第9話:二つの月と一つの太陽

        西ルビル高地ルグリアス湖畔、午前1時40分、2015年7月3日



 顔を叩く音。ぺちぺちと心地いい感触、多分これは里香だ。


「起きて、お兄ちゃん、起きて。ごはんだよ。」


 俺は知っている、彼女は朝起きるのが早い。それは叩き込まれた生活習慣のせいだ。

 見かけこそ高校生のようだがもう軍学校を卒業し陸軍に入隊している立派な軍人らしい。

 らしいというのは彼女がそれらしい仕事をしているところを見たことがないからだ。

 一応カーキ色のそれっぽい制服の上に青いエプロンをつけている。

 亜麻色の髪の可愛らしい子だが実は俺より7年は年上だ。

 この子とは俺がここに来て初めて会った人間だ。

 人間とは言っても普通の人間とは違う、いや、ここでは普通の人間だ。

 頭からは狐の様な耳が生え尻からも狐の尻尾が生えている。

 彼女も普通の人間だと思ってるし俺もそれを疑ってはいない。


「起きてるよ、リカ…俺は寝起きが悪いんだからさ。」

「お兄ちゃんパン焼けたよ。」


 手荒には扱わないが彼女は起きるまで諦めない。


「起きるよ。それにしてもさリカ、やっぱお兄ちゃんってリカのほうが年上なんだからさ…」

「だめ、私にとってはお兄ちゃんだから。お兄ちゃんのほうが老けて見えるし」

「それだけかよ…」

「うん、だから起きてー起きなさいー!」

 

 その声が耳に響く。急速に意識が戻る、これは夢だ。そして直前までの記憶も蘇ってくる。 

 銃声、倒れる人、命を落とす人、爆音、魔法陣の閃光、泣いている里香、

 そしてクルガンさんの言葉。俺は眼を覚ました。

 夢だ。ここはーあの倉庫じゃない、焚き火、一面の星空だ。肌寒いが、温もりを感じる。 


 「やっと起きたね。」


 俺は身体に毛布を羽織らされ、大きな欅の木に寄りかかるように寝かされていた。

 少し前で焚き火がパチパチ言いながら小さな炎を上げている。

 里香は俺の隣で同じように毛布を被り座っている。よく見るとその頭には狐の様な耳が生えているが、不思議と驚きはない。それが普通であるように見えてしまう。

 炎の向こうには池ではないが小さな湖が広がっている。水面を二つの小さな月明かりが照らし出している。焚き火の隣にはリュックが置かれ、その上にスコープの付いた大きなライフルとサブマシンガンが置かれている。見たところ周囲に大きな木はない。それどころか人工の建物が一軒もない。


「ここは…」

「ここはアルカディア星、私の本当の故郷なの、そして……あの人たちの。」

「全部…現実なのか。」

「うん…お兄ちゃん、現実なの。ここに来た事も、みんなが死んじゃった事も。」


 彼女は俺にしがみつき声を上げて泣いた。俺も涙が止まらなくなった。里香の背中と頭に腕を回して抱き締める。背中が震えている、あの時俺の身体を軽々と抱えていたとは到底思えない。でも現実だ、さっきまでの事は覚えている。あの人たちは死んで、俺と里香は生き残ったのだ。

 俺は自分に何が起きたかを知らなければいけない、でも今だけはせめて何も考えずに、彼女の慟哭が収まるまでこうしていたかった。



       イシュタリア要塞総督公邸、午前0時40分、2015年7月3日


 長距離交信魔法が呼び出し音を放っている。酒を飲む気にならず、就寝前に本を読んでいたマリア・レイミアスは、応答しようとして表示されたその相手の名前に躊躇を覚えた。


 ドラゴ・ブレドニクス・クルガン、1年ぶりだ。その単語は彼女にとって辛い思い出を内包した名前だった。決して仲の悪い間柄ではなかった。それどころか寧ろ彼は恩人でもある。彼の友人と共に戦場と化したワルシャワに現れ、戦場の暴力と人智を超えた得体の知れない力に身も心も壊された彼女に歩むべき道と安住の地を与え、魔法の力と自由な空と英雄としての諸人からの喝采を与えさせてくれた人だ。

 だがある日突然、彼は彼女の小さな恋人とその家族の秘密を告げて彼女から引き離した。辛い事ではあったが、彼女は地球でもこの星でも戦場の地獄を見てきた。自分の想いと国家の命運を秤にかけるにはあまりに多くのものを見過ぎていたのだ。老魔術師とあの子のが見てさえいれば幸せにはなるだろう、そう自分に言い聞かせ身を引いた。それっきり彼女は連絡を取ることはなかった、あの子の名前を思い出すのが辛かったからだ。

 発信者の位置はリスレイ空軍飛行場、イシュタリアの200キロ東、彼の公爵家の領地内にある非常に小さな滑走路だ。クルガンと帝都の事務官以外使わない、舗装すらされてない別荘のすぐ隣に作らせた滑走路。こんな夜更けに一体何の用だ。イシュタリアに飛びたければ24時間動いているの軍の管制塔を呼べばいいのに、と彼女は訝ぶったがすぐに当たり前の事実を思い出した。


 彼は今地球だろうが、帰還予定はもっと先だ。星に戻って来ている訳がないのだ。


 不吉な予感に囚われながら回線を開ける、音声だけだ。画像はない。


「いよう…嬢ちゃん……たまってるか?いい男…紹介…してやろうか?」


 久しぶりだがいつもの声じゃない、すぐに分かる。負傷している、それもかなりの重傷だ。


「先生…!一体何が起こったんですか!」

「やめて…くださいって突っ込めよ、馬鹿…野郎。よく聞け、敵に襲われた…そっち…に…坊やを送った。リカも一緒だ。」

「ジンが襲われたの!?誰が、敵は!?」

「敵は…坊やの親父だ、裏切って…オフィルについた。」

「そんな……どうして…何故ですか!?」


 マリアは驚愕する。信じられない。彼の父がヴァンパイアである自分を嫌っていたのは分かる、それが別れさせられた理由だ。だが親子で帝国には行きたがっていたはずだ、その為の交渉も順調だったのではないのか。


「理由…なんか知るか、術式に細工…されていた、無理やり書き換えて飛ばしたが、多分行き先は…西ルビル高地になる、そういう計算だ。いいな、マリア…お前…が探しに行け、そ…れと軍も……機関にも…話すな、坊や、を護れるのは…」

「スパイですか?」


 信用するなとは間諜のことか、返事が来ない。マリアは焦燥感に駆られる。


「しっかりしてください!先生!」

「マリ…ア…悪かったな…面目ねえ、リカと坊やを……頼む。」


 それを最後に交信は途絶えた、相手方の術式停止、それが理由だった。戦場で何度も聞いた瞬間だ、彼女はクルガンが死んだことを理解した。彼女は混乱しそうな自分に落ち着け、考えろと言い聞かせながら自分が彼から聞き逃したことはないか省みる。

 交信術式の履歴をもう一度見るとそれは対象者の魔力とリンクしなければ傍受不可能な最新型の秘匿術式でしかも地球の何箇所か、他の軍とは縁の薄い術師のホームを経由して彼の領地にある魔法陣を通って彼女と接続していた事が分かった。本来はそうした情報は見れないように送信側からロックされるのが普通だが、それだけ回り道した事実を敢えて見せている。それは国や軍すら信用するな、という忠告であることを理解した。

 まるで戦場に放り出されたような気分だ。身分証とケープを片手に部屋から出る。物音に驚いて出てきたメイドに空軍基地のエムデンに行く、車を出すから銃と予備の服を用意するように、誰が来ても一切取り次ぐなと伝え車庫に走っていった。



     ウル・アスタルテ、午前2時30分、2015年7月3日



 アルカディア帝国元老院軍事委員会副議長リンド・ガルディス男爵は7年前からこの職を務めている帝国の番人達の若き星だ。皇帝は平時にあっては象徴的な権威といくつかの特権以外は国政に関わることはない。国が戦時となったときにのみ、皇帝を意味するインペラトールというラテン語の原義が軍の最高司令官であるようにその権限の全てを発動する。

 元老の任務は皇帝に権限を委譲しなければならない事態を未然に防ぎ、かつ有事にあっては許される限りの最善の状態で事態の解決を皇帝に託すことだ。彼は有能な魔術師でもなければ武功を上げた戦士でもない、軍事技術や兵站を専門とする世襲貴族として代々その道を裏方として生きてきた専門家だ。

 彼は各都市の指導者達や帝都の政治家たちとの折衝の毎日から2年ぶりに解放され翌朝にはイシュタリア行きの旅客飛行艇で恋人と一緒に3週間の神殿へのバカンスを楽しむ予定となっていた。

 その彼が今、ベッドの上で激しい落胆の表情と共に彼女を抱きながら許しを求め、彼女は頭を撫で彼を慰めている。出発前夜のお愉しみを邪魔した原因は数分前に受信した彼直属の特務機関からの緊急文書であった。


「本当にごめん、ドナ。」

「こういう仕事だと分かってますから、大丈夫ですよ。」

「君一人で先にイシュタリアへ行くか?」

「嫌です、行くのなら一緒がいいですから。それよりも家を出たらそんな顔しないでしゃんとして下さいね、他の元老達の子供位に若いんですから、またいじめられますよ。」

「そんな酷い顔してるか?」

「ええ、本当に。急ぎでもシャワーくらい浴びてください、私は執事を呼んできます。」


 文書にはこう書かれていた。


「大至急機関へ戻られたし。地球・横浜にて第1種非常事態宣言受信。対策部隊展開、現地へ急行中。現在クルガン公以下7名死亡の模様、護衛対象ジン・シマモリおよび護衛官リカ・イーヴィス中尉が行方不明。」



 オフィル共和国ニューケイナン上空、午前2時30分、2015年7月3日



 アルカディア帝国とオフィル共和国の航空戦力は全て自国領土の防衛に特化している。現在の両国間の地理的条件ではお互いの国土に侵入して直接航空攻撃を仕掛けるのが事実上不可能だからだ。

 もしどちらかの国がどちらかに攻め込もうとしても攻め込む側が航空支援を受けられない。敵の航空攻撃を一方的に受け、作戦の成否に関わらずとてつもない損害を受けることが必至だからだ。それは第二次オフィル戦争によってアスタルテ大陸に刻み込まれた後遺症だ。

 表向き両国は停戦協定のようなものを結んでいるが、緩衝地帯での散発的で小規模な陸上での戦闘や本国から遠く離れた海域でのにらみ合いは現在も両国の黙認の下に続いている。そんな場所に向けて今、1機の輸送機が6機の戦闘機の護衛を伴ってニューケイナン郊外のセント・ジョージ陸軍基地を離陸した。機体はC-97ストラトフレイター。50トン以上のペイロードと戦闘機に匹敵する速度を誇るこの大型輸送機は40年前の導入以来通常では損失を恐れ緩衝地帯への侵入は禁じられ、そうしたリスクの高い作戦には小型の輸送機を充てる事になっているが今回はその例外となった。

 この機体はこの星の多くの航空機がそうであるように様々な仕事を兼務できるように大改造されている。大型のカーゴドアを尾部に取り付け、目的に応じ座席や貨物室のレイアウトを自在に変更できるようになっており、通常の人員輸送から空挺作戦までこなせるようになっている。現在は空挺作戦仕様にされている。

 その機内には現在39名の軍人が乗り込んでいる。地球所管の「ワスプ」、件の第8連隊の残りと特殊空挺第1連隊通称「フライ」からなる混成部隊だ。指揮を取るのは特殊空挺第1連隊の隊長フレデリック・ミーアン大佐と作戦のオブザーバーとして参加している軍情報部のジョン・ファラガット少将だ。

 1時間半前にセントジョージ陸軍基地の地下機密エリアに設置した、特別に調整した旅界術魔法陣に敵が誘い込まれなかった事が判明し、標的の行き先が予想されていた場所の一つ、共和国や帝国の支配地域ではないルビル高地であると判明した瞬間、二人の顔は落胆を隠せなかった。

 決してうまくいくと期待していたわけではない、だがあのクルガン公を騙すことに失敗すれば自分達が即、ルビル高地で捜索任務に行かねばならないからだ。術式を完全復元され帝国に逃げられる任務失敗ルートでなかっただけマシではあるのだが。

 この計画自体が厳重な秘匿を要求されていたために航空偵察隊を大々的に動員した事前哨戒はできない、護衛の戦闘機すら現地についてくるのはファラガットの部下のP-82ツインマスタング3機だけで後のP-38ライトニングの3機は国境で引き返す。そして付いて来る3機は実は戦闘機とは名ばかりだ。極秘裏に高地に作り上げた滑走路から離着陸できるように脚を強化したその機体はブローニングM2機銃2丁以外武装を全て外し、代わりに予備の燃料タンクと偵察用の機材を積み込んでいるのだ。

 ルビル高地は両国の支配を受けない山賊、武装勢力の土地だ。勿論彼らとの協力関係は多少なりとも存在するが、彼らは自分達のイニシアチブは決して手放さない。下手に駆け引きを持ちかければ返事の言葉は銃口から放たれる。手を借りることは可能な限り避けたい。

 今、二人は機内で部下達に状況説明をしている。宙に浮いたスクリーンにはジンとリカの顔が表示されている。今はファラガットが話している。


「―事前の資料で見てると思うが最新の顔がこれだ。女の方は姿を偽装している、写真はないが現在は本来の獣人族の特徴である耳と尻尾があるから各自でイメージしておいてくれ。」

「准将、質問よろしいでしょうか?」

「構わん」

「彼女は旅界術師ではなくただの護衛ですよね?確か敵のチームは術師が二名いたはずと思いますが彼らが実は生きていて後からやってくる可能性は?」

「生きている可能性はないと断言できる。我が方の術師、セーラ・ロス女史が敵の旅界術魔法陣を細工したときに同時に簡単な監視術式を仕掛けた。そこから分かったことは、魔法陣が一度出力不足で中断し、クルガンが魔法陣から出て外部からの操作で動かした事と、その時点でベースで生存していた人間が他にいない、その後術式は魔力途絶で不正規の機能停止をしてそれっきりって事だ。普通に考えて生存者はこの二人だけだ、後は敵の対策部隊が動く可能性だが、クルガンは本国への緊急警報を出した後、土壇場で座標を修正している。アスタルテ大陸の何処に行ったか知ることは出来ない、だがこっちは分かっている。捜索に何週間もかかれば奴等も飛んでくるだろうが、その前にルビル高地は山賊の土地だ、帝国よりも山賊が目先の敵だ。納得したか?」

「イエッサー。」

「話を戻す、こっちの女、リカ・イーヴィス中尉だがこいつが山賊以外での我々の敵だ。侮るなよ、実はこいつに関しては悪いが詳細な情報がない。誰か何か知っていればこの場で教えて欲しい位だ。見てくれはガキだがれっきとした軍人だ。年齢は27歳、イシュタリア出身。陸軍情報部所属からイシュタリア総督府に出向して以来の経歴は一切不明だ。」

「総督府…伯爵…」


 兵士達のざわつく声。


「静かに、あのドラキュラ女との関連は不明だが、ただの小娘と思うな。それとは出てこない。あいつの船、エムデンは今ドック入りしている。俺達が降りた途端に血を吸われたりガトリング砲でハンバーガーにされることはないから安心しろ。それではお待ちかねの第1目標、ジン・シマモリの情報だ、お前らファイル開けろ―」



     ウル・アスタルテ、午前3時00分、2015年7月3日



 帝国軍事委員会危機管理センター、そういう名前で呼ばれているこの施設は帝都の南側を占める海軍基地の岩盤の中、地下200メートルに設置されている。今、ガルディス副議長は彼の相棒である機関の保安責任者と4名の護衛と共に車両用エレベーターを2回、人間用のエレベーターを1回乗り継ぎセンターの入り口に降りた。これほど深い地下に司令部が設置された理由は二つある。

 一つは情報処理の為に地球のコンピューターを使っている為だ。星の大気中に満ちる魔力は防護魔法があっても電子機器を破壊してしまうが深い地下ならばその限りではない。発電施設やその他の技術要員がいるためにコスト的には魔術よりも不便ではあるが電力さえ確保してしまえば地脈や大気を流れる魔力に依存せずとも大量の情報を管理でき、大出力の魔力を得る上で無視できない地質的な条件が無視出来る。

 そしてもう一つの理由は防御力だ。その対象はただの巨大爆弾や歴史上存在した最強水準の極大魔法の攻撃ではない、核兵器だ。いまだにアルカディア星には存在はしないし製造も配備も使用もこの星では著しく困難だがその障害を乗り越えていつ敵が持ってもおかしくないという認識のもとで警戒しなければならない地球の武器、核兵器に対応した設計が要求されたからだ。

 この施設に限らず、現在の帝都は公表こそされてないが新規に建造中の地下建造物は皆、核攻撃への防御力を計算して設計することを事実上義務化され、イシュタリアに迫る地下要塞への改修工事が50年前から続いている。陸海空軍全ての軍事システムは極秘ではあるが核兵器の存在を前提とした運用を行っている。

 今やこの国の防衛システムは核の存在を前提としたものに生まれ変わりつつある。それは単なる猜疑心に基づくものではない、自分達がその保有を目論んでいるからだ。ガルディスが若いながらも軍事委員会の重鎮になったのは家柄の問題ではない、彼自身が核開発を担う技術将校達のまとめ役だったからだ。

 衛兵に敬礼を返すと扉のスイッチを押す。トラックの排気ブレーキの様な音と共に厚さが1メートルはある鋼鉄の扉が開く。そこから先は護衛は入らず彼と相棒だけが中へ進む。そこは劇場の様な作りになっていた、観客席の位置には通信や情報処理を担う支援要員たちが端末とにらめっこをしている。真上には全員が見れるように壁に沿った大きなスクリーンが何枚も宙に浮いている。そして舞台の位置には楕円形の大きなテーブルを13個の椅子が囲うように配置されている。座っている人間の数は8名。

 部屋に入ったガルディスは早足で席に座る。相方は支援要員の席を譲ってもらった。


「遅くなりました、議長」


 口を開いたのは一人の老女だった。軍事委員会議長イヴ・ノートウェイ。顔は笑ってはいないが冗談を飛ばす。


「災難だったわね、リンド。家に帰ったら彼女を慰めてあげなきゃきゃだめよ、次の休暇が取れるまで貴方が神官様の代わりしなきゃね。」


 皆作り笑いを浮かべるがそこまでだ、彼の休暇が中断されたことは皆が知っていた。笑っている場合ではないが下品な冗談でもいいから気を緩ませたかった。それほど今回の事態は皆にとってショックだったのだ。彼女は表情を引き締め話を再開させた。

「さて、冗談はここまでよ。ガルディス、横浜での一件は皆にもう説明したわ。彼等の任務と状況の説明をして頂戴。」


 ガルディスは一度深呼吸をする。クルガンが命を落とすとは今でも信じられないからだ、いや、この段階で荒事が発生する想像が出来ていなかったのだ。だがこの難局を乗り切って計画を立て直して見せる、そう自分に言い聞かせながら口を開いた。後ろの部下の方を向き頷くと同時に顔写真が浮かび上がる、それはジンとその父親、そして横浜所属の8名のものだった。死者は白黒、生存中の者はカラーだ、その意味を再認識した者達から失望の溜息が漏れる。


「ここで初めて申し上げますが、彼らが従事していた任務とは、日本政府のある機関が極秘裏に隠匿していた兵器級核物質の取得計画でした。その計画とは―」


 元老達は息を飲んだ。元老の一人、ボスコフが口を挟む。

 ノートウェイと同期に委員会入りした古株だ。


「―ちょっといいかな副議長殿?」

「どうぞ。」

「その話は貴方が来る前にもうイヴから聞いてるんですよ。議長含め皆が今知りたいのは我々が一切把握していない情報だ。今彼等の経歴をチラッと見たところですが、クルガン公爵以外…言っちゃ悪いがヒヨッコ達ですな。今仰った様な仕事を任せるメンバーとして明らかに未熟な者が多過ぎだ、メンバーの選定をしたのは副議長殿ですね、一体何をやらせていたのですか?」


 慇懃な態度に怒りと疑いを込めている。呑まれたら負けだ、ガルディスは説明のポイントを変えた。


「その質問ですが、実はこの計画はこれから始まるところだったのです、その為には鍵が二本必要でした。一本目の鍵を握る交渉相手がハジメ・シマモリという人物。彼が件の機関で保安責任者を務めていたのですが、彼との交渉にはある条件が必要だったのです、それとメンバーは若くても未熟な者などおりません。このチームの構成は私とクルガン公が慎重な考慮を重ねて編成したものです。」


 ガルディスは立ち上がり、宙に浮かぶジンと父親の写真を指差す。

 言葉は慎重に選べ。もっと考えろ、とガルディスは自分に言い聞かせる。自分以外の元老たちとは親子ぐらいの年の差がある、こいつらは考え方が堅い年寄りだ。何処まで知っているか知らないが伝え方を間違えれば計画の価値を秤にかけずに俺の首を飛ばしに来るだろう。




      西ルビル高地ルグリアス湖畔、午前2時00分、2015年7月3日



 ひとしきり泣いて冷静さを取り戻した里香がまず始めた事が、移動の支度だった。包まっていた毛布を地面に敷いて彼女は大きなリュックの中身を取り出す。

 それは彼女の説明によると万が一事故で変な場所に飛ばされたりした時に備えて、避難時には肌身離さず持ち歩くよう規定されているものだ。中身は濃い灰色のツナギの野戦服が3着に替えの下着や靴下や小さなポーチに入った宇宙食の様な携帯食料、医療キットと説明されたが怪しげな模様が書き込まれた緑色の箱、刃渡り10センチほどの小さな折り畳みナイフ、MP5の予備のマガジンが3本、そしてごつい皮の表紙のついたファイルノートだ。これは術者の魔力が殆どなくても作動する数々の支援魔法を収めた紙が束ねてあるのだそうだ。よくまあこれだけのものがつまっているかと思った。

 さすがに今の格好では目立つ上に肌寒いので着替える。いきなり服を脱ぎ始め、俺が目の前にいる事に気付いて赤面した里香に怒られながら前に俺は慌てて後ろを向かねばならなかった。そして俺も着替える、薄くて軽い様に見えてかなり生地が硬い。里香の説明では海軍用のパイロットスーツをベースにして作られており頑丈で濡れても直ぐ乾き野戦服や作業服で一般的な素材らしい。

 それが終わって彼女が取り掛かったことは俺に現在位置を教えることだった。ノートを取り出して開く。そのページの中に、彼女がアスタルテ大陸と呼ぶこの星の地図があった。何やら呪文めいた言葉を呟くと、地図の上に小さな光点が現れて動き始めた。そしてその光点はふらふら動くと大陸の中央から西側の大きな山脈をなぞり、麓の高地にある小さな湖を指して止まった。

 

「この湖?」

「うん。でもね、ここって私達の国じゃないの。さっきのオフィル…敵の国じゃないだけまだいいんだけどね。ここは一帯がいくつかの武装勢力が支配している地域なの。」

「武装勢力?」

「うん、まあ実際は山賊とかの寄せ集めなんだけどね。昔の戦争のときに私達の国に味方してくれたけどここの人たちは国による支配を嫌っているから、外からの人は基本的に受け付けないのよ。助けてくれるとは思わないほうがいい。」

「救助は…来ないのか?」

「クルガン様が使った旅界術なんだけど、行き先が変なところにされていたから大急ぎで書き換えたのよ。だからこんな所に飛んじゃったの。敵も味方も多分私達が何処にいるかは知らないと思う。ううん、敵が私達の居場所を掴んでいる危険は充分あるの。緊急通信魔法は私の力じゃそんな遠くに届かないし、クルガン様のホーム探り当てる様な相手じゃ使ったら一発でバレるかも知れないの、だから少しでも早く国境まで…歩かなきゃいけないの。」


 地図を見ると国境まではかなりあるように見える。どれくらいかかるのか、と聞こうと思って止めた。愚問だ、手間など関係ない。里香の声が震えているのが分かる。


「…大変なのはわかってる、でも私さ、こんなでも一応兵隊さんだから、鍛えてるから…お兄ちゃんの事は私が護るから、私が死んでも必ずー」

「―縁起でもない事言うな、それを言うなら俺はお前のお兄ちゃんなんだろ。里香を護るのは俺だ。」

「あのねお兄ちゃん、私のほうが…本当は年上なんだよ。」

「ああ、知っている。今の里香の姿見てて思い出したよ。」


 里香は不安げな顔で狐の様な自分の耳に触れる。


「嫌じゃない…?」

「全然、ちっとも変じゃないよ、どっちも俺の知ってる里香だよ。」


 彼女は嬉しそうに微笑んだ、ここ一日の間で辛い事が沢山あって彼女の顔も悲しく、厳しいものになっていたがいつもの里香に戻ってくれた気がした。


「そっか、ありがとう。」

「じゃあ行こうか。きっと助かるって信じよう。」

「うん…」


 俺達は南に向けて歩き出した。まずはこのルグリアス湖から南に向けて流れている川を辿って国境を目指す、やるべきことはもう決まっている。







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