第4話:サキュバス

 イシュタリア要塞西部住宅地区、午前1時40分、2015年7月6日



 意味が分からない。私と執事とメイドが顔を合わせたのはつい2ヶ月前だ。

 事情はあるのだろうが早すぎる。

「あの、マリア…さま、というか二人は来たばっかりですよ?」


 大邸宅ではあるが、ここはアルカディアだ。家の機能に関する様々なものは、実は魔術で殆ど解決できる。庭と家、調度品の掃除や修繕、衣類の洗濯などがまさにそうだ。人手を使う仕事は私の分析官としての手伝いと術で用意するよりも上等な食事や酒の手配で、使用人は一人、グーリスがいれば全て足りてしまう。とは言え仕事を与えぬわけにいかないのであれこれ調整した。その流れに皆がやっと慣れた所だった。


「いきなりなのは承知している、だが実は問題があってだな」


 マリアがそこまで言いかけたその時だ、客間のドアが今度は大きな音を上げて開いた。


 ずばーん!


 出し抜けに少女のような大きな声が響き渡り、小さな人影が素早く私の足元に飛び込まんとする。


「いええええい!まーちんこんばんわーひさしぶりー!すんごいわかくなったじゃああああん!」


 その少女に負けぬ速さでマリアの手が腕を掴み動きが止まる。力任せなどではない、とても優しく、まるで舞踏を見ているような優雅な動きだが最小限度の力で肩を起点に少女の五体の連動を止めて、それ以上の前進を封じ込み、ソファの隣に放り込む。しかも殆ど音を立てずに。傍目には暴れる子を押さえ込む親といった風情だが不気味なまでに静かだ。こいつに逆らっては駄目だと改めて感じる。


「こら、落ち着きなさい、ペラギア」


 少女は溜息を吐くマリアの方を向き抗議する。


「ちょおおおおおおおっとーまりあせんせーあたしのぶんのおちゃがないってーひどいー

 ぐーりすさんまじでいじわるーばかああああー!」


「ヴルステラ様、ご心配なく。貴女様の分も残ってますよ」

「えーうそだー、さっきのでもうおしまいっていってなかった?」


 グーリスがニヤニヤしながら少女に弁解する。


「いいえ?お言葉ですが「今回の分で全部」と申し上げました。遅ればせながら足音で他にもう一人、お客様が来ていらっしゃるのが分かりました。従者達かと思いましたが、明らかに違いました。それ以外の人物ということになると今夜、レイミアス様と同伴してここに来る可能性のある女性は私の存じる限り一人しかおりません。茶葉は残しておきました、嘘は申し上げておりませんよ。貴女様の分が正真正銘、最後の一杯です。」

「うわーいいかたというかーなんかいやらしーおんなのこにきらわれるよー」


 女に嫌われてもそいつにはカスリ傷でしかない。だからこそ、街の女達を引き寄せる魅力らしいのだが。


「嘘と思われるよりは良いかと存じますので。ささ、冷めぬ内にお召し上がりください」

「はーい」


 マリアも念を押す。


「ペラギア、お調子者もその辺にしとけ」

「はーい」

「さてとマーティン、この子が我慢してくれている間に説明するぞ。」


 少女はカップを口元に上げ一口飲み、グーリスに向かって満面の笑みを浮かべる。この子は本当に面白い、頭の足りないお調子者の様な振る舞いをするかと思えばいきなり真面目な話になる。気が抜けたかのような態度をしているかと思えばラップ歌手の様に早口言葉でまくし立てる。だが躁鬱病とかの類ではない。魔術を操っている時の彼女は、普段の幼げな振る舞いを見せぬ、聡明な威厳ある術者となる。

 だから一度彼女に聞いたことがある。彼女は恥ずかしそうに答えを口にした。

「こうしていればこわくないから。あたしはいつも、こういうあたしでいるの」

 本来の自分を、そういうおバカな娘という自分で覆い隠している。そうすることで彼女は普段の自分を守っている。


 但し表向きの事が幾ら分かっていようが生来のトラブルメーカーたるこの子との付き合いは覚悟が要る。この星にやってきたのは間違いなく私の意志だとは言え、私がこうなっている原因の三分の一、いや半分は確実にこのペラギア・ヴルステラという女の所為だ。因みに、アルカディア星人の年齢は見た目通りではないのだがこの子もそうだ。

 一見頭の悪そうな子供の様に見え、実際抜けているところも多いがそれを埋めて余りある才能と聡明さを持つ。その資質から16歳という帝国史上最少年齢で大学を卒業し旅界術の基礎を修め、祖父の死に際し術式を継承し、21歳という規格外の速さで、単独の旅界術式起動を成功させ地球に密航したのだ。

 そして彼女の祖父の遺言で、この天才の指導を押し付けられたのがマリアだ。

 マリアもまた、ヴァンパイアとして規格外の能力を誇る存在で、知識も実力もペラギアを遥かに上回るのだが、求められているのは人間性の修行だったそうだ。

 もっとも、彼女に言わせれば本当に修行をしているのはペラギアでなく自分なのだそうだ。

 人間として経験する機会の無かった親の苦労の一部を、悪ガキの育成を通して味わっているからだ、と。


「まず、さっきも言ったがメイドを交代させる、つまりこいつだ。一応それっぽい格好もさせてきたろ?」


 ペラギアの姿をもう一度見てみる。そんな、メイドらしい格好をしている。だが「らしい」だけだ、どちらの服装センスか知らないがそんなものから遥かにかけ離れていることが分かる。


  肌は小麦色に日焼けしたような健康的な褐色。腰まで伸びる黒くて長い髪。サファイアの様な青い瞳。頭にはグーリスの様だが 金色の小さな角。背中には蝙蝠の様な小さな翼、腰からは濡れた様に輝く黒い尻尾が伸びている。

 真正面からだけ見れば白いヘッドドレスと師匠の様に上品な二の腕まであるドレスグローブに裾が長く袖の無いピナフォアの様な服を纏う姿はそれなりにメイドに見えるのだ。だが正面以外の角度から見れば様相は大きく変わる。スカートは翼と尻尾が干渉しないようにという口実なのだろうが尻が見えそうなくらいに大きく背中が開いており、その状態から彼女が上も下も一切下着を身に着けてないことまで判ってしまう。翼と尻尾は服装に合わせて隠すことも容易なはずだがその気はないらしい。彼女が夢魔だと言う事実を改めて認識する。


 そう、彼女は夢魔、サキュバスだ。少なくとも自分の口でそうだと言っていた。だがこの子は私の精気や力を吸ったことはない。誰かが私の記憶をいじったりしていない限り、それは事実だ。理由を考えたが当時の私は美男子どころか精彩さとは無縁のただの中年男だ、口に合わなかったのだろうと私は結論付けていた。寧ろ私に懐いた理由が分からない。だから実際に一度、私を喰わないのか、と何も考えずに聞いたが途端に彼女は不機嫌になった。夢魔や吸血鬼の様に他者のエネルギーを吸収できる種族の能力というのは、威力と引き換えにそれなりの危険な制約がある、誰でも良い訳ではない、と。それから3日ほど私は彼女に無視された。

 だからそれ以上彼女に詮索はしなかった。サキュバスならば当然のことなのだろうと勝手に思って彼女くらいの見てくれの女の子ならば本来極めてデリケートであるべき領域に無神経に立ち入った事を後悔した。その後私は謝罪し彼女も許してくれたが、私も彼女も二度とこの話題を持ち出さなかった。このままの関係でいいじゃないか。許してくれただけ僥倖だ。

 わざわざ嫌われてまで欲しい答えがない。彼女が何者かという事は私には何の意味も無かった。


 私の視線がマリアでなく自分に向いたことに気付くと、先程までニヤニヤしていた彼女の表情が急に精彩を欠き始めた。俯いて羽根と尻尾はうねうねと動き落ち着きが無い。不安なのだろうか、本当にこいつの表情はコロコロ変わる。

 視線をマリアに戻し話を続ける。


「でも彼女は―」

「状況が変わった。彼女はここに来る運命だった。君の所為でもある」

「は?」

「君の防護術式が起動開始したのは2週間前、君自身の魔力のサンプルもその時取ったよな?」

「そうです、それが?」

「今日の昼間にそのデータとサンプルを盗んだ馬鹿が現れてな。」

「私のを?どうやって?」


 マリアが溜息をつく。

 この国では家の外へ出たら個人のプライバシーなどない。だがそれは行動や発言に限っての事だ。逆に個人の生体情報は第3級機密扱い、つまり情報管理者の許可が無い限り関係者以外が見ることはない。例え警察や情報機関でも許可が必要だ、少なくともそういう法律になっている。人種や体質、物理的または魔法的遺伝因子、魔力の性質などのデータは重要な情報だが、それ故に取り扱い注意なのだ。かつての戦争で酸鼻を極める人道犯罪に悪用された過去があり、そのためこれらの情報は、保護が厳格なはずだ。他の便宜に優先してでも秘匿される。

 開示には法で定められた権限者の許可が要る。


 だがその権限、それどころかマスターキーを持っている奴が目の前にいるが、まさか。


 隣でペラギアが、顔を真っ赤にして俯いた。


「順番が前後するが・・・彼女がサキュバスなのは知っているな?」

「ええ、そうは言ってましたが最初は信じてませんでした。別に何もありませんでしたし。」


 しまった。

 ペラギアを見ていたマリアの顔が一瞬曇るがすぐ、微笑を取り戻す。ペラギアの顔は真っ赤だ。言い方が拙かったか。何か言いそうにマリアの方を向いたペラギアを首を振って制しマリアは続ける。ペラギアは恥ずかしそうに俯く。


「何故吸わなかったか、か・・・。ペラギア、私に化けて私のIDキーで神殿行政庁の資料室に侵入して他人のサンプルを不正に入手しようとしたお前の行為は重罪だ、分かるな?術師免許剥奪とまではいかぬが処罰は不可避だ。」

「はい・・・」

「みすみす鍵を複製された私も本来無事じゃ済まない、皇帝陛下と総神官長様のご厚情で我々の首は繋がってる」

「は、はひ・・・」

「分かってるのか!?」


 マリアがペラギアの顔を両手で押さえ覗き込み、語気を強める。


「はひ・・・ごめんなさい・・・」

「よし、分かってるならいい、放免の条件は一つ。ここでマーティンに、ここまでの経過と行動と理由を全部自分で白状しろ、自分の気持ちも含めてな。一言でも嘘を言ったら終わりだ、私には分かっているからな、私とグーリスが証人だ」

 しばしの静寂。

 まぁ怒られるだけで済む話ではないのだろう、いや待て、マリアの言ってる言葉の意味は

「謝ったら許す」って事だ。しかも話の本題は彼女がここにメイド代わりに来るって事だ。一体なんだろう、確かこの国の現皇帝は・・・

 思考は中断した、ペラギアが沈黙を破ったからだ。


「あのね、マーティン・・・いままで本当のこと言わなくてごめんなさい」


 いきなり声色が変わる。普段の会話の、舌足らずなとぼけた幼女の様な声色はそこにはない。真面目な、少し大人びた少女の声。滅多に姿を見せない、彼女本来の声。


「地球でさ、あなた、あたしに聞いたの覚えてる?”サキュバスなのに俺は喰わないのか?”って」

「ああ、お前が怒ったのも覚えてるよ、お前の気持ちを考えてなかった。酷いセクハラだった。私こそすまない」

「ううん、そうじゃないの・・・あのね、あの時はまだ、あたしは・・・力が覚醒してなかったの」

「覚醒?」

「うん、他のヒトから精気を吸い取って自分のものにする力。それは一人前の夢魔の力なの。 ある程度まで成長しないとこの力は発現しないの。でもね、あたしは普段バカな自分でいるから・・・マーティンのお手伝いしかすることなくて、ドジばっかりでかっこわるくて辛かったから、ちょっとは使える奴なんだぞって言いたくって・・・自分の事を一人前のサキュバスだって言ったの。」


 この子はこの子なりに考えていたんだ。だが分からなかった俺には何も言えない。

 黙ったまま言葉を待つ。


「お子様だって馬鹿にされるのイヤだったから・・・そしたらあなたがあんなこと言って・・・。あなたの事を食べるって想像したら・・・自分でも訳が分からなくなって、ううん、何かうれしくなっちゃって・・・でもどうしていいか分からなくて・・・そんな気持ちあなたに知られて嫌われたらどうしようと思って、もうこの話無かったことにしようと思って怒ったふりしたの。ごめんなさい。」


 ペラギアが再び黙る。


「こっちに戻ってさ、あなたが神殿行ったって新聞読んで、何か辛かった。どうしてか分からないけど泣いちゃった。そんなんじゃない、大人はみんなそうなんだって分かっていても取られたって、いやだって、本当にあなたの事が好きだったんだって気付いたの。そしたらね、私の身体の中の力の流れが変わって…あたしの中に色々流れ込んできたの。今まで若すぎて、身体が出来上がってなくて夢魔の力が使えなかったんだけどそれが出来るようになって、あなたの事思い出したらすごく熱くなって…訳が分からなくなってきたの。恥ずかしくって、違ったらどうしようって思って、確かめようと思って、あなたのデータが神殿にあるって思って…ぐすっ」


 彼女の目に涙が溜まる。だったら直接確かめれば、と思ったがマリアの強烈な視線を感じる。野暮な事は言うべきじゃない、彼女が全部言い終わるまで待とう。


「…っ、マリア先生に化けて鍵盗んでちょっと見てこようと思ったの。あなたのサンプル見つけて、確かめたの。そしたらね、すごく嬉しくなっちゃったんだ。でも後ろ振り向いたらマリア先生が立っててね、怒られちゃった、ものすごく。でもね、あなたがあたしにとってのそういうヒトなんだって分かったの。勝手に見ちゃってごめんなさい…そういう人って簡単には見つからないんだ、ぐすっ、自分にとって本当に合う力を持っていて好きなヒトっ…て。

 だから先生にお願いしたの、会わせて欲しいって…!うう…」


 もらい泣きしそうになったが彼女が泣くのは初めてじゃない。まず一つの事実が分かった。マリアは…つまりこいつのおねだりに負けたって事か。

 嗚咽する彼女の隣でマリアが咳払いをする。


「知ってるだろうがこいつは帝国でも指折りの変化魔術の達人だ、悪さは今に始まった話じゃなかったんだが、今回泳がせて捕まえたらな、騒ぎ聞いて皆集まってな。しかも皇帝陛下が私にも内緒でお忍びでここに来ていたんだ。陛下まで彼女の話を聞いた。あのお方も夢魔だ、甘すぎると思うが陛下は寛大にも、お前に真実を告げて許してもらい、尚且つ傍に置いてもらえるなら今回の件は無かったことにしようとおっしゃり、総神官長様も同意なさった。」


 素直にはい分かりましたと言うのも何か癪だ、少し突っ込もう。


「総督閣下もそれに賛成なのですか?」

「今の私は証人に過ぎない。彼女の告白をどう扱うか決めるのは私じゃないんだ。・・・というかまさか貴様、乙女にここまで言わせて蹴る気じゃないだろうな?」


 眼光と語気が強まる。

 駄目だ、この件は決まった事なんだ。しかもこの御仁は冗談が通じない。深呼吸をして気持ちを切り替えよう、ペラギアのことだけ考えよう。


「ペラギア、いいか?」

「…ぐすっ」

「私が言うなって話だけど法律を破るのはよくない。んで、さっきも言ったけどお前の気持ち全然分かってなかったのは間違いない、辛かったんだな、ごめんよ。」

「…許して、くれますか?」

「許すもなにもない。俺のデータなんてお前以外には何の値打ちもない。盗まれたって痛くも痒くも無い。…ああ、許すよ。今日から俺の家で働くんだって?よろしくね。」


 それまでしおらしくしていた彼女の表情が一気に変わる、いつものペラギアだ。

 ソファからあっという間に跳ね起きて私の胸に飛び込んでくる、マリアは止めない。


「やああああったああああぁんー!いえーいありがとーまーちんだいすきだよーこれからずっと、ずっといっしょにいようねー!」


 ペラギアは胸に顔を押し付けて泣いていた。やれやれ、私はそっと彼女の頭と背中に手を伸ばした。何分が経っただろうか、ペラギアが落ち着いたのを見計らってマリアが口を開いた。


「さて、続けるぞ。ペラギアはここのメイドとなったわけだ。私との修行もまだ終わってないが夢魔として覚醒した以上、もう終点は近い。休日は確認だ、私の所に来い、それ以外はグーリスを新たな師として、マーティンと家を守るメイドとしての修行を開始しろ。グーリスも教えるのは上手いが甘えるなよ、いいな?」

「はい!」

「師弟というか同僚となったからには呼び捨てにしますよ、ペラギア。覚えることが一杯ありますが貴女なら大丈夫です、がんばりましょうね?」

「はい!」


「さぁ次の話題だ、どんどんいくぞ、3人とも砂漠と高地用の装備を整えてエムデンに乗り込んでくれ、第2格納庫で今最終チェック中だ。準備が済み次第来ていいが明日の21:00までに頼む。銃火器はこっちで用意している、2週間ほどのフライトになるからそのつもりでいてくれ。」

「かしこまりました、レイミアス様」

「はーい、まりあせんせーのふねひさしぶりだなー」

「あ、はい・・・エムデン?一体何が?」


 マリアは話を続ける、緩んだ顔が緊張を帯びる、どうやら先程の茶番ではなくこっちが本来の用件らしい。


 エムデンとは、マリアが個人で所有している巡空艦の名前だ。操艦性に難があるが速度が飛行船とは思えないほど速く、彼女の足の一つとして帝国中を飛び回っている船だ。

 それに乗れって言っているのだ、この街を出れないはずの私に何の用だ?


「ああそうだマーティン、お前に対する外出禁止措置は出航時に解除するから心配するな。グーリス、この家にないものはリストアップして正午までには教えてくれ、こっちで何とかするから外で買うな。総督府や空軍基地にはかけるなよ、私かヴォルの直通回線だけ使え。出るときもマーティンは隠せ。分かってるな?人目につくなよ。」


「かしこまりました」


 グーリスは恭しく頭を下げる、だがいつもの笑みはない。


「私が…この家から出るんですか?」

「今回は例外中の例外だ、お前達はあの辺りの事情に詳しいはずだからな、それに今回軍は使いたくない」

「せんせーあたしはー?」

「お前の最初の仕事はグーリスの手伝い、次にマーティンの護衛だ…後のことは船の中で話す。今日はもう遅いし私は帰る、しっかり寝ておけ。」

「はーい、にひひひひひひひーうれしーなー」


 もはや完全にいつものペラギアだ。私の腕に組み付き彼女はニヤニヤしている。先ほどのしおらしさは消え失せている。相変わらずお調子者だがこの空気を理解しているのだろうか?


「ペラギア、危機感を持て。もし明日お前とマーティンが寝不足だったら許さん、、今夜は大人しくしておけ。確かに警告したぞ。」

「はーい」

「よし、いい子だ。では私は帰る、見送りはいらないよ、話はまた明日の夜にな」


 マリアは立ち上がる、だがペラギアは立たない。泊まるつもりだろうか?でもこいつは荷物も何も持っていない。まぁサイズは少し大きいがメイド達の服もあるから大丈夫か。グーリスが開けるドアを彼女は一人で通る。そしてドアが閉まった。そしてグーリスが口を開く。


「さて、私は朝が早いですからお先に失礼します。ペラギア、マーティン様のお着替えもお風呂の支度も整え直していますので後の事はお任せしましたよ。今日は予定外に遅いです、寝不足はいけませんが予定がある以上マーティン様が10時にはお目覚めできる様にお願いします。」

「はーい!」


 ペラギアを一瞥してる間にグーリスの姿は消えていた。しかしあの会話の中で私の寝支度などいつの間にやったのか。相変わらず仕事が早いと言うか不気味なまでの抜け目の無さだ。柱時計を見る、まだ2時前だ。確かに遅いが10時まで私は寝ていない。ペラギアは私の腕から離れる。嬉しさを隠さぬ顔で私を見上げる。

 ああ、か。


「まーちん、じゃなかったごしゅじんさま、じゃあおへや、いきましょうね」

「はいはい」


 彼女と眼が合う。先ほどまでにやけていた顔は落ち着いているが、再び頬に紅を差している。唇は何か言いたそうに艶を帯びて濡れ、薄く開いている。青い眼は力が抜けた様にただ私の顔を見つめている。目が離せなくなってしまう、身体中にぞくりと震えが走る、腰の奥から湧き上がる様な感覚を覚える。


「ごしゅじんさまぁ………」


 やがて彼女は眼を閉じて顔を近付ける。もう既に彼女の術中なのだろうか。

 それでも構わない、乗ってしまおう、私も顔を近付ける。



 どがーん。




 音の方を向くと、マリアがドアを開けて大きな旅行鞄を床に置いていた。

 マリアも頬に紅を差しているがその意味は全く異なるものだった。


「あ…ああ…そこではじめてたのか……お前の鞄だ、ペラギア……ああ、分かってる、分かってるよ、本当にすまない、許してくれ、私は女失格だ。すまん、じゃあこれで。」


 そんなマリアの弁解はペラギアの耳には恐らく入っていないだろう。脱兎のごとく立ち去るマリアの背に罵声が飛ぶ。

「んもおおおおおおせんせーのばーかあああああ!!!!」







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