第12話 小式部内侍と公任の息子(十訓抄、百人一首一夕話ほか)

 こんにちは! お久しぶりの更新です。よろしくお願いします。

 今日ご紹介するのは、和泉いずみしきの娘、式部しきぶのないについて。

 お母さんの和泉式部と同じ職場で働いており、区別するために小式部と呼ばれていたそうです。ちなみに職場は紫式部や赤染衛門とも同じ、藤原道長の娘 しょうのサロンです。

 ふたりとも、小倉百人一首にも選ばれています。(和泉式部「あらざらむこの世の外の思ひ出に 今ひとたびのふこともがな」)


 小式部内侍は、若いころからその才能を認められ、大きな歌会にも呼ばれていました。

 しかし、それを面白く思っていない人もいたわけです。女で、しかも若いのに、なぜ自分たちと肩を並べているのか、と。さらには、「どうせママの和泉式部が娘を売り出すために代作してるんだろう」という噂まで流れます。嫉妬こわい。



 ある時、小式部内侍は京都で開催されるうたあわせの歌人に選ばれます。


 歌合とは、歌人を右組と左組に分けて競わせる、和歌大会のようなものです。紅白歌合戦は全部終わってから結果を決めますが、歌合では一組ずつ勝負していきます。参加した歌人の中で、キャリアがある人や、貴族としてのグレードが高い人が、判定する人(=判者はんじゃ)として審判し、勝敗の理由も批評文(=はん)としてきちんと公表します。身内の会として行うときもあれば、規模の大きい名誉ある大会として開かれることもあります。この時の歌合がどのような会だったかは具体的には書かれていませんが、おそらく名だたる歌人も参加しているような会だったのでしょう。


 この時、母親の和泉式部は、当時の夫(※小式部内侍の実父ではない)の仕事の都合でたんに行っていました。



 歌会が始まる前、「名だたる歌人」の一人、藤原ふじわらの定頼さだよりがちょっかいをかけてきます。この定頼、以前に紹介した四納言の藤原 公任きんとうの長男です。

 定頼は小式部内侍が控えていたつぼね――現代風に言えば楽屋の前に来ると、


「丹後に送った使者は戻りましたか~? 心細いでしょうねえ」


と、声をかけてきます。

 突然なんだって感じですが、これはつまり、


「普段からママに代わりに作ってもらってるんだろ? 今すぐにお返事来ないところにいて大変だね。ママの歌をもらいに行かせた使者は帰ってきた? 帰って来るまでは心細いだろうねえ」


という意味で言っています。控えめに言ってうざいですね。



 定頼は小式部内侍の四つ年上。普通の女房なら、格上で年上の貴族の男性にこんな嫌味を言われたらしゅくしてしまうところでしょう。しかし、新進気鋭の小式部内侍、こんなことではめげません。

 なんと御簾みすから半分体を外に出し、そのまま通り過ぎようとする定頼の着物の袖をつかんで引き止めます。そこで詠んだのがこの歌。


  大江山いくのの道の遠ければまだふみもみずあま橋立はしだて


 まさに百人一首に採用されている歌です。

 この歌は素直に詠むと、「大江山を越えて、いくへ行く道は遠いので、私はまだ天の橋立を踏んだこともありません」という意味になります。

 さらに、三つの修辞法が使われています。

 一つ目「かけことば」。一つの言葉に二つの意味を持たせる技法です。「いく」は「行く」という動詞と「生野」という地名の前の部分が掛かっています。

 二つ目「えん」。これは、縁の有る単語を和歌の中に含ませるという技法です。「橋」という単語と「ふみ(踏み)」という語が「縁語」です。

 三つ目「体言止め」。名詞で歌を止める技法です。「天の橋立」で終わっていますね。

 これだけでも、「即興で作ったのに技巧が凝らしてある歌だね!」という評価がもらえるものですが、この歌の魅せ所はダブルミーニングであるということ!



 まず「大江山」。実は、和泉式部の実家の苗字は「大江」。つまり、これは母の和泉式部を指しています。


 そして「ふみ」。表の意味では「踏む」という動詞ですが、これは定頼の脳内だけにいる空想の使者の持っている「文」、つまり手紙の意味も込められています。「ふみもみず」というフレーズは、「んでたこともない」という意味と、「たこともない」という二重の意味になるわけです。実はここも掛詞だったんですね。(補足:文法的に「掛詞はどれか」という問題に答えるならば「いく」、「ふみ」の二語です。)


 そして「天の橋立」。これは、丹後国の名所です。言わずもがな、定頼がわざわざ言ってきた場所です。


 以上まとめると、この歌の本当の意味は、「大江山を越えて、いくへ行く道は遠いので、私はまだ天の橋立を踏んでみたこともありませんし、丹後の母からの手紙も見ていません」ということになります。



 これを、声をかけてから立ち去ろうとするまでの、一瞬の間で作ってしまったのですから、定頼はもうびっくり仰天。

 普通は、歌を詠みかけられたら返歌しないといけないのですが、あまりに見事な歌に、返歌をすることもできず、袖を振り払ってその場から逃げてしまったそうです。この出来事と歌が有名になり、小式部内侍は周囲からも実力をはっきりと認められるようになりました。

 嫌味な先輩を実力で黙らせた、スカッとするエピソードですね!



 しかし! 実はこのエピソードにも「裏」があるかもしれません。


 この嫌味な定頼さん、意外なことに、小式部内侍と付き合っていた時期があったそうです。『宇治拾遺物語』に、今カレとおうちデートしているところに尋ねて来る元カレ定頼のエピソードが載っています。


 当時この二人は付き合っており、「やらせ」で周囲に認めさせたのではないか、という研究もあります。が、別の研究では、この時期定頼には既に正妻がいて、さらに紫式部の娘の大弐だいにのさん(「あり猪名ゐなの笹原風吹けば いでそよ人を忘れやはする」)とも付き合っていたという話もあり、そんなときに小式部内侍にそこまで肩入れするか? という見方もあるそうで、実際の所はわからないようです。ついでに百人一首に選ばれている歌人 相模さがみ(「うらみびほさぬ袖だにある物を恋にくちなん名こそおしけれ」)とも付き合っていたという話もあります。

 この男、意外にモテている。



 さて。ここで皆さんに思い出してほしいのが、お父さんの公任のこと!

 公任は酒の席で、「ここに若紫はいるかな~?」と、紫式部にウザがらみして嫌がられていましたよね。これ、公任的には紫式部と仲良くしたいゆえの絡みが空回りした感じだったのでしょう。

 実は、定頼も、本当は小式部内侍と仲良くしたかったのでは? と思ってしまいます。いや、もちろん、仲良くする方法として果てしなく間違っているし、まったくもって空気読めてないんですけど。

 もしかすると、


「ママからの文来てないなら心細いよねえ。俺に頼りに来てもいいんだよ」


って意味で言ってみたとか。

または、その後、


小式部「もう~定頼さんったら、意地悪言ってえ。ママに代作なんてしてもらってません!(目をうるませながら)」

定頼「うん、かわいい!」


みたいな展開を妄想していたとか……。


 定頼は和歌も上手いし優秀で、ついでにイケメン・イケボであったようですが(雅楽演奏でボーカルを任されている)、失言大王公任さんのことを知っていると、なんとなく親譲りの失言癖もあったんじゃないかなあと思ってしまいますね。


 今回のお話はここまで! 小式部内侍は他にもエピソード豊富な人なので、先述した定頼との話も含めて、また改めて紹介したいと思います。

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