」

 ヘミンスは掌を広げた。

「わかりました」

 オリエスは震えながら掌を合わせた。

 再び二人の掌が緑色に輝いた。


(オリエス、聞こえるか)

(えっ、ヘミンス様? 俺の心に語っているのか)

(ああそうだ……お前の心にだ。お前の心に映った景色が私に見える。だが恥ずかしがる事はない。お前の心はお前だけの物だ。この手を離したら私は忘れる。だから信じてくれ。ただ深く青い海の底のように)

(わかりました。信じます。深く青い海の底ように……)

 オリエスは気持ちを落ち着かせた。

 自分の心を流れる何かが掌を伝って相手に流れていく感覚がした。

(一人になりたい。一人になりたくない。逃げ出したい。逃げ出せない。父さんと母さんが早く目を覚まして欲しい。あの人も治って欲しい。俺は甘えているのか。俺はずっと子供のままなのか……お前の心から伝わる願いも痛みも深い底に流れる欲望も誰もが抱く物であり何も恥じる事もない。そう恥じる事はない。そして木の民の血から湧き上がる心もまた当たり前の物なのだ。さあ木の民の血から湧き上がる心を私に流してくれ)

(わかりました……深く青い海の底に湧き上がる木の民の血……その血が描く姿は遙かに伸びる白い木の姿なり)

 オリエスは自覚しないまま心で語った。

(熱い何かが流れてきて体が焼けそうだ)

(私もだ。これがお前の血の力か)

(心が燃えるように熱い。止められない)

(そのまま流れに身を任せろ)

(熱い熱い熱い!)

「うわあああああ!」

 オリエスは叫んだ。


 掌の緑色の光がバチバチと火花を散らして爆発した。

 オリエスとヘミンスは両端に吹っ飛んだ。

「オリエス!」

 パンジィとシュミルはオリエスの元に駆け寄った。

 ヘミンスの元にも住民達が集まった。

 オリエスは息を荒くしながら立ち上がった。

 ヘミンスも立ち上がった。

 聖樹の聖石が激しく輝いた。

 住民達が風の魔法を聖石に放った。

 大きな風の流れがゆったりと聖石の輝きの粒子を乗せて辺りに吹き回った。

「何なのこれは?」

「わからない。でもすごく心地いい……」

 シュミルとパンジィは粒子が体に入って深い安らぎを感じた。

「癒やしの魔法を撃てと聞こえる……」

「私は……水の魔法?」

 シュミルは自然と両手を伸ばして癒やしの魔法を放った。

 パンジィも両手を伸ばして水の魔法を放った。

 辺りに木の香りと癒やしの光と細かい水の霧が漂った。

 聖樹が緑色の光に包まれた。

「何だろう。安らぎを感じる」

 オリエスは両手にほのかな温もりを感じて掌を見た。

 掌に紺碧の光が輝いた。

「不思議だ」

 オリエスは静かに呟いた。

 薄い水の霧が晴れた。

「見ろ。聖樹が!」

「おお!」

 住民達が驚いた。

 オリエスも聖樹を見て驚いた。

「こんなに大きくなっている」

 さっきまでオリエスの背丈ほどの高さだった聖樹が高く伸びて葉が生い茂っていた。

「始祖の聖樹の成長は次の世界の成長期の到来を表すそうだ」

 ヘミンスが聖樹を見上げて呟いた。

「世界の成長……どういう意味ですか?」

「それはわからない。私も始祖の聖樹が成長した姿を見るのは初めてだからな」

「まあいいじゃない。ちょっと話についていけないけど水の魔法を使えるようになった事には感謝するわ」

 パンジィは乾いた口調で話した。

「そうですね。私もさっきの霧を吸ったせいか魔力が上がった気がします」

「そうだな。世界がどうしたとか今はそんな事を考えても仕方ない。俺達は魔法の修行に来たんだからな」

 オリエスは明るく話した。

「ヘミンス様、俺の心に何があるのかも木の民の血の力が何なのかも俺にはわからない。でも今は自分の強さを信じます。だからここで修行させて下さい」

 オリエスはヘミンスに頭を下げた。

「わかった。自分の願いを強く抱いて励みたまえ」

 ヘミンスはうなずいて横穴へ歩いて行った。

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