第3話 学校の、真実

 今日も昨日と同じ一日だとみさきは思っていた。何せ登校するまでは変わった所なんて見つからない。ごくごく普通の朝だと。

 しかし、学校の正門に着いた時。その感覚にひび割れが入る。……今日の学校は、何か雰囲気が違う、と。

 一歩後退したみさきだが、サボるべき理由も見当たらず。結局はかぶりを振って脳裏からさっきの嫌な予感を追い出して校内へと入って行く。

 別に、いつもと何一つ代わり映えの無い校内だ、じゃさっきのやな感じはなに? とみさきは訝る。

 教室に向かうまでの間、この感覚は……消えなかった。むしろいや増すばかりだ、一歩一歩が、重い。冬物のコートを着こんで水中を歩いてるみたいだ。やがて水が水銀に変わってゆく、今度は有害な毒性まで付いてきたわけだ。今までは飲み込んでいてもただ溺れるだけだった。しかし今度はさらに重たく、そして毒性がある。そんな空気が充満している。

 教室に入り、簡単な挨拶をして。みさきは席が七つ程足りない事と"自分の右斜め前の席に花が飾られて"いたのに気がついた。

(……そういえば、"雪之丞くん"って……自殺したんだっけ)

 確か体育館で全校朝礼をしていた時に手製の焼夷爆弾を大量爆発させて火災を起こして死者十五名、重軽傷者四十名という大惨事を巻き起こして自殺した少年の名前を、みさきは思い出した。道連れとしては中々凄まじい、いつ思い返しても、あんな酷い死に方は無かったな……みさきは"クラスメイト"の悲惨な最期を反芻し、肩を抱いて震えてくる。

 雪之丞という同級生。

 彼は俗に云う"いじめ"を受けていた生徒だった。"物静か"で少々"太り気味"、"大量に汗をかく"のが特徴の、"ニキビとソバカスだらけの顔をした背の低い"クラスメイトだ。

 物珍しい名前だったから。何かを話せば馬鹿にされ、何もしなければ、殴る蹴るやパシリは当たり前の酷い目に遭っていた。過激な自殺を企てたのも、多分、意趣返しの意味が有ったのだろう。雪之丞くんはいつも孤独で、いじめは酷かった。

 でも、彼をいつも物好きな私の"幼なじみ"だった少年が庇っていた。そのせいで彼も――。

 ……あ、れ? みさきは顔を蒼白させて、後ずさった。震えが、止まらなくなる。


 "幼なじみ"の事が、思い出せないのだ。


 忘れた? いや、そんなはずは無いと。みさきはかぶりを振る。

 堪りかねたみさきはクラスメイトの一人にねぇ……と尋ねてみた、

「そういえば、雪之丞って誰か友達いなかった?」

「いなかったわよ? 確か独り言をぶつぶつ言ってて気持ち悪かったけど……」

 怪訝な顔で、みさきはクラスメイトから返されて。さらに狼狽えた。

(バカな! いたはずだ! 私の親友が絶対に!!)

 どうしたの? という、問いかけにみさきは。

「ごめん……ちょっと保健室!」

 この空気に耐えかねて、飛び出して、人目も気にせず駆ける。

 どこに行けば!? この気持ちが解決するのか!? そんなこと判るはずがないじゃないか!!

 やがてみさきは。校舎の袋小路にいた。

 壁に手を突いて嗚咽するみさき。まるで自分が異邦人の気分だ。この世界と大きく感覚がずれている。


 刹那、光が壁一面に拡がった。


 驚愕に眼を剥くみさきをよそに。光はみさきの腕に絡みついて、引きずり込もうとしていた。

 抵抗することもままならず、みさきは引きずり込まれた。


「……う、ん?」

 気がついたみさきは薄く瞳を開けて、辺りを窺う。

 とても穏やかな空気が満ちている。学校特有の殺伐とした空気じゃない。時間が止まったかのような感じだ。

 ――聖域……みたいだね?――。

 まともなクラスメイトが聞いたなら。正気を疑われかねない発言だ。今は誰もいなくて良かったと、みさきは心から安堵した。

 改めてみさきは辺りを見渡してみた。

 そこはアクアマリン色の霧に包まれて、上下左右から樹木が生い茂る森だった。現実にはあり得ない、しかし、現実に存在している。

 視線を向けると、その方向に満ちていた霧がさぁ……と晴れて見えるようになる。もしかしたらこの霧、意思があるのだろうか?普通なら思い至らない解答、しかし、これだけ不可思議な空間なら。あり得そうではある。

 唾を呑んで、みさきは意を決して歩き出す。いつまでもここに立ち尽くしていたってなんにも解決しゃしないのだからね。

 歩を進めれば、先の霧が晴れて。みさきの進路を阻まなくなる。しかし、必ずしも進行方向が晴れるわけではなかった。みさきが視線を向けても、正面が晴れずに右が晴れたり後ろが晴れたりする。

 ……私を、導いているのねと、みさきは感づいた。そうでなければ、必ずどこかに穴が空くような霧の晴れ方はないだろう。みさきはどんどん進んでゆく。

 やがて、少しずつ霧が薄れてゆき、周囲の風景が浮かび上がり。森林に木漏れ日を降らせて苔むして蔦が絡みついた大樹を照らし出した。そしてみさきは気づかなかったが、木々に混じって螺旋階段も遺跡の石柱みたいにそびえ立っている。

 やがて霧が台風の目みたいに晴れている所にみさきはやってきた。その場所もまた、優しい木漏れ日が射し込んでいる。

 みさきは辺りを見渡して、ここは森の広場みたいな場所だと悟り。そして、広場の中央に。何かが有ることに気がついた。


 ――台座に、長剣が刺さっていた。


 ……何で、こんな所に剣? みさきは訝しむ。でもここは不思議空間、何が出てきても今更……な、感じだ。

 ゆっくりと、みさきは長剣に近寄る。近づくと、石で出来ていると思わしき台座に長剣が刺さっていることがわかる。そして、木漏れ日が長剣の姿を照らし出す。

 凍てついた月光の輝きを刀身にまとい、"翼ある太陽"の形をした黄金の鍔を持つ剣だった。

 なんて美しいの……!? これが武器!? みさきは最初、これが戦うための道具だとは思えなかった。惜し気もなく情熱を注いだ芸術品だと、みさきはそう感じたぐらいに。この剣は美しかった。

 そしてその剣の傍らに。刀身と同じ髪色の少女が、俯いて座っていた。

 はっと息を呑むみさき。この髪色……見覚えある!

 ゆっくりと、ぐしゃぐしゃの泣き顔を上げられて。みさきはますます顔見知りを確信した。なにせその顔は、前に遭った少女だったから。

「あなた……!」

『……ようこそ、マスター候補』

 ぐす……と涙を拭いながら。立ち上がってみさきを見据える少女。その手には"翼ある太陽"の紋章が描かれた連結刃が握られている。

「マスター……候補?」

 みさきは首を傾げて少女に尋ねた。

『はい、貴女は私、"聖剣"のマスターになれる資質を持っています。神の力を手に、魔王と戦う力を』

 ……?

「どゆこと?」

 みさきは理解できずに、間抜けな反応をした。


 成程、話を噛み砕くと。

「この世界を終わらせようとしている魔王が僕の"魔獣"を放って侵略している。だから、立ち向かう為に"神の力"を持った勇者になって欲しい……と?」

『はいそうです、マスター候補。……貴女も見たはずです』

「いや、ちょいまち」みさきは頭を抱えて「私はよく覚えていないよ」と返したがいいえマスター候補と、聖剣は手を突きだして否定する。

『それは貴女が"嘘だと思い込まされて"いるだけです』

 さぁ、と。聖剣は手にしていた連結刃を差し出した。……触れてみろ、ってことかな? みさきはおずおずと、触れてみた。連結刃が淡い光を発して、優しくみさきの中に入り込む。

 瞳を閉ざしたみさきに、風景が浮かび上がる。

 あの時起こった雪之丞くんの過激な自殺。そのせいで、この学校は叩かれるようになって社会的地位も悪化した。そのせいで、受験などにも影響が出た。

 そして、この連結刃のマスターは。その事件を"嘘だった事に"するために、勇者となって戦っていたらしい。

 そのマスターとは、私の親友だ。アイツがどうして勇者になったのか、聞くまでもなかった。

 私たちの、未来を護るためだ。このままだと、私たちは社会に飛び出す時に酷い目にあう。それを避けるために、この事件を無かった事に――嘘にするという願いを叶えたのだ。

 そして、その代価に。アイツは雪之丞くんの名前を名乗って生きていた。

「ねぇ……アイツの事さぁ、覚えてる奴なんているのかな?」

 みさきは涙を流しながら幼なじみを思い出す。格好いい奴だった。もしも……幼なじみじゃなかったら、きっと私なんかよりいい人がいただろうな……そう思うほどに。

『前マスターの事ですか……誰も、いないでしょう』

 どうして……となるみさきに、

『彼はこの事件を"嘘だった"事にしました。その代価に彼自身、誰からも嘘だと認識されるようになりましたから……』

「そっか……じゃあ私が覚えているのは何でかな?」

『私が、貴女に接触したからです。誰か一人でも、彼の事を忘れないようにと……』

「……そっか。最後に、聞いていいかな?」

『? 何でしょうか』

「これから……この学校はどうなるの?」

 聖剣はしばし間を置いて、

『マスターの願いはもう消滅しています。……もう、あなた方も記憶が戻っているでしょう?』

「アイツのやってたこと……全部"嘘"になってんのね」

 みさきの顔に影が、落ちる。……アイツに寄せていた儚い思い、とうとう……言い出せなかった。

(――イヤだ! アイツのした事が無駄になるなんて! 絶対にイヤだ!!)

「――ねぇ、私がその役を引き継げるかな!?」

 みさきは涙を浮かべて、聖剣に話しかける。

『だから、貴女を選んだのです。彼が生きていた事を"嘘"にしないために』

 にこっと聖剣が笑う。

 みさきも同じように笑って連結刃を受け取る。自分がするべき事は、もう決まったからだ。

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