狼少女の誕生

なつき

第1話 彼について

 その転校生の名は雪之丞ゆきのじょうという、ぱっと聞けば記憶に残りやすい名前をしている。見た目はわりと美少年、しかし、他の美形達に紛れたら目立たない三枚目ぐらいの少年だ。ごく普通の黒い髪を適度に短く切って寝癖だらけの爆発頭、洗顔は水だけで済ませているような無頓着さの少年で。せっかくの将来を楽しみに思う女子の先輩方の夢を台無しにしているのである。

 趣味は日光浴らしく、休み時間になればよく人気の無い場所で珍妙なパックジュースを片手に寝転んでいる。そしてすぐにうとうとしてしまうのか、いつも一日の内、何時間かはサボっているのである……。

  

 なんで私こと――みさきがこんな事を覚えているかというと。こいつとは同じクラス、そして私は購買部に所属していて、物珍しいパックジュースを毎日買いに来る転校生を覚えてしまっただけだ。他に烏賊イカは無い――じゃない!! 他に他意タイは無いだ!! ちょっと海産物に読み方が似てたから勘違いしてしまった。迂闊である。

 おや? 馬鹿な事を考えていれば、本日もやってきた。いつも通りの無頓着な制服の着こなしクラゲみたいなふわふわした歩きに現実感のない、まるで四コマ漫画の主人公みたいな佇まいで。

「やぁみさき、ジュースくれ」

 気安く片手を挙げてご注文。

「どれにするの? 雪之丞?」

 みさきはため息混じりに内容を聞く。こいつの味音痴は慣れっこだから。

「"玉虫色の山脈に赤紫の不死鳥はささやく"で」

 百円を出すのでパックジュースを冷蔵庫から出してあげる。ちなみにさっきのジュース、あれは商品名ではなくて"味"の名前だ。この世で知りたくないものに眠っている時に食べている可能性があるゴキブリの話と同様に、このジュースの味も……知りたくない。

「……はい、どうぞ」

「おぉ、ありがとさん」

 雪之丞はみさきから、でかいゾウリムシ……ではなくて、それを連想させるでかいペイズリー柄がたった一つだけ描かれたパックジュースを受け取る。どうにも最新鋭の悪意を込めた臭いがする。本当にどんなジュースなのかな? これ?

「ねぇ……これおいしいの?」

 知りたくは無かったけれど、怖いもの見たさだ。

「おー、なんかこのピクルスと煮干しジュース、イノセンスな味がするんだわ。解るか?」

「ごめん、解んない」

 聞いても無駄だったよ、おまけにピクルスと煮干しのジュースだったらしいよ、あれ。……てか、さ? なんでよりによってピクルスと煮干しをジュースなんかにしたのさ? みさきは自慢の若干赤の入った長い黒髪を掻き上げて、またもやため息。

「ところで今日はどこでおサボり? いい加減にしとかないと先生が怒ってたよ?」

「あー……そうだな天気がいいし『屋上でも行こうかな』?」

 こいつと接するときに、覚えた事がある。大事なことなので、みさきはいつも気を付けている。

「何を言ってんの? 誰が『屋上に行かない』よ? 今日は降水確率0%よ? いつも通り行くんでしょうが」

 そうこいつは嘘つきなのだと。みさきは気を引き締めて対応する。

 雪之丞はいつも、嘘を吐いて喋る。煙にまく口調や大袈裟なごまかしは言うに及ばず、時々このように『屋上に行かない』とか言っておきながら屋上に行くつもりというあべこべな事を言って。周りを混乱させるのも得意技だ。

 だから――狼少年と。それが影口で囁かれる雪之丞のあだ名だった。

「あー……『悪かった』な。んじゃそーいうことで」

(ちっとも悪かったなんて思ってないでしょーが)

 みさきはふてくされるが、表には出さなかった。

「あっそーそー。あんまり遅くまで校内に残ったらダメだって先生達が言ってたよ!」

「ふーん……」

 気のない返事で彼は行こうとして、

「まっ『残るのは反対』だな? なにせ『めんどくさい問題』があるし……」

 ぽつりと、呟く。

「えっ?」とみさきが聞き咎めたが、彼はしまったという顔をして。ちっとも本心に聞こえないお礼を述べながら先に行く。

 ひらひらと振る手には、指ぬきのグローブが片手だけに嵌められている。ブレザーに指ぬきグローブなんか合うわけない。明らかに中二病もサービスという訳だ。

 残れって……言ってるのか、アイツは?

 冗談じゃない。みさきはますますそっぽを向いた。

  

 この学校を影から護る勇者がいるらしいというのが、結構前から"七不思議"に加わった話だ。いつも聞くたびバカくさと思うみさきだ。どっからどう考えたって、そんなもん作り話だからだ。おまけに七不思議なのに七つを超えているし。

 でもその内二つ、本当の物語があると、これまた手垢まみれの噂が囁かれている。

 その話の一つは――何でも放課後の校舎を歩いていると、この世とは違う理の存在に出逢って現実に還れなくなる……とか。

 今時こんな話にうつつを抜かす奴などいるのか。みさきには疑問でならない。何せ自分達は高校受験を控えているのだし。

 ……まぁそれでも、挨拶かコミュニケーションと名の付く根も葉も無い与太話の伝播普及作業の一環として、使われてゆく。つくづく……暇な連中だよね? 私たちってさ。みさきはカバンを手にそう思う。

 時間はすっかり夕暮れを過ぎている、ブラスバンド部の演奏も、ちっとも聞こえてこない。購買部の活動ですっかり遅くなってしまった。まぁ仕方ない事だ、どこの部活も大変なのだ。

 ――平和だねぇ……みさきは帰る前に窓から燃え残りみたいにちっぽけな黄昏を見つめる。

 この学校は本当に平和だ。いじめも学級崩壊もスクール・カーストも、存在しない。ただただ、昨日と同じような今日が始まって終わるだけ……。いつも通りの一日だ。

 さて、と。帰りますか? 帰ったら勉強と遊びです。

 といっても、自分は独りぼっちだ。みさきは窓に映る自分を見て、思う。みさきはどうしても、他人との会話が得意でない。いつもいつも、間がもたない。頑張って得意になろうとはした。だけど……出来なかった。

 だから、もうどうでも良くなった。私はそんなのどうでもいい、他の事をちょっと頑張ってみようと思っている。他人とコミュニケーションを取りたくなったらその時に考えよう……。その程度だ。

 帰る前に購買部を一旦見回ってこよう、あわよくばジュースを自販機から買って飲もうと。みさきは思い、教室を出る。

 廊下をまっすぐ購買部へと向かうと。カウンターにちっちゃい何かがいた。

 少女だ、それも自分より年下の。透き通った青色の髪とでもいうような透明感のある色の中に金色を薄く混ぜた白色の輝きが宿る髪色。まるで月光を氷に封じ込めたみたいな髪色だ。染めたのでなければ――いや、染めても不可能な髪色だ。

 そんな現実離れした存在が、カウンターを覗きこんでいる。

 ……なにしてるの? アレ? だけど不思議と恐怖は起こらない。

 ――むしろ、懐かしい……? そんな感じがする。

 彼女……なのか? とにかく、その存在がこちらを向いた。

 そして、にこりと笑う。冷たい笑顔だった。でも、嘲りも悪意も感じない。

「何か欲しいの?」

 こんな不審者に話しかけるなど、普通ならあり得ない。しかしみさきはこの存在に親しみを感じていた。

 そっと近寄ろうとしたみさきが手の届く所に来る前に。軽やかに身を翻して立ち去って行く。

 何だったのか、それは解らない。

 ただ唯一言えるのは、七不思議の内に真実は無い。と言うことだけだ。

 だって私はこうして現実に帰って来たのだから。


 今日も昨日と同じような一日が始まった。いつものホームルームにいつもの授業。聞き飽きて眠る奴の顔ぶれまでもが同じだ。

 そしてアイツは……雪之丞の奴はやっぱりいない。みさきは"右斜め前の雪之丞の席"を見て、胸中で嘆息した。まったく今日は遅刻までしたくせにサボるとは……。ちなみに遅刻の理由は家の中にお化けが出たかららしい。みさきはその弁解を聞いていて、真っ先にお化けじゃなくておバカが出たんだろうがと胸中で突っ込んだ。もちろん、おバカとはアイツの事だ。本当に、アイツは明日をちゃんと考えているのか? 良い学校に行って良い職場に就職とか。

 考えて、ないか。みさきは呆れた。アイツは今日が愉しかったらそれで良いような真性の大馬鹿野郎だ。アリとキリギリスなら、間違いなくキリギリスの方だ。それも死に際になって無様に泣き叫ぶような。

 そう言えば……この前のあの子、いったい何だったのか? みさきはふと思い出した。あの何か懐かしい感じの子。

 どこかであった事があるのか? そんな馬鹿なと頭を振るみさき。いくらなんでも人外っぽいのと交信できる程、電波の受信率はよろしくない。大方は既視感、デジャビュってやつだろう。

 ぶるっ……と寒気が走る。いったい何なのか? 極めて判らないものだった。

 まぁ判らないものは考える必要がないものだと。みさきは黒板に向き直る。そんなことより今は勉強だと、ノートに黒板の内容を清書する。

 その時に、空気がひび割れるような衝撃が、走った。

 ……!? 何だったのかしら!? みさきは音を立てて姿勢を崩す。

「どうした、みさき?」

「いえ、何でもありません」

 異変を察知した教師から尋ねられて、みさきは慌てて返事をした。教師はそうか、とだけでただちに授業を再開する。

 教師は大変だと、みさきはいつもそう思う。私たちみたいな連中をいつでも世話をしなくちゃならず、保護者の苦情も受けなきゃいけない。もしも就職出来なくても、自分は教師にはなるまいと硬く誓う。

 そう言えばと、みさきは七不思議を思い出した。このクラスにも一つ、本当の話があったのだ。

 内容は『常に空いている席』だ。

 このクラスには常に空いている席が一つだけある。理由はまったく不明。ただただ、そこにある。それはちょうど自分の『右斜め前の席』だなと。つい眼が向いてしまうみさきだった。これはもちろん、実在する七不思議で。現実に目の前に、こうしてある。

 まぁ、と言っても……今の私にはあまり関係がないねと。みさきはまた、ノートの筆記に勤しんだ。

  

「……今回は、長持ちした方だな? "聖剣"?」

『現マスター……寂しくないですか?』

「もー慣れちまったよ」

『……嘘つき』

「けっこうだ、そういう誓いだからな」

『……』

  

 転校生が、来るらしい。

 こんな半端な月に来るなんてと、今日はまた珍しい日だとみさきは思った。転校生の噂を聞きつけたクラスの連中は、浮かれてどっちの性別か話に花を咲かせている。女子はかっこいい男子で、男子は可愛い女子だとか。どちらも身勝手な噂を言ってはいるが、内容には代わり映えが無い。どちらも自分に特になる異性だといいと言っているだけだから。

 また始まるいつものホームルーム。教師の挨拶と共に"彼が"入って来る。

 入って来た彼はなかなかの美形だ、しかし、他の美形に囲まれていたなら目立たない三枚目な見た目。しかし……見た目は悪くないくせに、外見は無頓着だ。適度に短く切った髪は寝癖の入った爆発頭。おまけに洗顔は水だけで済ませているといわんばかりの感じだ。あれじゃせっかく年上受けしそうな顔が台無しだ。

 そして一番の特徴は、どことなく嘘くさい――まるで四コマ漫画の主人公が現実に居るみたいな空気を醸し出している。はっきり言ってやって、変な奴だ。おまけに右側の手にだけ、指ぬきのグローブなんかはめている中二病全開だし。

「転校生の"雪之丞"君だ。皆、仲良くしてあげてくれ」

「雪之丞です、……よろしくお願いいたします」

 教師が黒板に彼の名前を書いて、彼も合わせて挨拶をする。

 雪之丞、か。ちょっと聞かない名前だね? 皆がまばらに拍手をするなかでみさきはそう思った。

 雪之丞はみさきの右斜め前の席に座る。いいのかとは思うが、あそこはずっと空いていた席だ。悪くは無いだろう。

 やがてホームルームが終わると、皆がこぞって彼の元に集まった。仲良くなりたい、もしくは、自分に対して敵意がないかどうかを計る為に。我ながら歪んだ見方だよと。みさきは自身に呆れてきそうだった。

「雪之丞の前の学校ってどんな風だった?」

「んー、普通の感じだな。何も無かったし」

「転校してきて、この学校はどう思う?」

「『平和だねぇ』」

「おいおい、なに言っているんだ? この学校は県内でもトップクラスにいじめも学級崩壊も無いんだぜ?」

「だろうね?」

「まったく……ところで、その手袋は……なんだよ?」

「これか? 《聖なる"神の力"を封じ込めているんだ》」

「……へぇ、さいですか」

 そんなこんなの対話を繰り返した挙げ句、彼に集まる人だかりは休み時間ごとに目減りしていった。彼はこのクラスにおいて"異質"な奴だ、と認識されたからだった。

 そして彼はこのクラスで浮いた存在になるのに、ほんの半日とかからなかった……。

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