第21話 大根の恩返し(『徒然草』)

 今回は『徒然草』から、「大根の恩返し」のお話をご紹介。


 鶴じゃないです。「大根」です。

 さて、どういうことでしょう。


 短い話なので、原文と皐月訳を。


 筑紫つくしに、なにがしの押領使あふりやうしなどいふやうなる者もののありけるが、土大根つちおほねよろづにいみじき薬とて、朝ごとに二つづゝ焼きて食ひける事、年久ひさしくなりぬ。

 或時、館の内に人もなかりける隙をはかりて、かたき襲ひ来りて、かこみ攻めけるに、館の内につはもの二人出で来て、命を惜しまず戦ひて、皆追ひ返してンげり。いと不思議に覚えて、「日比こゝにものし給ふとも見ぬ人々の、かく戦ひし給ふは、いかなる人ぞ」と問ひければ、「年来としごろ頼みて、朝な朝な召しつる土大根らに候」と言ひて、失せにけり。

 深く信を致しぬれば、かゝる徳もありけるにこそ。

(徒然草 68段)

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(皐月訳)

 九州の方に、なんとかの押領使おうりょうしとかいう人がいたが、彼は大根を万能薬だといって、長年の間、毎朝2本ずつ焼いて食べていた。

 ある時、彼の館の中に人が少ないタイミングを狙って、敵が包囲して攻めて来た。すると、館の中から、勇敢で強い人が2人現れ、命を惜しまず戦って、敵をみんな追い返してしまった。押領使はたいへん不思議に思って、


「ふだんからここに住んでいても見かけない方々が、このように一生懸命に戦ってくださるとは。あなた方は、一体どのような方なのですか」


と聞いてみると、


「あなた様が、長年強く信頼なさり、毎朝お召し上がりになっていた、大根どもでございます」


と言って消えてしまった。

 長年よくよく信仰していたので、こういうご利益があったのだろうなあ。


*☼*―――――*☼*―――――



 というわけで、なんと、毎日大根を食べていたら、ピンチのときに大根が助けてくれた! というお話です。


 「押領使」というのは、簡単に言うと地方警察のようなもの。

 家に人が少ない時に襲われたということですが、もしかすると、この人が過去に携わった事件の関係者が復讐に来たとかかもしれませんね。


 家が包囲された、人も少ない!ピンチ!

 そんなときに現れた見知らぬ二人組が、自らの命をも顧みない猛烈な勢いで賊に立ち向かい、とうとう追い払ってしまいました。

 そして命懸けで戦ってくれたことを不思議に思った押領使が素性を尋ねると、「自分たちはあなたが長年信じて食べてくれていた大根です」と言って消えてしまいます。

 押領使が毎日食べてたから、来たわけですね。


 この話で面白いのが、「食べられていた」大根が恩返しに来るというところ。

 何となく、大根目線になれば、「人間め、毎日毎日俺たちを食べやがって……」という発想をしがちです。でもこれは安易な擬人化なのかもしれません。


 「いやいや、昔だし人間様が一番って考え方なだけでしょ」という「人間至上主義」な考え方もあるかもしれませんが、私はやっぱりそれともちょっと違うと思うんです。


 大事なのは、「年来頼みて」=「長年信頼して」という部分。

 大根が嬉しかったのは、「毎日食べてくれたこと」ではなく、「長年信じてくれたこと」なのではないでしょうか。

 押領使の彼が何を信じてたかといえば、「大根は万能薬である」ということ。実際に万能薬かどうかは別として、大根としては、「自分のポテンシャル」を信じてくれたことが嬉しかったということではないかと思うわけです。


 人間で考えれば、「おまえは出来るやつだ」と信じて毎日言い続けているようなもの。それは、大根でも、馬でも、道具でも、もし「心」があるのならば何であっても嬉しいことだと思います。


 徒然草……というか、兼好法師の感想としては、「信じるものは救われるのだなあ」というところなのですけれども、ちょっと見る角度を変えて、「誰かに信じてもらえれば、本来持つ以上の力を発揮出来る(それはもしかすると、信じてくれた人のためかもしれない)」という風にこの話を捉えたいです。

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古典文学紹介 皐月あやめ @satsuki-ayame

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