その2

「ねえ勝昭かつあき、そっちできた?」

 姓である「遠田とおだ」では呼ばない。この偉そうで失礼な女は、情報処理部から機材をこっそり持ち込んだ、部長の眼鏡女……奏野弓そうのゆみだ。

「呼び捨てかよ。」

 慣れないキーボード操作なんだから、急かされても困る。イライラしながら突慳貪にはねつけると、奏野は鼻にかかった声で出るとこ出た上半身をくねらせた。

 もちろん、顔と目と手の位置は変わらない。

「遠田くうん、まだあ? 」

「う……。 」

 白状すると、ちょっとゾクっときたりする。そういうキャラじゃないつもりだけど、これでも男だ。仕方が無い、と開き直ってはみるけど、邪な心を見抜いたかのように、奏野の声は厳しかった。

「遠田?」

「もうちょっと……」

「遅えよ」

 この、上から目線の物言いはムカつく。僕のキータッチも遅いのだが、ノートパソコンの型も古くて、漢字変換というか処理がとにかく遅いのだ。そのいらだちもあって、つい声を荒らげて言い返してしまった。

「トロいんだよ、パソコンが! 」

 授業でこいつと同じ実験グループになったときはウゲッて思ったけど、いいヤツだった。女の子としてどうこうってわけじゃないけど、この年末まで、実験の準備や片付け、期末考査最終日が締切のレポートが期日通りに完成できたのは、彼女のおかげだ。

「マシンのせいにすんな」

「ちょっと見てよ」

 パソコンに強い奏野なら何とかしてくれると思ったのだが、見事にはねつけられた。

「悪いけどこっちも手一杯! 」

 その冷淡さに、奏野にすがっても無駄だと悟った僕は、ついパソコンに当たり散らしていた。

「メモリ入ってんのかこれ! 」

 その瞬間、奏野の声は一気にヒートアップした。悪さをした子どもを叱りつけたら、逆に親に逆上されたときみたいに。

「ああ? ウチのノーパー(ノートパソコン)に何か文句あんのか? 」

「ないです……。」

 奏野は情報処理部の部長だが、クラスでは別の顔がある。クラスの女子の中でも裏のボスで、何か言いだしたら男女ともに逆らえる者はほとんどいない。

「だったら口動かさずに手動かす! 」

「そういう奏野は……」

 反論は愚策中の愚策だった。部活での愛機をコケにする者には、部員だろうがカタギの帰宅部員だろうが、分け隔てなく相応の代価を支払わせるのが奏野だ。

「見たら分かるだろ! 」

 口とは別に両手の指が、乱射される機関銃の弾丸を思わせる速さで、キーボード狭しと叩きこまれる。そのすらっとした手足でビンタや蹴りを食らったら、さぞかし痛いだろう。

「速っ……」

「情報処理部! 部長! 奏野弓! なめんなああああ! 」

 ところで呼び捨てと言えば、その隣も例外ではなかった。

久平きゅうへいは?」

「やってるよ、君がしゃべってた間も」

 背の高い割に座高はそれほど高くない、切れ長の目をした優男がシニカルに切り返す。

 多賀たが久平だ。

「井原さんのために」

 必要なことしか言わないし、やらないが、仕事は早い。作業の場所を自習室と決めて、職員室からカギを借りてきたのも多賀だ。

 今でも、キーボードを叩きながら問題の核心を突いてくる。

「締切過ぎたら評定が1になる」

 そうなると、長期休暇の間は部活やアルバイトが禁止される。奏野もせっせか手を動かしながら、僕に聞いた。

「化学部だっけ」

「あ、ああ……」

 生返事で答えるくらいしか知らないが。

 井原はクラスではあまり目立たないけど、化学部では部長として、地道に夜中の観測や研究発表をやっている。それらができなくなるのはかなり辛いはずだ。

 もっとも、井原は11月の半ばから休んでいる。同じクラスの女子グループから、いやがらせを受けているからだ。今回も、実験結果をまとめたノートがなくなったという。いやがらせだってことはほぼ間違いないけど、証拠がない。そのショックで、井原は学校に来られなくなってしまった。

 幸い、走り書き程度の下書きは手元にあったので、奏野が一昨日、自宅を訪ねて「参考にさせて」と強引に預かってきた。それを今、自習室にこもった俺たちが、本人のものであるかのように偽装しているのだ。もちろん、ワープロ打ちでもいいという規程を悪用したものだが、もちろん、バレたら全員が評定「1」となり、冬休み一杯は謹慎処分だ。模倣犯に「本人は知らなかった」と言わせないために、例外はない。

 井原は確かに苦しい立場にあるけど、実験グループが同じというだけで、僕たちがなぜそんな危険を冒さなければならないのか。

 それには、理由がある。

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