第6話 幸子が勇気を託せる人

私は立ち上がると、こーちゃんの背中を押して、三森さんのところへ連れていく。

「さ、さっちゃん?」

そして三森さんの前に出て、思いっきり頭を下げた。

「み…、三森さん…。私に…、私に…、ボクシングを教えてくださいっ!!」


一瞬驚いた三森さんとこーちゃん。

だけれどこーちゃんは、直ぐに我に返って一緒にお願いしてくれた。

「俺からもお願いします!会長!」

ボクシングジムの会長でもある三森さん。

お父さんではなく、会長と呼んだこーちゃんも、深く頭をさげてくれた。

会長は暫く無言だった。


「いいかい、さっちゃん。確かにさっきのパンチは凄かったよ。でもね、例え良いパンチを持っていても、それを当てなくては駄目なんだ。それに、相手からのパンチも飛んでくるし、当たれば痛いし、トレーニングはきつくて辛いし、怪我をする時だって、流血する時だってある。全部を受け入れる覚悟はあるかい?」


私は即答した…

「ありますっ!」

昨日の試合の放送の後も、何度も何度もイメージしている。


殴る想像は上手くできなかったけれど、殴られる想像は沢山出来た。

でも…


朝起きた時に、それでもジムに行くんだと思えた。

だから…


「うーむ。正直、さっちゃんのパンチは魅力的だよ。だけどね、どうしてボクシングなんだい?他のスポーツは考えなかったの?」

それは…


「私を…、産んでくれたお母さんの遺言は…、「強くならないと、大切な人も守れない」でした…。強く…、強くなって、大切な人を守りたいし、私を守ってくれた人達に私は強くなったよって報告したいです!今度は私が守りたいんです!私は生まれ変わりたいんです!いつまでも守られてばかりじゃ、駄目なんです!!!」


つい力説してしまった…

ポカーンと私を見る会長さん。

ハァ…、ハァ…

これが緊張?鼓動が早く、頭に血が登っている。


こんな自分は…、記憶にない。始めてかも…

私は長い間、自分の殻に閉じこもって何も言わなかった。

それは、周囲の人達が守ってくれたから。


でも、このままでは何も変わらない。

中学の頃から気付いていた。

自分の気持ちをぶつけないと、大人達は理解してくれない。

ちゃんと…、伝えるんだ。






そして、変わるんだ!






この重い扉をこじ開けて!






バンッと両膝を叩いて立ち上がる会長。

「よしっ!そこまで言うなら入門を許可しよう!」

その言葉と同時に、涙が零れた。

「あれ…、あれ…?」

涙なんてとっくに枯れたと思っていたのに。

どうして…?


「自分の気持ちが相手に伝わったから、嬉しかったんだね。だからそれは、嬉し涙なんだよ。」

会長は優しく微笑みながら教えてくれた。


嬉し涙…


こんな気持ちなんだ…


顔は無表情だったけれど、流した涙は絶対に忘れないようにしよう。


「まずは目標を決めようか。」

涙を拭くと同時に、いよいよ私のボクシング人生が始まると実感してくる。

だから、ちゃんと正直に答えなきゃ。

「優勝…」


言葉にしてみたら、急に大それた目標だと思ってしまった。

そのまま俯いてしまう。

「ん?」

不思議がる会長に、ちゃんと伝えなきゃ…

「クリスマスバトルで…、優勝…」

「大きく出たねぇ~」


チラッと会長を見上げる。

苦笑いしていた。

「や…、やっぱり、駄目ですよね…。ふざけてますよね…」

会長はビックリした表情をする。

「どうして?ちょっと驚いたけど、目標は大きくてもいいじゃないか。むしろ、ちゃんと決めていたことに関心したよ。」


「………」

「出場じゃなくて優勝なんだな。勝ちに拘っているのかい?」

ガバッと頭をあげる。

「か…、勝ちたいです!」


また驚く会長さん…

私だって、自分が制御出来ていないことに戸惑っている…

「よし、分かった。さっちゃんが勝ちたくてボクシングをしたいこと。凄く伝わってきた。勝って、お母さんを喜ばしてあげたいよな。」

目標という空想から、一気に現実的な感じがしてくる。


「まずはさっちゃんの今の状態を知るところから始めようか。」

それからは、身体測定をこなしていく。

体重計に乗るのはちょっと恥ずかしかったけど、階級はフライ級だとわかった。

「レオと一緒だね。つまりは神様がいる階級ってことで…。」

会長の言葉からは、クリスマスバトルでの優勝が一気に遠のいた事を意味する。


「身長からは1階級下のライト・フライ級かと思ったけれど…。そっか、筋肉は重いからね。こうなると減量や増量も厳しいかぁ…」

会長は神様の居ない階級を選びたかったみたい。

「会長…。私…、全力で戦える状態でやりたいです…」

減量とかってきっと大変だと思う。

「そうだねぇ。まっ、やるだけやってみよ。」

お昼には一度家に戻って、お昼ごはんを食べた。


「随分遠くまで走っていたね。」

きっと深い意味はないのだろうけど、お母さんが何気なく話しかけてくる。

ボクシングの事はもう少し伏せておきたい。

心配かけたくないから。


「うん…」

「運動はいいよね。お母さんも何かやろうかしら?ふふふ…」

「午後も…、午後もね…、ちょっと出かけてくる。」

「わかった。あまり遅くならないようにね。」

「うん。」


昼食の後片付けを終わらせると、早速ジムに向かった。

会長が外で車に乗って待っていた。

「ボクシングに必要な道具を揃えちゃおうか。」

そう言って、少し離れた市の中心地へ向かう。

目的地は、スポーツ用品店だ。


「リングに上がるには、シューズを買わないとね。」

あぁ、そっか。

そういうのも必要だよね。

アルバイトしておいて良かった。

でも、今日はお金持ってきてない。

「会長…、あの…、あの…。」

「あぁ、お金?そんなの後で回収出来るよ。なにせ、クリスマスバトルで優勝するんだろ?」

ニヤニヤする会長。


「だ、駄目です。」

「ん?」

「アルバイト…、しているから…。明日払います…」

「別にいいのに。」

「後払いは…、嫌なんです。それに、トレーニング料金も、ちゃんと払いたいです。」

「わかった。けじめを付けておきたいんだね。」

私は小さく頷いた。


シューズは高すぎず、平均ぐらいの中から選んだ。

ボクシングスタイルによって違うらしいのだけれど、そこは会長が範囲をしぼってくれた。

その後は、女性店員のところに連れて行かれ、体型を測ってもらう。

カーテンの向こうから会長の声が聞こえる。


「胸や下腹部のプロテクタと、試合着を買っておこう。これは経費で落ちるから俺が買うからね。」

色々とお金かかるんだ…

「あの大会に出るにはプロライセンスが必要だから、対外試合とかでお金稼いでくれればいいんだよ。」

えっと…



えーーーーーーっ!?



対外試合?

でも、でも、そういうことなんだね…

試合経験も積まないと、駄目ってこと。

そうこうしていると、女性店員さんはスポーツブラを選んでくれていた。

「これなんかどう?」


………

ちょっと待って…

「こ…、これで試合するのでしょうか?」

「恥ずかしい人は、短めの袖のシャツを上に着ていますよ。」

あぁ、良かった。


帰りの車内。

「戻ったら早速着てみるかい?気分盛り上がると思うよ~?」

ちょっと興味があった。

「はい…。着てみたいです。」

「それと、今のうちにいくつか言っておきたいことがある。」


な、なんだろう…

「まず一つ目。朋ちゃんには、ちゃんと話をすること。」

「あ…、えっと…。はい…。」

朋ちゃんとは、お母さんのこと。

名前が朋美さんだから。

二人は幼馴染だって聞いている。


「あの人なら、応援してくれると思うよ。」

「心配かけたくない…から…」

「でも、近いうちに話しはしてね。突然怪我して帰って来る方が、心配すると思うよ。」

そういうこともあるよね…


「もう1つ。昨日の試合の後、レオは再戦に燃えていた。だから俺は極力彼女のトレーニングに付き添うことになる。」

「えっ?」

そっか、そうだよね。

アナウンサーの人もタイトルに近い存在だって言っていた。


「その代わり、さっちゃんのトレーニングには、メインとして幸一に付いてもらう。それが嫌なら…」

「嫌じゃないです!」

「さっちゃんの事を考えるとね、本当は良くはないんだ。」

「?」

「兄妹みたいな関係だろ?甘えとか手抜きとかにつながる可能性もあるからね。」

「こーちゃんはそんな事しないです。私も甘えなんて求めないし、嫌じゃないと言ったのは、こーちゃんになら託せるからです。」

「託せる?」

「私の勇気をです。」


会長は片手でハンドルを握りながら、缶コーヒーを飲む。

「勇気をかぁ…。信用しているんだね。」

「はいっ!」

「信用だけかな…?」

何故かニヤニヤした後、直ぐに真顔になる。

「じょ、冗談だよ。」

何の冗談だったんだろう?


ジムに到着後は、さっそく着替えてみた。

鏡に映った私は、自分じゃないみたいな格好をしている。

心臓が高鳴る。

緊張?

いや、違うかも。

高揚ってヤツ?


トントンッ

『着替え、終わった?』

こーちゃんの声だ。

「うん。」

彼が女子更衣室に入ってくるなり、おぉー!と声をあげる。

「似合っているよ!うん!凄くいい!」

顔が熱くなり、何故か逃げ出したくなる。

思わず俯き加減で視線を逸らす。


「照れなくてもいいのに。」

そう言われて、自分が照れているのに気が付いた。

無表情だけど。

上目遣いで見たこーちゃんは、何だか凄く嬉しそうな顔をしていた。


「さっそくリングに上がってみようか。会長がミット打ちしてくれるって。」

「ミット打ち?」

こーちゃんが説明してくれる。

「会長の持つミット目掛けて打ち込むんだ。まぁ、やってみるとわかるよ。」


リングには会長がミットを持って待っている。

「おーい、さっそく始めようか。」

ミットってあんなやつなんだ…

てっきり野球のグローブみたいなの想像しちゃった。


「いいかい。俺のミット目掛けて打つんだぞ。間違っても、いかにも叩きやすそうな大きなお腹を打っちゃ駄目だぞ。」

まずはそう言ってゲラゲラ笑っていた。

「俺の指示にそって打ち込むんだ。リズム良く、テンポ良くね。強く打ち込む事が重要じゃなくて、まずは距離感、それから正確さと、スピードが大切なんだ。」


「距離感?」

「そうだよ。手が伸び切った状態が1番力が伝わるからね。自分の距離を体に叩き込むんだ。」

「わかりました。やってみます。」

「うんうん、いいねぇ、初々しい感じ。」

会長は何だか嬉しそう。

「いやね、こうやってボクシングに興味を持ってくれる人が増える事が嬉しいんだ。」

会長はボクシングが大好きなんだね。


「よし、やってみよう!まずは右から打ち込んでみて。」

構えるミットを睨む。

「さぁ、こい!ほれっ!右!」


ズバンッ!


いい音が部屋に響く。

「うひょー!最高!右!右!左右!」

気持ちよく打ち込んでいく。


会長は時々止めて、アドバイスをくれる。

「打ち込んだら、拳を素早く引き戻すことも大切なんだ。相手の攻撃に備えたり、次のパンチを打つためにもね。」

「はいっ!」

「距離感を掴むには、左を使って測るといいよ。ほら、左!左!」


バンッ!バンッ!

「そして右!」

ズバンッ!!

「いいねぇ!しびれるねぇ~」

距離感が大切というのは、何となくだけど理解出来た。


でも、ちょっと疑問もある。

「会長、相手の距離にも注意が必要ってことですか?」

「おっ!?いいところに気が付いたね。体の大きさや腕の長さ、リーチって言うのだけどね、それが人によって違うから距離感も変わってくる。だから、相手の得意な距離で戦うのは不利だよね。でも、それをカバーするのはパンチの打ち方になるんだよ。」


「打ち方?」

「そう。さっき練習生に教えてもらっていたでしょ?後で幸一にちゃんと指導してもらうとして、打ち方によって距離も変わるんだ。さっきのストレートは1番遠い距離、フックは中距離、アッパーは近距離だよね。」

「あぁ…」

なるほど。

距離によって打ち方を変えるって事も出来るんだ。


「それにさっちゃんがさっき最後に打ったパンチ。スマッシュって言われる打ち方なんだけど、これは踏み込むことによってもっと距離が稼げる。見てみて。」

会長は脇を締めて斜め45度に打ち上げる。

「これが普通のスマッシュ。」

そして今度は一歩踏み込んでから同じように撃ち込んだ。

「こうすることによって、一歩遠くても当たる距離になるよね。」


うーん…

難しそう…

「心配しなくていいよ。何も難しくはないんだ。」

「?」

「だって体が勝手に動くまで練習するから。」

「………」


いったい私はどうなってしまうのだろう…

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