勇者を召喚したかった。

来条 恵夢

第一章 日常→非日常→日常

君が救世主?!

 鍵とかばんを手にして、部屋を出るところだった。


 就職活動に使ったものを流用した通勤かばんはもうくたびれてきていて、入社式以来の着慣れないスーツ姿とは少しちぐはぐな感じを醸し出していた。

 最後に、忘れ物はないかと振り向いたところで揺れか眩暈めまいを感じ、思わず目をつぶって腰を落とした――しばらくあとに恐る恐る目を開くと、そこに見慣れた食卓はなく、使い古した冷蔵庫もおんぼろのガスコンロや流しもなく。


「………は…?」


 寝ぼけているのかと、まさか朝の洗濯を終えてお弁当を作って朝ごはんも食べて、それでもまだ眠っているのか。

 あるいは、終わらせたと思った一連の出来事はすべて夢の中で、これはその夢の中の脈絡のない場面転換なのか。


 そろそろ掃除機をかけようと思っていた床は、土に変わっている。

 しかも、丸い――魔方陣のようなものが描かれ、どういう仕組みなのか濃藍色に発光している。

 壁は、障子も襖も木の柱も見当たらず、石か煉瓦で組まれている。

 部屋の出入り口や窓らしきものは、暖簾のように布がかけられているかいびつな四角の穴が開いているままか。

 部屋の片隅には、大きなかめがいくつか。

 麻袋のようなものが積み上げられ、埋もれるようにテーブルもあって、その上には何かこまごまとしたものが載っている。


 そして――目の前に、人が立っていた。


 陽の当たった砂のような色をした長い髪をゆるくたばね、長すぎる前髪の奥には、水にぬらしたようなこれも砂色の瞳がある。

 大きく見開かれているのは、驚いているからだろう。

 目鼻立ちはすっきりしているし肌も白く、西欧人のように思えるがどこか亜細亜あじあ人のようにも見える。


 手には身長の半分ほどの杖のようなものを持っていて、青い石を革ひものようなものでくくって胸から下げ、ズボンにローブのような上着と、乏しい知識では映画で見る古代のローマだか中世だかの格好のようだ、というあやふやな推察しかできない。

 少なくとも、ジーンズにカッターシャツ、といった街中で見るものではない。


「まさか…」


 目の前の人の口から漏れ出た声は心地いい低さで、男の人だと確信する。年齢がよくわからないが、同じくらいか年上で、下ではないだろう。


 その彼は、よろめくようにしかし力強く一歩踏み出し、こちらに触れるか触れないかのところで祈るように手を組んだ。

 踏み込んだ足に線の一部が消され、地面に光っていた濃藍色が消える。


「君が救世主?!」

「―――――――は?」

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