…見よう見まねって。

 ことりと、湯呑のようなものが置かれた。

 湯気が立っていて、匂いは、いつだったかに呑んだハーブティーに似ている。


「どうぞ。変なものは入っていませんよ?」

「ああ…はあ」


 初対面で人を救世主呼ばわりした男は、改めて見ると実に腰の低い美青年だった。

 二十年ちょっと生きてきてお目にかかったことのない、美青年。前髪が長すぎてそれがよくわからないのは、わざとなのだろうか。


 シルラ・キッサス。二十九歳。薬師。

 捨て子で育ててくれた薬師の師匠はもう亡く、この店舗兼住居で一人で暮らしている。

 魔術の書の召喚術を見よう見まねでやったら有朱ありすが呼び出されてしまった。


 …見よう見まねって。


 最後のそれに脱力したこれらの情報は、何も有朱が尋問したわけではない。

 突然の救世主呼びに思い切り胡乱うろんな目を向けたところ、慌てたように、弁明するように、というか実際に釈明だったのだろうが、シルラがせっせと語ったのだ。

 最後の発言にがくりと肩を落とした有朱に、何を勘違いしたのかそれとも我に返ったのか、こんなところですみません、と引っ張って来られたのが今この場所、小さな丸テーブルと堅そうな寝台らしきもののある一部屋。

 隣の土の部屋とは違い、床に断熱材代わりか何かふかふかしたものが敷き詰められている。

 先ほどの部屋は貯蔵庫で、他には店舗として使っている部屋と調理の場があって、ここは私室なのだという。まあ、寝台があるのに私室でなければぎょっとする。


 気付けばシルラがこちらをうかがうように見ていた。


 小さなテーブルの向かいに視線を向けると、おびえたように目をらされる。それでもちらちらと見てくるのは、有朱の反応をうかがっているようだ。

 有朱は、深々と溜息を吐き、きっちりと留めていたスーツのジャケットの前ボタンをはずし、ついでにシャツのボタンも二段目まではずした。

 思ったよりも熱くはない湯呑のようなものを両掌でおおうように持ち上げ、そろりと一口、なめるように確かめてから口に含む。


「あまい」

「駄目でしたか!? サラの蜜なのでしつこい甘さではないはずでそのお茶も落ち着けるものなんですけど、取り替えます、どんなものが」

「いえ、おいしいです」


 こくこくと、三分の一ほどを飲む。

 実際、ほのかな甘みが、はちみつを入れたハーブティーそのものだった。結構有朱の好みだ。

 見るからに安堵したシルラは、よかった、と小さくつぶやいた。


「それはさてき」 

「…っ!」


 思い出したように自身も湯呑もどきに口をつけたシルラは、気管にでも入ったのか大きくむせた。落ち着きがないというか、大げさというか。

 有朱としては、そもそもの性格もあるがそれ以上に、目の前のこの男が先回って色々と反応してくれるおかげで、いまいち驚き損ねている気がしてならない。

 吃驚びっくり具合としては、出社前の自宅からこんなところに突然来てしまった有朱の方が上のはずなのだが。

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