その4

「ちょっと見てくる」

 奏野が席を立って、自習室を出ていこうとしたが、そこで立ち止まった。

「どうした?」

 パソコン画面を見ながら、多賀が短く尋ねる。引き戸のガラス窓の下に屈んだ奏野が、声を潜めた。

新島にいしまだ」

 新島真由まゆ。顔が可愛いだけで性格のねじ曲がった女子グループのボスだ。井原にいやらがせをしているのはこいつらだ。巧みな証拠隠しと言い訳で、生徒同士の話し合いはおろか、教師の威圧や指導もかわされてしまう。

 奏野に言わせれば、人に知られてまずいことは独りで徹底的にやるのが新島らしい。仲間を使うと、秘密が漏れる恐れがあるからだ。

 今回の件でも、僕もできるだけのコンタクトはしてみたけど、男子と女子の壁は厚くて、全く相手にされなかった。正義感の強い奏野でさえも歯が立たないのだから、当然だ。

 僕は慌てた。この部屋は廊下の突き当りにある。中を見られるとまずい。情報処理部のパソコンやプリンターを借り出しているのを職員室へご注進に及んだら、全ては終わる。

 声を潜めて尋ねた。

「こっち来る?」

 もともと小さい声を更に落として、多賀が恐ろしい仮定を口にした。

「もし昨日、遠田と風間の話が玄関で新島に聞かれてたとしたら? 」

 仮定にすぎなかったけど、あり得なくはない。当たっていたら、結構痛い。僕は話をそらした。

「まずいな……中、見られたら。」

 引き戸の窓を塞ぐわけにもいかない。後ろ暗いことをやっているとアピールするようなものだ。

 逃げ場は、ない。多賀が諦観を込めてつぶやいた。

「カギがかかってなくても、出られなければ密室だよ」

 奏野は無言で自習室を出た。代わりに、多賀が答える。

「廊下の途中で迎え撃ってくれるさ」

 それでも気になって、窓から外を覗いてみた。かなり離れたところで、奏野の背中の向こうに新原の頭が見えた。

「戻れ」

 多賀が低い声を立てる。僕も自分の席に戻って、パソコンを打った。

「大丈夫かな」

 これには二重の意味がある。奏野が新島を抑えられるかどうかってこともあるが、そこで時間をロスすると、レポートを代筆する時間がなくなるからだ。

 無駄を省く性分の多賀は、前者についてだけ答えた。

「力関係はほぼ拮抗してるらしい」

「力って……」

 男同士なら、最後にものをいうのは腕力だが、女子の場合は何なのか。そこらへんは僕にもよくわからない。

「奏野が睨みを利かせてるんだ。新島も証拠隠しが精一杯だろう」

 女子というのは、何と無駄なことに労力を割くものか。

「やらなきゃいいのに」

 僕がぼやくと、多賀はさらっと答える。

「スケープゴートさ、自分がやられないための」

 そこも理解できなかった。新原は女子グループでもかなり気の強い方だが、賑やかで人受けもいい。誰に何をされるというのか。

「何でやられんの」

「ぱっと見がいいから」

 多賀の即答ぶりに、僕もなんとなく合点が行った。女子ってのは、そんなことでも相互ランキングやったり、蹴落とし合いをやっているものらしい。

「井原も?」 

「知らんのか、倍率高いぞ」

 だったら風間もそうかと思ったけど、そこで気になることがあった。

「お前は?」

 牽制する相手が増えるのはかなわない。だが、多賀は目だけこっちへぐるっと向けると、鼻で笑った。

「そういうの興味なし」

 井原が心配ならさっさと原稿打て、と言ったみたいに聞こえて、僕は再びキーボードに向かった。

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