第7話 幸子の先輩

ささやかな正月も終わり、5日からアルバイトが再開された。

「明けまして、おめでとうね。」

藤竹おばさんは、相変わらずニコやかに挨拶してくれる。

「明けまして…、おめでとうございます…」

私は深くお辞儀して答えた。


「ん?正月休みに何かあったかえ?」

す…、鋭い…

私は表情もないはずなのに…

「どうして…、わかるの…?」

「雰囲気さ。」

そ、そんなもんでしょうか…


「えっと…、ボ、ボクシング始めました…」

「ほぉ。三森さんところでかい?」

「はいっ!」

「さっちゃん、見た目によらず力持ちだからねぇ。」

「力だけじゃ…、勝てないから…」


「そうさね。何でもそう。」

「私が勝ちたい人は、13年も無敗のチャンピオンなんです。」

「ほっほっほっ。女は度胸じゃて。それに、もしも観客全員がチャンピオンを応援しておっても、ワシだけでもさっちゃんを応援するからの。だから、試合するようになったら絶対見にいくからね。」

「おばさん…」


あれ…、あれ…

これって、嬉し涙?

頬を大量の涙がこぼれ落ちた。

「ほれ。弁当が塩味になってしまうわい。」

ゲラゲラと笑い、私の背中をさすってくれた。


相手がどれだけ強くても、戦うんだと思える。

これが勇気?

まだわからない。

だけれど、とても心が温かい…

「さて、未来のチャンピオンが作る美味しい弁当を作るかの。」

「はいっ!」


アルバイトの後は、ジムにランニングしながら向かう。

「おっ、さっちゃん来たね。」

こーちゃんが出迎えてくれた。

彼と会長は、年末年始はいつも遊びにくる。

だから、年始の挨拶は済んでいるの。

お母さんと会長は、毎年のことだけれど二人で昔話に花を咲かせていたし、私達も皆で近くの小さな神社へ初詣に行ったりしている。


「体は温まっているみたいだね。さっそくミット打ちしようか。」

「はいっ!よろしくお願いします!」

リング上では色々なアドバイスをもらいながら練習が続く。

夢中になってミットを打ち続けていると、不意にリングサイドに人が立っていることに気が付いた。

ジッとこちらを見ている。


カーンッ

2分を知らせるゴングが鳴り、小休憩を取る。

この2分という時間も体に叩き込むんだって。

ちなみに男子は3分みたい。

コーナーに戻ると、リングサイドで見ていた人が近づいてきた。


「お前が新入りか?」

女性だった。

腕組みをしながら私を睨んでいる。

見たことがある…

あっ…


「レ…、レオさん…」

そう、クリスマスバトルでチャンピオンと決勝戦をしていた人。

間近で見る彼女は、鍛えられた体と鋭い眼光、そして無造作に伸ばされた髪から、もうそれだけで強そうと感じてしまう。


「は…、初めまして…。鈴音 幸子です…」

「あぁ、会長から聞いているぜ。色々とな。」

色々とは、きっと感情がないことや、それによって無表情ってことだと思う。

それに階級も同じ。

ひまわり荘に住んでいることとかかも。


「よろしくお願いします…」

ペコリと頭を下げる。

「まぁまぁ、固い挨拶はその辺にして、早速スパーやるか?」

「スパーリング…?」

「そうだ。俺と同じ階級だしな。な・に・せ、クリスマスバトルで優勝するんだろ?」

ニヤニヤしながら、そう言ってきた。


それはつまり、レオさんと対戦しても勝つという意味も含まれるわけで…

「あの…、あの…、大それた目標だということは…」

「ん?あぁ、いいんじゃねーの?」

「………」

「だってよ、誰が相手でも勝つって気持ちがなけりゃぁ、この先やっていけないぜ?」

それはそうなのかも知れないけれど…

「こまけーことはいいんだよ。さっ、やろうぜ?」


話を聞いていたこーちゃんが、ヘッドギアを持ってきてくれた。

「これは頭を守る練習用プロテクタね。だけれど、くらえば痛いから。防御も教えた通りにやってみるんだよ。」

「うん。」

「連続ダウン取られるようなら、そこで止めるからね。」

この言葉は、レオさんにも向けられているようだった。

「わーってるよ。ほれっ、ゴング。」


カーン

突然始められたスパーリング。

レオさんは軽く右手を差し出してくる。

私も右手を出して、グローブ同士をタッチさせる。

試合開始の合図だ。


直ぐにグローブを顔に近づけ、防御体勢を取る。

最初は軽いジャブの応酬だ。

お互い探り合っている。

もちろん私も、レオさんの距離を確認している。

アウトボクサースタイルで、私の外周を周るように探りを入れてくる。


だけどインファイトも十二分に強いことを見ている。

特に、フィニッシュブローのジャベリンには要注意…


ドンッ!


!?


突然、強烈な一撃がガードしている腕に響く。


す…、凄い…


ドスンッ!!


ぐっ…、重い…


顔へのパンチに気を取られた次の瞬間、お腹に強烈な一撃を貰ってしまった。

これが上下の打ち分け…

「さっちゃん、手を出して!」

そうだ。守ってばかりじゃジリ貧。


まだちょっと慣れない左で、何度かジャブを打つ。

距離感はだいたい掴んだつもり。

リーチはレオさんの方が少し長い。

中距離での応酬は極力避けて、懐で勝負しないと…

そのためには、力強い一撃で怯ませて一気に飛び込むんだ。


レオさんの突き刺さるような視線が痛い。

きっと私が距離を測って右を狙っていると勘付いている…

でも…

思いっきり打ち込むんだ!


右ストレート!


ドンッ!!


ガード越しに弾き飛ばせた!


いける!


もういっちょ!


ドンッ!!


!?


なんで…私が…くらっているの…?


もしかして…、これがカウンター…?


何が何だか理解出来てない。

頭がクラクラして、視界がボヤケている。

地面がどこなのかわからない。

「次来る!」

こーちゃんの叫びが、かろうじて聞き分けられた。

直ぐに手を持ち上げてガード体勢をとる。


ドスンッ!


左横腹に鉄ような拳が突き刺さる。

ガクッ…

膝が折れる…

踏ん張りが効かない…


「ほれほれ、終わっちまうぜ?」


倒れちゃダメだ…、倒れちゃダメだ…


倒れたら…、負ける!


倒れなければ…、負けない!


グワッと視界が戻ると、大きなモーションから右を打ち込まれようとしていた。

「頭を振って!」

こーちゃんのアドバイスだけが聞こえる。

ウェービング…

頭を振って右ストレートを掻い潜る。


ここだっ!


脇を締めてから体をひねり、渾身の力を込めて突き上げた。

軋むほど拗じられた体が、一気に解放されていく…

唯一褒められた、私のスマッシュ!

ドンッ!

ガ…、ガードされた…!?


「おらぁ!!!」


レオさんが叫ぶ!


何かが来ている!?


ドンッ…


顔が左へ吹っ飛ぶ。


あぁ…、これはジャベリンだ…


視界外から強烈なフックがぶっ飛んできた。


ヨロヨロッとし、ロープ際へよろめき、そのままロープに掴まる。


倒れちゃ駄目…倒れちゃ駄目…

ガクガクと無意識に震える足。

どこ…?

レオさんはどこ…?

攻めるんだ。

怖がっていては勝てない!

ファイティングポーズを取れ!


!?


突如誰かに両肩を掴まれた。

「さっちゃん!」

私の名前を呼んでいたのはこーちゃんだった。

あれ?


「ゴングだよ。ゴング。」

ゆっくりと視界が戻ってくる。

彼の後ろでは、両腰に手を当てて私を睨むレオさんがいた。

「あっ…」

次のラウンドに向けて休憩しないと…

でも…

体が言うことを聞いてくれない…


「やめやめ。お前、これ以上やったら壊れちまう。」

レオさん…

私が弱すぎて、相手にならないんだ…

「す…、すみません…」

「おいおい、謝る場面じゃないぜ。本調子じゃないとはいえ、本気のカウンターにジャベリンまでくらって立っていたんだ。誇っていいぜ?俺のほうが自信を無くすわ。」

彼女はそう言ってゲラゲラ笑っていた。


「それに、あれだけ打ち込まれて攻め返してきやがった。根性もあるし、勝つんだという強い意志もある。お前…、幸子だっけ?いいボクサーになるぜ?」

「あっ…、あっ…」

なんて答えて良いかわからなかった。

こんなに褒めてくれるのは、身内以外では藤竹おばさんぐらいしかいなかったから。

「ありがとう、ございます…」


バタンッ


そう答えたところまでは覚えていたけれど、どうやら私は気を失ってしまっていた。


目が覚めると、女子更衣室で寝かされていた。

「おっ?気が付いたか?」

「レオさん…。私…。」

「まぁ、あんまり良いパンチ打つもんだから、思わず本気で打ち込んでしまった。すまんな。始めたばかりなのに。」

「いえ!勉強に…、なりました…」

「ハーハハハハッ!幸子は可愛い顔して、肝が座ってるぜ。」


「………」

そ、そうなのかな…

ずっと逃げてばかりいた私なのに?

「幸子の置かれている状況ってのは、会長から説明された。だけどな、リングにあがっちまえば、そんなもんは一切関係ねぇ。逆に考えれば、そんなもんは一切気にせず戦える場所がリングってところなのさ。」

不幸な生い立ちや、戦う理由、そういうものは関係ないってことかな。


「無表情?それだって武器にしちまえばいいのさ。」

「武器…?」

「そうだ。例えばチャンピオン。あいつは相手の表情を細かく観察してやがる。こっちが殺気立てば防御に徹し攻撃を受け流す。現にこの前の試合だって、前半は打たされた感じがした。それによってムキになるしポイント取られる戦い方されて焦るし、後半はそういう心情を察知されて、いいようにカウンターもらっちまった。だけどな、無表情なら騙せる。だから武器になる。」

な…、なるほど…


「まっ、使えるもんは何でも利用しろ。例え俺様だってな。もちろん、俺もお前を利用させてもらう。お互い様ってやつだ。」

「厳しい世界です…」

「そりゃそうだ。勝負の世界に、仲良しごっこは通用しない。だけどよ、恩人には恩返しぐらいしないとな。」


「?」

「まぁ、よくある話しなんだが…」

レオさんはボクシングを始めるきっかけを話してくれた。

グレていたところを会長に救ってもらったこと…

そこから二人三脚で勝ち上がってきたこと…


「あの時グレたままなら、俺はいまごろクズの見本になっていた。」

「そんなこと…」

「いや、人生の半分は檻の中。そんな風になるはずだった俺に、スポットライトを浴びせてくれた会長には、頭が下がるばかりだし、何か一つぐれー恩返ししたいってわけさ。」

「やっぱり…、タイトル…、チャンピオンですか?」


レオさんは優しい笑顔で答えてくれた。

「あいつは、俺以上にベルト欲しがっているからな。あんまりにも欲しそうなツラしてやがるから、俺様が持ってきてやろうってな。まぁ、あのデブの腹に巻けるかどうかは知らねーけど。」

ギャハハハハハハッ


大声で笑ったのは、照れ隠しなのかもって思った。

だけれど、二人の信頼関係は凄く強いんだってこともわかった。

そして自分の事を考えた。


私は…、お母さんに恩返ししたい。


そして、守ってくれている人達全員にも…


貰ってばかりだったから、これからはお返ししなくちゃ。


そう思うだけで力が湧いてくるよ。


次の日からの練習は、更にきついものへとなっていった―――

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