第2話 少年オリエス

 海底都市ポルバラト──

 この星のどこにでもある聖樹のふもとに建つ小さな町だ。

 ドーム状の天井は内側からは半透明で外の様子が見えた。

 昼間は恒星コロナボスの光が海底まで届いて町の地面をゆらぎながら照らしていた。

 昼下がりの石造りの町のはずれにある森の中で子供達が遊んでいた。


「おい、オリエス。本当にあるのか、音の鳴る木が」

 仏頂面の少年レックスは不審に思いながら言った。

「オリエスがあるって言うならあるんじゃない。どこかの嘘つきと違って」

 金髪の少女エリーセは冷たく答えた。

「何だよ嘘つきってまだ怒っているのか」

「当たり前よ。服に虫が入ったとか女の子をからかうもんじゃないわよ。最低」

「女の子? お前もう17だろ。もうすぐ村の儀式を受けるのに」

「女の子はね。いくつになっても女の子なのよ。汚い大人の男と一緒にしないでくれる」

「うわっ……お前、絶対結婚できないタイプだな」

 二人が騒いでいる時、黒髪の少年が振り向いた。

「ほら、くだらない事で喧嘩するなよ。もう大人なんだから」

 オリエスは呆れた表情で二人に言った。

「はいはい、どうせガキですよ~だ」

 レックスはふて腐れた。

「ねえ、随分奥まで来たけど大丈夫?」

「すぐそこだから。あっ聞こえた」

「おい、待てよ」

 森の道を外れてオリエスは茂みの中へ走りだした。

「この辺だけど」

 オリエスの頭の中でコーンと木を叩くような音が聞こえた。

「ああ、この木だ」

 オリエスは目の前の木に触れた。

 手の振動を感じて音が頭の中で聞こえた。

 コーン……コーン……コーン……

(何て気持ちのいい響きだ)

 オリエスは目を閉じて音に聞き入った。

 何度も頭の中で木が叩くような音が響いた。

 それはとても深く安らぎを感じる音だった。

「おい! しっかりしろ!」

 頭の中で誰かの声が聞こえた。

 目を開けるとレックスの顔がすぐそこにあった。

「うわっ何だよ!」

 オリエスは思わず後ずさりした。

「何だよじゃねえよ。木に触った途端に気絶してびっくりしたぞ」

「そうよ。どうしたの?」

 二人が心配そうにオリエスを見た。

「いや、木の音を聞いているうちに気持ち良くなって……聞こえなかった?」

「はあ? 全然」

「寝ぼけていたの? この辺に幻覚や幻聴を起こす植物が生えているのかしら」

 二人の答えにオリエスは首をかしげた。

「エリーセの言う通り変な草が生えていたらやばいな。帰ろうぜ」

 レックスが見渡しながら言った。

「あっ、ああそうか。ごめんな。変な事に付き合わせて」

 オリエスはあの音は気のせいだと思って二人に謝った。

「仕方ないわね。じゃあ帰ろう」

 こうして三人は家路についた。


「ただいま」

 オリエスは家に入った。

「ああ、お帰り」

「あれ、父さんは?」

「寄り合いに行っているわ」

 母のレイナは掃除しながら答えた。

 白い石造りの家は中央に大広間があって奥に台所と浴室とトイレ、2階に個人用の部屋があった。

 家族構成によって部屋の大小や数が若干違うがこれが典型的な町の家の中である。

 住民は病院や学校などの施設で働いたり農作業や町を維持する為の機器のメンテナンスを行っていた。

 子供達は17才まで学校に通って武術や魔法やこの世界の技術を学んだ。

 この星の人間の血液には微弱な帯電性があり、それを利用した電話や無線のような通信技術が発達していた。

 人々はある一定の年齢になると通信を行える装置を指に埋め込み必要な時に掌に画面を呼び出して通話できた。

 この世界では《パタホン》と呼ばれる生体通話機能だ。

 魔法はこの帯電性のある血液と脳機能を連携させて起こすもので、強い集中力で炎や氷属性の攻撃が可能になる。

 しかしこの魔法は脳の機能に依存し個人差があるので威力や使える属性は千差万別である。

 武術は学校で格闘から剣技まで一通り習っていた。

 オリエスは自分の部屋で机に向かって学校の宿題を始めた。

「えっと、高度な魔法の発動は脳機能と集中力に依存し……面倒臭いな。それに俺は魔法が出来ないから覚える必要がないし」

 オリエスのように魔法が使えない子供もいた。

 それは体質によるもので使えないから問題がある訳ではなかった。

 そういう子供は魔法の理論だけ学んで演習の時間は武術の訓練をやっていた。

「眠り病の原因はわかったのかな」

 オリエスは机の横の薄い石板を片手で力強く握りしめた。

 石版の上に画面が映しだされた。

 ネットワークは町単位で構築されて誰でもニュース記事や町の行政機関からの情報を見る事が出来た。

 この石版は血液の帯電性に反応して起動して町のネットワークに繋がった。

 眠り病――半年前から各地で発生している奇病の病名だ。

 突然眠りに入り目が覚めない病。生体反応はあるが眠ったままの状態に陥っていた。排泄しない状態になるので体の機能が停止している部分もあるようだ。

 病原菌によるものではなく感染性はないと研究専門の都市モノシフロから発表された。しかし治療法はわからないままだった。

「オリエス、ご飯よ」

 レイナの声にオリエスは返事して部屋を出た。

「あっ父さん、お帰り」

 広間に入ると父のバルフェが座っていた。

「おう、さっきレックスと会ったが森で倒れたんだってな」

 体格のいいバルフェはオリエスの顔を見ながら言った。

「大丈夫だよ。全くレックスの奴、余計な事を……」

 レックスの口の軽さにオリエスは少し腹が立った。

「レックスだって心配しているんだ。大事な友達にそんな事言うんじゃないぞ」

 バルフェは厳しい表情で言った。オリエスはうつむいた。

「もうすぐ卒業なんだからこれからどうするか考えた方がいいんじゃないのか」

「うん。父さんと同じ水道技師になりたいな」

「おお、そうか」

「魔法が使える訳じゃないし、武術も苦手だからね。技術の成績はいい方だし」

 オリエスが答えるとバルフェは複雑な表情になったが、

「まあ誰にも得意不得意があるからな。そうか、ならビシビシ教えてやらないとな」

 と答えてすぐに笑顔に変わった。

(何でそんな顔するんだろう……)

 オリエスは時々複雑な表情をする父親が気になっていた。

「はい、おまたせ」

 レイナが食事を持ってきた。

 野菜のスープや焼き魚の大皿を次々と広間の真ん中に置いた。

「いただきます」

 床に座ってオリエスは焼き魚を小皿に取り分けて食べ始めた。

 海に囲まれた海底都市だけあって魚介類には困らなかった。

 聖樹の根から出る特殊な成分で魚が寄ってくるので潜水艇で簡単に捕獲できた。

「そういえばサルクから手紙が来ていたわ」

 レイナが思い出したように食事をしながら言った。

「ああ、そうか」

「サルクおばさん? また会いたいな」

 バルフェの妹、サルクはポルバラトより遠方の西のブルフォレに住んでいた。

「そうだな。卒業したら一度行くか」

「本当? 楽しみにしているよ。ごちそうさま」

 オリエスは立ち上がって部屋に戻った。

 オリエス達ポルバラトの住民はこうしてごく普通の日常を送っていた。

 そしてその日常の生活が今夜で最後になった。

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