第5回 敦盛が名乗る!?(平家物語)

 本日扱うのは『平家物語』です。

『平家物語』と聞いて思いつくことといえば、敦盛あつもりすのいちでしょうか。中学で習った!と覚えている方も多いのではないでしょうか。

 今日は特に敦盛の話について紹介します。今回のタイトルが気になる方もいるかもしれませんが、まずは有名な場面のおさらいをしましょう。ちょっと長いので、「それは知ってるよー」という方は、★☆★マークで囲まれた部分を読み飛ばしてください。


 ★☆★

 敦盛は、一の谷の戦いで、味方の船まで行こうとしていたところを源氏の武士、熊谷くまがい直実なおざね


「あれは大將軍とこそ見まいらせ候へ。まさなうも敵にうしろをみせさせ給ふものかな。かへさせ給へ」


 と呼ばれ、戦うために引き返します。現代語訳すると、

「あそこにいるのは大将軍だと拝見しましたぞ!情けなくも敵に背中をお見せになるのですかな!?お戻りなさい!」

 という感じでして、要するに挑発しているわけです。若い敦盛は、武士の誇りを傷つけられたと感じ、正々堂々と戦うために戻ったということですね。

 しかし、ただでさえ源氏と平家では戦いへの覚悟が違う上に、相手は歴戦の武士。程なく組み伏せられてしまいます。

 そこで直実が、相手の首を取るために兜を脱がせると、相手は自分の子供と同じくらいで、しかも美少年だったことがわかるのです。因みに当時は、貴族は男性も化粧をするのがたしなみだったため、敦盛も、薄化粧をして、お歯黒をつけていました。これは荒々しい武士集団であった源氏には全くゆかりのないものなので(※もしかすると頼朝くらいはやってたかもしれませんが……)、化粧とお歯黒で平家かどうかを識別されたという例もあります。

 それで、このきれいな顔のどこに刀を立てたらいいのかと躊躇い、直実は、


「そもそもいかなる人にてましましそうろうぞ。なのらせたまへ、たすけまいらせん」

(「あなたはどこのどなたですか? お名乗りください。助けて差し上げます」)


 と敦盛に尋ねるのです。直実は人がいいですよね……。

 因みに『平家物語』では、敦盛の他にもう一カ所、相手が美少年過ぎて殺せないというシーンが出て来るのですが、私は勝手に「白雪姫の狩人状態」と呼んでいます。


 話が逸れました。名を尋ねられた敦盛は、直実に、


なんじそ」(お前は誰だ)


 と問い返します。直実が敬語を使っているのに対して、敦盛は使っておりません。この辺りからも、高貴な貴族であり、平家の武士であるという誇りがにじみ出ていますね。それに対して直実が名乗ると、


「さては汝にあふてはなのるまじゐぞ、汝がためにはよいかたきぞ。名乗らずとも首を取って人に問へ。見知らふずるぞ」


 と敦盛は言います。訳すと「ならば、お前には名乗らない。しかしお前にとって私はよい敵だ。私が名乗らずとも、首をとったら誰かに聞け。私のことを知っているだろうから」といったところです。

 敦盛の視点から言えば、そもそも敦盛の顔と名前を知らない時点で、直実がぺーぺーの武士だと見当をつけていたのでしょう。

 直実はこの言葉を聞いて、さらに「助けたい」と思うのですが、後ろを見ると、源氏の軍勢がドドドドドドと迫ってきており、今自分が逃がしても、確実に他の者が殺すだろうと判断します。(中途半端なことを言うなよ……という感じはしますが)

 そこで、「助けて差し上げたいんですが、味方の軍勢が迫っておりますので逃がしきれません。私が手にかけて、ちゃんと供養してさしあげます」と申し出ます。

 それに対して敦盛は「ただとくとく首をとれ」(とにかくとっとと首をとれ)とだけ言います。

 最終的に前後不覚になりながら、泣く泣く敦盛の首をとりますが、その際に鎧に笛をつけていたことに気が付き、その優美さにさらに涙します。

 戦のあとで人に尋ねて、敦盛の名前と父親の名前を知り、直実は出家することを決意しました。

 ★☆★


 と、いうのが、教科書等にもある、「敦盛最期」の話です。

 このエピソードでは、敦盛が最後まで名を名乗らないところが、切なく、立派であるとして、古くから称賛されている部分であります。


 しかしながら、ここで、今回のタイトルです。

 もしかしたら、【敦盛は名乗っていた】かもしれないのです。


 というのも、先に紹介した、敦盛が名乗らない話。これは「覚一かくいち本」と呼ばれる、『平家物語』のお話なのです。


「え? 『平家物語』って、琵琶法師が語り伝えてるんだから、それで正しいんじゃないの?」


 と思われた方もいらっしゃるでしょう。実は、『平家物語』は「読み本系」と「語り本系」という二種類に大別され、そこからさらに細かくいろんな種類の本が伝わっているのです。

「読み本系」→本として読むように書かれた『平家物語』

「語り本系」→琵琶法師が主に民間に伝えた『平家物語』

 というわけです。因みに読み本系の方がテクスト量がめっちゃ多いです。


 そして、現在の研究では、『平家物語』の最も原型に近いものは「えんぎょう本」と呼ばれる、「読み本系」のテクストではないか、という説が有力です。(※今後の研究によっては変わる可能性もあります)


 その「延慶本平家物語」では、敦盛が名乗っている、というわけです。

 せっかくなので、該当する場面の本文を見てみましょう。参考として、最後に原文も載せておきますね。

「延慶本」本文の表現に違いはありますが、熊谷直実が、敦盛に名を尋ねる場面までは、ほぼ同じです。訳は私の意訳なので、必ずしも正しくはありませんが、雰囲気を感じていただければ……。

 延慶本って、一般的にマイナーなので、悲しいことに現代語訳があんまりないんですよねー!!


 ☆延慶本☆

 直実が「そもそもあなたは、どなたの御子でいらっしゃるのか」と尋ねると、(敦盛は)ただ「早く斬れ」と答えた。

 直実は再び尋ねる。

「あなたを、そこらの取るに足らない者どもと一緒に埋葬することは気の毒でならないので、お名前を聞いて、必ず死後の供養をさせていただきます。あなたを殺さざるを得ない理由は、頼朝殿の仰せごとに『良い敵を討った者には広大な土地をやる』とあったからなのです。あの方からの言葉は、つまり天皇陛下から賜ったお言葉と同じと心得ております。私は武蔵国の住人熊谷次郎直実と申す者でございます」

 と直実が申し上げると、

(敦盛)「なんのゆかりもなく、一度も会ったこともないのに、これほどに思ってくれることは有り難いことだ。しかも、ここで名乗っても討たれるだろうし、名乗らなくても討たれるだろう。どうやっても討たれる身であるのだから、結論は言うまでもない」

 と思ったので、

【「私は、太政大臣であった入道清盛の弟である、修理大夫経盛の末子、大夫敦盛。年は十六になる。早く斬れ」】

 とおっしゃる。熊谷はますます可哀想に思われて、

「直実の息子小二郎直家も十六だ。それでは、我が子と同い年でいらっしゃる。このように命を捨てて戦をするのも、直家の将来のことを思うがためだ。わが子を思うように、この人の親もこの人を思ってらっしゃるだろう。この殿一人討たなくとも、頼朝殿が勝つべき戦にまさか負けることはないだろう、討って負けたとしても、そのことが関係するわけでもなかろう」


 これより後はちょっと省略しますね。

【】で囲みましたが、敦盛は「清盛の弟の息子の敦盛だぞ!」と名乗っているのです。その理由が、「名乗っても名乗らなくてもどうせ討たれるのだし、初対面なのにこんなによくしてくれるんだし名乗っておこう」みたいな心境だったらしいんですね。

 あと、省略しますが、この後は覚一本と同様、味方が来るので直実が敦盛の首をとります。


 しかし、その後がまた大きく違います。


【直実が敦盛パパに敦盛の首を送るのです……!】


 現代感覚から言うと、もう優しい通り越してサイコパスなんじゃないかなってちょっと思ったんですけれども。

 当時としては、戦で討たれた子などは決して帰ってこないので、親切な行為……だったようです。その後、敦盛パパは、御礼の手紙を直実に送っています。


 では、延慶本には「殊勝にも敵に名乗らない武士」というのは出てこないの?幻なの?


 います。


 清盛の長男、重盛の五男、平師盛(もろもり、と読みます)が、殺される前に「名を名乗ってください」と言われた際に、


「おのれにあひて名乗るまじきぞ。のちに人に問へ」


 と、言っているのです!

 師盛くんは、清盛の長男、つまり嫡流の家の子なのですね。だから正直、傍流の敦盛よりもプライドは高いはずなので、こちらの方が原型だったのではないかなーと私は思っております。

 つまり、後に語り本として編集された際に、直実のエピソードに、この「名乗らない」というエピソードを融合させた方が、泣けると思ったのでは?と……。

 ちなみに覚一本でも、師盛くんは出てきますが、一言も発さず討たれてしまいます……主役になりそびれた子……。


 以上、長くなってしまいましたが、【敦盛が名乗る世界線】の『平家物語』も存在するんだよということがお伝えできていれば幸いです!

 そして、名を名乗らなかった武士、師盛くんについても覚えていっていただけると幸いです。


 ※原文※

「そもそも君は誰人の御子にてわたらせたまふぞ」と問ふに、只「とくきれ」とこたへたり。

 直実又申しけるは、「君を雑人の中におきまゐらせ候わむ事のいたわしさに、御名をつぶさに承りて、必ずご孝養申すべし。そのゆゑはひやうえのすけ殿の仰せに、『良き敵打てまゐらせたらむ者には、千町の御恩あるべし』と候ひき。かのしよりやう、すなはち君より賜りたりと存じ候ふべし。これは武蔵の国の住人、熊谷次郎直実とまうすものにて候」と申ければ、

「いつのなじみ、いつの対面ともなきに、これほどに思ふらむこそありがたけれ。又名乗てもうたれなむず、名乗らでもうたれむず。とてもうたるべき身なれば、又かやうに言ふもおろそかならず」と思われければ、「我は太政入道の弟、修理大夫経盛の末子、大夫敦盛とて生年十六歳になるぞ。早切れ」とぞ宣ける。熊谷いよいよあはれにおぼえて、「直実が子息小二郎なほいへも十六ぞかし。さてはわがことどうねんにておわしけり。かく命をすていくさをするも、なほいへがすゑのよの事をおもふがゆゑなり。わがこを思やうにこそ人の親もおもひたまふらめ。このとの一人うたずとも、兵衛佐殿かちたまふべきいくさによもまけたまわじ。うちたりとてもまけ給べくは、それにもよるべからず」

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