第3話 幸子が踏み出した大きな一歩

ピピピッピピピッ…

弁当屋 藤竹の調理場に7時を知らせるアラームが鳴り響く。

「おっ?さっちゃん、学校行く時間だぞ。」

旦那さんに言われてアラームを止める。

「はい…、ありがとう、ございました…」

ペコリとお辞儀をする。

初日ということもあり、思った以上に疲労を感じる。


「何を言うとるんじゃ。手伝ってもらったのはこっち。だから、お疲れ様でした。無理しないように続けてくれると大助かりだよ。」

もう一回ペコリとお辞儀した。


「そうだ。お弁当、お昼に食べるかい?自分で作ったお弁当!」

そう言って差し出されたのを、一つもらった。

いつもは自分で作るのだけれど、こんなに朝が早いと無理だったので、購買部で買うつもりだった。

三度ペコリとお辞儀。


トイレを借りて着替えを済ます。

着ていた服からは、料理の匂いがちょっとするかも。

気にする事無く歩き出して気が付いた。

靴がランニング用のシューズだった…

戻っている時間もないから、そのまま行くことにする。

明日からは気をつけなくっちゃ。


学校ではこーちゃんが傍にいてくれる。

人気者の彼がいると、私は虐められなくて済むから。

いつも二人でいるから、実は付き合っているんじゃないかとちょっかいを出してくる人もいるのだけれど、小学生までは一緒に住んでいたから兄妹みたいなもんだと言っていた。

こう言われると、養護施設という環境を背景に、誰も何も言えなくなる。

彼が私を守る為に、長年かけて培ってきた技術の一つ。


そんな時、不意にこーちゃんは変な事を言ってきた。

「あれ?さっちゃん何か良い匂いがする。」

「………?」

「いや、香水とかシャンプーとかじゃなくて…。」

ピンッときた。


「アルバイト始めたの…」

「え?何の?」

「弁当屋さん…」

「藤竹さんところの?」

小さくコクリと頷く。


「いいねー。何か買いたいのあるの?」

小さく首を振る。

「ふーん。でも、お金あるといざという時にも助かるしね。」

その言葉は、お母さんが言っていたのと同じ。

だから、相談してみることにした。


「そう言えば…、お母さん借金しているみたいなの…」

彼は直ぐに寂しそうな顔をした。

「まぁ、昔から資金はきつかったみたい。だからうちの親父が俺を引き取ってくれたんじゃないかと思っている。」

「………」

そうだったんだ…

それなら理解出来るかも。

独身で養子って、なかなか無いと思っていたから。


「養護施設ってさ、一応国とかから資金が出るのだけれど、預かっている子供の人数とかで決まるらしいんだよね。詳しくはしらないけれど。だけど全額って訳じゃないから、サポーターとかって呼ばれる人達の善意の寄付だったり、自分で働くしかないんだよね。お母さんも働いているでしょ。」

勿論知っている。

昼間は農家の手伝いをして、お給料の他にお米だったり野菜だったりをお裾分けしてもらっていた。

それでも足りなかったんだ…


そう言えば…

雨漏りの酷かった所、いつの間にか直っていた。

きっとそのお金なんだ。

その他にもボロボロのところがあったけれど、修繕したんだ…


帰ってからも、お金の事が気になっている。

多分、直接聞いても教えてくれないだろうな。

洗濯物を取り込んで、片付けて…

夕食の準備して…

お風呂も掃除して…

あれ?ナナちゃんまだ帰ってきていない。

お母さんもまだだ。

今のうちにマー君の宿題みてあげよ。


その後はいつもの筋トレに励んだ。

家の梁を使って懸垂したり、階段の段差を使って、足を高い位置にしての腕立て伏せをしたり。

今ではどちらも、指一本でも出来るぐらいになった。


ガラガラガラ…

お母さんとナナちゃんが一緒に帰ってきた。

「おかえりなさい。」

私はどんな言葉を言う時も無表情。

そんな事は嫌というほど聞かされているから、会話の時は相手の表情を観察してしまう。

そうすることで、私の言葉をどう受け止めたかわかる。

私から表情で訴えることは出来ないから。


二人はとても落ち込んでいた。

私の言葉が耳に入ってないほど。

何かに動揺している…


「あっ…、さっちゃん。ただいま。」

お母さんの作り笑い。

ナナちゃんは、俯きながら無言で自分の部屋へと急ぎ足で向かっていった。

流石に何かあったと感じた。

「ご飯の準備しなくちゃ。」

「してあるよ。」

「あっ、洗濯物…」

「片付けしたよ。」

「お風呂…」

「掃除は終わっている。」

「あ、ありがとうね。」


苦笑いのお母さん。

直ぐに意を決したような表情になる。

「さっちゃんには伝えておくね。」

「うん。」

「ナナちゃんね…、病気が見つかっちゃったの。」

「………」

どんな顔をしたら良いかわからない。


病気自体も心配だけれど、持病を抱えることになると、養子に行くチャンスも薄れちゃう。


そんな心境を察してくれたのか、説明をしてくれる。

「直ぐにどうこうなっちゃうような病気じゃないのだけどね、2~3年以内には手術しないと酷くなっちゃうみたいなの。」

「うん…、わかった。」

「だからね、手術に向けてナナちゃんを励ましてあげないとね。」

「うん。」


直ぐに気付いてしまった。

手術するにもお金が必要だって。

握った拳に力が入る。

私も稼がないと、居場所がなくなっちゃう。

お母さんが必死になって守ってくれた居場所が…

身も心もボロボロになってまで守ってくれた、ひまわり荘が…


結局アルバイトには、日曜日の休み以外は毎日4時から7時まで働いている。

土曜日は学校もないから、午前中を使ってお店の掃除したり配達も手伝ったりした。

少しでも稼いで貯金しておこう。

お母さんがお金で困った時に、直ぐに渡せるように。


だけれど、何か大きな失敗したり、スタッフとして有能じゃなければクビになっちゃうとも思っている。

アルバイトとは言え、言われたことだけやっている様では駄目だと感じた。

むしろ必要とされる人材にならないと。


では、必要とされる人材とは何か…

多分だけれど、他の人より頼りになるということ。

例えば、効率的に作業が出来るとか、何か得意分野があるとか。

他の人でも代役が出来るなら、笑顔一つ作れない私は、働く前からデメリットを背負っていることになる。

そう言う意味では、働く場所も限定されている。


だから、全部の作業内容を覚えて、おばさんや旦那さんの得意、不得意な事も把握して、その中で私が何をやれば良いかを考えた。

力仕事や下ごしらえを中心にやってみる。

その間も、他の工程を無視しない。

手が必要なら直ぐに駆けつけて手伝う。


順調にこなしていったアルバイトだったけれど、やはりというか私のせいで問題が起きた。

もう少しで、アルバイトを始めてから一ヶ月が経とうとする頃、旦那さんが風邪で寝込んでしまった。

インフルエンザではなかったけれど、風邪の菌をお弁当に盛り付ける訳にはいかないと、おばさんが強引に寝かしつけていた。

でも本当は、旦那さんのことを心配しているんだよね。


私はいつも以上に頑張らないといけないと思い、無我夢中で仕事をこなしていく。

そこへ、いつもより多くの弁当の注文が入る。

仕出し弁当を取ってくれている工場さんで研修生が来るらしく、その分の追加注文があったみたい。

二人で目が周るほどの忙しさとなる。


そんな状況の中でも、外が明るくなる頃には、弁当を直接買ってくれる人達がやってくる。

「誰も居ないの?弁当買える?」

朝の販売用の弁当は完成している。

おばさんは仕出し弁当の調理の真っ最中で手が離せない。

「さっちゃん!悪いけどレジやって頂戴!」

悲鳴にも近い言葉に、何も考えずに「ハイッ!」と答えてしまった。


レジカウンターにはサラリーマン風の男性が、お弁当を一つ持って待っていた。

ちょっと怖い…

「悪いけど、急いでくれる?」

少し不機嫌そうに言われて慌ててしまう。


「よ…、450円です…」

絞り出すように俯きながら答える。

「もう代金は置いてあるけど?」

イライラが伝わる。

「すみません…」


レジを打ちレシートを渡す。

「あ…、ありがとうございました。」


チッ


舌打ちが聞こえる。

「笑顔ぐれー出来ねーのかよ…」

下げた頭を上げられない。

足が震える…






怖い―――






「ちょっとあんた!なんて言い草なの!!」

奥からおばさんが血相を変えてやってきた。

「な…、なんだよ…」

「この娘はね、笑顔を作りたくても作れないの!人には色々あるんだよ!!そんな事も考えない奴なんか、あっちのコンビニで弁当買っておいで!二度と来るなぁ!!!」

そう怒鳴ると、サラリーマンは足早にお店を出ていった。


「おばさん…」

この人は、私の事を理解していながら雇ってくれていた。

色々と気を使わせてしまっていたと思った。

それと同時に、やっぱり私は守られてばかりだとも気付いた。


「さっちゃん、ごめんねぇ…」

「お、おばさんが謝ることじゃないです。私が悪いのだから…」

「悪くなんかないんだよ!誰だって辛いことの一つや二つは持っているものさ。さっちゃんはその期間がちょっと長いだけなの。だからあんたは悪くないの。」


何故か胸が熱くなる。

この状態が何を表しているのかはわからない。

だけれど、悪い気分じゃなかった。

むしろ恐怖を吹き飛ばすような、良い気分だった。


「ありがとうございます。私、なんて言って良いかわからないのが悔しいです。」

「言葉なんていいのよ。こんなに一生懸命働いてくれているんだから。胸を張っていいんだよ。」

「ハイッ!」

「さぁ、続きをしないとね。」


学校に間に合うギリギリまでお手伝いした。

完成したお弁当を車に積み込んで、後は配達すれば大丈夫というところまでやれた。

おばさんは、荷降ろしはお客さん側で手伝って貰えるよう頼んでみるよと言っていた。

心配になって、帰り道にお店に寄ってみた。


お弁当を現地で降ろす作業は、我儘を言ってお客さんに手伝ってもらっていた。

良かった。素直にそう思った。

「バカは風邪ひかないくせに、いざひくと長引くから、今週はお手伝いお願いしますって、お客さんに言ってあるよ。」

そんな事を言ってゲラゲラ笑うおばさんは、こんな大変な時なのに楽しそうだった。

「人生にトラブルはつきもの。だから、大変だ大変だって騒ぐよりも、どうやったら乗り越えられるか考えるのが大切だよ。」

そんな風に、教えてもらった。


「でも…。お客さんが荷降ろし手伝ってくれなかったら、おばさん一人じゃ大変…。」

「心配してくれてありがとうね。その時はね、食材の仕入先の八百屋の息子がいつも暇そうにしているから、駄賃やって連れて行くつもりやった。」

そう言って、またゲラゲラ笑っていた。

「良かった…」

「さっちゃんは優しいね。きっと両方のお母さんの育て方が良かったんだね。」


産んでくれたお母さんと、育ててくれたお母さん…

「お母さん達だけじゃないです。おばさんにも色々と教えてもらっています。」

そう言うと、目を細めて嬉しそうに笑っていた。


帰り道。

守られているばかりじゃ駄目だと、改めて強く強く思っていた。

そして運命の17回目の誕生日を迎えた―――

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