第8話:暗闇に消ゆ

         日本国神奈川県横須賀市、午前0時、2015年7月3日


「Cチーム、応答しろ!」


 ボウルズの声に反応は無かった。20分以上前から報告がなくBチームと、今回の作戦の協力者の車が合流してからもそれは変わらなかった。今彼はBチームではなく、その協力者の銀色のキャデラックCTSに負傷したBチームの部下一人と共に乗っている。

 予想だにしなかった事態に今彼は狼狽していた、第1目標の少年を無傷で確保するのが作戦の大前提だからだ。もし今回の作戦は成功さえすれば、緩衝地帯から先に進軍が出来ない戦況を一変できる好機だ。

 確かに不安要素はあった。上からの厳命で作戦の背景や目標の詳細を現場の隊員にも言えない事、そして作戦が性急に組み上げられていたもので戦闘が優先なのか目標の確保が必要なのかの認識が当事者の間でズレが直らなかった事がそれだ。ボウルズは不安を感じながらも急造の部隊にはつきものの事と黙っていた。

 Cチームの車に取り付けた発信機はヴェルニー公園の100ヤード近くの路地で止まっているのを最後に反応が消えた、そして車に付いたカメラの映像からは彼らが銃を取って外へ向けて発砲している様が写っていたのだが直後にそれも消えた。

 これらの装備は当たり前だが、チームの監視の為ではなく指揮官との連携の強化の為に施されたものだ。それを潰したということは彼らが指揮権から離脱したことを意味する。

 

「仲間の敵討ちですか、残念ですがありえない事態ではありませんね。」

「いや、本当に面目ないとしか…」


 車を運転しているのは一人の日本人だった。6フィートほどの背丈はボウルズより若干低いし細身だがまるで映画俳優のような優雅な佇まいをしていた。見た目の年齢は40代半ばといった感じで短い髪を丁寧に整えた精悍かつ温和な男には見えるがボウルズはこの男の恐ろしさを知っている。

 止めたのに腕前を見ようと体術の試合を求めた大男の部下を一瞬で倒したのだ。力比べといいながらこっそり戦闘用の強化術式を施して挑んだ彼は身体強化の術も何も使わずに素手で全身の動きを封じられ昏倒させられたのだ。本人は違うと言っているがこいつこそ本物のサムライだ。夏物の紺のスーツに身を包んでいる様は、一見何処にでもいるサラリーマンの様に見えるがその下は鋼鉄の肉体だ。この国の遥か昔から、人々を護る為に人間でないものとの戦いを営々と続けてきた一族の末裔なのだ。その源流は星の声を聞きながらも敢えて地球に残り、世界に散った少数の者達に遡る。

 現状に弁解の余地が全くないことからもボウルズは彼にかける言葉に困っていた。だが彼はあくまで冷静だった。


「怒ってませんよ、ボウルズさん。戦いにはつきものです。兵を選んだのは貴方じゃないのは知っていますから。」

「しかしシマモリさん、を危険に晒しているのは確かです」

「いえいえ、私もこう見えて、仮にも荒事に関わる仕事に半生を捧げています、息子が死ぬことを前提にした作戦などとしては願い下げですし、私でも怒ります。でもボウルズさんには充分すぎるご配慮を頂いた事は分かっています、それにいくら安全な作戦とはいっても実際の戦闘になれば予想外の事態はいくらでも発生します、覚悟は必要です。」

「いえ私こそ、その言葉で救われますが、しかしー」

「そうです、このままではいけません。ボウルズさんもそこは覚悟して下さい。」


 非常に穏やかな言葉は決して荒い感情に崩れていない、だがそれ故にボウルズは彼の言葉の意味―彼らの処置はお前の責任だ―と怒りを明確に理解した。問題は彼等に追いつくかどうかだが、それは口に出すのを止めた。




         日本国神奈川県横須賀市、午前0時、2015年7月3日


 畜生、頭に血が上って馬鹿共が後先考えずに突っ込んできやがったか。指揮官を止めれば時間が稼げると思ったが逆効果になっちまったか。


 クルガンは敵の弾丸を苦もなく弾きホームへと向かう車の中で、後1秒ミミを車に引きずり込むのが早ければと後悔の念を覚えていた。貴族で術師でもあった彼が兵士として銃を取った最初の理由は友人や恋人の死であった。弱い者を護れる自分になりたかったが戦いの現実は知力であれ腕力であれ魔力であれ、力と力の衝突でしかない、結局力は神話の怪物の様に、弱い者や運の無いものから呑み込んでいく、だから強い力を意志の力でコントロールしなきゃいけない、例えそれが破滅的な威力を持った―

 彼は無益な思索を中断した。


 敵は150メートルほど後ろ、距離が縮む度に撃ってくる。同じところに当ててガラスを破りたいのだろうが無駄だ、こいつは対物ライフルでも弾く俺の特別製だ。しかし横須賀基地のまん前でこんな盛大にぶっ放しやがるとはな、今頃は警察も自衛隊も大騒ぎだろう。明日の新聞を見れないのが残念だ。支部の保護魔法がやられたことで探知結界も含めホームの保護魔法も停止しているが逃げるのに支障はないだろう。旅界術用の魔法陣は星からの魔力で大部分が機能している、目的地の座標も全て入力済みだ。こっちもクタクタだが術師である俺とビルドが二人がかりで転送用の魔力を送れば数分もかからずに撤退できる。

 それだけの時間なら手持ちとホームに置いている武器でどうにか稼げる。

 

「もうすぐ着くぞ、ちまちま撃ってきやがるが構うな。ホームの扉の前に車を停める、そしたら俺は合図でフラッシュバンと煙幕弾を投げる。数メートルだが車から建物に入るまでをイメージしろ、後ろは絶対に向くな。リカ、車出るときに感覚誘導で坊やの耳を塞いで連れてってやれ、坊やはちと気持ち悪いだろうが前だけ向いて走れ、すぐに収まる。」

「あ、はい。」

「あの…すいません、ミミさんですよね…その人はどうするんですか。」


 ジンが聞く。そうだ、俺はこの人を知っている。


 遺体は数年はかかるだろうが対策部隊が必ず何とかするだろう。いや、この坊やに必要なのはそういう言葉じゃない。今となっては記憶の改竄は無意味だ、色々思い出し始めている。残酷でも真実を知る権利、いや義務がある。クルガンは少し考え、静かに答える。


「可哀想だが置いてくしかない、なぁに心配するな。あいつらは死んだ人間には用は無い、そんな時間も無い筈だ。でもありがとうよ、こんな修羅場で気にしてくれるなんてそれだけでミミも喜ぶさ。お前さんは。」

「え、ちょ…」

「クルガン様!」

「…そうだよ、俺らの所為だがな、坊やは今記憶をいじられてるんだ、ミミも俺も昔から坊やとは顔馴染みだ。ついでにリカもビルドもな。」


 リカとビルドが驚いて互いの顔を見る、それは禁句だからだ。緊急事態とはいえクルガンの補佐として直接術式の管理をしているリカを除いて、過去に彼と面識のあった者が会う事も本来は好ましいことではない。まして本人に記憶を操作されてることを告知するなど論外だ。人工の記憶は、それが偽物であることを本人が認識すると数日の内に壊れて本来の記憶が顕在化してしまう。二人は当然、彼が記憶を操作された経緯を知っている。クルガンがそれをわざわざ暴露する理由が一つしかないことも。


 クルガンは二人を無視して続ける。


「俺の名前はドラゴ・クルガンだ、ちなみに坊やの記憶はの事はいじってない、での事だけを消してるんだよ。それもクソみてえな最低の理由でな、まぁその先を知りたきゃ目の前の事に集中しろ、落ち着いたところで洗いざらい全部喋ってやる。」

「クルガン様。まさか、あの人が私達を裏切ったのですか?でもそれでは…」


 ビルドが質問する、クルガンは溜息をつく。

 確かにこの子を保護する契約はもう消滅だ、あいつの性格を考えたら人質にすらならないだろう。だが捨てて逃げるのは沙汰の他だ、そんな真似してミミや支部の若僧達に顔向けができるか。


「言うな、正解だが話は後だと今言ったろ、坊やはどのみち連れて行く、あいつらの思い通りにさせてたまるか。」


「リカ、坊やに術式かけてやれ、坊やは車が止まったら余所見せずにリカと一緒に走れ、まずはそいつに集中だ、いいな。」

「…分かりました。」


 ジンは一瞬考えたがこの状況で良いも悪いもない。もし普通の生活の中でこんなこと言われてもとてもではないが信じられないだろう、だがこの数時間の間に自分の日常と信じていたものが確固たるものでは無い事は嫌と言うほど見せつけられた、今更だが予兆らしいものはいくらでもあったのだ。なら答えを知る以外に選択肢はない。


「ごめんねお兄ちゃん、へんな感じするけど我慢してね。」


 里香が首筋に手を触れる。全身がぞくりと震える、体がぴりぴりと痺れる様な感覚だ。

 暖かい、別に気持ち悪くはないが今はそんな事を考える状況ではない。


「坊や、さっきも言ったが前だけ向いて走れ、それ以外の動きはリカが何とかしてくれる。ビルド、援護頼むぞ。」


 トンネルを抜けてカーブを曲がる。もうすぐ田浦駅の近く、つまりホームまで1キロもない。

 古い倉庫が並んでいる。何度か曲がる、減速の隙を逃がさず再び銃弾が窓を弾く。

 敵の車、黒のレクサスが見えた、窓を開けて最小限度に身を乗り出し短機関銃を撃ってくる。狙いは正確だがクルガンのAMGには傷一つ付かない。

 その倉庫は通りの奥にあった、学校の体育館の様にも見えたその回りは雑草が生い茂り壁のスレートもはがれかかっている。周囲にはボロボロのフェンスが張られている。門扉となっている蝶番の付いた金網に突っ込み弾き飛ばす、クルガンは車をスライドさせる、正面の大きな扉の数メートル手前で車体を通りに対し斜め横に向けて停まる。

 出し抜けにクルガンがドアを開ける。追跡車は100メートル程後ろだ、ビルドもドアを盾に撃ちまくる。彼がピンを抜いた閃光手榴弾を通りに向けて投げる。続けて足元に煙幕弾を転がす。彼の怒号が響く。


「今だ!走れ!」


 ドアを開けてライフルを片手にリュックを肩に担いだリカに手を引かれ、否、引き摺られるようにジンは前進する。後ろを振り向くな、というクルガンの言葉の意味をジンは理解した。後ろからでも目の前が真っ白になるかと言うような閃光、そして頭が痛くなるような轟音。しかし耳鳴りするほどではない、前も見える。車1台分はあるかの様な錆付いた大きな扉の取っ手をリカが蹴り飛ばすと人一人分通れそうな隙間が開く、そこへ二人が入り込み、ビルドとクルガンも続く。


 倉庫は真っ暗な空間だった。外から見た以上に天井も高く奥行きがあるように見えたが中が良く見えない。クルガンは扉の影で片膝をついて地面に手を当てる。彼の腕が一瞬青く光り、周囲から鈍い音が響き出す。立ち上がると彼はドアを力いっぱい閉め、真っ暗な部屋の中央に歩いていく。

 天井の小さな照明がオレンジ色の光を仄かに放ち始め、中の様子を薄暗いながらも照らし出す。扉のすぐ後ろには年代もののピックアップトラックが停まっている。その中にはコンテナが幾つも積まれていた。2トントラックの荷台の様な大きさのコンテナが、何かを囲むように配置されている。その中央のコンクリートの床には、星の様な図形になにやら書き込まれているのが分かる。その中心に彼は立っている。再びしゃがむ、その図形が色とりどりの光を放ち始める。


「気休めだが対人用結界を2つ強制起動させた、徒歩じゃそこのフェンスからこっちには来れねえ。まぁ穴だらけだし俺の手持ちじゃ5分と持たねえが虚仮脅しにはなる、ないよりマシだ。今、魔法陣を起動させる。あいつらが結界をぶち破る前におさらばだ。坊やとリカはここにいろ、準備出来次第飛ばす。ビルド、ここの監視用結界の映像を回路越しに見れるか?」

「大丈夫です。」


 リカはジンを魔法陣の中心に座らせて隣に持ってきた大きなリュックを置く。そして自分はライフルを抱えながら彼の隣に腰掛ける。


「よし、緊急警報を帝都に発信したらちょっと外を覗いてみろ、念のためにな。」


 ビルドはクルガンの隣で惑星間用の緊急警報術式を起動させる。それは起動と同時に緊急事態の発生と、その時点での術式周辺のチーム全員のデータや記録を一定時間送信する。それが終わるとMP5 を肩にかけ、壁の柱に手を当てる。随所に配置した監視用結界を防護魔法抜きで起動させ、外の様子を確認する。異常はない、人影も彼らの車も見えない。他の倉庫の屋根などで視界は制限されているが気配すら感じない、諦めたか?


「私が見た限り敵はいない模様です、今のところ。」

「いない?そうか、術式を引き継げ。俺も見る。」


 起動プロセスの進行を彼女に渡しクルガンが代わって外を見ようとするが、ふと足を止める。今まで中断していた思考が動き出す、奴等は俺達を帝国に追っ払って一体何がしたいんだ?いや違う…


 。馬鹿な、いや術師なら誰でもそう思う、ありえないと思っている事だが理論的には可能だ。そして今回の奴等の目的に最も適している選択だ。


「ビルド、術式を一旦中止しろ。アルカディア側の第2宙域までの各可動ウェイポイントと終点の座標を全部チェックするんだ。」

「こんな時に何言ってるんですか!そんなことしている時間なんて―」

「いいから座標リストを開け!」


 そんな呑気な事を―と言い返そうとしたがこの老魔術師の懸念を悟りビルドは黙った。通常では絶対に出来ないことだが数時間とは言えここは完全に無防備だったのだ。

 旅界術は確かに地球とは違うアルカディア起源の魔術であるが旅界術師はあくまで人間だ。その仕組みは人間が使うことを基準に構成されている。他の魔術同様に両方の星とその中の場所の目標地点、星の位置に依存して動く可動ウェイポイント、星の位置に殆ど依存しない固定ウェイポイントで成り立つ。同じ星でも目標地点が違えば可動ウェイポイントも違う、これらの数値が適切でなければ、目標となる場所には辿り着けなくなる。旅界術の別名は「橋」だ、橋というものは旅界術師という橋桁と術式という橋脚が適切な配置を成して始めて機能する。それらを記した設定を見ていく。

 懸念は的中した。座標のさす場所は本来の帝都ウル・アスタルテではなくその逆のオフィル共和国首都、ニューケイナンだ。ビルドは術式か侵入者に改竄されたというその事実を目の当たりにして呆然となったがすぐに気を取り直す。


「座標が…敵の首都です。」

「やっぱりか、細工されてた。危うく騙されるとこだった、また監視代わってくれ、書き直す。」


 クルガンが激しく怒りをむき出しにするかと思っていたが、あまりの平然とした態度とその言葉にビルドは却って驚く、だが座標の再設定は資料や観測データを見ながら組んでも1時間以上はかかる、その手間は新人だろうがクルガンの様な老練の術者だろうが変わらないはずだ。


「間に合いませんよ!」

「間に合うさ、要はオフィルに行かなきゃいいだけの話だ。そんなことよりもビルド、外を一回見てくれ。結界こじ開けようとする奴がいたら撃て、1分でも稼ぎたい。」


 そう、正確に飛ぼうとするなら時間は足りない、だがオフィルの支配地域でなければどこでもいいというなら話は別だ。現在のアルカディア星と衛星の月齢は理解している。正確でなくていい。少し前にあいつの孫が地球で男作って連れて来たはいいが間違ってルビル高地に降りて大騒動になった。帰りの座標設定で地理を無視したのが原因だが、それと同じ事をすればいいだけの話だ。奴らがそれ前提で罠を張ってる懸念もあるがそれを言い出したらキリが無い。


 クルガンはウェイポイントの座標を次々と入力変更していく。第3、第2、第1…

 それでも考えうる限りの最善を目指す必要はある。後は目標地点座標の再入力だ。


 ビルドは監視結界越しに外を見る、やはりいない―違う、遠くの物陰に黒い戦闘服姿の人影、間違いない、複数だ。そして例の車が来る、スピードはジョギング程度だ、人が乗っていない。ボンネットの先端にバッグらしきものが乗っている―恐らくは爆弾か。ビルドはコンテナに走ろうと思ったが間に合わない、柱に身を隠す。


「車が突っ込みます、爆弾です!」


 結界は対人専用だ、人の乗ってないものは止められない。クルガンは入力を中断しジンとリカの上に覆いかぶさる。黒いレクサスはゆっくりと門をくぐり横付けされたAMGの隣を抜けて壁に衝突し爆発した。手持ちの各種の手榴弾などをまとめたのであろうその爆発は外壁を破壊し、更に起爆の遅れた爆弾が倉庫の中転がり込み炸裂する。


 クルガンは背中に手榴弾の破片を大量に受けていた。苦悶の表情を浮かべている。ビルドの警告を聞いた瞬間に身体強化を発動したが被弾は避けられなかった。何発かが内臓に入っている、出血も酷いが身体は動く、手足も動く。魔力さえ残っていればまだ持つ。辺りを見回す、結界は壊れたが魔法陣は損傷していない。自分が壁になったことでジンは無事、リカは足に破片を一発もらったが掠り傷、問題はないがビルドはそうはいかない。

 壁の裏で爆風に吹き飛ばされたビルドが魔法陣の隣で横たわっている。胸に大きな破片が突き刺さっている、だがまだ動いている。彼女は機関銃を握り直すが、落としてしまう。クルガンが駆け寄る。全身が痛むが構わずにビルドを抱える。


「おい…しっかりしろ。」

「クルガン…様、駄目です、構わ……ないで下さい。私は無理です、術式を…」

「馬鹿いうな、今傷を…塞ぐ。」

「先程の被弾でもう血が出過ぎていました…間に…合いません、お願い…です、二人を…」


 ビルドの全身から力が抜け、目を閉じた。クルガンは静かに彼女を降ろす。

 壁の穴の向こうから足音が聞こえる、近くに2名、遠くに2名か。リカが反応する、穴の右側に3発、最初の1発はチャンバーに残っていた超高速強化弾だ。壁のスレートが崩れ悲鳴が上がる。穴から離れる足音、クルガンは術式の続行に戻る、目標座標を入力する。倉庫の反対側の扉が微かに鳴っているが動かない、それは錆付いて昔からはめ殺し同然になっているのだ。リカが扉に向けて3発撃つ、それっきり音はしなくなった。

 突然、魔法陣の光が全て紫色に変わる。それは術式の全ての準備が終わった事を示していた、ある一つの事を除いて。


「よし…全部終わった、お前らは…魔法陣から出るなよ。」


 そう言うとクルガンはジンの額に指を当てて二言三言呟く、そして最後に、


「全干渉術式…解除」


 そう告げると魔法陣から出て右手を下にかざすと紫の光が青白く変わった。何が起きたかリカは知っていた。旅界術は「橋」の確保には星の魔力が使われるが対象の転送には原則として別系統の力、術師自身の魔力が必要になる。もうクルガンの手持ちの魔力は3人を送るだけの力は残っていなかった。先程の座標の書き換えや身体強化にかなり使ったことでそれは決定的となっていたのだ。今は自動治癒すら停止しかかって、血が足を伝って床に零れている。彼の運命を認識したリカの目に涙が溢れる。


 クルガンはビルトの傍らからMP5を拾い、魔法陣に滑り込ませる。彼がよろけそうになる。ジンがクルガンに駆け寄ろうと動くがリカが抑える。この段階で術式対象の人間が外へ出れば術そのものが停止してしまうからだ。クルガンはリカに頷く。


「クルガン、さん…」


 術式が二人を転送対象として捉える、もう全身が動かない。


「坊や、その先を教えてやると言ったが…これで勘弁してくれ、しばらくすりゃ…段々記憶は戻る。言っとくが…悪いことだけじゃねえ、いいこともある。後はリカに聞け。リカ、その銃作るのにお前の給料数年分はかかってる。壊すな、後で…必ず返せよ。」


 青白い光は閃光と化し、倉庫内を包む。それが消える頃にはジンとリカの姿は消えていた。それを見届け、クルガンは膝を突く。呼吸が荒くなる、出血で意識が遠くなりそうだ。


 軍事委員会の連中がどう考えているかは知らんがもうあの子は利用価値がない。俺もあの女も国とあの子自身の将来の為に敢えてここまで譲ってやったが、国にとってそれが無意味ならもう気兼ねする義務も義理もない。あの坊やは誰憚ること無く真実を知る権利がある。それを護れるのは―

 ―さて、まだ魔力が残ってる。くたばる前にもうひと仕事するか。軍の連中がどうにも邪魔だな、どうしたものか。


 彼は再び光を放ち始めた魔法陣に触れ、長距離交信術式を発動させる。但し発信先は帝都ではない。交信が終わる、致命傷を受けた肉体を辛うじて動かしていた魔力が完全に底を突いたからだ。クルガンは突っ伏すように倒れた。


 術師を喪った魔法陣も停止する。照明も鈍い音も消え、静寂と暗闇が倉庫に戻った。




      日本国神奈川県横須賀市、午前1時50分、2015年7月3日


 遠くで響き渡るサイレンの音を聞きながら二人の男は目の前の恐怖に逃げた屈辱感と事実上の反逆行為に出た事への後悔に苛まされながら16号線を横須賀市街に向けてとぼとぼと歩いていた。それは倉庫に突入しなかったCチームの生き残り、チームリーダーともう一人の部下だった。逆襲の要求を黙殺したボウルズの態度、それが彼等の暴走の直接の引き金であったが理由を問われればもっと他にあったのだ。

 AチームとCチームの7人は、入隊以前からの仲間同士だった。貧しい労働者階級の出身であった。彼らは地元では毎日の様に悪事を働く札付きのワルではあったが結束は固く、リーダーの男が盗みで捕まり、刑務所に行くか軍隊に入るかと問われ後者を選択したとき後の6人も付いて来たのだ。彼等の勇猛さは新兵訓練や演習でも注目を浴び、将軍たちは彼等を例外的に一つのチームとして行動することを許可した。そして小競り合いが度々起こる西部の最前線にあって一人の欠員を出すことなく特別チームとして10年以上を生き延び、彼らは精鋭として今回の作戦を編成する50名規模の混成特殊部隊の一員として推挙された。彼らも当初は出世するチャンスと思ったが現実は違った。


 こんなはずじゃなかった、リーダーのその男は苦々しく振り返る。


 隊長となった男は根っからの秘密工作の職人であり、俺達の上昇志向を軽蔑していた。

 説明された作戦は、上が第1目標と呼ぶ少年とその護衛を、罠を仕掛けた場所に送り込む、それだけだというのだ。手柄になりそうな任務は他のBチームが請負い、詳細に関する説明は無かった。全ては軍機扱いであり仲間の半分は隊長の警護に、俺を含むもう半分は少年を敵に連れ出させるための、脅して追い回すだけのチャチな任務に回された。不要な戦闘は禁じられていたが武功が無ければ出世など望めない、この作戦が終われば、再び刑務所同然の最前線に戻される。

 安全な任務だと隊長は言っていたがその隊長の車が狙撃され、隊長一人がおめおめと生き永らえた。そして復讐を要求したが無視された。奴は俺達の事など何とも思っていないのだ、やっていられなくなった。発信機とカメラを壊し、俺達だけで仲間の仇討ちを仕掛けた、後一歩の所まで追い込んだが仲間の二人が強力な重火器で壁越しに撃たれ目の前で真っ二つにされたのを見て我に返った。そしてこのザマだ、戻っても前線どころか捕まって問答無用で刑務所だ。何とかして逃げてから考えよう、もう国は俺達の事など何とも思っていないだろう。都会に紛れて生活できればー


 彼らは上がもう自分達など気にしていないだろうとタカを括っていた。目立つことを避けるべく銃は既に捨てていた、軍装品をしまったベストも装帯も捨てた。隠蔽用の術式も逆探知されれば危険だから他の魔力を帯びるものと一緒に捨てた。服は道を歩く体格の合いそうな若者を脅して奪い、後顧の憂いを絶つ為に殺した。一本のナイフと三万円にも満たぬ奪った現金、それが彼等の全てであり、これから命以外に失うものであった。 

 そんな彼等の数十メートル後ろを術式で気配を殺した車が1台、接近する。


「こちらBチーム、厄介者を撃ちました。命令通り袋詰めも終わりました。」

「ボウルズだ、済まなかったな。消毒したらそのままベースへ帰還してくれ、俺はリディアとどこかで迎えがくるまで時間を潰す。」

「了解、これより帰投します。」

「そうだ、こっちの仕事は終わりだがまだはしゃぐなよ。本国から連絡が来た。プランAは失敗だ、クルガンはやはり罠を見破った。位置は追跡できた、第1目標は無事だ。向こうで空挺がプランBを進行する、予定の範疇だが面倒押し付けた事は忘れるな。」

「大丈夫ですよ、そちらこそお気を付け下さいね」


 無線を終える。ボウルズは溜息をつく。


「シマモリさん、こっちは終わりました…後は本国に任せるしかありません。」

「こちらこそありがとうございます。私もこうしてはいられませんね、準備を始めないと。」

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