第2話 彼と放課後

「えぇーとみさきさんだっけ、ジュースを一個お願い」

 転校初日の昼休み。購買部でみさきは彼と出くわした。彼はお客で、ジュースを買いに来たのだ。

「どれにするの?」

「"玉虫色の山脈に赤紫の不死鳥はささやく"で」

「よく知ってるわねー? こんな珍妙な味のジュース売ってるの」

 ピクルスと煮干しのジュースを取り出したみさきは呆れ果てて答えた。このフロンティアな味わいのジュース、何故か入荷してくる事で有名だ。これも七不思議に加えるべきだと、みさきはいつも思う。

「知らないのですか? けっこう人気があるんですよ?」

「そんな訳ないでしょ!?」

 思いっきり大嘘を吐いてきた。これからこいつの事は"狼少年"とでも呼ぼうかな? またしても呆れたみさきだった。

「あぁ……今日は天気がいいし『屋上に行こうかな』?」

 屋上に行かないだって? 嘘つけ、行く気満々だろうがとみさきは舌打ちした。こいつは呼吸でもするかのように嘘を吐く。嘘を吐くのに慣れすぎているのじゃないか? 将来が思いやられるが、まぁいいかとも思う。だって私の人生じゃないもんね?

 雪之丞はジュースを受け取り、感謝のかの字も感じさせないありがとうを言って。立ち去って行く。

「あ、そーそー雪之丞さんとやら」とみさきが雪之丞を呼び止める。ん? と振り返る雪之丞。

「この学校……夜遅くまで残っちゃダメって、聞いた? 先生達からじゃなくて……」

「もちろん、七不思議のやつだろう? 変な奴が出てくるとか……」

 何だ、知ってたのね。なら問題無しだ。前なら大方教師の連中が流した噂だと思っていたが……一昨日の遭遇で認識を変えたみさきだからだ。

「……逢魔が時は『魔獣が出る』……『残るなよ』」

 えっとなるみさきをほったらかして。雪之丞は行ってしまった。

 何だったのかしら……? ま、でも言えるのは。あんな大嘘吐きに『残ったらいい』なんて言われたら、残るわけないという事だった。

  

 だけど。またしても私は居残りしてしまったと、みさきは沈痛な面持ちで呻いた。時刻はこの間と同じ、夕陽が沈む直前だ。太陽が大地に喰われている悲鳴にも見える。

 斜陽射し込む教室から外に出たみさきは、廊下をまっすぐ購買部へと向かう。帰る前の点検は、みさきにとって日課とも言える。

 今日はすごい一日だったと、みさきは思った。転校生が来るだけでもすごいのに、中二病全開とはなかなか無い現象だ。今なら宝くじでも買ってみたら、大当りは確定だろう。帰り際にでも買って帰るか……? などとみさきは阿呆な想像を巡らせながら購買部を覗きこんで、異常が無いのを確認すると自販機からヨーグルト風味のジュースを買う。これは結構売れ行きのよい人気商品だ。

 しかし……人気といったら最近パンが人気無い。ドリンク剤にとって代わられている。冗談じゃないと、みさきは購買部のおばちゃんから話を聞いた時に憤慨したものだ。私達は中学生でしょ? そんな若い時から栄養剤の世話になってどうするよ? まぁ確かに私達には時間が無い。勉強をしなくてはいけない。体力はすぐに切れるし、食事の時間だって無いだろう。だからといって栄養剤は酷い。ちゃんと飯を食え、という話だ。

 でも私には何かが出来る訳ではない。私には何の力も無い。何かをしてあげたいのだけど……判らないのだ。

 逢魔が時は魔物が出る……か。

 みさきは唐突に、そういう謂れがあったのを思い出した。

 きっと時刻の問題だねと。みさきは空を見上げて、思う。黄昏から宵闇が満ちる時間、つまり闇が支配域になるこの時間は、魔物の力が上がるのだ。

 アイツも――雪之丞の奴も大嘘を吐いていたが、こんな謂れまで嘘を吐かなくてもいいのに……と、思うみさきだ。

 ついに空になったパックジュースを折り畳んでゴミ箱に捨てた時、ふと何かが居る気配を感じて振り返った。もしかしたら、昨日のあの子かもしれないから。


 だけど振り返ったその先には、影が蠢いていた。


 ――!? 何あれ!?

 背筋を凍てつかせながら、みさきは思う。影はみさきの方に顔を向け、――どこに顔が有るのか永遠の謎だが――とにかく顔を向けて鎌首をもたげる。

 逃げ道を探して、みさきは後ずさった。アレは危険な存在だと本能が告げるからだ。だが、影もまた、じりじりと間合いを狭める。

 ――放課後の校舎でこの世の理と違う物に出逢ったなら、二度と還ってはこれない――。

 みさきはこの七不思議を思い出す。もしかしたらこの世の理と違う物とは、こいつのことじゃないのだろうか? 確かに捕まったら最後、二度と還ってはこれそうにないと、みさきは息を呑む。

 影は形を崩し、新たな形状になる。今度の形は巨大な蜘蛛だった。それも、脚が人間の腕をした。

「――キモっ!」

 思わず口に感想が出るみさき。もちろん、そんな感想ごときでなにかしらの反応があるわけでもない。

 影は物音一つ立てずに、廊下いっぱいに身体を広げてみさきに襲いかかる。

「きゃあ!」

 みさきは購買部前にある三階に向かう階段へと逃れた。影は一瞬でみさきがいた場所を貫いて、みさきの方をゆうるりと向く。狙いが私なのは……言うまでもない。

 少しでも遠くにと、みさきは階段を駆け上がる。

 影もみさきに呼応して、追跡をし始めた。


 階段を登ればそこは三階、南に折れれば図書室と書庫。逆に行けば三年の教室、そして屋上と一階まで続く階段だ。

 ……屋上はマズイ、追い詰められると。みさきは思案して、ならば階段を下に逃れようと。みさきは駆けた。

 背後から破壊音が追撃してくる。廊下や教室の扉、それから窓を景気よく叩き壊しながらやって来る。まったく……器物破損と不法侵入、それから騒乱罪でこの影を警察にしょっぴいてもらいたいものだね? みさき笑えもしない冗談を言って舌打ちをした。

 ふと、みさきは前方に何か在る――いや、何かが居るのに気がついた。透明感のある青に金色を淡く混ぜた白髪、現実にあり得ない髪色。まるで"氷の中に月光を封じ込めた"ような髪の……少女が。

 少女はゆっくりとこちらに振り返る。

 その顔を見て、

「あっ!?」『あ』

 みさきは彼女が一昨日出逢った少女だと思い出した。これで今日の出会った人外は二人目だ。

 みさきが階段を降りようと走っていると彼女も追いついてきた。

『――うん、こっちに逃げてきた。足止め? ……何とかしてみる』

 人差し指を口に当てて不機嫌そうに、ぶつぶつと何事か喋る少女。やはり人間の物ではない思念通話みたいな音声だ。みさきが尋ねようとすると、勢いよく転身する。そしてエネルギーを六角形に凝縮させて。己と影の間に防壁のように拡げて展開する。障壁にぶつかった影は、一旦崩れて形を失ってしまう。少女はさらに指揮棒の如く人差し指を振り、障壁を操る。障壁は蜂の巣を正面から見たような形から影を覆うように組み上げられる。それは対象を封じ込める結界だった。影はその中でなす術無くもがく。

 それに呼応するかのように、細かく砕かれたかのような刃が影に突き刺さった。刃は一つだけではなかった、みさきの目の前にある刃は。それぞれが光の筋で繋がっていた。突き刺さった刃が抜けて鞭のように空中でしなる。

 連結刃、俗にウィップソードとも呼ばれている武器だ。使用にはかなりの技量を要する、それ以前に、現実に武器としては使えない。

 影に突き刺さった刃が離れ、術者の手元に戻る。

「――雪之丞!?」

「みさき!? ……あァ、そーいう事か……」

 一瞬だけ、珍しく狼狽したがそれだけだ。後は前の雪之丞に戻る。

『現マスター……』

「……"聖剣"、後でオメーにも聞きてェことがある」

『……承知、しました』

「ちょっとちょっとちょっと!!」

 なんだか、自分の知らないところで話が進んでいることに、みさきは腹が立って。割り込みをかける。

「悪ィな、どうせ"嘘になる"事には興味がねぇ」

 だが。雪之丞は気にも留めずに、影に向き直る。

 そして連結刃を長剣の形に戻して、繋ぎ目を消した。影は、醜い爪を造り、雪之丞を引き裂こうとしたが。

 彼の一閃で。影は縦に真っ二つに切り裂かれて消え失せた。

『現マスター、排除できました?』

「いんや……ありゃ本体じゃねえ。どの道追跡出来ねぇし……帰るぞ」

『承知』

 雪之丞は連結刃を一振りする。

「ちょっと!!」

 みさきが毒づいて追いかけようとした時。連結刃が光の粒となって、彼の右手に刻まれている"翼ある太陽の紋章"の中に入っていった。

 やがて粒子が全て入り終えたその時――。


「貴方は……いったいどのクラスの人ですか?」


 みさきがようやく話しかけられたが……その話し方は、初対面のものだった。

「私は今度転校する者です。今日は手続きと校舎見学に来たんです」

 雪之丞も、丁寧に、まるで初めて会った人みたいな話し方をした。

「いつから転校ですか?」

「早くとも……来週からですね」

 にっこりと、張り付けたような笑顔の雪之丞だった。


「……んで、一つ聞こうか"聖剣"さんよ? なんでアイツに接触を試みた?」

 冷たい夜風が吹く屋上で、雪之丞と呼ばれている少年は、風に負けず劣らずの冷たい視線を。先程影を足止めしていた少女に投げつける。

 右手には、指ぬきグローブを……着けていない。手の甲に"翼ある太陽"の紋章が淡く白い輝きを放っている。

『現マスター……貴方の事を少しだけでも知ってくれる友達が居るべきだと、私は判断します』

 あのな……と、雪之丞は頭を掻いた。

「別に今は要らねぇよ……なにせ作るためにどんな嘘設定作りゃいいんだ?」

 うんざりした顔で、手すりにもたれかかる雪之丞。

「近寄って来ねーのが一番だ」

『……『嘘つき』』

 聖剣と呼ばれた少女は、頬を膨らませて抗議した。

「けっこうだ、どの道そんな誓いだっただろーが」

 こんなのは毎度の事らしい、雪之丞はため息を隠さなかった。

 刹那、右手の紋章が一際輝いた。とても強い光だ。闇夜を照らす満月のような。

「……今日は、千客万来、だな? 応えよ"神の力"!」

 雪之丞が叫んだ瞬間、紋章から連結刃が表れる。

「さて、と……こりゃさっきの奴の――魔獣の、本体だな? ちょうどいい、とっととぶっ飛ばして帰ろうや」

 雪之丞は片手に持っていた変な味のパックジュースを飲みながらぼやいた。

『現マスター、美味しい……わけないですよね』

「たぶん、な……もー舌の感覚が……無くなってきてっからな」

 屋上から見たところ、雪之丞が呟いた――魔獣――の本体は校庭のど真ん中に居座っていた。

 雪之丞――いや、『雪之丞』と名乗っていた少年は手すりを蹴って相手に飛びかかって行く。着地してから一進一退の攻防戦が始まる。実力は伯仲、そして一瞬の隙を突かれて彼の胸が貫かれて。彼は倒れた。


 彼はこの夜、永遠に帰ってくることはなかった。

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