その8
だが、そこで多賀が余計なことを言ってくれた。
「でも井原さん、どうして相談する気になったの? 先生に」
それは勇気をふりしぼったからだ。いちいち聞くようなことでもない。奏野も同じことを感じたのか、顔をしかめてたしなめた。
「多賀、おまえそれは……」
ところが、その言葉を遮るように、井原は事もなげに答えた。
「風間君がメールくれたの、勇気出して学校に来いって」
午後いっぱい、自習室に詰めていた僕たち3人は同時に絶句した。
「え……」
部屋いっぱいに飛び交う「?」マークを、奏野が一身に引き受けた。
「風間お前、スマホできなかったんじゃ……」
グループチャットもメールもやらないヤツだから、僕たちはこんなに苦労したのだ。
その不満と疑問を、風間のいつになく長めの言葉が一掃する。
「閉じ込められたから、ああもうだめだなって思って井原さんに電話したら、バッテリー落ちて……」
電話? 電話? 電話?
僕はメールもしたことないのに、何でコイツ、直にお話なんかできるんだ?
答えがないわけじゃないけど、言葉にしたくない。認めたくないイヤな予感が、胸の奥をよぎる。
そこへ、情報処理部の部員たちが大挙してやってきた。
「奏野センパーイ、遅くなりました」
「あ、ああ……」
自分が言いつけた用事をやっと思い出したのか、奏野は曖昧に返事をする。その顔色をうかがっていた部員たちは、一気にごたごたと機材の撤収を始めた。
それを無言でじっと見つめていた井原は、やがて向き直ると、僕の顔をじっと見つめる。
「じゃあ、よいお年を……またね、遠田君」
このやりとりが自分とどう関わっているのか、たぶん気づいたんだろう。ありがとうと言わないのは、恩を感じていないからじゃない。
言葉にすると消えてしまうものがある。
井原は、それをよく知っているのだ。
「あ、ああ……」
でも、僕が曖昧に答えた理由は違う。風間が井原と一緒に帰ろうとしたからだ。
だが、奏野の反応は早かった。そこらへんをいい加減にしたりしない。
「あの……お前ら、そういう?」
眼鏡の奥で目をぱちぱち瞬かせながら、驚きの中にもようやく見つけ出した、つたない言葉で尋ねる。
風間の答えも、同じくらいつたない言葉で、ぼそっと答えた。
「何か、いつの間にか、そんな」
超特急でパソコンやプリンターを運び去る情報処理部員に紛れて、風間と井原の姿は消えていた。
「あ……」
ようやくのことで、僕はわずかに口を開くことができた。でも、言葉にはならない。
代わりに、奏野が茫然とつぶやいた。
「電話かよ……負けた、アナログに」
情報処理部長らしい発言だったが、それは僕が心の中で感じていたことだった。
好きな気持ちを伝えるのに、まわりくどい小細工なんか要らなかったのだ。
多賀が口にしたのは、この一言だけだった。
「どうする?」
もっとも、それが聞こえたときには、その姿はもう消えている。
どうするもこうするも、どうしようもない。僕は帰り支度を始めた。
奏野が一息、大きく深呼吸して聞いてきた。
「遠田、あのさ……」
僕は精一杯の笑顔で、それを遮った。
「いいよ、気を遣わなくても」
冬は終わったのだ。井原についてこれ以上どうこう言うのは、僕のプライドが許さない。
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