第14話 籠の中の加護

 ふと目を覚ますと、天井から吊るされた鳥籠が目に入る。


 それだけでもあり得ないことだが、更にそこから鳥の尻がはみ見出し、僕の顔めがけて何かを落としてきた。

 緑色をしたその物体が何であるかを一瞬で判断した僕は、間一髪で鳥の糞をかわすことができた。


 でも特別なことではない。

 なぜなら僕はそういう事態に備えていたからである。


 この前は天井から蟲が落ちてきた。

 顔面への直撃は避けたが、奴は僕の左の肘のあたりに落下し、僕は思い切りそれを振り払った。奴は壁にぶつかり、床に落ちた後、カサカサと音を立て当たりを這いずり回っていたが、そのうち所在が分からなくなった。

 今でも時々夜中にガサガサいっているのは、きっと奴に違いない。

 他にもいろいろあるが、今回は鳥の糞だった


 胸糞悪い


 僕は起き上がり、どういう理屈で天井からぶら下がっているのかわからない宙ぶらりんの鳥籠の中を覗きこむ。そこに3羽の鳥の存在を確認した。


 何故3羽いるんだ?


 普通、鳥籠には1羽しかいないと思い込んでいただけに意表を突かれたが、それにしても3羽飼うにはどうにも狭いように見えた。

 いつから鳥籠が天井からぶら下がっているのかわからないし、正確に言うのならば、ぶら下がっているのではなく”宙に浮いている”のであるから、むしろ”どうやって”のほうが気になる。


 これはマジックなのか?


 僕はシルクハットの中から白いハトが飛び出す手品を思い浮かべ、そして人が宙に浮かぶ手品を思い浮かべ、当たり前のように宙に浮いた鳥籠の上に手をかざそうとした――だが、それをする前に事態は一変する。


 籠の中には、黒く大きな九官鳥とその子供と思しき雛が2羽がいて、どうにもせまっ苦しい。

「苦しそう」と思うまでもなく、見た目に苦しんでおり、大きな1羽が体を大きく揺らし、お尻を無理やりに籠に押し付け、まるでアルミの針金のように籠は変形し、お尻の部分がはみ出している。そしてそこから糞を垂らす。


 なんてひどいことを!

 僕の布団になんてことをしやがる。

 まるで洗った記憶のない汚れたシーツにきれいな緑色の水彩画が描かれていく。

 僕にはそう見えたが、鳥にとってはただの糞である。


 わかった。

 お前の抗議を受け入れようじゃないか。

 しかしこの鳥籠には扉がない。

 僕は籠の網を両手でこじ開けて大きな九官鳥を無理やり引き抜き、籠をもとの形に戻した。

 大きな九官鳥に押しつぶされていた小さな2羽は力なく鳴いている。

 僕は雛の命がすっかり削られてしまっていることに憤りを感じ、大きな九官鳥を睨みつけた。


「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」

 大きな九官鳥は誰かの口真似をする。


 ここには僕しかいないのだから、いったいどこの誰の物まねをしているのかと腹を立て「そんな言葉を教えたつもりはないぞ」と威嚇する。


 九官鳥は怯えていたが飛び方を忘れたのか、まるで逃げようとしない。

 僕は窓がしっかりとしまっていることを確認して、九官鳥を放り投げる。

「飛んで見せろ」


 九官鳥は十分に飛ぶ準備が整わなかったらしく、自分が落としたフンの上に落下した。

 不本意そうな顔で一度僕を見上げ、そしてまた、あの言葉を繰り返す。

「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」


 腹立たしくも、哀れである。

 僕は呆れて窓の外を眺める。

 外は曇り。

 今日も僕はずっとここに居る。

 外に出る必要はない。

 しかしシーツを汚されたので横になることもできない。


 僕は手元から鳥籠を元の宙にもどそうと思ったのだけれど、どうにもいけない。

 種のわからない手品を、どうして僕がやることができようか。

 鳥籠の中は酷く汚れていて不衛生だったので、床に直接置くことも嫌だ。

 誰かに助けを求めようにも、ここには僕と大きな九官鳥と死にかけた2羽の雛しかいない。

 餌はどうする。水はどうすると考えるより先に僕はお腹が減っていることに気づいた。


 あとはもう、することは決まっている。

 なんだ。

 これは僕の食事だったのか。

「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」


 僕は食事の支度を始めることにした。

「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」


 大きな九官鳥は部屋中を叫びながら歩き回る。ふと部屋の隅を注視し、飛ぶというよりは跳ね上がって、部屋の隅に見つけた何かをくちばしでつついた。

 それはこのまえ天井から落ちてきた蟲だった。

「あれはお前の餌だったのか」


 大きな九官鳥は蟲をくわえたまま、翼を羽ばたかせ、不器用に僕が持っている鳥籠の上に飛び乗った。


 好都合だ。


 捕まえる手間が省けた――そう思ったのだが、大きな九官鳥はくわえた蟲を鳥籠の中に落とした。籠の中の小さな二羽の九官鳥のは、目の前に落ちた餌に反応し、食べようとする。一瞬早く、向かって左側の九官鳥が餌をくわえ、一気に飲み込む。


 その様子を見届けると、また大きな九官鳥は部屋の中を歩きまわり、蟲を見つけては籠の中に放り込む。


 また左側の九官鳥が食事にありついた。


 そこには分け合うとか、順番とか、どっちが兄でどっちが弟なのかとか、そういう迂遠な社会的モラルもルールも存在しない。

 強い者が餌にありつけ、弱いものはそれを見届けるしかない。


「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」

 食事をする順番まで押し付けられているような、嫌な気分になったが、僕はその言葉に従い、食い損ねた小鳥を籠から取り出した。

「お前、もっとおいしそうな顔をしろよ」

 無理な注文だとわかっていても、僕はそう言わざるを得ない。

 はたして僕は、お前をうまそうに食べることができるのだろうか。


 きっとそれは、できないだろう。

 窓の外は曇り。

 僕はずっとここにいるしかない。

 だが、何も心配することはない。

 籠の中の鳥を僕が食べつくしたとき、きっと僕はこの部屋から取り出される。


 そして僕は繰り返し叫ぶ。

「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」


 そうか――それを最初に言ったのは、さっきの蟲に違いない。

 わかってしまえば、どうということはない。

 僕は、僕の役割を理解した。

「どうぞ召し上がれ、美味しく召し上がれ」


 どうだい。お前よりはうまいだろうと得意げに九官鳥を見下ろす。


「早くしたくしなさい。早くしたくしなさい」

 九官鳥は首をかしげながら、そう叫び続けた。

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