第8話 幸子のプロライセンス

今日は物凄く緊張しているんだって知った。

無意識に震える足はガクガク、喉はカラカラ、頭に血が昇ってクラクラ。

そっか、これが緊張なんだ。


「では、女子の部門、5番と6番の人、リングに上がって。」

レフリーに呼ばれリングに上がる。

相手の人は…

アイドルのように可愛い子だった。


レフリーに手招きされ、リング中央に進む。

「ジムで教わった通りにやればいいからね。それから、反則行為があった場合は即失格だから気を付けるように。」

相手の人はジッと私を見つめている。

そしてニコッとした。

「お互い、頑張りましょ。」

………

コクリと小さく頷くので精一杯。

レフリーが離れると同時に少し距離を取る。


カーンッ


静かなホールにゴングが響く。

拳をタッチさせて、いよいよ試験が始まった―――


どうしてこうなったかというと、1月の前半、つまり今日から1週間前のこと。

「あれ…?俺、さっちゃんにプロテスト申し込んだって言ったっけ?」

会長の一言で頭の中は真っ白。

目を見開き、ゆっくり首を振る。


「あれれー?言ったつもりだったかな?まぁ、そういうことだから。詳しくは幸一に聞いておいて。」

「だって…、だって…。まだ私…」

ボクシングのボの字もマスターしてない…


「不安なの?」

両手は苦しい胸の前で握って、ウンウンと頷く。

「なーに。車乗るのに免許がいるでしょ?あれと一緒。試合するのにライセンスがいるだけ。それに、よっぽどのことが無い限り、さっちゃんなら受かるよ。」

そう言って練習生達の指導を始めちゃった会長…


「こここ、こーちゃん!」

「ははははっ!会長が言ったのはザックリだけれど本当だよ。午前中に学科やって、午後に実技だけど、軽くスパーするだけだよ。例えそこでダウンされたって大丈夫。勝ち負けじゃないんだ。スタミナ、手数、それと防御ね。そういった基礎が出来ているかどうかをみるらしいよ。」

「んーーー…」

そんなこと言われたって…


「焦ってるさっちゃんは始めて見たかも。」

そう言って笑うこーちゃん。

………

焦る?

私が焦っている?


「とにかく冷静に聞いて。まずはスタミナ。これは走り込みが効いて問題ないよ。2ラウンドしかやらないからね。ずっと打ちっぱなしでもいけるでしょ。そういう意味では手数も問題なし。兎に角打ち込んでいこう。後は防御だけど、超絶完璧に防げってことではなくて、もらいすぎない程度に防げれば良いらしんだ。」

でも私は自信がなかったし、正直怖い…


「いいかいさっちゃん。プロライセンスがないとクリスマスバトル出られないよ?」

「………!!」

「そういうこと。それに、試合経験も積まないと。これは会長も言っていたでしょ。いきなり本番がクリスマスバトルじゃ、無茶過ぎるよ。まだ時間あるから3~5試合はしたいと俺は思っている。」


そ、そんなに…?

でもそうだね。経験は多い方がいいよね…


私は焦る心を落ち着かせて、一つずつ確認していく。

スタミナ…

手数…

ディフェンス…

まずはライセンスを取ることに集中しよう。


「うん、腹をくくったみたいだね。じゃぁ、ミット打ちでおさらいして、レオさんとスパーしながら確認して、休憩中に学科の勉強もやっておこう。」

「は、はいっ!」

私はワタワタしていたけれど、こーちゃんは落ち着いていて、そんな彼を見ているといつの間にか自分も落ち着いているのに気が付いた。


レオさんもアドバイスくれるのだけど…

「なんかしらねーけど30秒でKOさせちまったから、何が基準なのか今だにしらねーぞ?面倒だから、ぶっ倒しちまえばいーんじゃね?」

参考になりません…


そんなこんなで当日。

一通りの対策をしたお陰で、学科は問題なくクリア。

健康診断とかも問題なかったし、後は実技だけという段階までこられた。

プロテストではセコンドはいない。

付き添いのこーちゃんはスタンドで観てるはず…

リング周辺には、同じくテスト生だけがいる。

視線が痛い…


ダメダメ。

集中集中。


相手の人はガードを固めながらも、軽快なステップで私の周囲を周っている。

どうやらアウトボクシングが主体みたい。

私だってリズム感については鍛えてきたんだから。

相手のリズム、自分のリズム…

それを考えながら…、打つ!


バシンッ!


ガードをされたけど、結構良い感触。

相手も高い威力に警戒心が高まったのがわかる。

そして直ぐに動いてきた。

バシッ、バシッ…


ジャブで牽制されつつ、直ぐに離れていく。

追撃をさせないつもりみたい。

レオさんは荒々しいインファイトが印象的だけれど、元々はアウトボクサー。

だからこういうタイプの練習は沢山したよ。


スッ…

またジャブ…ならば…

ウェービングで頭を振りながらも、ガンガン前に進んでいく。


バンッ!

相手のジャブをガッツリガードする。

あっ…、来る…


スッと頭を振って追撃のストレートを交わす。

もう相手の懐に入った。


ドンッ!!


強烈なボディを叩き込む。

思わずガードをさげてきた。

ここっ!


顔面にストレートを…


バシンッ…


!?


振り上げた右手で私のパンチを跳ね除けられる…

まずい!

ガードががら空きに…


バシンッ!


強烈な一撃をもらってしまった。

直ぐにガードをあげて頭を振る。

ドンッ!

ボディもらっちゃった…


でも…

レオさんのパンチに比べれば軽い。

大丈夫、耐えられる。

2ラウンドなんだ。

兎に角前に出る!


ドンッ!!


良い感じでボディのお返しを入れる。

手応えはある!

すると相手は距離を取って、ジャブで牽制しながら近寄ってはこなくなる。

回復させるもんか!


カーン


「両者コーナーへ。」

ゴングとレフリーの言葉で我に返り、コーナーへと戻っていく。

スタミナは問題ない。

だけれどちょっともらいすぎ。

冷静に…

もっと交わせるはず。


相手を見た。

大きく肩で息をしながら、呼吸を整えていた。

向こうだって苦しいんだ。

冷静に…


気持ちを落ち着かせると、リングサイドの小声が聞こえてきた。

「二人共やるねぇ…」

「だって、所属ジムが三森と雷鳴館だもん…」

「フライ級のチャンピオン相田選手とレオ選手はこの前…」

そっか。

相手の人は雷鳴館の人なんだ。


カーン


私にはわかる。

二人共、そんな事は関係なくリングに上がっていると。

ゴングと同時に前に出る。

そうはさせまいと、周囲を右に左に移動しながら牽制してくる。


!!


何気ないジャブを掻い潜り、一気に距離を詰める。

逃げようとする方向へ、更に前に出る。

ワンツーで足を止める!


バンッバンッ!!


!?


二発目を、また跳ね除けられる。

やばい!

直ぐにガードを固めようとしたけれど…

バシンッ!

右ストレートが綺麗に入る。


ぐっ…

あの跳ね除けられるのは厄介…

でも、怖がっていちゃ…


私の正面を避けるようにステップで移動しながら、再び牽制してくる。

何度も繰り返してきた光景。

同じように右を跳ね除けてくるなら…

それを前提に、直ぐに左を入れる!


ウェービングでパンチを掻い潜り、何度目かになる懐に飛び込んでいく。

シュッシュッ…!

左、右とワンツー…

思惑通り、跳ね除けて…

跳ね除けて…


跳ね除けてこない!

やばい!

これは…


ドンッッッ!!!


カ…、カウンター…


バタバタバタと足がもつれながら後退し、ロープ際まで下がる。

ガクガクと膝が震える。

ヤバいヤバいヤバい…

来る来る来る…

仕留めに来る!


刹那―――

目の前に現れた相手から渾身のボディをくらう!

ドンッ!!


無条件で体がくの字に曲がる…

あっ…

ボヤケ始めた視界には右手を大きく振りかぶり、トドメの一撃を繰り出そうとする相手が映った。




逃げるな!!!




立ち向かえ!!!




上半身を倒して、右下へ潜るように交わす。




同時に体を捻り、渾身の…




スマッシュ!!!




!?




ドンッッッ!!!




偶然添えられていた相手の左手に当たり、軌道がズレてしまう。

それでも衝撃は伝わり、彼女はヨロヨロとするとペタンと尻もちをついてしまった。

「ダウン!」

レフリーがカウントを数え始めるけれど、直ぐに立ち上がって

ファイティングポーズを取った。


私は両手を腰に当てながら前に進む。

ノーガードで突っ込んでやる!

ステップを刻む余力はない。

相手の左手は細かく震えていた。

衝撃で痺れているのかも知れない。


いけるっ!!!


両者は一気に距離を詰め寄った!




カーン




「ハイッ、ストップ!」

レフリーが二人の間に入り、両手を広げた。

急に集中力が切れていく。

ハァ…、ハァ…、ハァ…

二人共荒い息だった。


「では、これにて実技を終了します。礼!」

「「ありがとうございました!」」

二人同時にお礼を言う。


レフリーに言われて思い出した。

ここはプロテストの実技試験のリングだった。

夢中になっていた。

本当に試合をしている感触だった。

お互い軽く礼をする。

そして、自分のコーナーへと戻ってリングを降りた。


「良かったよ!凄く良かった!!」

着替えを済ませた私のところへ、こーちゃんが飛んできてくれた。

「ほ…、本当?」

「うん!他の人も良いスパーだったって言ってた!」

ん~~~


照れくさかった。

でも、努力が少し実ってきたんだって実感もあった。

「私のパンチ…、弾かれた…」

「あぁ、あれね。通称パリィって言われてて、実はチャンピオンが得意なんだ。」

「………」

「チャンピオンの相田さんはね、強い人と戦って、普通には倒せないような状況になると本気モードになるんだけど…」

「………」


あれ以上に強くなるの…?

「通称ハンティングモードって呼ばれてる。「狩りハンティング」にくるとね。そうなった時は、そのラウンドで勝負が付く。まぁ、無敗だから確実に狩られるってわけ。」

「レオさんの時は…?」

「ハンティングモードにはなっていない。モードに入ったかどうかは、さっきのパリィが出た時なんだ。帰ったら過去の映像で観てみる?」


怖い…

そんな人だからこそ、13年間も無敗なんだ…

でも…

勝つんだと決めたんだ。

私は小さく頷いた。

「観る…」


「よし!じゃぁ、帰ろうか。今日のテストの合否は、明日連絡が来るよ。」

二人でホールの出口へと向かっていく。

すると、実践テストのスパーの相手の人が立っているのが見えた。

誰かと待ち合わせしているのかな?


私達が近づくと、彼女は顔を上げてこちらに向かって走ってきた。

「あたいは、雷鳴館所属の池田 雪。あなたの名前は?」

私の目を覗き込んで聞いてきた。

ということは、私のことだよね?

「わ…、私は…、三森ジムの鈴音 幸子です…」

ペコリとお辞儀する。


「ふーん。ボクシングは大迫力なのに、本人は大人しい人なんだね。」

直ぐにこーちゃんが口を挟む。

「ごめんね。さっちゃんは昔色々あって、感情表現が苦手なんだ。」

「そうなんだ。まっ、誰だって何かしらあるもんだしね。それよりも、あなたとのスパー、とても楽しかった!幸子さんもそう思わなかった?」


楽しい…?

どう思ったら楽しいなんて感じるんだろう…

「私…、楽しいって感情も無いから…」

「えー?でも、ほら、何か感じなかった?あたいは感じた。生涯のライバルなんじゃないかとワクワクした!」


あっ…

何となくだけれど、理解出来る…

「私も…、夢中になっていた…。凄く夢中に…。だから、ちょっと理解出来ます。」

「でしょ?でしょ?ムフフ…。まさか同じ階級で、ライバルが現れると思ってなかったから!」

「………」

「女子ボクシング人口自体が少ないしね。」

コクリと頷く。


「あたしのパリィ、どうだった?凄いでしょ!相田さんに教えてもらったんだ!」

「凄かった…。どうしたら良いか分からなかった…。あのままなら私が負けていた。」

「潔いんだね。謙虚なのかな?でも騙されないよ。偶然防げたけれど、あのスマッシュ。殺人級だから…」

そう言った時の池田さんは、真剣な目をしていた。


「今度遊びに行くね。もっとお話ししたいけれど、今日は帰らないと。それに素敵な彼氏さんが待っているみたいだし。」

「彼氏…?」

池田さんはこーちゃんを見ていた。

「お、俺?」

ニコニコしながらウンウンと頷く彼女。


「こーちゃんは…、お兄ちゃんみたいな人で…」

「そうなの?じゃぁ…、イケメンお兄ちゃんの彼女候補しちゃおうかな!」

顔を赤らめたこーちゃんを見た瞬間…


「ダメッ!」

二人の間に体を滑り込ませていた。

「なーんだ。フフフッ…。その件についても、今度会った時にね!」

キラッとウィンクして去っていく池田さん。

呆然と立ち尽くす私達。

「と、取り敢えず、帰ろうか。」

「うん…」


帰りは何だか気まずかった…

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