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 明乃に言わせれば、ビルかぜなのだという。


「ほら」と明乃は学校の北側を指差した。武蔵浦和駅周辺の再開発地域。奈都が子供の頃からビルやマンションが次々に建造され、市の人口増に寄与している。奈都たちの中学校も市内一のマンモス校として知られていた。


 その日はしきりと風が吹いた。低気圧が近づいているのだろう、朝からずっと頭痛がしていた。おかげで授業中はうまく眠れず、保健室のお世話になった。昼休みに目覚めると、給食の匂いに後ろ髪を引かれつつ、まっすぐ屋上に向かった。月曜日だから浮かれていたのかもしれない。ドアを開けるなり吹き付けた強風に不意を突かれ、スカートをまくり上げられた。先に来ていた明乃に白い眼で見られたことは言うまでもない。下に体操着を履いていたのがせめてもの救いだった。そうでなかったら、いまごろ小言の餌食だ。


「ビル風にしては距離がないか?」奈都は訝し気に目を細めた。手すりにもたれながら、不遜にそびえたつビル群と、隣の明乃を交互に見やる。そういえば、どことなくビルに似た子だな、と思った。いや、どちらかと言えば、南側に見えるスカイツリーの方か。上背があるわけではない。しかし、スリムな体型と、長い脚、いつも高い位置でまとめられた髪型が実際以上に細長い印象を与えた。


「あんなの目と鼻の先じゃない」明乃は呆れたように言った。「あのあたりだって校区でしょ」


「それは人間の事情だろ。風には関係ないって」奈都は言った。「アキって時々ずれたこと言うよね」


「ナツよりは頻繁じゃないわよ」


「わたしと比べるなよ」奈都は自嘲し、手すりの内側に向き直った。「なあ、フユはどう思う?」


 真布由は手すりに背を預けていた。小柄な体を、大きめのカーディガンがすっぽりと覆っている。病的なほど白い肌に、重ためのショートボブがまるで日本人形のような印象を与える。切れ長の目は、屋内へのドアへと向けられていた。


「よく聞いてませんでしたけど」真布由はドアの方を向いたまま言った。「アキさんの方が正しいんじゃないですか」


「ほらね」


「いや、聞いてないって言ってるじゃん」奈都は言った。これ以上の議論を諦め話題を変える。「それにしても、ハルは遅いな」


「そうですね」真布由が間を置かずに言った。


 奈都はここにいない三人目の友達のことを思い浮かべた。表情豊かなおさげ娘の遥だ。いつもつまらないダジャレを披露しては、一人で勝手に笑っている。難しい顔をするのは、ダジャレを考えているときだけだ。


「週明けに姿を見せないなんて」明乃は深刻そうにつぶやいた。「ダジャレが思いつかなかったのかしら」


「だとしたら大スランプだな」奈都は笑った。しかし、真布由はまだ難しそうな顔をしている。「どうした?」


「もし、このまま二度とハルちゃんが現れなかったらどうしますか」


 真布由の表情はいたって真剣だった。そもそもが、遥と違って冗談を言うような性格ではない。本気で心配しているのだ。


「何かあったの?」明乃は言った。


「夢を見たんです」消え入りそうな声だった。「ハルちゃんが行方不明になるニュースの夢を」


 真布由は言い終えると、血色の悪い唇をかみしめ、脹脛を寒さからかばうようにしてスカートの裾を引っ張った。


 ここまで心細げな真布由を見るのははじめてのことだった。いつもなら、多少落ち込んでいても遥が励ましてくれる。しかし、いまはその遥がいない。この小柄な友達に対してどんな言葉をかければいいのか、奈都には見当がつかなかった。


「フユはどうするの」やがて、明乃が訊いた。「ハルがいなくなったら」


「探しに行きます」真布由は顔を上げた。言葉に力がこもっている。「きっとハルちゃんに会いに行きます」


 奈都と明乃は顔を見合わせた。


 屋上から下のことは関知しない。それがここでの暗黙の掟だった。それは誰かがはっきり口にしたわけではないが、四人の間で確かな効力を持っていた。誰にだって知られたくないことはある。遥だってそうだろう。たとえば、あんな華やかで明るい空気をまとった子がどうしてこんなところに顔を出しているのか。


 しかし、二人は真布由に何も言わなかった。なぜなら、そう告げることすらも余計なお節介に過ぎなかったから。

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