お前、いつの間に産んだんだ?
遅れて鎖が風を切る音が聞こえて、真っ白になった頭のまま、視線だけを前に向けた。
水銀灯の真下に、その女は立っていた。異様に似合った、軍服じみた服。人形のように完璧な美人。
「逃しません。大人しく投降しなさい」
平淡に吐き出された言葉が、上手く理解できない。
構える隙も与えず、白く細い喉を押さえる。このまま力を込めれば、簡単に折れそうだった。折れればいいと思った。
「おーい息子よ。未熟者」
場違いすぎる、聞くだけで力の抜けそうな声。それでも俺の血は冷えず、女の喉を捕らえたまま、目だけを声のした方に向けた。
赤いアロハシャツを着た、俺に似た顔の男が、倒れた光希の
しまりのない笑顔で、だが、眼は笑っていなかった。
「光希ちゃんが傷つけられて逆上したなら、せめて程度を確認してからにしろ馬鹿者。すぐ病院に連れて行けば助かったのにお前が突っかかってたばっかりに手遅れになったりしたら、
血が、下がった。
呑気な声は、それほど深刻な響きはない。いつもだ。親父は、世間話でもするように、教え
手の中に捉えた、身じろぎ一つできないでいる女と親父に抱きかかえられた光希を見て、どうすればいいのかわからなくなった。
そこまでを見極めてようやく、親父は少しだけ、本当に笑った。
「光希ちゃんが倒れたのは、術の余波だ。大丈夫、打ち身くらいのもんだ」
「…本当に?」
「親を疑うのか。それより、毛を引っ込めろ、ひげと耳と尻尾もな。さ、場所交代」
立ち尽くす俺のところにゆっくりと歩いてきて、親父は女の喉にかかったままの俺の手をゆっくりと引き剥がし、肩を押した。
光希に向けて一歩進んだつもりが、気付くと駆け寄っていた。
恐る恐る触れた体は柔らかく、あたたかい。大丈夫、という親父の声が
――って、待て。
「大丈夫って、大丈夫なのか?! 血は!」
「あーそれ、光希ちゃん起きたら注意しなくっちゃなー、未成年の飲酒は法によって禁止されておりますぞ」
コンビニでの買い物。トマトのカクテル。
しかも、抱きかかえた光希は心地良さそうな寝息を立てていた。
「…お前ってヤツは…」
一気に気が抜けた。ああでも、良かった。――良かった。
「おーい愚息、納得したなら戻せー。そんでもってミーラー、どっかで見てんだろ出てきやがれー」
一瞬すっかり忘れていた親父の存在に視線を向けると、腰が抜けたのか地面にへたり込んだ女の肩を抱いていた。
…親父、息子の前でいちゃつくな。て言うかやっぱり後妻候補なのかよおい。
というのはまあ、ちょっとした逃避なんだけど。
「……失礼、致しました、まさか白銀の王とその子息とは…」
「あー、いいっていいって、そんな昔の通り名。今はただのしがないフリーライターだ。それに、どーせあいつが何も言ってなかったんだろ、そんなだから部下が逃げんだっつの」
「そいつは逃げんぞ、私の娘だ」
どこからともなく現れた長身の男が、親父の手を捻り上げる。女のものとよく似た服を着ていた。
ただ、夜だっていうのに目をがっちりと覆うサングラスをかけていて、どんな顔かはよく判らない。これも日本人には見えないのに、何て流暢な日本語。
俺は呆然と、そんなやり取りを見守る。アロハシャツの中年と、滅多にない美女と、怪しげなロン毛のグラサン。どんな三角関係。
…本気で、帰って来て、俺の平穏。
「娘ぇ? お前、いつの間に産んだんだ?」
「そんな閑があるか。兄の子だ。私が引き取った」
「…そいつはまた、気の毒な」
「何?」
「ついでにな、娘だからって従うもんだとか考えるなよ、子どもが親のもんだとかいうのは救いようのない馬鹿の考えだぞ。子どもなんて、いつだって親を裏切って生きるもんなんだからな」
「………まさかお前に説教を喰らう日が来るとはな」
「へっ、年は取ってみるもんだよな?」
随分と親しげに話している。
不意に俺を見て、アロハシャツの親父は呆れ顔になった。
「戻せっつってるだろ。術解くぞ」
言われて顔を触ると、硬く長いひげと無精ひげにしては柔らかすぎるもさもさとした感触。
厭な気分になりながら耳に触れると、こちらも毛だらけ。尻は…確認しなくたってどうせ、尻尾が生えてるに決まってる。
鏡を覗けば、情けない顔をした狼男が映るに違いない。
「それとも何か、その格好気に入ってるのか?」
なわけねえだろ、馬鹿親父。
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